―――その頃
公爵領に現れた黒龍城では―――
「このケーキとっても美味しいです☆/////」
フィッツェお得意のケーキにフォークを刺して、あ~ん♪ と可愛い口に運んだシャルロットが一瞬で瞳をキラキラとさせて興奮していた。
「―――ありがとうございます。お嬢様♪」
配膳をしていたフィッツェはシャルロットの絶賛にニコニコと笑顔を見せて、その母親のアンヌもまた一緒に、
「んんん~♪ 美味しいわぁ♪ ねぇ?アードラーで店を出さない?これは絶対に売れるわ!」
と店のバックアップはすべて公爵家がやるとクリストフの承諾もなしに話を進めるが、隣で聞いているクリストフもまったく反論しないので妻の考えに同意していることが伺えた。
「あ、あの、え~と……八雲様……」
アンヌの思いもよらぬアグレッシブな圧力に、フィッツェも困り顔になって八雲に助けを求めてくる。
「良い話じゃないか?俺もフィッツェのお菓子なら絶対売れると思うぞ?」
まさかのアンヌ派だった八雲にフィッツェは驚きの声を上げる。
「ちょ―――八雲様?!」
「ですが公爵夫人、俺達はまだ此処に城を建てて片付いていないこともありますので、この話は落ち着いたあとでフィッツェも自分の気持ちを整理出来たら、そのとき改めてお話ししましょう」
当然フィッツェの気持ちを考慮して保留の考えをアンヌに告げた。
「そうねぇ。突然言われても困ってしまうわよね。でも貴女のお菓子なら国一番になれるのは本当よ!だからよく考えてみてちょうだいね♪」
アンヌは八雲の提案を素直に受け入れて、それでもフィッツェに笑顔でそう話していた。
「奥様……八雲様、ありがとうございます/////」
艶のある大人のお姉さんといったフィッツェが顔を赤らめて御礼を告げる姿が、何となしに可愛く思えて八雲の中で少し彼女のイメージが変わった。
―――それから、
公爵達と一緒にシュティーアの工房でドワーフ達とシュティーアの作品を見ると今度はクリストフが興奮し、シュティーアを首都に勧誘するも彼女の手を握った瞬間アンヌの木槌により後頭部を殴られて鎮圧された―――
「グフォ!?……な、何故……」
―――そうして良い時間になったということで昼食にしようとなり、食堂で再びアクアーリオがアンヌにスカウトされるというループに突入し、再び八雲が間に入ってアンヌを説得した。
その際、ウルウルと涙目になっていたアクアーリオは、トゥンク♡ と胸が高鳴るほど八雲が護りたいと固く誓わされる破壊力だった。
皆で楽しんだ時間があっと言う間に過ぎていき、気がつけば入城してからかなりの時が過ぎていた―――
―――しかし突然激しいノックが響き、応接室に入ってきたジェミオスは叫ぶように告げる。
「―――兄さま!城門前に武装した軍隊が!」
その言葉を聴いて八雲の表情が険しくなっていた―――
―――黒龍城正面に進軍するティーグル近衛騎士団。
アークイラ城より出兵した近衛騎士団総数二千名が、黒龍城の正面から五百mの距離にまで接近して布陣していた。
先行させていた物見の報告では中に侵入することは出来ない状況で、外周しか確認することは出来なかったとの報告を受けて国王も近衛騎士団の出兵を命じたのだ。
そしてその中から只一騎が飛び出して、黒龍城の正門近くまで駆け寄っていく―――
「私はティーグル皇国近衛騎士団の団長ラルフ=ロドルフォなり!―――漆黒の城の城主殿にお取次ぎ願いたい!」
―――ラルフは声高らかに正門に向かって声を張り上げた。
「突然現れたこの城に、ティーグル皇国王家は事情説明を要求する!王の命を請け、こうしてまかり越した次第!―――ご返答頂きたい!!」
外壁の物見の塔に昇り、口上を聞いていた八雲は当然の言い分だとは思ったがどうするのかと、この事態に考えがあると言っていたノワールに視線を送る。
「あの男、知っているか?クリストフ」
ノワールがクリストフに問い掛ける。
「―――ああ、勿論知っているさ。この国の王家を守護する近衛騎士団の団長で、元々は地方の男爵の次男坊だったけど、剣の腕一本で伸し上がってきた文字通りの叩き上げだよ。性格は質実剛健、実直な男で私の兄である国王エドワードからの信頼も厚い男でねぇ。私も人としては嫌いじゃない男だよ」
「なるほど♪ それは面白そうだなぁ」
クリストフの話にノワールがニヤリと悪い顔に変わったのを八雲は見逃さなかった。
そしてそのままノワールが外壁の縁に飛び乗った―――
「ティーグル皇国近衛騎士団よ!!―――よくぞ我の城へ来てくれた!!!」
突然外壁の縁に立って見下ろす褐色肌の黒髪美女の登場に近衛騎士団はザワついていき、城門の前で馬上にいるラルフはそこで頭上を見上げて視線を鋭くしていく。
「我は黒神龍ノワール=ミッドナイト・ドラゴンだ!態々このように我が御子である九頭竜八雲の生誕に駆けつけたこと大儀である!!」
「黒神龍?!―――御子の……生誕だと?」
このオーヴェストの守護龍として信仰対象にまでされている黒神龍を名乗る女……しかしラルフもそう言われて、はいそうですかと聞き流して納得するような無能ではない。
「―――申し訳ないが、その言葉をそのまま鵜呑みにすることは出来ませぬ!確たる証拠をお見せ願いたい!」
馬の嘶きと共に声を張り上げ、ノワールに返事をしたラルフの言葉が終わると同時に、
「お~い!―――ラルフゥ~!!」
場の空気を崩壊させるような気のない声がラルフを呼ぶので外壁に目を向けると、その縁にひょっこり顔を出したのは誰あろうティーグル皇国公爵クリストフだった。
「ッ!?―――エ、エアスト公爵閣下!?」
その姿にラルフは思わず叫び返してしまった。
「閣下!!―――何故、閣下がそのような場所におられるのですか!!」
思いもしなかった人物の出現にラルフは混乱するも、努めて冷静になるためクリストフに問い掛けると、
「―――ラルフよ!此方におられる黒神龍様の御子である九頭竜八雲殿は、先日我が娘シャルロットが盗賊団百名に襲撃されているところをお救い下さった恩人でもあるのだ」
城壁の上からそう語るクリストフにラルフは更に驚かされる。
「なんと?!―――では先日、郊外の街道で起こった盗賊団をバラバラの肉片に切り刻み、盗賊の頭を魔術で木端微塵に爆散させて惨殺の限りを尽くしたという旅の剣士というのは!?」
「―――聞いただけなら、どっちが悪党だよって話だな……俺のことだけど……」
ラルフの叫ぶ事件現場を事実そのままに伝えるコメントは、何気に八雲を精神的に傷つけていた。
「―――その絶対強者の無慈悲なる剣士こそ!こちらの黒神龍の御子である九頭竜八雲殿だァアアッ!!」
「……今すぐあんたには無慈悲になれそうなんだけど?」
「フンッ!―――フンッ!」
無言のままクイッ!クイッ!と顎で八雲に外壁の縁に登れと促すクリストフに、仕方なく外壁の上に飛び乗って全身を晒す八雲を見て、ラルフも後ろに控えている近衛騎士団の騎士達も、
「オオオォ―――ッ!!」
と、大きなどよめきを上げていった。
「ラルフ!―――黒神龍様と八雲殿には明日アークイラ城に、このクリストフが必ずお連れする!陛下にはその旨お伝えし、委細すべてはこのクリストフにお任せ下さいと伝えよ!!」
「……」
ラルフはクリストフの言葉にしばし黙り込んでいたが、
そこで―――
「閣下のお言葉、このラルフ!しかと陛下にお伝え致しますが―――」
そこで一呼吸置いて、
「―――御子との一騎打ちを所望したい!!」
「……へっ?」
突然の近衛騎士団長からの一騎打ちの申し出に、八雲は思わず変な声が出てしまった。
「……理由を聞いてもいいかい?」
クリストフが冷静にその真意を問うと、ラルフが声を張ってそれに答える。
「閣下のお話!―――あの盗賊団の残骸を目にした者であれば御子の力が強大であることは想像出来ます。しかしながら陛下には、より正確なご報告をするためにも御子と直接お手合わせ頂き、それもまた陛下への手土産とさせてもらいたい!」
只でさえ想像を超えた力をもつ、言うなれば現段階で危険な存在である黒神龍の御子の実力を見定めたいというラルフの思惑は、この場にいる誰もが理解出来るものだ。
「―――御子の返答や如何に!!」
国王に納得してもらうのは先ほどのクリストフの言葉を伝えるだけで任務は十分にこなしていると言えるだろうが、このラルフという男にとってはそれだけで足りないのだ。
八雲と直接剣を交えることでその実力を計り、それを国王に伝えることで信憑性も上がる―――
だが、それは建前でラルフの本音はそれではなかった―――
―――純粋に強者と剣を交える機会を逃したくなかった。
近衛騎士になって既に歳も三十を超えたラルフは地方の下級貴族の次男に産まれ、剣一本で今の近衛騎士団長の地位まで駆け上がってきた他の者からすれば羨ましい立場の男だ。
自分には勿体ないほどの恵まれた人生と思う反面、今の地位になってからは鍛錬以外で剣を交えて命のやり取りをするような場面はなくなってしまった。
だからこそ―――
このような機会を逃すほどラルフの剣に対する崇高な意識は鈍ってはいない。
そう考えるラルフの胸の内すべてを察することは出来ないが、八雲を貫くラルフの視線が語ることは同じく剣を学んできた剣士として誰より八雲自身も予想出来なくはなかった。
「あの人……強いね。目を見れば分かるよ。ああいう目をしている人は俺も嫌いじゃない」
「フフッ―――そうか。ならば八雲のしたいようにすればいい。我は口を挟まん」
ラルフの意志を察した八雲を見てノワールも何も言わないと約束する。
そしてラルフに視線を向けて―――八雲が叫ぶ。
「黒神龍の御子になった九頭竜八雲だ!ティーグル皇国近衛騎士団長ラルフ=ロドルフォ殿からの一騎打ちの申し出―――しかと
そして、そのまま外壁の上から地面に向かって跳んだ。
ラルフも後ろに控えていた近衛騎士団も、
「―――オオオオッ!」
と驚きの声を上げるも八雲が華麗に大地へと着地したところで再び静まり返り、ラルフも下馬して大地に立った。
「……手合わせのこと、お受け頂き感謝する」
八雲の前に歩み出たラルフは素直に感謝を述べた。
「剣にだけ生きるには、立場が息苦しくすることもあるでしょう」
そんなラルフに八雲は思ったことを素直に返す。
「ッ?!……これは、本当に驚きました……やはり只者ではありませんね。陛下にいい土産話が出来そうです」
見透かされたような八雲の言葉にラルフは少し驚いて、そして同時に八雲から感じていた力が本物であることを本能で確信していった。
だが―――確信したからこそ、剣士としてここで引くことは出来ない。
対峙するふたりの視線はお互いを貫くような鋭い眼に変わっていた―――
―――二人の立つ城門前では、
風が地面の乾いた土を軽く巻き上げながら通り過ぎていく音だけが耳に届く。
城壁の上のノワールを始め、エアスト公爵家と
―――対する近衛騎士団二千名も陣形を組みながら、声ひとつ上げずに尊敬する団長の背中だけを只見つめる。
ラルフは自身の剣……騎士らしからぬ大剣を鞘から抜いて構える。
「ティーグル皇国近衛騎士団長ラルフ=ロドルフォ―――参る!」
八雲は腰のベルトに差した黒刀=夜叉と黒小太刀=羅刹を抜いて初手から二刀流で対峙する。
「九頭竜八雲―――推して参る!」
お互い名のりを上げ、ほんの瞬きした次の瞬間―――
―――ギャリギャリギャリッ!!!と強烈な金属特有の摩擦音が周囲に響き渡った。
一瞬で互いの間にあった距離の中間点まで高速移動した二人は、双方『身体加速』を発動している―――
―――大上段から振り下ろしたラルフの大剣を八雲が二刀を交差して受け止めた次の瞬間、八雲の足元が大地に数cmメリ込んでいた。
しかし、打ち下ろした大剣がこれ以上は押し込めないことを察知したラルフは、バックステップで身を引くと着地した瞬間に再び前に飛び出す―――
―――八雲も同じく一旦後ろに下がり、ラルフ同様に再度前に踏み出して今度は羅刹で大剣を受け止めると、もう一方の夜叉でラルフの左脇腹に斬り込む。
八雲の斬り込む動作に、羅刹により阻まれた大剣を軸にしてラルフは右へ身体を捻り上げると、夜叉の追撃を逃れながらも今度は大剣を自身の回転に取り込み、駒のようなスピンで遠心力を活かして更に重さと威力を乗せた大剣が八雲に向かって横薙ぎに襲い掛かる―――
―――回転に乗って唸りを上げ襲ってくる大剣を、八雲は夜叉と羅刹を交差して防ぐが、
「オオオオ―――ッ!!!」
気合い一番、気迫の声を上げたラルフは『身体強化』を駆使して八雲の身体をボールのように軽々と打ち払った―――
―――瞬発的に上がったパワーに押され、八雲の身体は空中を吹き飛ばされる。
だが城壁に激突する瞬間に身を翻して足を外壁に向けて横向きで蜘蛛の様に着地し、壁を蹴って再び大地に降り立った―――
「剣を受けても分かります……その剣がどれほどの鍛錬を積み重ねてきたものかということが。ひとりの剣士として貴方を尊敬します」
「―――八雲殿も凄いですな。私の剣をここまで凌いで涼しい顔をしている剣士など、この国にそうはいません。しかも……八雲殿はまだ本気を出しておられませんね?」
「それはお互い様でしょう―――騎士団長殿」
八雲の言葉にラルフはフッと軽く笑みを浮かべると―――再び進撃を開始する。
―――次の瞬間からは互いの剣速が先ほどまでと比べても段違いに上がり、もはやアンヌやシャルロットといった戦いを知らないご婦人達には肉眼で追えない領域に入っていた。
ラルフの次々と放たれる斬撃―――
―――上段!斬り返し!突き!薙ぎ払い!上段!薙ぎ払い!上段!足払い!突き!上段!薙ぎ払い!
延々と続く、流れるような超高速の連撃に対して八雲は夜叉と羅刹で丁寧に的確に一撃一撃を払い、受け、打ち返して空中に火花を散らせると更には迎撃していく―――
―――ふたりの動きは遂に近衛騎士団の騎士達でさえも追えない速度領域に達しており、剣圧と気迫で周囲の空気が乱気流となって土埃まで巻き上げていた。
「オォオオオ―――ッ!!!」
気合いの声を上げながらラルフは一心に大剣を振るうも、目の前の涼しい顔で渾身の一撃一撃を捌いていく八雲に畏怖の念が募っていく―――
―――だが心の中では、
(よもや、これほどの強者がこの世界にいるとは!―――なんという僥倖!!)
強者に巡り合えたことに対して、ひとりの剣士として興奮していくが八雲の薙ぎ払いにより一旦ふたりは互いに後方へ身を引いて間合いを取り直した。
「ハァハァ……改めて御子様の御力に感服致しました」
「―――そちらこそ。それじゃあ、ここで終わりにしますか?」
もうこのくらいでいいのではないかという八雲の提案に対して、ラルフの剣士としての魂が全否定して剣の柄を強く握り直す。
「……有難いお言葉ですが、このままでは陛下の土産話には足りませんな」
「そうか……分かった」
そう言った八雲は夜叉と羅刹を鞘に収める。
「―――まさか本当に終わりにするおつもりか?」
剣を納めた八雲に問い掛けるラルフの言葉に、無言で腰を落として夜叉の柄に再度右手を掛けた。
夜叉に手を置いた瞬間、八雲から尋常ではない『殺気』が放たれて距離の離れた近衛騎士団の騎乗する馬達が恐怖で嘶きだし、今にも逃げ出しそうなほど暴れ始めて収集のつかない事態に陥り混乱していく。
常人であれば八雲の『殺気』だけで気絶することは間違いない……
ラルフほどの剣士でも今の八雲の前に対峙するだけで冷や汗が全身から噴き出している。
「先ほどの問いは謝罪する……詫びといってはなんだが、我がすべてを掛けた一撃でお相手しよう」
―――そう言って剣を構え、呼吸を整えて八雲に放つ一撃だけに全てを集中させるラルフ。
八雲もまた腰を低く構えて柄に手を置いたまま、その殺気は更に鋭くなっていく―――
―――流れた汗がこめかみを伝っていく感覚が過ぎた瞬間、
ラルフが超高速を越える神速の移動速度で上段に振り上げた大剣を八雲に振り下ろそうとした、その時―――
「―――ハッ?!」
夜叉の柄に手を掛けていた八雲が既に剣を抜いている―――いや、すでに振り抜いていた。
―――そして次の瞬間、
大剣を振り下ろす前にラルフの胸を覆っていたフルプレートの鋼の鎧が真一文字に右から左へと斬り裂かれ、そして鮮血を噴き上げる―――
「
―――『
神速の域に到達した抜刀術に一騎打ちを見ていた全員がその目で追うこと叶わず、その場でそれが見えていたのはノワールと
「……お見事……今の……剣は……」
『神速応変の出口は一瞬の間に在り、
敵気を感じない出口は
間が抜けた死太刀となり、武技にあらず。
居合の命は電瞬にあり。
変化自在の妙、
剣禅一味の応無剣を至極とす。』
「―――今見せた抜刀術の極意を現した言葉だよ」
「……そうか……やはり……まだ世界は……広い…………」
―――そう言い残して、ラルフがゆっくりと地面に前のめりに倒れ込んでいく。
(この世界の人間じゃないことは申し訳ないけど……貴方の剣に向き合う姿勢は尊敬出来るものでした)
倒れ込み血溜まりに横たわるラルフの背中を見つめて、八雲はそう胸に刻んでいた―――