―――黒神龍と名乗る美女の背について歩き、八雲は丘の上から見えていた巨大な黒い城へ続く道なりに向かって行く。
そして八雲達が黒い城を取り囲む一番目の外壁に辿り着いたところで、黒い金属の巨大な門が地響きのような音を立てて左右にゆっくりと開かれていった―――
そして待つこと数十秒―――開き切った城門の先には左右にズラリと数えきれないメイドが整列し、一糸乱れぬ動きで綺麗な一礼をしするとそのまま頭を下げた状態で、
「お帰りなさいませ、黒神龍様。いらっしゃいませ、お客様」
綺麗に揃えられた挨拶が八雲の耳に届く。
「―――それ、練習してんの?」
合唱しているかのような綺麗な声で寸分の狂いもなく奏でられたその挨拶の様子に、八雲は思わずツッコミを入れずにはいられなかった。
「うむ、皆ご苦労―――紹介しよう。この者は九頭竜八雲という。名が八雲だ。我の客だから皆の者、宜しく頼む」
「あ、どうぞ……よろしく……」
黒神龍の紹介を受けて、未だに異世界の感覚が現実味を感じさせない中で目にした美しいメイド達に、八雲は益々もって現実味を失う。
「畏まりました、黒神龍様。ようこそいらっしゃいませ、八雲様!」
(何これメイド喫茶?萌え萌えキュンしてくれんの?やってくれって言ったらしてくれそうだが……)
この異常な状態の中で八雲は下らないことが思い浮かびながらも困惑していた。
彼女達が着ているメイド服も長いスカートで、個人のイメージだけだが八雲の世界でいうと昔ながらの英国風メイド服という感じの雰囲気だった。
黒い長袖の上着に黒い長めのスカート、それに白いエプロンとカチューシャにフリフリのフリルが付いたホワイトブリムを頭に着けている……
(異世界でもメイド文化は同じなのか?)
―――と余計なことで八雲の混乱は更に広がっていく。
「さて、まずは我の書斎に行くとしよう。そこで八雲には出来る限り説明をしてやろう」
「あ、ああ。その……よろしく頼む」
城壁を抜けて、メイドの中でも一際礼儀正しい雰囲気を漂わせる見た目が二十歳前後くらいの年齢に見える美女が前に出てくる。
その輝く綺麗な銀髪を後ろに纏めていて、両方のこめかみから一房ずつ銀髪を垂らしている美女が先頭になって城内へと案内してくれる。
(―――どこまで続くんだ、これ?)
八雲にそう思わせる高い天井には豪華な造形のシャンデリアが並ぶ長い通路。
八雲はそう思いながら、ふと銀髪のメイドの背中に目が行く。
八雲の目線に気がついたのか黒神龍はニヤニヤとしながら―――
「なんだ?八雲よ。アリエスのことが気になるのか?」
―――と、揶揄ってくる口調で八雲に問い掛けてきた。
「え?いや、何て言うか本物のメイドなんて初めて見たから」
(本物じゃないメイドさんならアキバに山ほどいたけどな……)
自分の発言に対して、心の中で八雲は自分自身へと無駄にツッコミを入れた。
だがそんなことなど知らない黒神龍は、少し不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げ、
「本物?メイドに偽物とかあるのか?」
そう八雲に向かって問い掛けてきた。
「ああ、いや、何ていえばいいか……俺のいたところだとメイドさんの恰好をして接客したり、話をしたりしてその場の雰囲気を楽しむって感じのお店があったってこと」
「ほう?つまりメイドを雇えぬような身分の者が、メイドを従えている気分を味わう場所があったということか?」
「まぁ……その認識で大体間違ってないな。男も女もメイドさんという職業に、多かれ少なかれ憧れみたいなものがあるんだろうな」
八雲がそう答えた瞬間、前を歩いていたアリエスが、そっと八雲に振り返る。
「ん?」
「……」
チラッと振り返ったアリエスは八雲と目が合うと、すぐに前方に視線を戻した。
(メイド好きの変態さんとか思われちまった?それはそれで心外だ……)
そう心で八雲は呟く。
そうして暫く歩いていき、アリエスが長い通路の途中でいくつもあった部屋のドアから一番奥の突き当りにある扉を開いて、そのまま部屋の外でお辞儀の姿勢をとる。
「ここだ―――入れ、八雲」
そう言って先に部屋に入る黒神龍に従って、一応は警戒心を持ってキョロキョロと中をチェックしながら部屋に入ると、部屋は八雲の住んでいた家のリビングが3つは余裕で入りそうな広さに、壁には書斎というだけあって重厚なしっかりと製本された本が綺麗に並べられた書籍棚がズラリと揃っているのが目に入る。
そして部屋の中央には大きくて立派な楕円形のテーブルに椅子が十五席もの数が囲むように並んでいた。
そのテーブルとは別に書斎部屋の奥には、大会社の社長が使っていそうなくらい大仰な書斎机が鎮座していた。
アリエスは扉を閉めて、その扉の前に待機している。
「―――アリエス、お茶を用意してくれ」
「畏まりました」
そう言ってアリエスは扉を静かに開き、八雲達に一礼して部屋を出て行った。
「さて、お前にも色々と聞きたいことがあるだろうが、まずはこちらから一通り説明する形を取りたい。我が説明している合間に質問があればその都度応えよう。それでいいか?」
「わかった。よろしく頼む」
大仰な書斎机の椅子に着席している黒神龍は両手を組んで顎の下に敷くと、ゆっくりとした口調で話し出した。
「さて、お前を喰っておいてなんだが、正直その時の我にはお前が餌にしか見えていなかった。だが食ってすぐに我が気がついたのは、お前がこの世界の神々の誰かによって召喚された異世界の人間だということだった」
別世界から来た事を此方から話す前に看破されたことは、八雲の驚きを隠せない。
「何故気がついたのか……お前には神の加護が付いていたのだ。まあこの時点で色々聞きたいことはあるだろうが、まずは―――この地図を見てくれ」
そう言って八雲の目の前に突然大きな地図が空中にスクリーンのように現れ、思わず「おお!」と仰け反ったが、その地図を見て真っ先に思ったことは
(―――今の魔法かなにかなのかよ?!)
と現代人ならではの感想だった。
(これがこの世界の地図……なのか?間違いなく俺のいた世界とは違うな……)
見たことの無い大陸ばかりだと冷静に八雲は地図を見つめる。
「この地図の中の【フロンテ大陸】、そして今いる場所は【フロンテ西部オーヴェスト】にある【ティーグル皇国】。それが現在、我の本体がいる場所だ」
ノワールは空中に浮かぶその地図のうち、一番大きな大陸の西側の一点を指で示す。
「そしてこのフロンテ大陸は地図の通り東西南北の四つの地方に分かれている。この4つの地方には我と同じく四匹の神龍―――ドラゴンが棲んでいるのだ」
「ドラゴン?」
黒神龍の説明では―――
【フロンテ北部ノルド】を縄張りにする
紅神龍クリムゾン・ドラゴン。
【フロンテ東部エスト】を縄張りにする
蒼神龍ブルースカイ・ドラゴン。
【フロンテ南部スッド】を縄張りにする
白神龍スノーホワイト・ドラゴン。
【フロンテ西部オーヴェスト】を縄張りとする
黒神龍ミッドナイト・ドラゴン。
この4匹がこの大陸を四つに分けて縄張りとする龍であり、その土地での信仰の対象にもなっている偉大な存在だということなど、八雲は徐々にこの世界の文化、認識を自分の頭に埋めていく。
「縄張りってことは、ドラゴン達はその土地を支配しているのか?」
八雲は黒神龍の表情を伺いながら訊ねる。
「その辺はもう少しあとに説明しよう。とにかくこの大陸はこの四匹のドラゴンによって縄張り分けされているということだ」
「四分割の縄張り、か」
八雲の呟く言葉を踏まえて、黒神龍は説明を続ける―――
「我が八雲を見つけたのは偶然か、神の導きかは知らんが神の加護によってお前を喰うことが出来ないと悟った我は、こうして自身の胎内に造り上げた異空間へとお前を導いたというわけだ」
「それじゃ、俺がこの世界に来た理由は分らないってことか?」
「ああ―――我は関係ないし、見つけたのも本当に偶々だった。だがこの世界にいる四柱の神々の誰か、もしくは全ての神々が何らかの理由でお前を召喚したのかも知れん」
「俺は自分で言うのも何だが元居た世界でも普通の学生だったんだぞ?呼ぶ価値も意味も無いと思うんだけど?」
事実、八雲は間もなく卒業を迎える予定だった一般高校生なことには変わりない。
「神々の御心は、たとえ偉大なる黒神龍たる我をもってしても推し量ることなど出来ん。だが神の行いであったならば、いずれはその意味も分かるだろう」
そこで八雲は今言われたことを戸惑いながらも頭の中で整理するように思考する―――
―――黒神龍によると自分はこの世界の神に無断で召喚された可能性が高い。
―――その理由は文字通り神のみぞ知る、ということ。
―――理由も目的も分からないまま突然、龍に喰われて今はその腹の中……
これは―――あまりにも理不尽過ぎる。
「神に直接聞く……なんて出来ないよな?」
「―――神は高位の存在にして現世にその姿を顕現することは、奇跡と言っていいものだ。訊こうにも、どこに行って訊ねれば会えるなんて存在ではない」
「そりゃそうか……そうだよな」
「お前のいた世界はこの世界とはだいぶ違うのか?」
この世界の文明がどのくらいの文明かは理解していないが、この城の作りだけなら中世時代くらいの文化だろうか?と考える八雲。
「この城しか見ていないから何とも言えないな。俺のいた世界で中世時代って呼ばれている時代には似ている気がするけど、ホント正直まだ分からん」
この地図だけでは判断出来ないが、このフロンテ大陸だけでも八雲の世界のユーラシア大陸くらいはあるように見える。
しかしあくまでそれも只の推測に過ぎない。
「そもそもだけど、俺はこの世界で何をすればいいんだ?いや、『何をすべきなのか』すら、まったく分からない」
八雲は自身の話について根本的な部分を黒神龍に質問した。
「それは、この世界の創生に関わった高位にして尊き存在の神々にしか分からんことだ」
「神か……」
どんどん壮大なスケールでお届けされる夢物語のような話に、八雲はゲンナリとした気分になる。
ドラゴンの次に今度は神さまと壮大な話がきて、八雲は現在置かれた状況も加味して頭の中がドロドロといい具合にパンクしそうになってきた。
「この世界の四柱神である【地聖神】、【海聖神】、【天聖神】、【冥聖神】だが、過去に神々が異世界から召喚した者について幾人かはいたことがある」
黒神龍の話しにバッと身を乗り出す八雲―――
「マジか!それでその人たちは一体何をしたんだ?」
―――矢継ぎ早にその異世界人の話しを訊ねた。
「―――人によって様々だ。神の召喚者には神の加護が付いてくる。その加護を用いて、ある者は魔物の討伐で伝説を創り、またある者は便利な道具などを生み出して文明の後押しをしていた」
「……それは文字通り伝説級なんだろうな」
ファンタジー系のラノベでもお馴染みのその返事に、八雲はある意味で納得して気持ちが落ち込む。
「お前は何か得意なことでもあるのか?」
次に黒神龍は八雲の身の上について問い掛けてきた。
「俺か?そうだな……祖父の実家が道場をしていて武術全般はまぁ出来なくもないけど」
「ほお~♪ 腕に覚えありか」
武術を身につけているという話しに、ニヤリと笑みを浮かべた黒神龍が興味を示す。
「いやいや、俺のなんて所詮は学生が習っていた程度のレベルだから」
そこで八雲は話の矛先をこの世界のことについて戻す。
「その魔法っていうのは、さっきやったみたいな地図を突然出現させる、みたいな?」
「ああ、あれは光属性の基礎魔術による
八雲はよくわかってはいないが、どうやら映画をスクリーンに映し出すような仕組みの魔法だ。
「じゃあスキルは?」
「スキルとは『魔術』が自らの外部に対して魔力を使用し何等かの作用を発生させる術であるのに対して、魔力に関係なく自らの肉体内部に作用する力が『スキル』だ」
何となくだが黒神龍の言っていることを把握して、そこで八雲が更なる疑問を抱く。
「それじゃ異世界から来た俺も、この世界でなら魔術やスキルが使えるってことか?」
「それはその適正のある者を神が召喚したのだとすれば、当然使えるぞ」
(魔術とかスキルって、まんまゲームだな……)
と八雲は心の中で溜め息を吐きつつも、そこは一般的男子としてドキドキワクワクしないわけでもない。
「俺がここに召喚された理由はまだ分からない。だが俺はこの後、どうすればいいと思う?出来れば助言が欲しい」
「そうだな……」
そこで黒神龍は少し俯いて考え始めた。
それから5分、10分と過ぎるような時間の感覚を覚えていた八雲だが、実際は5分もしないうちに黒神龍が塞いだ双眼をゆっくりと見開いた。
「……なぁ八雲。お前―――我と契約してみないか?」
「え?契約?いや悪いけど俺は金なんか持ってないんだけど?」
異世界にまで来て危ない契約書とか出されても返済出来る見込みなんてありません、と八雲はそういう空気を漂わせながら黒神龍へと返事した。
「別に金など腐るほどある。我が言っている契約とはそのような類のものではない」
「それじゃ、どんな契約なんだ?」
契約違いと言われても、異世界に来ていきなり契約なんて言葉を持ち出されたら、猜疑心が湧くのも当然のことと八雲は顔を少し顰めた。
「正直なところ我はお前と話していて興味が湧いた。普通の人なら喰らって終いだが、お前には神の加護が付いているようだし、お前を召喚した神の意志も今はまだ何も分からない。だったらお前と我が契約して、いっそのこと我の御子として、この黒神龍の加護も与えようというわけだ」
「―――で、本音は?」
あまりに都合の良い空気に、黒神龍の言葉を全て鵜呑みには出来ない八雲は思わず素で問い掛ける。
「ハハハッ!―――すぐに信用は出来ないか。いいぞ!……そういう慎重な性格は嫌いではない。簡単に言えばな、神の加護を授かったお前が人間の権力者や、ましてや他のドラゴンに取られるなどといったことにでもなれば、我が面白くないからだ」
(―――面白くないって俺の人生だぞ!)
と口には出さずツッコミを入れる八雲だが、そこから努めて冷静に黒神龍に問い掛ける。
「俺なんかに、そんな価値があるのか?」
「それは追々説明していくとして、結論から言えば―――お前には無限の可能性がある!お前の力はどのような方向に開花していくのかは全く分からない。だからこそ我がお前を鍛錬し、力と知識を身につけてもらうことで、お前がどういう道を進むのか無限に近い寿命をもつ我にとってはとても興味がある!お前とこうして巡り合えたことは、まさに運命と言っていいだろう」
「いや初め見つけた時は俺の事、餌だと思って喰おうとしたんだよね?」
「細かい事を言うとハゲるぞ?」
「いや命の危機だったんだから、そこは言わせてもらうだろ!―――あとハゲてない!」
悪戯っ子のようにニヤニヤした黒神龍を八雲はジロリと睨みつけるも、その場で思い浮かんだことを口にしてみる。
「俺が御子を断るって選択肢はあるのか?」
ニヤついていた黒神龍が、それを聞いてスッとニヤつくのをやめた。
「……それは可能だが、その場合お前をこの世界に一人放り出すことになるな。そうなった場合、この世界は街を少し外れたら魔物も徘徊しているような世界だ。そうなると、この世界を知らないお前が生きていける可能性は限りなく低いと言えるだろう」
「放り出されるのかよ……」
突然招かれて、突然放置される……八雲の中で納得出来ない感情が湧いてくる。
「ここは我の胎内だ。契約の御子にならないと選択すれば強制的に排除される。餌にも御子にもならないものを我は養う義理はない」
剣と魔法の世界とくれば、当然そこには魔物も跋扈するのが世の常かと八雲は溜め息を吐く。
正直なところ八雲自身、そんな魔物のいる世界に放り出されて生きていけるかどうかなんて想像しても一瞬で命を落としてゲームオーバーという画面になる自分しか浮かんでこない。
「さっきは他の龍達に取られたくないとか言ってたじゃねぇか……ハァ……あんたは俺を鍛えるといったが、具体的にどういう鍛錬を考えているんだ?」
御子を断る話から一転、思い止まる空気の八雲の質問に黒神龍は、
「よしよし♪ いい子だ」
と嬉しそうに言って答える。
「この龍の胎内世界には……この胎内の異空間に我が様々な魔物を集めてある。それらはこの異空間で自然繁殖していて、御子の鍛錬相手となることを想定してのことで魔物を討伐することで力をつけてもらう」
「な、なるほど……簡単に言うとあんたの腹の虫になっている魔物が生息する、この胎内世界で魔物を倒して強くなるよう鍛錬するってことか……だがそんなことで強くなれるのか?この世界の人間は知らないけど、自慢じゃないが俺の世界には魔物なんかいないし、人間もそれほど強くなんてなれない生き物だ。それはどう考えている?」
現代日本人の八雲にそんな能力はないと、黒神龍に話すと、
「正式に龍の御子となれば、龍の加護が与えられる。八雲の世界にいた人間たちの身体能力は分からんが、今のお前を基準に考えるなら、その数万倍の力をその手にするのも夢ではない」
フフン♪ と鼻を鳴らして黒神龍が得意気に答えた。
「嘘くせえぇ……」
数万倍という言葉に八雲は思わず本音が漏れ出した。
それを聞いて黒神龍は少しムッとした顔をしているが、そこで書斎のドアがノックされる。
入ってきたのは先ほどお茶を用意しに出ていったアリエスだった。
お茶の道具とお茶請けのお菓子のようなものを乗せたワゴンを押してくる彼女に八雲も黒神龍も一旦黙り込んだ。
「―――お茶のご用意が整いました」
涼やかな風のようなその声とアリエスのお茶を用意する美しい所作に、八雲は思わず見惚れてしまっていた。
「八雲様、お砂糖はご入用ですか?」
突然の問いかけにアリエスの所作に見惚れていた八雲は思わずドキリとして―――次の瞬間、
「あ、2杯でお願いします」
と思わず敬語になってしまった。
「畏まりました」
砂糖壺から専用のスプーンで八雲のティーカップに注がれたお茶に2杯、砂糖をそっと振りかけるアリエスの所作はメイドの手際として音一つ立てずに完璧なものだった。
そうしてティーカップの乗った皿を持って八雲の前にそっと置いたアリエスは、八雲の耳元でそっと囁いた。
「……どうか黒神龍様の御子になって下さいませ」
予想していなかった言葉に八雲は驚きを隠せなかった―――