―――中学二年の時に両親が事故で死んだ。
それから祖父母に引き取られたけど高校1年の時に祖母ちゃんが死んで、そして高校三年の卒業間近の頃に最後の家族だった祖父ちゃんが逝っちまった―――
両親が亡くなった当時、自分ではそこまでは落ち込んだりしていないと思い込んでいたけど、実際のところは見た目からして酷い落ち込み方をしていたと時間が経ってから近所の幼馴染に言われた。
そんな面倒な俺を嫌な顔ひとつしないで優しく迎え入れて育ててくれた祖父母には、今さらだが感謝しかない。
高校を卒業した後のことは地元の大学にもちゃんと合格が決まったから、その大学も出たら地元でちゃんと働いて最後に残った家族である祖父ちゃんだけでも恩返しをしようなんて、我ながら柄にもない人生計画を抱いていた。
そんな時に祖父ちゃんが突然、家で倒れて救急車を呼んだけど搬送された病院でそのまま逝ってしまった……
この歳で人の死というものを嫌と言うほど身近に体験してきた俺にとって、人が居なくなることに対して慣れてしまっていた心理も正直に言えばあった。
祖母ちゃんが死んだ時に両親の時ほど感情の起伏を感じなかった俺は、その後に自分自身の薄情さに嫌でも気がついて、そしてそのことには祖父ちゃんも何となく気がついていたようだった。
祖父ちゃんは救急車で病院に運ばれた時、一度だけ意識を取り戻して傍にいた俺に弱々しくなってしまった視線を、そっと向けて震える唇から擦れた声で囁いた―――
「八雲……ひとりになるなよ……ひとりは……辛い……お前を……ひとりにして、ごめんなぁ……」
―――俺の手を握って、そう謝っていた。
両親が突然亡くなった後、通っている学校で普段から友達の前でも祖父母と生活していた時でも、俺は極力冗談と憎まれ口を叩きながら明るく振る舞っていて、そんな弱い本性なんて見せていないつもりだった。
変に強がっているお調子者くらいのキャラは出来ていたと、そう思っていたけど祖父ちゃんにそんな俺の行動がどこか不自然に感じられたのかも知れない。
散々自分を薄情だと思っていた俺だが、祖父ちゃんの最後の言葉、
『……ごめんなぁ』
そう告げた謝罪の言葉に最後まで俺を理解して寄り添ってくれた家族である祖父ちゃんに、謝らせてしまった自分自身が情けなくて両親が死んだ時にも、きっとそこまで泣かなかっただろうに身体から水分が無くなるってくらい泣いた。
どうしてそこまで泣けたのか自分自身、今でもよく分かっていないけど祖父ちゃんが自分の死に直面した状況にも関わらず、最後まで自分より俺のことを心配してくれていたことに驚かされて、そしてそこまで俺のことを考えてくれた愛情に、何かしら俺の中で決壊してしまった感覚があったことは今でも憶えている。
そんな俺のことを最後まで想ってくれていた人が逝き、煙と一緒に天に昇ってから数日して俺も最後は高校卒業を待つばかりという時期だったこともあり、祖父母の家でひとり家事をこなしながら生活していた。
「……あ、醤油と米、そろそろ切れるな……買い出し行くか」
世話になっていることに少しでも何か返そうと祖母ちゃんに家事や料理は色々習っていたから、自分でもそれなりに料理は得意になって幼馴染もたまに俺の手料理を食べに来るくらいになっていた。
そこでふと台所で残り少ない調味料や米が切れそうなことを思い出して、近所のスーパーに出掛けることにした。
俺は黒いジーンズに長袖の黒いシャツ、椅子に掛けていたショルダーバッグに財布を入れてスニーカーを履き玄関を開けて表に出ると、そこには―――
「―――何……だ、これ?」
―――その瞬間、俺の嗅覚に訴えてきたそれは草の匂いだった。
―――次に、それは暖かな眩しい日差しだった。
―――そして、それはどこまでも広がる蒼い空だった。
玄関を出た先には辺り一面青々として風になびく、どこまで続いているのかと思わされるほど美しい草原の小高い丘の上に立っていて、比較的都市部に住んでいた俺では見たことがないくらい透き通った蒼い空が広がっていた。
当然のことだが都市部に住んでいる俺の祖父母の家を出たら、こんなアルプスで少女が走り回りそうな大草原なんか広がっちゃいない。
そして俺は当然だが、妙にハイテンションになって幻覚が見える薬も打ってない……いやこれマジで。
背後を振り返って今さっき出て来た玄関に振り返っても、そこにはもう玄関も跡形も無くなっていた……
一歩も動けずに今起こっていることの理由も理屈も思いつかずに胸の鼓動が早鐘に変わり出したことを体感した頃、このどこか分からない土地の周りだけを見渡していた俺を急にフッと暗がりの塊が全身を包み込んできた。
それが何かの影だと一拍遅れて気がついて、その広がっていく影にスゥーッと飲み込まれ、接近してきていると思った瞬間、俺の周りに突風が吹き荒れた―――
「うおぉ!?なにが―――」
テレビや映画でよく見たことのあるシーンのように飛んでいるヘリコプターが地上の人に接近してホバリングしていたら、きっとこんな感じなんじゃないかと思わされる突風に見舞われて、腰を屈めて風から顔を腕で庇いながら頭上を見上げてみるとそこには―――
【GUAAAAAAAA―――ッ!!!】
―――巨大な黒い身体と羽ばたく巨大な翼
そして俺に向かって大きく広げられた人と同じくらいのサイズの牙が並び立つ巨大な顎が、俺の鼓膜を破りそうな轟音の咆哮を上げたかと思ったら……俺は立っていた周りの土ごと大きな口に―――ガブリッ!と喰われたところで、俺の意識は限界を迎えて飛んだ……
―――うぅ……ここは、どこだ?
誰もいない真っ暗な何も無い空間に俺は一人立っている。
辺りを軽く見回しても目印になりそうなモノすら見えない暗黒に何故か俺一人だけが立っていて、足元を見ても地面も無くて『黒』の上に立っているとしか表現方法の無い状況で俺の意識はただ朦朧とした感覚か続いていく。
―――やがてその黒い空間に白い人型のような靄が見えてくる。
―――あれは祖母ちゃん?
―――それに、祖父ちゃん?
―――あと、あれは幼馴染の……
白い靄の人影がみるみるうちに俺のよく知る人達の姿になって周りに集まって来る。
だが、どうして皆―――そんな哀しそうな顔しているんだ?
「……なさい」
―――え?なんだって?
「……きなさい」
―――いやもっと大きな声で言ってくれ。
「……きなさい!―――いい加減に起きろ!!!」
「―――ッ!?」
―――その怒気を帯びた大声に自分でも驚くくらいの勢いで上半身を起こした。
目を覚ましてすぐ周りを見渡せば周囲は岩、岩、ホント岩だらけ……
さっきまでのアルプスみたいな美しい草原はどこへいったのやら、ゴツゴツした岩と砂の景色で所々に緑の枝葉が生えているのが見える程度の殺伐した景色……
生まれて此の方、こんな空があるのか?と思う見たこともないピンク色をした空だった……って此処どこ?!さっきの蒼い空はどうなった!?ていうか俺がどうなってるんだ!?
次から次に起こる超常現象の実体験に俺の思考はとっくにパニックを起こしていて、自分自身が本当におかしくなったって疑うレベルだ。
そんな俺の背中から、さっきの夢の中で聞こえてきた女性の声が再び耳に届く。
「ようやく目を覚ましたか。まったく―――我を待たせるとはいい度胸だな」
こんな岩と砂しかないような場所とピンク色の空の下で、ゆっくりと首を回してその声に振り返る。
その振り返った先には俺の腰くらいの高さがある岩の上に右膝を右腕で抱えながら座っている、俺の知識の範囲でいうところの『コスプレ』みたいな服装をした黒髪の女がいる。
黒く長いストレートの髪に少し尖った耳の形……
まるで人形のように美しく整った顔立ちと黒い瞳……
そして褐色といって差し支えないほどの小麦色の肌色をした女性だ。
「なんだ?言葉が話せんのか?お前」
徐に首を傾けて『私、疑問に思っています』というアピールのその人形のような美女に、俺は一体どういったリアクションを返せばいい?
「ああ、言葉は、分かるけど……えっと……此処は?俺は、どうして此処に?」
真っ先に思いついた極々当たり前の疑問を彼女に問い掛けた。
「ん?覚えておらんのか?お前は―――我に喰われた」
……え?……は?喰われた?え?何?最近こういうネタか何かが流行ってんのか?
「あの、喰われたって?」
「ん?」
何そのワケが分からないって感じの首の傾げ方!美人がやるとマジで可愛いな、おい!もうなんかそれでいいか!て思っちゃうだろうが!
そんな脳内ツッコミを連続でかましている余裕なんかないんだった……
「だから、今、君に喰われたって、どういうこと?」
「ああ、そうだ。偶々お前を見つけてすぐに我がこう、ガバァ―――ッ!と口を開けて喰ったのだ」
ガバァッ!て言って口を大きく開けた彼女だけど、そんな可愛い口に入るほど俺の身体は小さくない……
俺が喰われたのはあの大きな黒い影の―――
「そうだっ!俺は突然、黒い大きな影の化物に一口で―――」
「―――ああ、その大きな影は我だ」
「へ?いや、あれは、どう見ても人間じゃないだろ」
「お前が見た大きな黒い龍、偉大なる黒神龍ミッドナイト・ドラゴンである我の本体がお前を喰ったのだ」
へ?……黒神龍?ドラゴン?彼女の身体?
言っていること全てが世界線越えた厨二の子にしか思えない言動と、コスプレチックなその容姿に混乱が加速することだけ唯一俺には分かる。
全身は全体的に露出が高く、まるでレースクイーンが着ていそうなノースリーブのピッチリした漆黒の水着みたいなスーツから、零れそうな美しい曲線を描く釣鐘型の女性を強調する胸部……
腰回りの左右と後ろには黒くて透けて見える膝上あたりまであるフリフリのレースのスカート?と前方の下腹部は覆われていない為、そのスーツのハイレグの食い込みが目の毒で岩に座って片足を抱きかかえていると余計にどこを見ていいのか分からないじゃねぇか。
「ああ、悪いけど……その……最初から順番に説明してくれないか?あんたは……」
「だから!このフロンテ大陸西部を縄張りとする神龍!偉大なる黒神龍ミッドナイト・ドラゴンだ!」
やっぱ厨二病かな?それどこの世界線?病院行く?
というか夢ならもう早く覚めてくれ……この足元の砂のジャリジャリした感触とか、マジリアル過ぎて夢じゃないってドンドン俺に伝えてくるんだけど?
「ああ、その、黒神龍さん。俺が知りたいのはここがどこかで、俺がここにいる理由なんだが?あんたは知ってるんだろ?」
そう言うと岩の上からピョン!と降りた彼女は、ゆっくりと俺に近づいて来て、
「それもそうだな。よし、まずはお前に説明してやろうか。我は座学も大事にする主義だしな。しかし……黒い髪に黒い瞳、顔もなかなか男前と―――そうだ!お前、名はなんという?」
ジロジロと人のことを値踏みするような目で見てから笑顔を向けて、そう問い掛ける彼女に―――
「……八雲……九頭竜八雲……八雲が名前だ……」
―――俺はそう答えた。
「八雲か……うむ、では八雲!取り敢えず我の棲み家に移動するぞ!」
そう言った黒神龍さんは俺を先導するようにして、岩場の谷間にある細い道を進み出した。
その細い道はやや坂道になっていて、その緩やかな坂を延々と登っていくと漸く頂上付近が目に入ってきた。
本来、無言でこんな距離を歩かされていれば、文句の一つもぶつけるのが人の感情といったところだろうが、こんな見ず知らずの場所に放り出されて、いや彼女の言う通りドラゴンに喰われた後にこんな訳の分からない場所に放り出されたとするなら、此処は事情をある程度知っている彼女に出来るだけ従うのが正攻法というものだろう。
あれこれそんな事を考えながら彼女の背中を見ていると、着ているレースクイーンみたいなスーツは背中が全開、腰回りなんて透けたレースのスカートの奥は歩くたびにプリプリと左右に揺れていて、曲線を美しく波立たせる尻に俺の目線が釘付けだ。
俺はハッキリ言うと別にムッツリスケベではない。
―――むしろオープンな方でヤりたいことはハッキリと言うタイプだ。
だからこそ―――
「―――いい尻してるなぁ」
「ん?尻?」
俺のハッキリとシッカリと聞こえる声で呟いた一言に、前を歩く黒神龍さんはフッとこちらに振り返る。
「ああ、悪い。黒神龍さんのスタイルが凄く綺麗だったから、つい声に出た」
「ふん、なんだ?お前……我に欲情しておるのか?クックックッ!まぁどうせ、このあとに……」
「え?何か言ったか?」
目を細めながらこちらを見てニヤニヤする黒神龍さんに少し背筋がゾクッとしたのを感じたが、まぁ今は現状確保、自身の保身を優先しよう―――
―――緩やかな坂道はまだ続く。
―――スニーカーの底に感じるジャリジャリした砂の感触。
―――周りの風景は左右に岩山の景色がひたすら続く。
―――何の面白味もない風景だが、何故かそれほど苦にならない。
―――目の前には心弾む美しい曲線の左右に揺れる尻もあるしな。
―――そして、ようやく丘の頂上みたいなところに到着する。
頂上付近まで来て彼女が振り返る。
「―――ほれ!あれが我の城だ。どうだ?立派なモンだろう!」
子供のような笑顔を俺に見せながら指差す先に見えるモノは―――広大な面積に巨大な壁に覆われた城……というよりか、まるで要塞?
黒い城壁で綺麗に正方形を形作ったその城は更にその内側にも黒い城壁が正方形に形作られて、その内側に様々な高さの建物が並び立ち、そして中央に一際大きな建物が見える。
中央にあるそれは中世の西洋にあったヨーロピアンな城に似ていて、それも勿論真っ黒な外壁をしていた。
「見事に、真っ黒だな……」
「そうだろう♪ そうだろう♪ 見事な城だろう!」
ややドン引きだった俺の様子を黒神龍さんは、あの『自慢の城』に驚嘆していると勘違いしたようで、まぁ嬉しそうだし今は適当に褒めておこう。
「確かに堅そうだな。攻めるに難いのは見た目からも分かる。何よりあの外壁の高さと厚さが凄い。大砲くらいじゃビクともしないように見えるな。あと見張り台みたいなところも全方位に対応出来る位置に複数あるし、外壁と内壁の二重防壁で重要そうな建物は内側の城壁の中にあるから籠城も出来るし―――あ、あれ外壁と内壁の間に堀もあるんだな!あれも吊り橋上げてやれば攻撃の進攻を遅らせるのに効く」
しまった、適当に褒めるつもりが目についた良いところを余すことなく褒めてしまった。
元々シミュレーションゲーム好きの俺は『織田さん家の信長くんの野望』など国を育てたり、城を強化したりする喜び、造り上げる喜びをゲームの中だけど知っている。
それに俺は無類の城好きで、よく日本の名城なんかも旅行して見学に行ったこともあって余計に褒めちぎってしまった。
「はぁぁ~♪/////」
黒神龍さんは俺に城が褒められたことが余程自身の琴線に触れたのか、感激した表情をしながら胸の前で両手を組んで俺を崇めるようなそのキラキラした瞳を向けていた……
「八雲!お前分かってるヤツだな!そうだ!我が城は護るに易く、攻めるに難い!それをコンセプトにして我が建てたのだ!」
「―――え?あんたが建てたの?自分で?」
「我の棲み家を自分で建てるのは当たり前だろ?」
「いや、言っていることはわかるけど、やっていることは人間の常識を超えているぞ。マジでスゲーな」
「いやぁ♪ それほどでもぉ~♪ エヘヘ♪」
それほどでも、と言いながら嬉しいって感情が溢れて目に見えるようだ。
「では我の城に向かうぞ!」
そう言って黒神龍さんは次に緩やかな下り坂を軽い足取りで歩き出し、俺も嬉しそうなその背中を見つめつつ、その下の揺れる尻を見つめながらついていった―――