「―――九頭竜八雲です。八雲が名前です。どうぞ、よろしくお願いします」
「ああ、こっちこそよろしくねぇ!―――それで、そちらのお美しいご婦人は?」
エアスト公爵はそう言ってノワールに視線を向ける。
「我はノワールだ!―――八雲の妻だ。よろしく頼むぞ♪」
この国の公爵を相手にノワールの横柄な挨拶に一瞬冷や汗が出た八雲だったが、クリストフとアンヌはまったく気にしないといった素振りでニコニコと笑顔を浮かべていた。
「ほお~!八雲殿の奥方だったんだねぇ!てっきり恋人か冒険者のパーティーかと思ったよ!ま、こんな場所で立ち話も失礼だよねぇ。中に入ろうか~」
間延びした声で公爵に宮殿の中を案内されて、広い応接用に使われる部屋に案内された―――
―――重そうな応接室の扉を案内してくれた執事がゆっくりと開く。
部屋の角には彫刻、壁には何枚か絵画が飾られているが金持ちが驕ったような芸術品だらけではなく、部屋と溶け込んでいる落ち着いた雰囲気を漂わせた、まさに上品という言葉が似合う部屋だった。
部屋の中央のテーブルを挟んで大きなソファーが向い合せに置かれ、三人座っても余裕の広さのあるソファーの右にシャルロット、中央にクリストフ、左にアンヌと腰を下ろして向かいのソファーに八雲とノワールが腰掛けた―――
「では改めて―――九頭竜八雲殿。この度は私達の大切な娘であるシャルロットの窮地を救ってくれたこと、エアスト公爵家当主として心よりの感謝を申し上げる」
―――そう告げて頭を下げる公爵家の人々に先ほどまでのおチャラけた親父の空気はどこへ、そこには一角の偉人のように畏まったクリストフの洗練された作法で礼を述べられ、この場にいる人間の中では一般人でしかない八雲からすると公爵夫妻が頭を下げているだけでも恐縮すべきことなのだろうということは異世界に来たばかりでも理解できる。
「あ、頭を上げてください。俺は旅の途中にたまたま襲われているところに出くわしただけです。護衛の方々もお嬢様を護るため傷だらけになりながらも命懸けで必死に戦っていました。その姿に俺は共感しただけに過ぎません。ですから御礼は護衛の皆さんに伝えてあげてください」
(―――本当は出発直後でしたけどぉ!)
内心で八雲は胎内世界から出てきたばかりだということをひとりでツッコミながらも、努めて冷静に丁寧に告げた。
「いやシャルロットは私とアンヌのたったひとりの娘でね。私達にとっては命より大切な宝物なんだ。だからこそ盗賊どもに攫われたりしていたらと思うと……想像しただけでも胸が引き裂かれる思いだよ……だから盗賊共を成敗してくれた君には感謝してもし切れないくらいなんだ」
この両親の一人娘を想う気持ちが痛いほど伝わる言葉と姿に八雲は、ふと自分の両親の姿を思い出した。
日本にいた頃―――
まだ両親が生きていた普段の生活でこんな気持ちを伝え合ったことなどなく、突然の両親の事故で伝えることは永遠に出来なくなってしまった。
そんな自分の境遇と照らし合わせてみて、目の前でお互いを想い合う公爵家の家族の姿は八雲にとって羨ましくも眩し過ぎる存在だった。
「―――それで何か御礼をしたいのだが、何か望みはあるかい?私に出来るだけのことはさせてもらうから」
「いえ、俺達は別に礼なんて―――」
謙虚な日本人である八雲がそう言い掛けたところでノワールが―――
「―――土地が欲しい!」
―――突然目の前の机を叩いてソファーから勢いよく立ち上がるとそう叫んだ。
「……」
予想もしていなかった不動産という資産を希望するノワールに公爵家の人々のみならず、八雲までポカンと呆気に取られてしまった。
「……え~と……土地が欲しいのかね?」
その場でいち早く再起動したクリストフの言葉が切掛けで八雲も動き出す。
「ちょっとノワールさん!?アグレッシブ過ぎないその希望!?いくらなんでも―――」
ノワールの攻めすぎた要望に八雲は一気にサァッと血の気が引く。
「―――わかった。私の領地の一部で構わないなら土地を譲渡しても構わない」
「―――えぇええ!?いいのっ!?」
間髪入れず即決したクリストフの返事に八雲は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ああ、私の領地はこの首都アードラーのすぐ隣で正直土地もまだまだ余っている。実を言うとねぇ、領地の入植者を求めていてね。いや、それは他の土地の領主達も皆同じなのだが、入植者を迎えて領民を増やさなければ領地の運営に必要な税収も増えていかないからね。娘の恩人が根を張る土地が欲しいというなら、むしろ大歓迎で全然構わないさ。どのくらいの広さがいいの?」
不動産という資産のやり取りが、こんなに軽いノリでいいのか?と、さっきから思考が混乱する八雲だったが落ち着こうと屋敷のメイドが用意してくれたテーブルの紅茶に手を伸ばして、努めて冷静に優雅にゆっくりと口に運び含んだ―――
「―――もちろん城が建てられるくらいの広さがいい!」
「ブフウゥ―――ッ!!!」
ノワールの言葉に八雲は混乱を抑えようとして口に含んだ紅茶を二秒で盛大に吹き出した……
幸いにも横を向く『身体加速』のスキルは間に合ったので、その被害を受ける人はいなかった。
(城建てるって話、本気だったかぁ……)
と呆れ半分に思い、しかし上手くいけば土地を買うという、ややこしいと思える手続き無しで手に入るかもしれない。
そう打算的にも考えていた八雲を前にして、
「ハハハッ!城かぁ!いいよ♪ いいよぉ♪ どうせ未開拓の土地もいっぱいあるから、明日早速その土地に行って場所を決めようじゃないか!湖や川のある場所もあるから、好きなところを選んで構わない。その時に希望の広さも取り決めようか!」
太っ腹な公爵家当主の笑みに、八雲も呆れながら釣られるように笑顔が沸き起こっていた―――
―――そこから食事の間に移動するエアスト家の人々と八雲達。
エアスト公爵家に到着したのがギリギリ夕方前だったので今はもう外は暗がりを広げ、クリストフは八雲とノワールの分の夕食を用意してくれていた。
次々と出てくるご馳走を八雲とノワールは遠慮なく頂いて、特にデザートに出てきたショートケーキにノワールは瞳をキラキラさせて堪能していった。
(そういえばフィッツェはデザートが得意でノワールによくケーキやお菓子を作っているって話していたな……フィッツェ・マジ・パティシエ)
黒龍城の厨房を預かるひとり、
「ノワール様!こちらのお菓子は今、街で凄く人気があるお菓子だそうですよ♪」
「―――なに!?それはシッカリ味わって吟味しないとな!モキュモキュ♪」
シャルロットもまるで姉ができたみたいに喜んでノワールとデザートを楽しんでいる。
食事の間、八雲はクリストフの質問に色々応えていた。
「―――それにしても黒い髪に黒い瞳、それに帯剣していた細身の特徴的な剣、何より家名が前で名前が後ろで名乗ること……もしかして八雲殿はアンゴロ大陸の出身なのかい?」
―――アンゴロ大陸
フロンテ大陸の東側の海を渡った先にある大陸である。
【アンゴロ大陸北部 オーヴェン】
武力が統制する士農工商制度があり、武士以外の身分に属する者は虐げられた地域。
中央の『朝廷』と表面上は平静を装っているが、水面下ではアンゴロ大陸の覇権を争っている。
各国の
【アンゴロ大陸中央部 ミッテ】
オーヴェンの『幕府』と表立っては平和な関係を維持しているように装っているが、実際は大陸覇権を狙う『幕府』と攻防戦を繰り返している。
オーヴェンと違って『朝廷』を中央として敬っているが、身分差別といった風潮は薄い。
『幕府』の差別主義的体制とは相容れず、かといって『幕府』の武力にも対抗するのは容易なことではない。
【アンゴロ大陸南部 ウンテン】
『幕府』にも、『朝廷』とも交易は行っているが、どちらに加勢するでもなく中立を保っている地域。
商人達のギルド『恵比寿』が支配する地域だが、商人、職人が切磋琢磨する工業商業地域として特化した世界中とも交易している貿易国家である。
アンゴロ大陸の人族―――
そこには黒髪に黒い瞳の人族が生活していることは、この遠く離れたフロンテ大陸のオーヴェストまで伝わっていることであり、そして家名から始まり名前の順で名乗る氏名の名乗り方とその容姿から、クリストフは八雲がアンゴロ大陸の出身だと推測したのだ。
「そう、ですね。まあ修行の旅といいますか……」
(―――ホントは出発したのは今日ですけど!)
「おお!やっぱりそうなんだねぇ!いやぁ、でも遥々このオーヴェストまで来るのは大変だっただろうねぇ。そりゃ奥方と落ち着ける土地を求めるのも納得できるよ。八雲殿もこの地で落ち着いて、綺麗な奥方と毎晩シッポリお盛んになってすぐ子供も―――ゲボラッ?!」
食事で酒が入り、すっかりパパモードに戻っていたクリストフだったが突然そこに嫌な音と同時でテーブルに顔を突っ伏して後頭部から謎の煙が上がっていた……
「あらあら♪ 若いご夫婦の秘め事に口を出すなんて、失礼ですわぁ~貴方♪」
手で口元を隠してコロコロと笑いを溢す公爵夫人アンヌだが、もう片方の手には例の木槌が握られていた……それで八雲は今起きたことを通常運転だと納得した……することにした―――
―――それから、八雲とノワールは客室に案内される。
それは公爵家が賓客を泊める際に使用してもらう客室であり、部屋の端々に芸術的な調度品が飾られていて部屋全体と調和しているひとつの作品のような客室だった。
「ほほう、なかなかいい部屋ではないか♪ 流石は公爵家といったところか」
ノワールも部屋が気に入ったようで、見回してはウンウンと何度も頷いていた。
八雲は部屋の中央に置かれたソファーに腰を下ろし、それを見たノワールも八雲の隣に腰掛けるとしな垂れ掛かりながら八雲に身体を預ける。
そんな猫のようになって、もたれ掛かるノワールの頭を軽く撫でながら、
「―――あのアンゴロ大陸から来たって話……異世界から来たって言うよりも信憑性あるよな?」
軟らかいソファーの感触を受けながらノワールを撫でつつ、彼女の頭に近づけた顔に美しい黒髪の甘い香りが届くと八雲の気分を落ち着かせてくれた。
「確かに異世界から来たなんて話、お前に『神の加護』を感じ取れる我くらいの存在でなければ信じられん話だ」
(ノワールくらいの存在となると、他の龍達とか?でもやっぱり、そうだよな……)
「だからアンゴロ大陸から来たという話は、その髪の色からも信憑性がある。別にいいのではないか?この先で長くつき合う間柄になって、お前も話してもいいと思ったときにでも話せばいいだろう」
「そうだな……うん、異世界なんて話して頭がおかしいと思われたり、余計なことに巻き込まれたりしても嫌だしな」
「そうそう。それに明日は城を建てる土地を見に行くのだ!楽しみで仕方がないぞ♪」
心から嬉しそうに無垢な笑みを浮かべるノワールを見つめて、
「やっぱり本気だったんだ?城を建てるって……」
八雲はノワールに問い掛けた。
「当たり前ではないか!!いや……やはりこの屋敷のような宮殿でもよいか……いや、しかし……」
そこから暫く城の形についてブツブツと悩むノワールの様子を八雲は見つめながら、最後に欠伸をした彼女をお姫様抱っこで抱き上げてベッドに運ぶのだった―――