―――八雲が幼馴染を想っているところに玉座の間の重厚な扉が開かれると、
「お呼びによりアンジェラ=天獅・ティーグル、参上致しました」
ひとりの女性が名のりつつ、ゆっくりと玉座の間を進んでくるのが見える。
その女性は茶色でウェーブの掛かった長髪をなびかせ、獣人の証明といえる獣―――おそらく獅子の耳を頭部に持ち、零れそうな胸元を強調したワインレッドのドレスに身を包んだ美しい女性だった。
―――エレファン獣王国の第一王女にしてアルフォンスの正室アンジェラ王女。
美しく凛とした顔立ちは隣国の王女という出自だけに堂々とした振る舞いを見せ、王族以外の大臣や騎士団長達は皆それぞれ頭を下げて礼を尽くしているがゲオルクだけは、チッ!とひとり舌打ちを打って目を逸らしている。
玉座に近づき八雲達に並んだアンジェラは、そこでカーテシーでお辞儀をして呼ばれた理由を待っていた。
「アンジェラ王女。急な呼び出しをして、すまぬな……」
エドワードが静かに玉座から語りかけると、
「いいえ陛下。アルフォンス様の妻となったからには、わたくしも陛下の臣です。陛下がお呼びとあれば馳せ参じるのは当然のこと。どうぞ、そのようなお気遣いは御無用でございます」
印象は悪くないが八雲はアンジェラを、まったく疑っていないわけではない。
ラノベや漫画から得た知識でしかないが、王族同士の関係は一般人では理解できないような策謀や暗躍があるのは、どこの世界に行っても同じだろうと推察しているため基本何事も黒から入ることは自分自身に言い聞かせている。
「すまぬな。今日呼び出したのは他でもない。黒神龍様の御子である九頭竜八雲殿が王女に訊きたいことがあるとのことで、急遽この場に来てもらったのだ」
「御子様ですか!?―――では、此方の方が……」
黒神龍の御子と聞いて一瞬アンジェラは驚いた表情を見せるが、その視線を八雲に向ける。
「初めましてアンジェラ王女。九頭竜八雲といいます」
「始めてお目に掛かります。わたくしがアルフォンス様の妻アンジェラ=天獅・ティーグルでございます」
そう言って綺麗なカーテシーでお辞儀をするアンジェラに八雲は一瞬見惚れていたが、すぐに本題へと入るため気持ちを切り換えた。
「態々お呼び出ししたのは、王女にお聴きしたい件があるからです」
「はい、なんでしょうか?わたくしに分かることであれば何でも仰ってくださいませ」
アンジェラは凛とした表情を崩さず八雲の問いを待つ。
「貴女の父であるエレファン獣王国国王の傍に強力な魔力を持った女性がいたかどうか、心当たりはありますか?」
八雲の突然の質問内容に構えていたアンジェラも表情を曇らせる。
「父の傍に、ですか?……いいえ。父は王妃である母を失ってから、その後に妻を娶ったことはありません。父は母を心から愛しておりましたし、わたくしには弟がおりますので既に世継ぎの心配もございません。最近会ってはおりませんが、あの父が突然女性を傍に置くとは考えられませんし、今までの手紙にもそのようなことは書かれておりませんでしたわ」
「そうですか……王宮に女性の魔術師はいらっしゃいましたか?」
「確かに宮廷魔術師はおりましたがそれは皆、男性でした。そもそも父は根っからの武人気質の人で魔術は使えても自分ではあまり重視していません。自身の鍛錬でも肉体を鍛えることこそ、武の真理という考えを持っている王です。もちろん、だからと言って国の事業などで魔術師が参入して問題を解消する必要のある政策には反対などするようなことはございませんでした」
「なるほど……」
「あの……父に何かあったのでしょうか?」
話を聞いて不安になるアンジェラに八雲から目配せされたエドワードが事の詳細を努めて静かに説明する―――
「―――そんな?!父がそのようなことを魔物のリッチと契約していたなんて……信じられません!!」
困惑するアンジェラをエドワードとアルフォンスが宥める。
「実は先ほどの質問は、そのリッチが話していたことでエレファン獣王国の国王には強力な力を持った女が傍にいたと、その女はリッチ曰く人間ではない、とも言っていたので王女に心当たりがないか訊きたかったんです」
八雲の言葉にますます困惑した表情を浮かべるアンジェラ。
「わたくしには……そんな女性に心当たりはありません……」
「どうやらそうみたいですね。態々お呼び立てして申し訳ありませんでした」
「あの!……」
「はい?なんですか?」
質問の終わった八雲に今度はアンジェラから声を掛ける。
「その……御子様は今回の父のことをどうお考えなのでしょうか?」
「どう、とは?」
質問の意図が見えるようで見えないことに八雲は問い直す。
「今回の件、父が……ティーグルに侵攻しようとしている、とお考えなのでしょうか?」
その質問に八雲は思わず俺に訊くのか?と呆気に取られながらも正直に話すことにする。
「正直に言わせてもらえば俺も分かりません」
「そう……ですか……」
アンジェラの立場からすれば此処は身内のいない他国の王宮であり、夫は第一王子とはいえども自身の故国が戦争など仕掛けてくれば、アンジェラもどうなってしまうのか分からない。
尤もこの時のアンジェラは故国のことも当然だが、自分のせいでアルフォンスに迷惑を掛けてしまうのではないか、ということが気がかりだったのだが……八雲には知る由もない。
だからこそリッチから直接話を聞き、今は両国と直接関係の無い第三者である八雲の考えに少しでも希望を持ちたかったのだろうが、八雲自身がこの世界の住人ではないため知らないことが多すぎたので応えようがなかった。
「ですが、さっき訊いた女については調べた方がいいでしょうね」
今、八雲に言えるのはそれだけだった。
「いや、そんな悠長なことは言っていられない―――父上!ここはエレファン獣王国との国境に兵を布陣して万一に備えるのが肝要です!」
そこにゲオルクの言葉が響くと、アンジェラは驚きと悲しみの入り混じった表情を浮かべる。
「待て!ゲオルク!それはもう少し調べてから―――」
とアルフォンスが口を挟もうとするが、
「兄上、奥方の故国が相手となれば奥方も苦しい立場になることは承知しております。ですが今は国同士の争い。ここで躊躇して国民に犠牲が出た時、兄上はどうされるおつもりか!!よく考えて頂きたい」
「クッ!……」
―――ゲオルクの言葉にアルフォンスは返す言葉が見つからない。
「確かに未だ分からないことは多くあります。しかし今、私が申し上げたように国に犠牲が出てからでは遅いのです!御子殿もそう思われませんか?」
まるで思い描いた通りの演出が決まったと、自分自身に酔っているようにしか見えないゲオルクの態度が八雲には鼻についた態度だったので、
「―――兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」
「……は?」
突然響いた八雲の言葉にゲオルクはポカーンとした間抜けな表情を見せている。
「意味は―――戦争は国家の一大事であり、国民の生死、国家の存亡にも関わってくるものなのだから、細心の注意を払って検討に検討を重ねなければならない―――という俺の故郷の兵法のひとつだ」
「はぁ?兵法?」
ゲオルクの間抜けな顔に八雲始め玉座の一同が呆れ顔を浮かべている。
亡くなった祖父に何度も読まされた孫子の兵法……八雲は既に暗記するほど子供の頃から読まされていて、その意味も嫌というほど理解させられていた。
そんな八雲の兵法について聞かされたラルフ始め騎士団長達も、うんうん!と八雲の兵法の講釈に感心したかのように頷いて聞いていた。
「へええ♪ 八雲殿は兵法にも詳しいんだねぇ♪ 兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず……か。確かにその通りだ。だったら検討を重ねるための材料は必要だよねぇ♪」
今までずっと黙って状況を眺めていたクリストフが、ここで突然割り込んできた。
「ならさぁ~!八雲殿がこの国の王だとしたら、現状の場合ならどうする?」
「―――はぁ?」
クリストフはいつものニコニコ顔で八雲に問い掛けてくるが、その意図は―――お前、何か打開策を出せよ!と半ば強要しているようなものだ。
ノワールを見ても黙っていて何も言わないということは―――八雲の好きにしろ、という意思表示だということも伝わってきた。
そして、そのクリストフの意図をエドワードもアルフォンスも、そして誰よりアンジェラも気づいて八雲を縋る様な瞳で見つめている。
ゲオルクだけは理解出来ていない顔をしていたが……
(やられた……このオッサン、ワザとだな……)
八雲はクリストフに嵌められたと気づいたものの、この状況でアンジェラを切り捨てて帰るのも後味が悪いと思えて悔しいが乗ってやるしかない。
八雲は今更アンジェラが先ほど初めて会った時に考えた暗躍をするような人物、とは今少し話しをしてみて疑いも薄れたが、このような状況を望んだのもまた遠からず彼女なので上手く誘導されたようで少し気に入らない。
「そうだな……あくまで、俺なら!という話だけど―――
『百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり』
―――てことだ。以上!」
そう言って踵を返そうとした時、
「ちょ―――ちょっと、ちょっと待って!意味!意味!その言葉の意味を教えて!!」
言葉の意味を飲み込めず混乱するクリストフが呼び止める。
(面倒臭えなぁ……)
と思う八雲だったが、
「お願い致します御子様!どうか!その言葉の意味を凡才のわたくしにもお教えください!」
さらにアンジェラまで膝を着いて教えを乞う姿に八雲も、
「はぁ……」
と溜め息を吐き、玉座に向き直す。
「―――百回戦って百回勝つのが最善じゃない。戦わずして勝つのが最善ってことだ。一番いい用兵っていうのは敵の策を未然に防ぐことだ。次に外交によって敵を孤立させること。その次は実際に軍を動かして敵を攻めること。最も下策は、城攻めをすること。分かった?」
「戦わずして勝つなんて、黒神龍様か八雲殿にしか出来ないよ……」
クリストフは肩を落としながら呟く。
「そんなことはないさ。俺の故郷では、この兵法を纏めた人物に倣って、その兵法に学んだ軍略に優れた智将や軍師も実践している」
「―――だったら、八雲殿になら出来るってことだよね♪」
「は?……いや、なんでそうなる?」
さっきまで肩を落としていたクリストフが軽快に返してきた言葉に八雲は嫌な予感を覚えた。
「だってさぁ~♪ この中で一番それが実践出来そうなの、八雲殿だけでしょ?」
クリストフのその言葉にエドワードとアルフォンス、アンジェラも一斉に八雲へと視線を集中する。
「いやちょっと、それはおかしいだろ?それに俺は黒神龍の御子だし」
「人の政に口を出さないのは神龍様達であって、その御子は別にそんな決まり聞いたことないよ?現に紅神龍様の御子はフロンテ大陸北部ノルドにある一国の皇帝になって、もう六百年も在位されているし」
「え?マジで?そうなのかノワール?」
「ああ。クリムゾンのところの御子は確かにここ六百年間、皇国の皇帝として国を治めているぞ?」
「いや、聞いてないよぉ……」
「訊かれなかったからな。クレーブスもそこまで細かくはまだ教えていなかったのだろう。我ら神龍は縄張りを持っても、人の政には口を出さんが御子が国を持って政をすることには別に制限などない。八雲が国を持ちたいというのであれば別にかまわんぞ?」
簡単に国の王様やってみる?みたいなノリで言われた八雲は、紅神龍の御子という新たな情報に頭がパニックを起こしかけていた。
「という訳で別に御子だから、という話は抜きにして―――アンジェラ王女が可哀想だとは思わないかい?」
後半は小声で八雲に聞こえるようにだけ伝えるクリストフに、
(あんたが何とかしろよ!)
と口から出そうになるが公爵の立場で動くとそれこそ、それを理由に戦争に突入する可能性が高いことは八雲にも想像がついた。
「はああ……少し手を貸すくらいなら別にかまわないけど幾つか条件を出す。それを飲めるなら力は貸すよ」
「ありがとうございます!御子様!」
八雲の承諾の言葉にアンジェラは深々と頭を下げて、エドワード達も何故かクリストフによくやったといった視線を送っている。
そしてノワールは、また面白いことが起きそうだと、見るからにワクワクした表情を浮かべていた―――