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第19話 再び降り立った草原

―――ノワールの開いた胎内世界から外の世界に通じる空間の隙間を通り抜けて、八雲がその一歩を踏み出す。




―――眩い光の空間に足を踏み出したその瞬間、八雲の嗅覚に訴えてきたそれは青い草の匂いだった。




―――次に、それは肌に感じられる暖かな眩しい日差しだった。




―――そしてそれは今まで見ていた異様な空ではなく、どこまでも広がる蒼い空だった。




空間の隙間を出た先は辺り一面に青々として、どこまで続いているのかと思わされるほど美しい風に靡く草原が広がる小高い丘の上に立っていて、つい最近一瞬だけ見た覚えのある、透き通った蒼い空が広がっていた―――


「ここは……」


(―――ああ、そうだ……ここは初めて、この世界に来て立った場所だ)


日本にいた時に家の玄関を出た瞬間、この世界に飛ばされてきて最初に立っていた草原に戻ったことに八雲は一瞬ではあったが、感慨深いものが込み上げた。


「―――おお!旅立ちにはもってこいの晴天だな!」


八雲の隣にいたノワールは笑顔を浮かべながら空を仰ぐ。


「ハアアア……こうして外に出ると、本当に気持ちがいい―――」


「ギャアアアアアアァア―――ッ!!!」


澄んだ空気を肺に取り込んで、気分が晴れやかなことを口にしようとした八雲の耳に届いたのは小鳥のさえずりなどではなく、野太い男の悲鳴、いや断末魔だった……


「―――は?」


「―――ん?」


八雲とノワールは互いに顔を向け合って声のした方向に目を向けると、状況は見えないが通常の人間よりも聴覚が上がっている八雲に複数の人間が争う喧騒が聞こえてきた。


「誰か襲われているようだな……どうする?」


これから本当の異世界への旅立ちに出る早々、人の争いごとに首を突っ込むのは如何なものか?と八雲は考えたが、どうもその声には女性の小さな悲鳴も混ざっているようだった。


「ハァ……まずは現場に行って状況を確認しよう。それによって対応を考える」


「―――よかろう。しかし旅立った瞬間トラブルに巻き込まれるなんて、お前の『神の加護』はそういうことには効かないらしい♪」


顔を顰める八雲とは対照的に、何故か楽しげに皮肉を込めた笑みを浮かべるノワールだったが、


「―――行くぞ!」


―――次の瞬間、『身体加速』で感慨深かった草原から瞬時に風を巻いて高速移動を開始する八雲と、その加速に平然とした涼しい顔をしてついて来るノワール。


それを見て八雲は改めて流石だと黒神龍ノワールの実力に密かに息を呑んだ―――


―――近くの林を駆け抜け、その先の開けたところにある舗装などされている訳もない道に大仰な馬車と周囲の護衛と思われる兵士の姿、そしてその周囲を取り囲むようにして見るからに柄の悪い男達の集団が争っていた。


「あれは、おそらく―――盗賊団だな」


木陰から様子を見たノワールがそっと呟いた。


「あの馬車の扉に描かれた紋章みたいなヤツ、わかるか?」


八雲は馬車の側面にある乗車扉に印された二つの紋章だろう模様が気になった。


「んん?―――おお、あれは……ひとつはこの国の王族の紋章だな。もうひとつは知らんが王族の紋章と並んで描かれているのなら、公爵といった王族の血族だろうな。恐らく街道を移動しているところを盗賊団に襲撃されたんだろう。それで―――どうする八雲?」


ノワールの質問に八雲は黙ったまま『収納』空間から夜叉と羅刹を取り出してコートの腰ベルトに差し込む。


「盗賊団に味方して、得することって何かあるか?」


「ハハハッ♪ 違いない!―――ならばお前ひとりで奴らを片付けてみせろ。この世界にいれば、いずれは人を斬ることも経験することになるだろう……それに慣れろとは言わないが選択を間違えると、そのあとの結果に後悔することもある。だから、ここで覚悟を決めてこい!」


ノワールの言葉に八雲は此処は日本ではない、自分が今まで抱いていた常識から外れた世界だと改めて実感する。


「そう、だな……折角の門出の日に人を斬りたくはなかったけど、ただ奪うだけの奴らは―――自分も奪われる覚悟がなければならない」


随分と人型の魔物を斬ってきた八雲だが、只の人を斬った経験は勿論ない。


日本人の常識からすれば人を傷つけることイコール犯罪という認識だからこそ、それらの様々なことを加味して思考と気持ちが、そして心が躊躇するのだ。


八雲にもまだその常識は残っている―――だが幼少から祖父の道場にて、時代遅れの戦場で戦う覚悟というものについて教え込まれ、人と戦うという意味を身体の芯まで教え込まれてきた。


集団で人の物や命を奪っていく異世界の人間にまで情けをかける選択など八雲にはなく、人を斬れないと言ったり殺せないと拒否したりする偽善者、博愛主義者になった覚えもなかった。


―――そして、


「―――いくぞ」


八雲は夜叉と羅刹を抜いて『身体加速』を発動し―――


「―――ギャァアアアッ!!!」


「なん―――ウギャアアッ!!!」


―――瞬時に高速で後方から盗賊達に斬り掛かっていく。


吹き飛ばし、弾けさせて血飛沫を上げながら八雲は集団の中央にある紋章入りの馬車の前まで一直線に駆け抜けていった。


―――次々と撒き散らされる腕や首、そして血飛沫……あまりにも速すぎて盗賊団の男達には何が起こったのか分からなかった。


(―――なんだ……人って、こんなに脆いのか)


自分が斬り捨てて盗賊団の合間に作ったその道には、少し前に人だったモノの残骸が、幾つもの肉片となって地面に転がっている―――


―――突然の突風のような動きと血飛沫と共に、王族の馬車の傍に現れた青年のことを盗賊団のみならず、護衛の兵士達まで開いた口が塞がらずに静止して見つめていた。


「―――助太刀する。あなた方は馬車の護衛を」


近くにいた護衛の兵士にそう伝えた八雲は盗賊団に視線を移していく。


八雲の言葉を聞いた護衛達は、ハッとした表情に戻り、


「―――感謝する!」


という感謝の言葉を返して馬車の警護に集中するよう改めて円陣を組み出した。


「なんだぁああ!てめぇ!!―――邪魔する気かコラァッ!!!」


「てめぇ!こんなことしてタダで済むと思ってねぇだろうなああ!!!」


「オラアアァアッ!―――仲間の仇だぁ!!全員で掛かれぇえ!!!」


仲間を肉片にされた盗賊団は、それでも圧倒的に勝っている人数にものを言わせて、たったひとりの八雲に向かって罵声と共に突進して来た―――


―――八雲は『思考加速』と『身体加速』を発動。


「やっぱコイツら―――自分が奪われることは考えていないんだな」


加速する世界の中でそう呟く八雲の声は、その数およそ百人の盗賊団には聞こえる間もなく、つむじ風のように回転しながら夜叉と羅刹で次々と敵の五体を斬り裂き、瞬く間に死体の山を作っていく―――


―――黒く妖しい光を放つ夜叉の一振りで、相手の安物の鉄剣と共に三人の首が刎ねられる。


同時に振るった羅刹はガントレットと一緒に盗賊の腕を斬り飛ばす―――


―――そして蹴り出した脚は盗賊の胸を直撃し、肋骨をボキボキと枯れた小枝のように粉砕骨折させた。


次々と撒き散らされる盗賊だったモノ―――


「な、なんだぁコイツ!?―――ば、化け物だあああ!!」


―――盗賊の誰かがそう叫んだのが八雲に聞こえたが『思考加速』の中で八雲自身も、


(―――ああ、やっぱ人間から見ても、人間やめているよな……これは)


と、次から次へと斬り裂く盗賊団を見ながら至って普通のことのように、八雲は思っていた―――


―――そう考えてもまだ続いていく戦闘。


夜叉にも羅刹にも血糊すら残らない高速の斬撃―――


―――八雲の『威圧』を瞬間的にぶつけられ、湧き上がった恐怖で身を動かせず静止したまま縦に両断にされる者。


盗賊団にしてみれば特上の獲物を目の前にして突然乱入してきた見ず知らずの若造が、次から次に自分達の仲間を斬り刻んでいることに恐怖で思考が止まる。


その数の有利で優越感に浸っていたが、今は見る間に撒き散らされながら斬り捨てられる仲間の命を見て、次は自分の番ではないかという迫りくる恐怖が広がり、どの盗賊も顔面蒼白な状態となっていった。


対する馬車の護衛兵士達も目にも止まらない速度で次々と斬り倒される盗賊団の姿を見て、助太刀とはいえ鬼神の如き八雲の強さに恐怖を隠し切れない。


そのうち、恐怖に耐えられなくなった盗賊達が、


「ヒイイイイッ!!い、嫌だぁ!―――死にたくねぇえ!!!」


と叫びながら蜘蛛の子を散らすように散り散りになってその場から逃げ出して行く。


「お、おい!おめぇらああ!!!逃げるんじゃねぇ!!!―――戻って来いぃい!!!」


ひとり馬に乗った大柄な男が背を見せ逃げ出した盗賊達に罵声を浴びせ掛けていくが、その場に残っているのが既に自分ひとりになっていたことに気づいて額から大量に冷や汗を流しながら八雲にゆっくりと視線を向ける。


「―――お前が頭か?」


あれほど超高速の動きで斬撃を繰り出しながら走り回っていたはずなのに八雲は息ひとつ切らさず、夜叉の切先を大柄な男に向けて問い質す。


「う、う、うえへへぇ~!いやぁ~!―――お前すげぇ強えじゃねぇか!……ああ、どうだ?アンタだったらきっと最強の盗賊、いや国だって狙えるぜぇ!どうだ?これから俺らと一緒に、この国で一旗あげようぜ!!」


ここにきて盗賊の頭は何をどう考えたのか八雲を懐柔しようと、汗をダラダラ流した顔で気持ちの悪い笑みを浮かべながら勧誘を試み始めた。


八雲はその周囲の血の海の中をゆっくりと、だが確実に馬上の盗賊の頭に向かって近づいていくと汗だくの笑みを浮かべていた頭の髭顔は、見る間に青くなって醜く顔が歪み今にも泣きそうになっていた。


「……く、く―――来るなあああぁあっ!!!」


その微塵も慈悲を感じない八雲の殺意に染まった漆黒の眼を見て、半狂乱になった頭目は馬の踵を返して逃走を試みる。


八雲の『身体加速』なら馬に追いつくのは訳ないのだが、


「あ、そうだ。丁度良いから―――アレを試してみるか」


そう呟くと盗賊の頭目の位置を『索敵』で把握して、その距離を測っていく。


「このくらい離れたらもういいか

―――火槍ファイヤー・ランス!」


《火球》と同じく火属性の下位魔術・火槍ファイヤー・ランスを発動してみると、炎が凝縮して出来た槍が八雲の右手に顕現して握られていた―――


―――その炎の槍を槍投げのように構え、腰を低く屈めて足に重心を掛けながら槍を持った手を後ろに引くと同時に腰をグッと絞るようにゆっくりと回転しながら捻じっていく。


「―――フンッ!!!」


その一息に身体を振り動かし、その手にあった炎の槍が放たれて一直線にその先で逃げる『目標』に向かって赤い炎の尾を空中に引いて噴き飛んでいく―――


「ハァハァハァッ!何なんだ!あの化け物はよぉ!!でも、ここまで来たら―――」


―――ドスッ!!!と盗賊が身体に感じた衝撃と同時に、その身体に突き刺さった八雲の火槍ファイヤー・ランスに気がついた瞬間、巨大な爆発音と同時に超高熱の炎を噴き出し、一瞬で周囲を炎の海へと変えながら巨大な火柱を天高く噴き上げていた。


ゴオオオオオオォ―――ッ!!!と天高く吹き上がる巨大な炎の柱と黒煙を見て、護衛の兵士達も高貴な馬車に乗っていた者も、この世の出来事なのかと疑いたくなる目の前の光景に改めて全員言葉も出ずに息を呑んでいた。


「―――終わったか。しかし八雲……相変わらず魔術のコントロールが下手だな!」


一段落した様子を見て、ノワールが八雲に発動した魔術の感想を口にしながらやってくる。


「へいへい、どうせ下手ですよ!だけど確かにまだ鍛錬が必要だな……魔術ばかりは使って回数をこなさないと熟練度も上らないってクレーブスにも言われていたし」


苦笑いを浮かべて頬を掻く八雲にノワールもフッと軽く笑って、


「それで―――あの固まった奴らはどうする?」


馬車の周囲で固まっている護衛兵士を見て言うと、


「もう大丈夫だろ。行こう」


異世界貴族の余計なことに巻き込まれたくない八雲は、何事もなかったかのようにその場を立ち去ることを迷いなく選択する。


すると馬車の中から、若い女の声で―――


「―――お待ちください!!」


―――精一杯の大きな声が静寂の中に響き渡った。


「……はい?」


声を掛けられて無視をするのも失礼だろうと八雲は仕方なく返事をして振り返ると、先ほどの立派な馬車の扉が開いていて護衛兵士に手を取られて地面に置かれた踏み台を一歩一歩降り立つひとりの少女がいた―――


―――血の海となった地獄絵図に降り立った金髪の長い髪を風に靡かせる美少女。


歳の頃は十六歳くらいだろうというその少女は緑の少し垂れて優しそうな瞳に、色白で透き通るような肌、貴族の令嬢だと見ただけで分かる西洋人形のような容姿と可愛らしい水色のふわりとしたヒラヒラしたレースに光る小さな宝石を鏤めたドレスを纏っていた。


(―――胸は、まだ成長期……将来に期待)


少し開いた胸元に目線を向けた途端に隣のノワールがコートの腕の上から可愛く抓ってきたが、ちょっとコートの上から可愛く抓られているだけのはずなのに物理防御の付与が掛かったコートが摘ままれた場所にだけ的確に激痛が走り、八雲は痛みに耐えつつも顔を顰めた。


(物理耐性の効果付いたコート突き抜けて痛み与える抓り方って!?どうやって!?―――あとで訊こう!)


そんな脅威の芸当ができる黒神龍の実力に八雲は改めて驚愕していた。


「あ、あの……危ないところを助けて頂きまして、感謝申し上げます」


そう言った美少女はスカートの両端をそっと摘まんで片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま挨拶をする―――礼を示すカーテシーで感謝の意を示した。


「いや気にしないでいい。それじゃ―――」


八雲は足早にその場を立ち去ろうと踵を返すも、


「―――あの!!わたくしはシャルロット=ヘルツォーク・エアストと申します。この国の公爵であるエアスト家の長女です。あの、貴方様の名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


余計なことに首を突っ込みたいたくないと思った途端に名前を尋ねられて一瞬そのことに躊躇う八雲だったが―――


「……」


―――両手を胸の前に祈るようにして、涙を滲ませた瞳で見上げてくるシャルロットの眼力に敢え無く白旗を上げた。


「俺は八雲……九頭竜八雲だ。名前が八雲だ」


この場の空気に八雲はそう答えるしかなかった―――


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