―――八雲が獣王国から戻って既に二日が過ぎていた。
ジュディ・ジェナ姉妹は黒龍城に就職してからアリエスの部下として今は早速メイド業務をしっかり身に着けようと、優しくも厳しいアリエスの指導を受けている。
ティーグルに戻った初日の夜はノワールが獣のように求めてきて八雲は半ば強引にベッドに押し倒されていた―――
エレファンに行っていた間はなかなかタイミングもなかった上に八雲がイェンリンに一度殺されたことが、此方に戻ってから精神的に色々きてしまったようで夕食後ベッドに押し倒すという暴走行為に走ったのだ。
だが、押し倒しにきたのはノワールだけではない。
アリエスもまたエレファンで起こったイェンリンの暴挙に怒り心頭となり、黒龍城内の彼方此方が凍結する被害が出ていたが八雲が宥めることとなった。
またアリエスも
アリエスはフレイアをライバル視しているところがあり、ノワール曰く生まれた頃はふたりで鍛錬などをしたこともあるなど八雲は昔のふたりの話しを驚きながら、そして羨ましい気持ちも湧きながら色々聞いていた。
そんな流れで戻った初日の夜は―――
アリエスに汗が浮かび、薄暗い部屋の中でランプの明かりを反射して妖しく美しく蠢き、思わず無意識に両手を伸ばして揺れる胸を鷲掴みにする。
そんなところに意識が戻ったノワールが八雲の胸元に顔を近づけてきてキスをする。
アリエスが果てるとまた八雲の上にノワールが圧し掛かってきたかと思うと、そこからふたりを外が薄明るくなるまで抱き続けた―――
―――二日目の夜に八雲の寝室を訪れたレオとリブラもその夜、全力で可愛がった八雲がティーグルに戻って三日目になる朝。
スコーピオからの『伝心』が急報を告げる。
【―――御子!聞こえるか?此方スコーピオだ】
丁度アクアーリオから朝食の配膳をしてもらったところで入った『伝心』に八雲は慌てて返信する。
【どうした?何かあったのか?】
【エレファン獣王国から軍が出兵する。進軍の方向から見て間違いなくティーグル皇国の方向だ。その数およそ四万だ】
(例の徴兵でかなり集めたな。しかし遂に出てきたか……でも『災禍』の目的は何なんだ?戦国乱世が望みとか?)
【分かった。そのまま動向を継続して観察を―――】
【―――兄ちゃん!兄ちゃん!】
【うおあ!―――ヘミオスか!?ビックリするだろ……どうした?】
スコーピオとの『伝心』にヘミオスが割り込んでくると大声で八雲を驚かす。
【ああ、ゴメンね!エーグル帝国が兵を出したよ!進軍の方向はエレファンとの国境に向かっているよ!】
八雲は外交工作を提案したエーグル帝国にヘミオスを向かわせ、商業国家リオンにはジェミオスを監視役として派遣しておいたのだが、ティーグルからの書簡を信じた効果が出たのかエレファン獣王国の国境へ向けて出兵した知らせだった。
それとタイミングを合わせたかのように―――
【―――兄さま、ジェミオスです】
【どうしたジェミオス?】
リオンに向かわせたジェミオスからの『伝心』も届いた。
【リオンの軍も今、国境付近で駐留する様子を見せています】
どちらも八雲から提案した書簡の通り、警戒と威嚇の意味を含む出兵を行って国境を固めだしたと判断した八雲は、
【エーグルもリオンも国境は超えないはずだ。ふたりともまた何か動きがあったら連絡してくれ】
ジェミオス・ヘミオス姉妹は、
【―――はい!】
と返事して、そのまま『伝心』を切った。
現状の軍の動きは―――
少なくともエーグル帝国と商業国家リオンの軍が配備されたことで普通の国なら警戒して進軍を停止させるか、首都に引き返して対策を練るだろうが相手は狡猾な『災禍』の魔物が絡んでいる。
一国の国王を操るほどの妖狐の『災禍』に八雲は古代中国の九尾の狐をふと思い浮かべていた。
どちらにしても国のことは国の王に任せるのが筋だと考えて、今日はジュディとジェナを連れて街に買い物でも行こうなどと八雲はのんきに構えていた―――
―――そうしてジュディとジェナを連れて街に出て買い物でもしようかと思った八雲は、その足で冒険者ギルドに顔を出した。
ギルドに入った途端に一階のホールにいる数多くの冒険者が一斉に八雲を見て、すぐ視線を逸らしていた……
(なんか気分悪いな……まあ『威圧』で気絶させられた相手見たら、そりゃ避けるか!)
そんなことを思いながら、担当のエディスの窓口に顔を出す八雲を見て彼女は笑顔で迎える。
「こんにちは八雲さん♪ 今日は依頼をお探しですか?」
笑顔を浮かべたまま問うエディスに八雲はギルドカードを取り出して、
「この前の輸送の任務の清算と、ちょっと訊きたいことがあってさ。この前此処に初めてきた日に、あっちの奥にいた男と女のペアがいたけど、あれって英雄クラスの?」
依頼の清算を進めながら問い掛ける。
「ああ~!ルドルフさんとレベッカさんのことですか。ええ♪ あの御二人が英雄クラスの方達ですよ。でも顔見知りだったんですか?」
八雲の問いかけに可愛らしく首を傾げるエディスだが、
「いや、あの時に俺の『威圧』に耐えられていたからさ。もしかしてと思っていただけだ。そうか……あのふたりが」
八雲はあの時あまり顔はよく見ていなかったが男は立派な槍を携えていて、女は魔力を秘めた杖を持っていた姿からして魔術師だと検討はつけていた。
「ええ、今その御二人は城からのご依頼を受けて今回出兵した第一皇国騎士団に同行しています。でも……本当にエレファンと戦争になるんでしょうか?」
不安そうなエディスの表情に八雲も気持ちは分からなくもない。
「エレファン次第だろうな。ところでさっき言ってた英雄ふたりの実力は凄いのか?」
「同じ英雄クラスの八雲さんから見たら違うのかも知れませんが、ルドルフさんは軽そうな喋り方をされる方ですが、依頼は実直にこなすタイプです。事前の調査なども独自にされて依頼の成功率を上げることには手を抜くことはない御方です」
「なるほど……もうひとりは?」
「レベッカさんですか……あの人、実は私と同じレオパール魔導国出身なんですが……同郷のエルフを悪く言いたくはありませんが兎に角お金にかなり執着を持った御方でして……依頼内容より報酬で受けるかどうか決められる御方ですね」
「へぇ……そんなタイプか」
「ですが、どちらも実力は一級ですよ。ルドルフさんは武人として有名な方でいつも持っている槍が得意な武器で、レベッカさんは故郷のレオパールでも天才の名を欲しいままにして魔術も極位まで修めた最高クラスの魔術師ですから」
「そうなのか。色々教えてくれてありがとうエディス!」
「いえいえ!私も八雲さんが依頼を達成してくれて評価が上がっていますから♪ またよろしくお願いします!」
そうして希少鉱石の輸送任務の報酬を受け取って、ジュディとジェナを連れてゆっくりとアードラーの商店等を回りながら、その日はゆっくりと過ごして終わった―――
―――だが新たな動きはその翌日に起きる。
【―――兄ちゃん!!!】
【―――兄さま!!!】
「うおああ?!なに!?なんだ?……てジェミオスとヘミオス?」
ベッドで眠っていたところ朝イチに突然『伝心』で大きな声が届き、目覚まし代わりになって強制的に覚醒させられた八雲は思わず周りをキョロキョロしつつ、そして返事をする。
【どうした?―――ふたりとも】
【エーグル軍がエレファンとの国境を越えたよ!!!】
【リオン軍がエレファンの国境を越えました!!!】
「……は?―――ハアアアアッ?!」
―――八雲は驚きのあまり大声で叫んでしまう。
そうなるのも無理はない―――
エーグルとリオンには国境に注意しろと書簡を送らせたがエレファンへの侵攻など予想していない事態だ。
ジェミオスとヘミオスの報告では両軍共にエレファン獣王国とティーグル皇国の国境にあるプロミス山脈に向かって、エレファン獣王国の領土を進軍しているという。
「何故だ……俺の知らないエレファンとの確執でも両国は抱えていたのか?でもそれなら外交工作の段階でエドワード王達から反対意見があってもいいはずだ……」
困惑する八雲の元に今度はスコーピオから『伝心』が飛び込む―――
【御子!エレファンの軍には国王と例の『災禍』の女が一緒に行軍している】
【国王と狐女が?……スコーピオ!さっきジェミオスとヘミオスからエーグルとリオンの軍がエレファン獣王国の国境を侵犯して領土に進軍していると報せがきた。エレファン軍にそれらの知らせや対応をしている様子はあるか?】
【いや、そんな様子は今のところ見られないが、エーグルとリオンは何を考えている?】
『伝心』でもスコーピオの僅かな動揺が伺えた。
【分からん……両国がエレファンと何か確執があったとかいう情報は知らないか?】
【エーグルとはティーグル同様に奴隷問題は根強くありはするが、戦争を起こすほどのことはなかったはずだ。リオンは獣人でも商人になれる差別意識の低い国だからエレファンも友好的な外交をしていたはずだが……】
スコーピオの話しに八雲が危惧したような確執は見当たらない……だとすれば八雲の胸に嫌な予感が溢れてくる。
【引き続き状況を監視してくれスコーピオ】
【―――了解した】
エレファンの領土に侵攻する両国の意図が分からない八雲はすぐに着替えてノワールの元へと向かう―――
「―――エーグルとリオンの軍がエレファンの国境を越えただと?」
朝食を取っていたノワールの元に来た八雲はジェミオス達の報告をノワールに話して、どうゆうことなのか知恵を借りることにしたが当のノワールも―――
「一体どういうことだ?」
―――と、モキュモキュ♪ と朝食を可愛く頬張りながらその件には完全に心当たりがないと言う。
「ノワールも知らないとなると、やっぱ此処はあの人に訊いてみるか……」
ということでノワールと共に一路エアスト公爵邸へと向かうことにした―――
「―――お父様なら今いらっしゃいませんよ?」
「マジか……用事がある時に限っていないのかよ」
訪ねたエアスト公爵家ではシャルロットにあっけなく希望を撃ち砕かれてガックリと肩を落とす八雲だったが、それならいっそ城に行こうと思い立ち馬車に戻ろうとするとシャルロットが八雲の腕を捕まえて、
「わたくしもご一緒してよろしいでしょうか?ヴァレリアお姉さまとアンジェラお姉さまが心配なので、お顔を見に行きたいのです。お願いします八雲様!」
真剣な表情で頼むシャルロットに何故かノワールが
「かまわんぞ!着いて来い!」
とイケメンな了承をして笑顔のシャルロットがノワールと一緒に馬車に乗り込んでいく。
黙って連れて行く訳にはいかないので八雲は公爵邸のメイドにアンヌへシャルロットを連れていくことの伝言を頼んでからアークイラ城へと向かった―――
―――城では出兵に伴い端から端まで人が忙しなく動き回っている。
玉座の間も王と王子達によって日々軍議を続けているとのことだった。
シャルロットは送ってもらったお礼を八雲に伝えてから後宮へアンジェラ王女達に会いに向かっていき、八雲達は玉座の間に向かって行く。
玉座の間に八雲達が入ると一瞬喧騒が静まり視線が集中した。
「黒神龍様!御子殿!丁度よいところに。今、国境のプロミス山脈に向かうエレファン獣王国の軍について報せを受けたところだ。今回獣王国国王レオン=天獅・ライオネルが出陣してきているとの報せもあった。かの王はその力で国の王に君臨しているほどの強者だ」
エドワード王は八雲が既に知っている情報を話し、その場にいたアルフォンス王子、クリストフは暗い表情を浮かべてゲオルク王子は少しニヤついているのが八雲の目に入った。
どうやらまだエーグルとリオンの軍がエレファンの国境を越えたことまでは知らない様子を汲み取った八雲は、自分に知らされた情報をエドワード達に説明する。
「なんだと?!エーグルとリオンが……信じられん。どちらの国も好戦的な国ではなかったはずだが……」
愕然としたエドワードを見て八雲も自分が偉そうに兵法だなどと言って外交工作を仕掛けた手前、責任を感じているところはある。
エドワードの様子からしてやはり両国の侵攻には心当たりがないように見える。
一体エレファンで何が起ころうとしているのか?
現状の対策をする王達に八雲も責任を感じて情報交換を行うがエレファンとエーグル、リオンの目的が見えてこないため騎士団は出陣させてプロミス山脈の手前で布陣させ、現状はエレファンの行軍に対処することでこの日は軍議を終えた―――
―――だが、事は次の日に起こった。
【―――兄ちゃん!!!】
【―――兄さま!!!】
「うおお!!―――またか?!」
突然届いた『伝心』に大声を上げて驚いた八雲はベッドから飛び起きて、一息落ち着いてから『伝心』で声の主達に返事をすると―――
【エーグル軍が、プロミス山脈の麓沿いにティーグル側へ回り込んで行くよ!】
【リオン軍が、プロミス山脈沿いにティーグル側に進軍しています!】
「……え?―――ハアアアアッ!?」
さらに進路を変えたエーグル帝国軍に、リオン軍……その進路を見ればこの両軍の目標は―――
「三国の目標は―――ティーグルだ!!!」
ことごとく裏をかかれた状態の八雲は……
この後にエレファン・エーグル・リオンという三国の侵攻でエレファン獣王国の動乱から始まる大規模な戦渦へ身を投じることになるのを、この時はまだ知らなかった―――