―――湖の水を頭から被った八雲は、ひたひたと前髪から滴る水を払いながら俯く。
「大丈夫ですか八雲様?―――お顔がびしょ濡れで大変です……」
八雲の顔にハンカチを軽く押し当てて、水気を拭いてくれるシャルロット―――
「ありがとう。大丈夫だから」
心配そうに見上げるシャルロットに八雲は年上の気恥ずかしさもあって、もう大丈夫だと伝えるもシャルロットは引かない。
「―――いけません!このように濡れたままではお風邪を召してしまいます!」
子供に『めっ!』とするお姉さんのように、八雲を嗜めて拭き続けるシャルロットに対して、きっと何を言っても無駄なんだろうと諦めて八雲は別の手を考えた。
「シャルロット、ちょっとだけ離れていてくれるか?」
「え?はい……これでいいでしょうか?」
数歩離れたシャルロットを確認して八雲は―――
「―――
自分の足元に魔法陣を展開し、それを発動した八雲は風属性の基礎魔術を行使して全身に風を拭き当てる―――
―――全身を渦巻く様に吹かせた温風で、全身の水気を拭き飛ばして行く。
―――魔力の温風なので普通の風とは違って、衣服の繊維の間にまで吹き通すイメージで水気を完全に吹き飛ばしていく。
―――水気が飛んだ後は乾燥させるために全身に軽く風を纏わせて、髪もそれで完全に乾かしていった。
「ふう……もうこれくらいでいいだろ」
「八雲様は本当に何でも出来るのですね♪/////」
人間乾燥機を終えた八雲は髪に触れて乾燥具合を確認していると、シャルロットはニコニコしながら八雲に憧れるようなキラキラした瞳を向けてくる。
「何でもは出来ない。出来ることだけ。それじゃあ、とりあえず魔物の検分でもしますか?」
「―――うん、そうだねぇ。それじゃあ見に行こうかぁ~♪」
クリストフに魔術で浮上した島を指差して湖底から浮上させた魔物の検分を了承してもらうと、その魔術で造った
「八雲様、わたくしあんな大きな魔物を近くで見るのは初めてです♪」
「そうか、うん―――でもあんな大きな魔物に会った経験があったら、間違いなく喰われてるぞ」
十六歳の可憐な美少女が大型魔物の目の前にいたとしたら、捕食されていることは間違いないだろうと伝えるとシャルロットはそっと八雲の腕を掴んで青い顔になる。
「食べられちゃうんですか!?うぅ~それは嫌です……」
「シャルロットは可愛いからな。気をつけないと」
(普通に男が狙って寄ってきそうだし、違う意味で喰われる……)
「ふぇっ?!―――か、可愛い、ですか?エヘヘ♪/////」
怖がっていたはずのシャルロットは八雲に可愛いと言われて、舞い上がって顔を赤くしていた。
「コホン!ここはパパも且つての義父上のように家宝の剣を持ち出して斬り掛かった方がいいのかなぁ?」
「―――俺は一切、情け容赦しないタイプですよ?」
「ええ……それ、パパ死んじゃうよね?」
クリストフとそんなコントのような会話をしながら、八雲は鉄橋の上から湖の中を覗いてみる。
さきほどの戦闘で水に少し泥が舞い上がって濁りがあったものの綺麗な状態を保っている水は透き通っていて、浅い位置なら湖底まで見通せて魚が泳いでいるのが見えていた。
そうして中央の円柱型になった島まで辿り着くと、まるでまな板の上に載せられているような巨大な魚型の魔物が横たわっていた。
その巨大な身体には数え切れないほどの《氷弾》が突き刺さっていて、少し生臭い匂いが立ち始めており、八雲は早めに湖底から魔物の死体を持ち上げてよかったと思った。
「これは……『古代魚』だ……通称『
八雲が視線を向けると、そのままクリストフが説明を始める。
「これは『古代魚』の中でも通称『
(シーラカンスみたいなもんか?デカすぎるけど……)
確かに見た目は八雲の世界の有名な古代魚『シーラカンス』に似た形で鎧のような鱗で全身を纏っている。
体長は推定八十mで陸も移動できるようにヒレが異様に大きく、異様に筋肉質になっている以外はシーラカンスそのものだった……
「しかし……『古代魚』は本来、海の深いところに生息しているはずなのだが何故この湖に?」
クリストフの言葉に八雲は少し考え込んで、
「―――これはあくまで推測ですが、遥か太古の昔この湖は、いや、この一帯は海だったんじゃないでしょうか」
「え?この辺りが海?……しかし、この辺りは小高い丘の上だよ?」
八雲の突拍子もない意見にクリストフが顎に手を置いて首を傾げる。
「そうですね。だから陸が形成される前、遥か大昔……それこそ人もいないくらいの時代です。例えば山の中で海にいる生物、貝などの骨や化石が見つかったなんて話を聞いたことはありませんか?」
「……そういえば城の晩餐会の席で、そんな話を領主の一人から聞いたことがあったなぁ。石化した古代魚の骨が領地にある山の岩場から出てきたとか、見たことのない石化した大きな巻貝の殻を見つけたとか、そのときは場を盛り上げるための方便だろうと思っていたけれど」
「やっぱり……なかなか理解し難いとは思いますが、大陸は大昔に一部かもしくは全てが海の中にあって、そこから大陸の隆起によって海面に出てきたという可能性があります」
「―――大陸が隆起しただって!?」
「ええ。海洋生物の骨や貝殻が陸上で出てくるのはその証拠で、今の海面より深いところにあった海底が骨や貝殻が発見された位置まで隆起したんです。そしてこの古代魚のように大きな湖に閉じ込められて、海に戻れなくなった生物が奇跡的に生き永らえたという話です。あくまで仮説ですが」
これは八雲の世界の話であり、実際に湖へ取り残されて海水から淡水に身体を順応させていったという話を、八雲はここで仮説として立てたのだ。
「うん、なるほど一理あるねぇ~!しかし……八雲殿はどこでそのような知識を?ぶっちゃけ、この国の学者も舌を巻きそうな大陸隆起説だったよ」
「まあ、それは旅先の経験と言いますか、学者は言い過ぎですよ」
(本当は学校で学んだ知識の聞き齧りです!)
「いやぁそんな謙遜しなくていいじゃないぃ~♪ 八雲殿は奥ゆかしいねぇ!ところでこの古代魚をどうするつもりだい?」
クリストフは親指で古代魚を指差しながら八雲に問うと、
「とりあえず『収納』に片付けておきます。これって素材とかにして売れるんですかね?」
そういって『収納』能力を発動するとギュインッ!と物理を無視して吸い込まれるように、全長八十mの怪魚がその場から消えた。
再びクリストフもシャルロットもアンヌにヘンリーまで、その光景に目を見開いて驚愕していた。
「そんな巨大な物まで収納出来る能力まで持っているのか……ああ、素材だったね。うん、そうだねぇ―――商人ギルドに持ち込めば買い取りしてくれるから今度紹介しよう」
「あ!ていうか……ここ公爵の領地ですし、俺が勝手に討伐して売ったら不味いんじゃ……」
騙されるようにして討伐したとはいえ、ここは公爵の領地で八雲は冒険者でもなければ正式に依頼を受けた訳でもない。
「そんなことか。八雲殿がいなければ、その古代魚は駆除できなかっただろう。むしろこちらからお礼を出さないといけないくらいだよぉ。だから素材も倒した八雲殿の物だ」
「それでいいんですか?」
「これでいいのだぁ!」
(―――バカもんパパに見えますよ)
とツッコミかけた八雲だったが、そのネタは日本の『天才バカもん』という漫画を知っている八雲にしか分からないのがちょっと悔しかった……
「それじゃあ、お言葉に甘えて……あとで商人ギルドを紹介してもらえますか?」
「ああ、紹介状を書くよ。買い値を誤魔化したりしたら……ギルド潰すぞ♪ ってパパがしっかりと書いとくから♪」
「ど、どうも……」
それ紹介じゃなくて脅迫じゃね?と引いてしまった八雲だが、問題も解決したので改めて土地を見渡しているとノワールが一点を見つめて立ち尽くしていた。
どこを見ているのかと気になって、ノワールの視線の先を自分も目で追ってみる八雲だが、そこにあったのは美しい首都アードラーだけだった。
「どうしたノワール?」
考えていてもどうしようもないので単刀直入で本人に確認を取る八雲に、ノワールは目線を首都アードラーから八雲に向けると―――
「八雲、少し我に考えがある。今回話していた城を建てるのは我に任せてくれないだろうか?」
―――突然この異世界に飛び出した目的のひとつを任せろと言い出して八雲は驚く。
「―――え?それは……俺は構わないけれど……いいのか?」
「ああ、ここは我に任せてくれ」
あれだけ城を建てろと言っていたノワールが急に自分がやると言い出したのは、さっき見つめていた首都アードラーに関係があるのだろうかと疑問を抱えた八雲だが、嫁が自分でやりたいということに反対する理由もないと一応納得する。
「話は纏まったのかい?深刻そうな顔して話していたみたいだけど……はっ?!まさか八雲殿との夜の生活に不満とか―――グボラァッ?!!」
「―――まったく、あれほど若い御二人の睦言に口を出すなと言っておりますのに。ごめんなさいねぇ♪」
コロコロと鈴のような笑い声を上げながらアンヌが木槌を右手に持っていて、その足元には激しく痙攣しながら地面とキスしているクリストフが横たわっていた……
「あ、いえ……お構いなく……」
まるでジェット噴射スプレー殺虫剤を喰らったGのようにピクピクしているクリストフに哀れむ視線を向けながらも、
(……関わってはいけない)
という心の声が八雲に聞こえた―――
「―――さて、この辺りが丁度いいだろう。それじゃあ!始めようか♪」
湖の畔に来たノワールは、見渡す限り広がる丘の頂上付近に向かって気合いを入れる。
「―――フンッ!!」
ノワールが丘の頂上にある広大な土地に向かって両腕を前に差し伸ばすと―――
―――ノワールの目の前にある平地に黒い魔法陣が浮かび上がった。
彼女の足元に向かって周囲の空気が土煙を上げて急激に集束していく―――
「な、なんだ!?―――何が起こっている!?」
八雲は周囲の状況の異常さに声を上げた―――
―――その魔法陣は直径何百mあるのかというくらい巨大なものだった。
「こんな巨大な魔法陣など見たことがない!」
クリストフが真剣な表情を浮かべて叫ぶ―――
―――黒い稲妻が魔法陣の彼方此方から迸り、やがて周囲の空気が大きく変わる。
「さあ、来たれ我が城!黒き牙城!!黒龍城!!!
―――
そう叫ぶとノワールは更に魔力を解放し、黒い魔法陣の中央に黒い球体が浮かび上がると―――
「あれは―――」
―――蒼天の下、広大な空間の歪曲が八雲の目の前で始まっていく。
暴風のように吹き荒れる魔力の奔流を障壁で防ぎながらクリストフ達を護っている八雲の目に、黒い球体が見る間に巨大化して外にまるで何かが産まれてくるように分厚い漆黒の外壁が姿を現す。
そして―――巨大な黒い球体は遂に黒神龍の居城をその大地に顕現すると同時に弾けて消えたかと思うと、爆発したような衝撃波を一気に周囲へと解放する。
「ウオォオオオ―――ッ!!!」
―――防御障壁を展開していた八雲も唸るほどの凄まじい衝撃波が波の様にそこから遠方に向かって広がっていく。
小高い丘の上から発生した衝撃波は瞬時に広範囲を駆け抜け―――
―――直近の大地に生い茂っていた草木は一瞬で薙ぎ倒された。
―――湖面も衝撃波で大量に湖の外側へと大波を生じさせて溢れ出た。
―――そして衝撃波は一番近い街である首都アードラーに襲い掛かる。
―――街中の彼方此方で建物のガラスに一瞬で同時に亀裂が入る。
―――そして街の中では衝撃波に襲われた人々の悲鳴が響き渡る。
衝撃波はティーグル皇国の遠く離れた場所にまで轟き、人命は失われなかったが被害は彼方此方で発生していた……
そんな衝撃波の発生源である平原に現れた巨大な漆黒の城。
―――それはノワールの胎内世界で八雲が短い期間だが世話になっていた、あの黒龍城だった。
ノワールの『空間創造』の世界にあった黒龍城を無属性魔術のひとつ
そのことがウランやプルトニウムなどの原子核に中性子を衝突させて核分裂と同等の現象を引き起こし、爆発的なエネルギーを発生させる原子爆発と似た状況を引き起こした。
原子爆発級の爆発が空間に発生したため、先ほどのような凄まじい衝撃波が発生したのだった。
漸く辺りが静まりだして八雲の障壁によって護られていたクリストフ、アンヌ、シャルロットにヘンリーは突如として目の前に現れて、聳え立つ黒い城壁を見上げてポカーンと口を開けている。
「―――おいノワール!危ないだろうが!!」
いきなり
「悪かった。だが、今度はちゃんと障壁を張れたみたいだな―――感心♪ 感心♪」
「いやそうじゃなくて!ハァ……それより、どうして城を外に出したんだ?」
八雲に城を建てろと言っていたのに、その翌日には外の世界に城を引っ張り出してきて意味が分からない八雲を見つめながら、
「なに……手っ取り早く我と八雲のことを伝えてやろうと思ってな」
そう告げながら最後は呟くように声が小さくなったノワール。
「伝えるって……誰に?」
そう問い質そうとしたところで城門が軋む開放音を響かせながら、ゆっくりと左右に開いていく。
その城門の先には一列に整列している見目麗しいメイド達―――
アリエス、レオ、リブラ、シュティーア、クレーブス、アクアーリオ、フィッツェ、ジェミオス、ヘミオス、そしてジェミオス達と、見た目同じくらいの歳恰好をした八雲が見たことのない桃色の長い髪をツインテールにして、皆とお揃いのメイド服を着た女の子が無表情で立っていた。
そして
「―――お帰りなさいませ!黒神龍様、お帰りなさいませ御子様」
―――と声を揃えて城門に響かせていた。
(いや城を出たのが昨日で、もう戻ってきちゃったんだけど……)
そう思って苦笑いの八雲を構わずに、いち早く正気に戻ったクリストフが―――
「―――黒神龍、様?それに、御子様だってぇ?!」
―――と、素っ頓狂な大声を上げる。
それはアンヌも驚きを隠せない驚愕の表情を浮かべ、シャルロットもまた目の前の光景が信じられず、まるで別の世界を見ているような顔をして呆けているだけだった。
そんなエアスト公爵家の皆に颯爽と振り返ったノワールは―――
「そうだ!―――我こそは黒神龍ノワール=ミッドナイト・ドラゴン!そして我の御子である九頭竜八雲だ!さあ、エアスト公爵家の者達よ……黒神龍の御子の生誕を祝福せよっ!!」
―――城門から高らかに御子の生誕を宣言したノワールの声が、広大な平原に響き渡っていく。
だがノワールがこのような派手な城の
―――
ティーグル皇国・首都アードラーの中央に聳え立つアークイラ城では―――
ドゴオオオオ―――ッ!!!と、城を揺り動かすほどの衝撃がアードラーの象徴であるアークイラ城を襲った。
「―――何事だ!!!」
突然の天変地異に玉座に腰を下ろして大臣の報告を聞いていた赤い髪に口髭を生やした国王エドワード=オーベン・ティーグルは大声を上げて事態の把握を命じる。
すると玉座に続々と人々が集まってくる―――
―――その中には、
「親父殿!!無事かッ!!!」
エドワードと同じく赤い長髪に大柄な体格をした男と―――
「父上!兄上!―――ご無事ですか!?」
―――同じく赤い髪で肩くらいの長さに切りそろえた優男が走り込んできた。
「儂は大丈夫だ、大事ない。それよりも先ほどの揺れは一体……」
「―――陛下!!!大変でございます!!!」
そこに近衛騎士のひとりが、青い顔をして走り込んできた。
「何事だ!―――落ち着いて話せ!!」
赤髪の優男が走り込んできた騎士を怒鳴って諫めると近衛騎士は、
「と、とにかくまずは、そ、外を!―――エアスト公爵領側の外をご覧ください!!」
尋常ではない騎士の様子に、その場にいた者達は物見の出来る城の高い位置まで急ぎ足で移動する。
―――そして首都のすぐ隣にあるエアスト公爵領の方向を確認すると、
「なんだ?あれは?―――あの黒い城は一体なんなのだ!!」
赤髪の優男の尋常ではない大声が物見の塔から城の外に木霊して響き渡り、国王エドワードと赤い長髪の男は目を鋭く細めながら、視線の先に突然出現した黒い城を只睨みつけていた―――