―――昨日までの目まぐるしく激しい日常に飲まれて八雲は深い眠りに包まれていたが、窓から差す明るい光と共に身体に生温かい感触が蠢いていることで次第に意識が覚醒していく。
掛布団の中から漂う甘い香りで一気に目が覚めた八雲は、目の前にある盛り上がった布団を捲り上げる―――
「……あ、おはようございます八雲様/////」
布団から解放された身体の横には、可愛い笑みを浮かべるアリエスの姿が八雲の目に飛び込んできた。
「ア、アリエス?!お前、何してんの?」
「八雲様を起こして朝食に呼ぶよう仰せつかりましたが、折角なら気持ちよく目を覚まして頂こうとこうして温めておりました/////」
普段は表情をそれほど面に出さず、綺麗な銀髪を常に整えて万能メイドといった雰囲気を醸し出しているあのアリエスが、まるで悪戯っ子のような可愛らしい笑みの中でそう答えた。
「奉仕の精神が斜め上過ぎる……」
流石に呆れ顔でいる八雲に対して、アリエスは少し焦りながら―――
「―――違います!確かにノワール様には八雲様に尽くすようにと仰せつかりましたが、本当は私が八雲様にご奉仕して尽くして差し上げたいという想いを、ノワール様が汲んで下さったのです……」
「……どういうことだ?」
真面目な話になるのかと思った八雲だが、アリエスは少し拗ねたような顔で続ける。
「八雲様は意地悪です……私が……八雲様を憎からず想っていることは伝わっているものと……」
(いやいや、知り合って間がないし、流石にあれだけいつも平静を装って接して来られたら、奥ゆかしい日本人は気づかねえから……)
八雲はそれを口には出さず、心の中でツッコミを入れる。
(でもこんな美人に寄り添われて喜ばない男がいるだろうか……いや!いない!)
だが、それと同時に自分を想ってわざわざ寝床まで来てくれて必死に寄り添おうとする美女の気持ちを無下にするなんて、それこそ男として終わっているだろうともやや自分中心に考えていた。
「正直、アリエスみたいな美人が俺のことをこの短い期間で、そこまで想ってくれるなんて考えてもいなかった。すまん……鈍い男で」
「そのようなことはありません。それに想っていることを伝えなかった私も勝手に八雲様なら気づいてくれていると、そうして自分の気持ちを押し付けていたのがいけないのです……申し訳ございません」
万能メイドにしか見えないアリエスでもこんな一面があるのかと、それはそれで新鮮でまた好感度が上がったことに少し笑いが込み上げてきた八雲は、そっとアリエスの綺麗な銀髪の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でていた。
その仕草に蒼い瞳を細めて、まるで懐いている飼い猫のように喜んでいる仕草を見せるアリエスに今度は頭に置いていた手をスッと頬に移して撫でていく。
その頬に触れる八雲の手に自ら頬ずりするようにして首を傾けるアリエスに益々魅かれていく。
「―――朝飯に行こうか、アリエス」
そう一言だけ八雲が伝えるとその一言ですべてを理解できる序列01位のメイドは、
「畏まりました♪」
と笑顔で答えて先にベッドから降りていく―――
―――メイドの秘めた想いを主であるノワールも公認というところが日本人の八雲の感覚からすれば理解に苦しむところだが、それはこの世界では一夫多妻のハーレムといった文化もまた、よくある認識なのだろうと自分自身に都合よく解釈して納得することにした。
その想像も払拭するようにベッドから降りると気分を切り替えて八雲はアリエスに、
「それじゃ、腹が減ったから、一緒に食堂に行こうか」。
と言って寝間着から着替える様子を見せる。
「……うふふ♪ 畏まりました。それでは着替えをお手伝い致しますね」
手を軽く唇の傍に当てて微笑みを浮かべているアリエスは吸い込まれそうな蒼い瞳で八雲を見つめて、そのあとは着替えを済ませて一緒に城の食事の間へ向かっていく。
その途中で一緒になったノワールとも合流し、アクアーリオの作った朝食を頂くのだった―――
―――食事が終わって、アクアーリオの淹れてくれたお茶を楽しんでいたところ、
「ほおぉ!―――ついに魔術が発現したか!ならば基本的な魔術について学ばなければいけないな!」
食事が終わってそのまま食事の間で、八雲は昨日向上したLevelについてをノワールに話していた。
「その事を相談しようと思っていてさ。でも、学ぶってことは誰か教えてくれるってことだよな?俺が知っている人か?」
この異世界に来て八雲が知り合った主な人物など、まだ両手の指で数える程度しかいない。
「いや、アイツはなかなか自分の部屋から出て来ないヤツでな……有事の際にはちゃんと動くのだが、それ以外だと自分の研究や情報収集に執着して他が疎かになるのだ」
ノワールの話しだけを聴いていると、どうやら典型的な引き籠りの様だと思い浮かんだ八雲だが、その気持ちが分からない訳でもない。
八雲自身も両親が事故で突然亡くなった際には学校にも行かず、人の話も聴かず、ただただ息をしているだけの生き物という状況に陥った経験があった。
そのときは隣に住んでいた幼馴染が自分を無理矢理外に引っ張り出して、そして目を覚ましてくれたことで八雲は普段の生活へ徐々に戻っていくことが出来たという経緯があったからだ。
「だが魔術にしろ、この世界の今の情勢にしろ、アイツに学ぶのが一番八雲にとって適任なのだが……まったく……
ノワールが
だからこそ無理強いするのは避けたいノワールの様子を汲み取った八雲は、
「だったら俺が直接教えてくれるように頼んでみるよ。ダメなら独学とか他の人に頼むし」
学ぶのは自分自身であることからノワールに自己談判すると告げた。
「なに?ふむ……確かにその方がアイツも興味が湧くかも知れんな。よしでは今から向かうとしよう!」
八雲の提案を受けてノワールは八雲とアリエスの二人を連れて食事の間を出て、この広い城の更に奥に向かっていくとノワールの執務室とは別のところに向かい、その先に扉がひとつあるのが見える。
その扉を開いたノワールに八雲が続くと、目の前に地下に向かっていく石造りの階段が続く。
「この城に地下室なんてあったんだな」
壁も石造りになっていて、その壁には照明になっている不思議な光る石が均等な間隔で設置されていて足元までしっかりと見えるようになっていた。
「ああ、地下には倉庫や地下牢なんかもある。普段使いの部屋もあって、そこの一室を例の者は自分の研究室として使っているのだ」
地下に向かっていくその長い階段を降りながら、ノワールは八雲に地下施設について簡単に説明していった。
「なるほど……まぁ地下なら余計な騒音もなくて静かに研究出来そうだしな」
ノワールの説明に八雲は地下の優位性について想像して告げると、
「うむ。それに倉庫もすぐ傍だから、資料等もすぐ取りに行きやすいそうで本人はけっこう気に入っているらしい」
普段から研究に使用していることから倉庫も有効活用している様子を語って聴かせた。
「―――ああ、何となく分かるな、それ」
八雲も祖父母が亡くなってから自分の必要な物は一所にある程度まとめて置いており、手を伸ばせば届く距離という生活習慣があったのでそういう感覚と同じようなものだと解釈した。
「―――こっちだ」
そう言って地下に降りていくノワールの背中から、八雲は隣にいるアリエスにフッと視線を向けてみると、目が合ったアリエスはそっと柔らかい笑みを此方に向けてくれた。
その笑みに八雲も思わずニヤけた笑みを浮かべてしまうのは、朝ベッドに侵入してきたアリエスの様子を思い出してしまったからだ。
長い地下への階段を降りて行く間、壁にはずっと光る石のようなものが壁に掛けられており、地下の暗闇に足を取られたり壁に衝突したりするようなことは回避出来た。
そうして進んで行くうちに、ひとつの扉の前でようやくノワールが足を止める―――
そこでノックもしないで躊躇なく扉を開けて中に入るノワールに驚いた八雲と、いつものことだといった表情でいるアリエスも続いて中に入った。
部屋の中を見渡すとノワールの書斎よりも広い間取りではあるものの、まるで八雲の記憶にある図書館と言ってもおかしくはないほどの本棚の数と多くの書籍がその棚に陳列されていて、部屋の奥にある書斎机の周りには、渦高く積まれた本が無造作に積み置かれているのが目に飛び込んできた。
そのような中をノワールは部屋の中心に向かって歩みを進めながら、
「―――おい!クレーブス!―――いるかぁ!!どこにいるのだ!!!」
地下の図書館のような部屋の中で大きな声を上げて叫ぶと、呼び出しの声が木霊して隅々にまで響き渡っていく。
すると幾つもの本棚が波のように立ち並ぶ間から、ヌゥッと人影が現れたかと思うと此方に向かってきた。
そうして八雲達の目の前にやってきて―――
「―――これはノワール様。態々この部屋までいらっしゃるなんて、何か急な御用でしょうか?」
―――丁寧な口調でノワールに告げた。
そこにはストレートで腰に掛かるくらい長い黒髪に、切れ長の緑色をした瞳と、その瞳を飾る眼鏡をかけてメイド服は着ているもののエプロンの代わりに白衣を纏い褐色の肌をした美女が立っていた。
クレーブスと呼ばれた美女は、その眼鏡の奥の鮮やかな緑の瞳を細めて八雲を値踏みするように見つめてくる。
「こちらは、あの御子様……ですか」
クレーブスの鋭くなったその視線に当てられた八雲は、
(ああ、この人……完全に俺のことを不審者認定していますよね……)
と、彼女の放つ猜疑心の空気を何となく察していた。
ノワールを始め彼女を敬愛しているこの城の臣下達は黒神龍の御子になったというだけで八雲が別世界から来たことや、その出自など細かいことを気にする者は今まで一人もいなかった。
しかしそれは八雲の感覚からすれば御子になったとはいえ、まったく知らない赤の他人が同じ場所に棲んでいる、という事実だけを考えればすぐに受け入れられる気持ちのいい話ではない。
そう考えると八雲にとっては至極真面な反応を示してくれた相手だとも言える。
そんなクレーブスに八雲は逆に常識をもって自身の意志を持つ人物だという、割と好意的な感情が芽生える。
これが