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第46話 九頭竜八雲の敗北

―――エレファン獣王国の首都レーヴェにある闘技場コロシアムの中心


自身の正体を現した少女はフロンテ大陸北部ノルド最大国家ヴァーミリオン皇国皇帝にして大陸最強の剣聖―――




―――炎零イェンリン=ロッソ・ヴァーミリオン




紅神龍の御子となって七百年……


ヴァーミリオン皇国の皇帝に即位して六百年の伝説の皇帝が今、八雲の目の前に静かに立っている。


ついさっきまで人見知りもせず親しそうに腕を組んで彼方此方の店を見て回り昼食を食べ、笑い合っていた少女が今は八雲が一歩も動けないほど圧倒的な『威圧』と存在感をもって目の前に対峙している。


だが彼女は決して殺気を発してはいない。


しかし八雲には、それこそが恐ろしいことだと本能で感じていた。


圧倒的な威圧と存在感を放っているにも拘らず殺気は皆無。


しかし全方向から攻撃を仕掛ける自分を想像しても、すべて斬り捨てられる結果しか脳裏に浮かんでこない……


(なんだ……これは……こんなヤツが存在するのか……)


この世界に来てノワールや龍の牙ドラゴン・ファングのメイド達という存在に圧倒されることは多々あったが、この目の前のイェンリンはまったく異質であり別次元の存在だということが明確に伝わってくるのだ―――


―――それが八雲の全身に嫌な汗を浮かび上がらせ、呼吸をすることすら至難の業となった。


この闘技場の広い空間にも関わらず、どこを向いても逃げ道を見つけられない―――


それは全て目の前の剣聖―――イェンリンから逃れられる自分が想像出来ないからだ。


だったら虎穴に入らずんば虎子を得ず―――


―――八雲はイェンリンの言ったことで気になったことを訊ねて機会を伺うことに血路を見い出すことに決める。


「……『天璽てんじ』とは?」


イェンリンの濃厚なプレッシャーが襲い来る中、八雲は彼女が言ったその言葉の意味を聞くのがやっとだった。


「知らぬか……剣聖である余が与える認可とでも思っていい。余の剣を受けて生き残ることが出来たならば、これを授けよう」


そう言ってイェンリンは白いコートのポケットから細い金の鎖に、金の四角い塊のトップが付いているペンダントを取り出した。


「これは余が認めた者にだけ与える剣聖の玉璽、剣聖が認めた証しだ」


「それが天璽……でも、どうして俺なんだ?」


そう、八雲からしてみれば正直なところ目の前の化け物に見初められるような覚えがない。


「フフッ……理由か……それは余を倒せる可能性が汝にあるからだ」


「―――いや無理です他を当たってくださいオネガイシマス」


「余を振るとは……いい度胸ではないか?だがお前に拒否権はない。余の剣の錆びとなるか生き残るのか選ぶがよい」


これは埒が明かないと観念した八雲は『伝心』でノワールに呼び掛ける。


【ノワール……ノワール!返事してくれ!】


だが―――そこでイェンリンが再び口を開く。


「ああ、言い忘れていたが『伝心』は届かぬぞ。今、この闘技場の周りは余の忠実な義姉妹達が結界を張っておる。何故お前を見つけることが出来たか疑問ではないか?」


『威圧』はそのままに得意気な表情で語り始めるイェンリンに八雲は黙って耳を傾けるしか出来ない。


黒神龍ミッドナイトのところにもおるであろう?余と紅神龍クリムゾンのところにもおるのだ。そういう者達が。余と義理の姉妹の契りを結びし紅の戦乙女クリムゾン・ヴァルキリー達が」


紅の戦乙女クリムゾン・ヴァルキリー……」


紅神龍にもノワールの龍の牙ドラゴン・ファングのような存在が、組織が存在すると言い放つイェンリンを見て、そこに考えが至らなかったことに八雲は心の中で舌打ちする。


黒神龍ミッドナイトが大陸中に情報員を飛ばしているように、此方も情報員を飛ばしておる。ティーグルに潜入させた者からアークイラ城に『龍旗』が翻っているという報せを受けたときの余の歓喜が、お前に分かるか?分からぬであろう……あの御子を取らぬと豪語していた黒神龍ミッドナイトが御子を迎えたと聞けば、その御子がどのような者か気になるのは至極当然であろう?」


「―――だから此処で……レーヴェで待っていたってことか?」


情報員が嗅ぎまわっていたというなら八雲がエレファンへと向かうことは、この目の前の聡明で周到な皇帝には推察出来ただろうと理解したのだが八雲はそれが酷く気に入らない。


「そういう事だ。さて……お喋りの時間はここまで。黒神龍の御子よ―――剣を握れ!」


これまでの人生で最大の膨大なプレッシャーだと思っていたところから、更にその重圧が上がり八雲に圧し掛かる。


額から流れる汗を感じ取り、これは現実だと実感しながら八雲は『収納』から黒刀=夜叉と黒小太刀=羅刹を取り出し、ベルトに差し込んでからゆっくりと二刀を抜く。


「なかなかの業物だな。さて時間もない―――すぐに死ぬでないぞ!!!」


言うと同時にイェンリンの姿が消える―――




―――八雲はイェンリンが正体を明かしたところから、すでに『思考加速』と『身体加速』に『限界突破』まで発動しているがイェンリンの姿を追うことが出来ない。


どこにいるのかと『索敵』するが目前に真紅の剣をかまえたイェンリンの姿が突然現れた―――


―――彼女の動きは『思考加速』の効果でスローモーションのように見えた八雲。


これは好機だと判断して回避しようと身体を動かそうとするも―――


(―――身体が……こっちの方が遅い!?)


―――スローモーションのように迫るイェンリンよりも更に鈍重な動きで回避出来ない八雲。




イェンリンの直剣は真っ直ぐに八雲の首に向かって突き進んでくる―――




(―――実力差がここまであるか!!『思考加速』で見えても身体がついてこないだと!!!)


―――最強の剣聖を前に『思考加速』は生命の危機を感知し、急激に感覚が研ぎ澄まして新たな高みに進化をしたが『身体加速』の方は身体が追いついてこない八雲。


Level.100を超えた身体能力をもってしても剣聖の真紅の直剣はすぐ喉元まで接近してくる―――




(ウオオオォ―――ッ!!!う、動けぇええっ!!!)




―――脳内の分泌物がフル稼働するような感覚が、


心臓から排出される血液が―――


―――まるで一瞬で全身を駆け巡るような感覚が八雲の全身を包んだ瞬間、


何かの配線が繋がってスパークする輝きのような感覚が走り抜ける―――


「―――ウオオオオォッ!!!」


―――突き出された真紅の直剣を皮一枚の刹那で首を振ると間一髪回避に成功した八雲だが、


その首からは少なくない血が流れ落ちていく―――


「ほ~う!あの死が確定していた刹那の中で『思考加速』と『身体加速』を覚醒させたか。やはりお前は面白い!だが……まだまだこれからぞ!」


―――次の瞬間、


イェンリンの身体から無数の残像と化した腕と直剣が八雲に振り下ろされ迫り来る―――




「―――ハアアアッ!!!」




―――夜叉と羅刹を握り覚醒した『身体加速』をフル稼働してイェンリンの繰り出す無数の攻撃を迎撃していく八雲。




夜叉で直剣を振り払い―――


―――羅刹で下から繰り出された直剣を受け止め、


振り抜いた夜叉を返す刀で更に此方の胴を横薙ぎする直剣を受け止め―――


―――頭に向かって振り下ろされる直剣を羅刹で顔面近くにて受け止める。


すると何故か頬を裂かれ―――


―――太腿に捉え切れなかった直剣が突き刺さり、


痛みを堪えながら夜叉で次の攻撃を振り払えば―――


―――その直剣は残像で次の瞬間現れた直剣は八雲の右腕に斬りつける。


そんな攻防を……いや一方的な防衛を瞬きする一瞬で繰り出す八雲にイェンリンは薄ら笑いを浮かべながら息すら切らせずに超速の斬撃を繰り返す―――




「オオオオ―――ッ!!!」




―――迎撃に成功した刃の激突もあれば、それでも追いつけずにその身に刃が降り注いだ。


身体の彼方此方に斬り傷が一瞬で無数に増えて八雲は瞬く間に鮮血に塗れていく―――




(―――こんのぉ!!化物がぁ!!!)




―――心の中で叫ぶ八雲。


一旦間合いを取ろうと後方に下がるも―――


―――そこには、もう既に剣聖がいた。


脅威の速度で回り込まれて八雲は驚愕するしかない―――




「覚醒してもまだその程度か。それでは余に傷をつけることなど夢のまた夢であろうよ」


「ハア、ハア!……こっちは、アクセル全開だっての……ハア、ハア……」


「あくせる?なんだそれは?……まあよい。此方も更に上げていくとしよう―――」


(まだその速さ上がるのかよ?!でもハッタリじゃないだろうな……クソッ!)




―――次の瞬間、


直剣をかまえるイェンリンの姿が十人になった―――


―――八雲の『思考加速』をもってしてもそう見えるのだから、あり得ないリアル分身に八雲は目を見開き驚愕するしかない。


そして直剣を掲げ、空中で切先をひと回りさせると直剣に気炎と表現するのが正しいだろう炎のオーラが立ち上がり、その刃に纏わりつく―――


―――分身した十人のイェンリンが炎の直剣を持って、その場から足を踏み出した瞬間、


「ッ?!グアァアアアア―――ッ!!!」


一瞬にして八雲の周囲を爆炎と斬撃が襲い掛かり、その五体からは新たな斬り傷と鮮血を噴き出して気がつけば八雲はその場で膝をついていつ崩れ落ちて倒れてもおかしくない状態に追い込まれていた……




それは今までの攻撃とは桁違いの神速にまで昇華した剣聖技……


―――覚醒した『思考加速』でも認識出来ない速度に翻弄され、ピクリとも反応することすら出来ずに斬り刻まれた八雲は何が起こったのか分からずに全身から只その血を流して呆然としていた。




(なん……だ、これ。み、見えなかった……出鱈目すぎるだろ……)




『身体加速』を次の高みに覚醒させて『限界突破』まで使用して能力三倍まで増強した八雲ですら、その圧倒的な斬撃には反応することすら出来なかったのだ……


「さすがに、この剣聖技の速度にはついてこれんか……余の期待外れであったか?八雲」


まるで無能者を見下すかのような冷徹の眼差しを血塗れの八雲に向けて前に立ちはだかるイェンリン。


その真紅の直剣は八雲の血を吸い、さらに色を鮮やかに輝かせる。


「き、傷が、塞がらないのは……その剣の効果か?」


膝を着いたまま問い掛ける八雲にイェンリンはニヤリとした顔で見下しながら、


「今さら気がついたか?余の愛剣『業炎ごうえん』は傷つけた相手の回復を阻害する効果を持っている。たとえ大司教クラスの回復術師であろうと、すぐにはその傷は塞がらぬぞ―――生き残りたくば立ち上がって剣を振るうしかお前に道はない」


イェンリンの言葉を耳にしながらそんな遠く及ばない存在を前にして血溜まりに佇む八雲には、この剣聖を打ち破る手立てはどう足掻いても皆無だと悟っていた。


身につけた九頭竜昂明流のどこを紐解いても、この状況を打破できるような技はない……いや、そもそも目の前の超越した存在は技でどうこう出来るなどという次元の存在ではないのだ。


だが、それでも何もしないよりは―――




「……九頭竜昂明流くずりゅうこうめいりゅう 剣術

―――『一閃いっせん 』!」




―――超高速で繰り出す一撃必殺の居合術


振り抜かれた黒刀=夜叉の刀身はイェンリンの身体へと真一文字に飛来するも―――


「ッ?!」


―――剣聖は高速の刀身を左手の人差し指と中指、それに親指で摘まむようにして受け止めていた。


「お前の剣の流派か?修練のあとは伺える太刀筋だったな。だが所詮は人の剣……余の身に刃を斬りつけるには―――修練が足りぬ」


夜叉を止められ間髪入れずに接近戦に持ち込む八雲はイェンリンの胸元に潜り込み、その胴に向かって―――


九頭竜昂明流くずりゅうこうめいりゅう 体術

―――『しょう 』!!」


絞り出せる『身体強化』のすべてを注ぎ込んで急激な衝動で更に全身から血を噴き出しながら打ち込んだ掌底から渾身の衝撃波をイェンリンに撃ち込む―――


「―――体術もあるか。常人なら五体が粉砕される威力だな……しかし、それもやはり人の域を越えねば余には届かぬ」


―――『衝』を放ったはずのイェンリンの胴との間には衝撃を吸収し分散する柔軟な障壁の存在が感触で八雲の掌に返ってくる。


(そんな障壁も……あるのかよ……)


柔軟な障壁を形成することで物理衝撃を緩和して防ぐ高等技術を見せられて、改めて剣聖の高みを感じる八雲は深手の上に繰り出した技で塞がらない傷口から今もまだ血が流れ続けていた……


(ヤバい……血が……流れ過ぎた……意識が……)


『回復』が阻害されてすぐに塞がらない斬り傷、流れ出る鮮血、多量の出血で朦朧とする意識、これが人の『死』という感覚かと、その痛みすら薄らぎだした八雲は途切れそうな意識の中で誰かにそう問い掛ける。


「ハァハァ……な、何故、こんな……」


理不尽でしかないイェンリンの襲撃に疑問を投げかける。


「最初に言ったであろう……お前が余を倒せる者か確かめると。どうやら本当に余の見込み違いであったか……もはや戦意のないその姿は見るに堪えん。せめて余の剣でひと思いに―――トドメを刺してやろう」


―――最早反応すらしない八雲の胸の心臓がある場所に、イェンリンの突き出された『業炎』が静かに深く奥へと突き刺さり、その刃先は胸から背中までも貫いて八雲の口から大量の血が噴き出した瞬間、


八雲の生命ゲージが削られていく―――




生命 21425/6661221【限界突破発動中】

(これ……やばい)




生命 11586/6661221【限界突破発動中】

(ダメだ……諦めるな)




生命 5686/6661221【限界突破発動中】

(嘘……だろ…)




生命 128/6661221【限界突破発動中】

(本当に……死ぬのか)




生命 21/6661221【限界突破発動中】

(イヤだ……)




生命 0/6661221【限界突破発動中】






(ノワール……)






―――最後に心の中で愛する人の名を囁く。


八雲のステータスは生命ゲージが無情にもゼロにまで削り取られ、この異世界にやってきた九頭竜八雲の生命は完全に終わりを告げた―――






―――八雲達と別行動を取ったノワールは、ひとり高い塔の上に飛び上がり首都に入ってからずっと気になっていた気配を探す。


八雲は気づいていなかったがノワールは自分のよく知る昔からの知り合いである者の気配を感じ、現時点で八雲に会わせるのは危険だとひとり思い至り、別行動を提案したのだがこれが八雲とイェンリンとの邂逅を許すこととなった……


「……どこだ?どこにいる?」




「―――誰かお探しかしら?」




「―――ッ?!」


ノワールの独り言に応えた声は彼女の背後から耳に届き、驚きと同時に、


「やはりか……」


と呟くノワールの瞳に映った者……


「―――お久しぶりね。黒神龍ミッドナイト


「今はノワールだ―――紅神龍クリムゾン


塔の上に立ったノワールの目の前に現れたのは真っ赤な腰まで伸びた長髪にノワール同様の長い耳―――


―――炎のような赤い瞳に白い肌をした女。


いや人の姿をした紅神龍クリムゾン・ドラゴンと呼ばれる神龍だった―――


身長はノワールと変わらず、まるで巫女の装束に似た着物状の白い衣服に赤い刺繍が鏤められていて、しかしその下は袴ではなく赤いロングのスカート状で左右には腰の高さまでスリットが切り込まれて美しい太腿が覗いている。


「ああ、貴方も御子を迎えたのよね。だったら昔の約束通り私のことも紅蓮ぐれんと呼んでもらうわよ。ノワール」


「仕方ない。そういう約束だったからな。それで紅蓮―――何故お前が此処にいる?」


「三百年振りに会ったのにホント連れない態度は昔のままね……あなたが御子を迎えたって知ったから、あの子が会いたがってしまって。それで皇国を出てきたのよ」


「イェンリンが?……おい、待て!それでイェンリン本人は今何処にいる?」


そこで嫌な予感が走ったノワールに先ほどから変わらない、にこやかな顔を向けて答える紅蓮。


「勿論―――貴方の御子に会いに行ったわよ♪」


「ッ?!―――なんだと!」


イェンリンを知るノワールはあの剣聖が八雲に会いに行ったと聞いた瞬間に、八雲に何が起こっているのかを瞬時に想像して頭の中を衝撃に襲われる。


―――しかしその刹那、


突如として首都レーヴェの中央エリア付近の大地から、真っ白で巨大な光の柱が天に向かって立ち上がる現象を目の当りにしたノワール―――


―――それがすぐに八雲の仕業だと、何故かそう思わずにはいられない衝動に駆られたノワールは思わず叫び声を上げた。


愛する男の名前を―――






「―――やくもぉおお!!!」






レーヴェの空に響くノワールの叫びが虚しく木霊して響き渡っていった―――



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