夜半、アトリエの扉を叩いたノーアを、スヴェンは、特段驚く様子もなく迎え入れた。一般常識的な感覚ならば、とっくに寝台に横になっていておかしくない夜更けだったけれど、絵の虫であるスヴェンならばきっと、アトリエのほうに籠もっているだろう、と思ったのだ。
スヴェンはノーアを見て、にっこりと笑った。右手には、絵筆が握られたままだ。
「ノーアだ。こんばんは」
「こんばんは。遅い時間に、ごめん。昨日、バザールで……また、焼き菓子を仕入れたから。貴方にも、おすそ分けできたらと思って」
苦しい口実だった。そんなもの、日が昇ってからだって、全く以って構わないのだ。どうせ、このところのノーアときたら、朝も昼も夜も、殆どの食事の機会をスヴェンと共に過ごしている。
かの日、ベルンハルドとヨアンは、「スヴェンが一方的にノーアに懐いた」というように揶揄していたけれど、スヴェンの顔を見られない日があれば落ち着かない気持ちになる程度には、もう、スヴェンという存在は、ノーアの花果の国での日常の中に浸食しつつあった。実際、スヴェンの
ノーア自身、そのときの自分が、どんな表情を浮かべていたのかはわからない。けれどスヴェンは何を追求することもなく、「真夜中のお茶会だね」と軽快な足取りで部屋に戻り、至極楽しげに紅茶の準備を始めた。さすがにヨアンも、自室に下がっている時間帯だ。
足を踏み入れたアトリエの中には、彼と出会ったあの日と変わらず、竜胆の花々が群生していた。けれど、室内中央に立てられたイーゼルの上には、ノーアの初めて見る、赤い花の絵がある。まだ絵の具が乾いておらず、きっとスヴェンはノーアが訪れる直前まで、この絵と向き合っていたのだろう。そういえば、スヴェンの握っていた絵筆には、鮮やかな赤い絵の具が付着していたっけ。
「新しい絵だね。この花は……」
「アネモネ。ノーアに似てると思って」
スヴェンは、しらっとした声でそう言った。ノーアは戸惑う。花に喩えられるような、そんなか弱く、華奢で、繊細な見た目はしていない自負があったからだ。強いて言うならば、髪の色だろうか。ノーアの髪は、燃えるような赤毛だから。
毛先をつまんで、じっと睨む。
「短絡的すぎない?」
「なにが?」
「赤いからって……」
「あはは。ノーアって、やっぱりちょっとずれてる」
スヴェンに言われたくはないな、と、ノーアは率直にそう思い、唇を尖らせた。ことん、と、音を立てて眼前に置かれた陶器のカップからは、湯気と、甘い花の香りが立ちのぼっている。この香りは、茉莉花だろうか。
「アネモネは、赤い品種だけじゃないよ。青や紫、白や黒なんかもある。別に、色だけがきみに似てるって思ったわけじゃない」
スヴェンは、目を細めて笑い、こう言った。
「アネモネは、旅をするんだ」
「……旅?」
「そう。種子に、風変わりな綿毛を纏っていてね。その綿毛のおかげで、冬の冷たい風の軌道に乗って、とてもとても長い距離、旅をする。だから、ほかの国では『風の花』と呼ばれたりもするよ。そして行き着いた土地で、春の間だけ、鮮やかに花を咲かせるんだ」
「へえ……」
「でもアネモネの特別なのは、本当は花じゃないってところ」
スヴェンの指先が、まだ絵の具の乾かないアネモネの赤い花を、つ、となぞる。彼の白い剥き出しの指に、べったりと、赤い色が付着した。
「アネモネの、花びらに見えているところは、『がく』なんだ。要するに、葉っぱの一部だよ。可憐で、優美な花のように振る舞っているけれど、ほんとうの姿は、剥き出しの命そのものなんだ。誰も自分を知ることのない土地で、決められた短い時間のあいだだけは、毅然と、命を燃やすみたいにして立っている。――――ね? ノーアみたいでしょう」
「……つまり?」
「きみはそれだけ稀有で、美しいってこと」
スヴェンの物言いが、抽象的で理解しがたいことは、今に始まったことではない。しかし、そういったスヴェンのその独特な言い回しを、うまく咀嚼できない自分自身が歯がゆく、苛立たしく感じられることもある。
とりわけ、このときのノーアは、なぜかどうしようもなく、虫の居所が悪かった。ノーアは、スヴェンが手ずから用意してくれた紅茶のカップに目を落とす。紅茶の液面には、ぼんやりとして焦点の結ばれない偶像の、ノーア自身が映りこんでいる。はたして、自分はいったい、この人にとって、どんな顔をして、どんな存在だと思い込まれているのだろう。
「……わからないな。俺は、貴方が言うような、そんなに美しい存在じゃない。今の話に、俺自身が敢えて、似ていると思うところを探すならば」
ノーアは、鼻を鳴らして笑った。
「人畜無害な花を装っている、というところだけだ。表面上は笑みを浮かべていようが、俺は、本当の意味で笑えてなんかいない。喜怒哀楽は、全部、ひとの真似事だ。無垢で綺麗なふりをして、自分には利用価値がある、というまやかしを、まわりに振り撒いて生きている。そうやって、限られた短い時間を稼いで渡り歩いているうちに、本当の俺のことを知る人は、どこにも……」
「でも、ノーア。きみは、いま、傷付いているんでしょう」
スヴェンの、あっけらかんとした声が、そう言った。理解できなくて、ノーアはぽかんと瞠目する。スヴェンが、ノーアの持参した焼き菓子を手に取り、口に放り込んで、もぐもぐと咀嚼と嚥下を終えるまで、アトリエの中では、沈黙だけが漂っていた。
「……どういう意味?」
「え? 傷付いているんでしょう、と言ったよ」
「誰が?」
「ノーアがだよ」
「どうして俺が? ベルンやエーミルなら、まだしも」
「当事者だけが、傷付くことを許されるなんてルールはないよ。きみは、あのふたりのことで、心を痛めて苦しんでる。自分には何もしてやることができなかったと、無力を嘆いて悔いている。きみは、優しいから」
きみのそういうところが好きだよ、と、スヴェンは言う。スヴェンの言葉に、ノーアはぼう然と、瞬くことしかできない。
「……俺が、傷付いているって……」
「きみは、きみが思っているよりも、思いやりのあって、義のある人だよ、ノーア。きみは、ベルンを可愛がってくれている。ゆうべ、きみが誰に言われるまでもなく、エーミルと話をしに街まで下りたのは、あの子のためなんでしょう。ベルンがどんなにそうしたくても、立場上、決して出来ないことだというのが、きみにはわかっていたから」
「それは……俺がただ、動かずにいられなかった、というだけだ。優しさなんかじゃない。部外者だからこそ、無責任に身軽に動けるのは、俺くらいだと思ったら、体が勝手に動いていた、というだけで」
「そうだね。でも、そのきみの思いつきの行動が、エーミルには響いた。きみと話さなければ、彼はきっと、あの時計のことを自分の胸だけに秘したまま、ひっそりと街を去っていただろう。心を託して、心を預ける、ということは、きみが思っているより、とても本質的で大切な儀式なんだよ。あのとき訪ねてきたのがノーアでなければ、きっとエーミルはそれを、誰にも許すことはできなかっただろう」
スヴェンは、幼い子どもを眺めるかのように、やわらかく、慈愛に満ちた表情で、ノーアのことを見た。
「きみにしかできなかったことなんだよ、ノーア。だから、きみ自身を責めないで。きみは、誰しもに愛される花ではなくても、誰かの星になれる人なんだ」
スヴェンの言葉に、ノーアは、ぐっと唇を引き結んだ。なにか、途方もなく感情が揺さぶられて、堪えていなければ、あふれ出してしまいそうな心地になったからだ。こんな思いになるのは、ノーアが「ノーア・アンドレセン」になってから、ほとんど初めてのことだった。
自我を抱いてはならない。感情は殺さなければならない。常に、望まれるまま、求められるまま、誰かにとって成すべきことを成すために、あるべきようにふるまうことだけが、ノーアの役割で、ノーアが『あの場所』で生き残るために許されていた、唯一の手段だった。それが瓦解してしまえば、ノーアは途端に、価値を失ってしまう。とうに帰る場所など持たないノーアを、唯一世界と繋いで、呼吸することを許してくれる存在は、あの白鳩だけだった。
けれど、心を殺した先に訪れた、実りの溢れるこの美しい国で、あたたかな人びとと出会い、二度と心を通わせ合うことのかなわなくなってしまうかもしれない青年たちを目の当たりにして、ノーアは、居ても立っても居られなくなった。行動せずには、いられなかったのだ。ベルンハルドも、エーミルも、ノーアのように、ほかに生きる手段を持たずにそうしているだけの、がらんどうとは違う。まっすぐに夢を語るベルンハルドと、その隣で彼を仕方なさそうに支えるエーミルの、ふたりの並び立つ姿を見るのが、ノーアは好きだった。純粋に、好きだったのだ。大切にしたい、と思った。幸せになってもらいたい、と。ただ通り過ぎていくだけの自分の立場で、そんなことできもしないとわかっていたのに、けれど感情に溺れたその瞬間だけは、見ない振りをしようと勝手に決めた。それがどれほど無責任なことかを、理解しながらも、目を伏せることをノーアは選んだのだ。
そして結果が、このざまだ。ベルンハルドは無垢な夢と想いを諦めて、あの美しい花々をその身に飼い殺したまま、この国を去る。そして、そんな彼のもとを去ろうとするエーミルの真意を確認することも、翻意を促すことも、結局ノーアにはできなかった。ノーアには、何もできなかったのだ。所詮、自分は空っぽの、人間の真似事をしているだけの贋物でしかなかった。
わかっていたのに、思い知らされると、今度は、スヴェンに会いたくなった。スヴェンは、その真理を追究する目で空っぽであるノーアのことを見破り、そしてそのこと自体を否定も肯定もしなかった、ただひとりの人だ。何も持たない、何者でもない贋物のノーアのことを、ありのままに接してくれる人。スヴェンがノーアに寄せてくれている信頼めいたなにかが、あくまでも一過性のもので、偶発的に発生したものだとわかっていたけれど、それでも、今この瞬間だけは、スヴェンならばきっと、ノーアを否定しないでくれるだろうという甘えがあった。
そう、この人に、甘えに来たのだ、自分は。勝手に私情で動いた挙句、結局なんの成果も得られずに打ちのめされて戻ってきただけの自分を、慰めてもらおうとでも思っていたのだろうか。
(馬鹿馬鹿しい。まるで、子供の思考じゃないか)
心の中で唾棄し、俯いて目を伏せたノーアの髪に、ふと、あたたかいものが触れる。顔を上げると、テーブルの向こう側から身を乗り出したスヴェンが、その掌で、ノーアの頭を撫でていた。その顔は、どこか誇らしく、満足げだ。本当の意味で、いま、彼に子ども扱いされているのだと分かって、ノーアはかっと頬が熱くなるのを感じた。ぱっと手のひらで遮ろうとするが、スヴェンのほうは、ノーアが感情的に反応したことに逆に味を占めたのか、ぐいぐいと頑なに撫でまわそうとしてくるので、テーブルを挟んで、ふたりは軽く押し問答を繰り広げた。
結局、ノーアは抵抗を諦めて、スヴェンの好きにさせることにした。なんだかどっと、肩の力が抜けてしまう。何が面白いのか、ノーアの髪の毛を撫でつけながら、機嫌よく鼻歌を口ずさんでいるスヴェンの手を、ノーアは唇を尖らせて、横目で見た。相変わらず、絵の具がところどころに散っているが、それ以外はまっさらで、傷ひとつない、綺麗な手だ。
「……貴方には、ないんだね」
「なにが?」
「花果の標。あ……ベルンから聞いたことだけど、他言するつもりはなくて」
「うん、分かってるよ。そうだね、おれには、標は咲いたことがない。きっとこの先も、永遠に咲くことはないだろうね」
「どうして?」
「だって、おれにひとを愛せるはずがないもの」
スヴェンの口調は、あっけらかんとしていた。ノーアは、ぽかんと瞠目する。
「……なぜ、そう言い切れるの」
「言ったでしょう、おれは母さんが死んで、キャラバンから離れると決めたときに、星を失くしてしまった。それっきり、心が止まってしまったんだ。もうずっと、そうだよ。ノーアはノーア自身のことを、卑下しているようだけれど、おれからしてみれば、きみはとても感情豊かで、鮮やかなひとだ。同じ空虚を見ているはずなのに、きみとおれとは、こんなにも違うんだって思うくらいに」
スヴェンはそう言って、目を細める。眩しいものを見るような目つきだった。ノーアは、うまく息が継げないような心地になり、咄嗟に言い募る。
「でも、だって。貴方は……貴方こそ、愛情深い人じゃないか。ヨアンを拾って、面倒を見ている。ベルンを本当の弟のように可愛がって、エーミルの時計の修理を指導してやったのも、貴方だったときいたよ」
「そうだね。でもおれには、わからない」
スヴェンは、のんびりとそう言った。
「おれにはわからない。ヨアンがどうして、おれを大切にしようとしてくれるのか。ベルンがどうして、いっとうエーミルを欲しがったのか。わかっていて、エーミルがどうして、ベルンのもとを去ったのか。心というものは、手に負えない。理解ができないんだ。絵本を眺めているのと、おんなじだよ。すべては、行きて、過ぎていくだけのことだもの」
「…………」
「たぶんおれには、なにか大切なものが欠けているんだろう。わかっているんだ。わかっているのに、どうにかしたいと思わないし、思えない。おれの唯一の望みは、このままずっと、ただひとりで、自分の美しいと感じたものを、絵に描きためていくことだけだ。この目で見たものを、ただ見たまま、ありのままに記録していくことだけ。そうして……」
――――死んでいければ、それでいい。
口にはしなかったスヴェンの言葉が、けれどノーアには、手に取るように理解することができた。スヴェンは、どこまでも平らかで、穏やかな顔をしている。なんでもない、他人事かのように。
ノーアの頭の中で、何かが、ぶつりと音を立てた。同時に目の裏が、真っ赤に染まる。ノーアは拳を握ると、突如、その場に立ち上がった。自然、ノーアの髪をしつこく撫でつけ続けていたスヴェンの手も離れることになり、彼は、きょとんと目を瞬かせる。
「どうしたの?」
「スヴェン。貴方は、俺をモデルにして、絵を描きたいと言ったね」
「えっと。うん、描きたい。きみの目は、きれいだから」
「その話、受けるよ」
ノーアの突然の申し出に、さしものスヴェンも、驚いたようだった。スヴェンがノーアの絵を描かせてほしいと言い出したのは、時間にすれば、ほんの五日前かそこらの話だ。大した日数は経っていない。しかし何せ、相手はスヴェンだ。朝も昼も夜も、顔を合わせるたびに馬鹿正直に、ひっきりなしに懇願されて、ノーアが当惑しきりで固辞していたことは、スヴェンにとっても、記憶には新しいはずだった。そのノーアが、前後の文脈を問わず、唐突に翻意したのだから、さすがにスヴェンも訝しく思ったのだろう。露骨に、不思議そうな顔をする。
「ええと、ありがとう……?」
「どういたしまして。ところで、モデルになるということは、貴方が絵を描き上げるまでの間、俺はこのアトリエで、貴方と寝食をともにするわけだよね」
問い掛けの口調だが、抑揚なく、ほとんど断言するようにそう確認したノーアに、スヴェンは、ぽかんと口を開いた。
「そ、そうだね? 寝てる間は絵が描けないから、寝食とはちょっと違うかもしれないけど……」
「寝食でいいだろ。細かいところはいいんだよ」
「そうだね、うん。寝食をともにします」
非常に稀有なスヴェンの敬語というものを、ノーアはここで初めて耳にしたわけだが、当のノーアには、そんなことには全く気が付く余裕がなかった。
――――なにせノーアときたら、怒り心頭に達していたので。
「貴方は、ひとりになりたい、と言ったね。ひとりで絵を書き溜めて、記録し続けられれば、それが幸福だと」
「うん……言いました」
「でも、俺の絵を描いている間は、貴方は絶対にひとりにはなれない。物理的にも、精神的にも、貴方はこのアトリエの中で、絶対に俺という存在に浸食される」
「浸食と寝食をかけてる?!」
スヴェンが、泡を食ったようにのけぞるが、ノーアは反応してなどやらなかった。
「俺がこの国にいる間は、絶対に、貴方はひとりにはなれない」
「……ノーア」
「俺もきっと、貴方にとって、行きて過ぎていくだけの存在に過ぎないだろう。でも、貴方が俺と過ごしたという記録は、絵になって残る。俺はただ、貴方の眼前を通り過ぎていくだけの、有象無象には成り下がらない」
スヴェンの、
その眼差しの中に、ひとりの青年が映っている。燃えるような赤い髪をした、琥珀色の目の男。紅茶の湖面上では、ぼんやりとした偶像に過ぎなかった筈のその男は、スヴェンの瞳の上でははっきりと、焦点を結び、生きている。まるで、鮮やかな星のように。
ノーアは、スヴェンの肩を掴んだ。
「忘却は必然だ。それでも、貴方が絵筆を執るかぎり、軌跡は残る」
はっきりと、そう言い切ったノーアに、スヴェンが、唇を震わせた。なにかを言おうとしたようだったが、言葉が出てこないようで、当惑したように、彼の視線がたじろぐ。いつも泰然として、ほとんど狼狽する様子を見せないスヴェンにしては、珍しい態度だった。
じっとりと、睨み続けると、スヴェンは根負けしたように目を伏せ、やがてくつくつと肩を震わせ始めた。それは、大きな奔流になり、いつしか彼の喉から、朗々とほとばしる。――――笑い声だった。抱腹絶倒、と言わんばかりに、スヴェンときたら、大笑いを始めたのだ。
それがあんまりにも無邪気で、どこまでも愉快げなので、しばらくはしかつめらしく彼を睨み続けていたノーアも、いつしか拗ねて、唇を尖らせるに至った。こうまで正面切って笑われれば、自分がいかに詭弁を並び立て、決まりの悪いことを言ったのか、まざまざと思い知らされ、言い訳のしようもない。
むっつりと唇を引き結んで、ノーアがスヴェンの肩を掴んでいた手を離すと、その手をスヴェンのそれが追い掛けて、ぎゅっと掴んだ。スヴェンは、頬を紅潮させ、涙さえ浮かべて、ノーアを見ていた。
「ごめん、ごめん。だって、ノーアが怒るの、初めて見たから。きみって、そんな風に怒るんだね」
「……どんなふうだって言うんだよ」
「すごくかわいい」
「帰る」
「待って、待って」
スヴェンは、そのまま体全体でノーアに抱き付き、ぎゅっとその背に両腕を回した。スヴェンがノーアを引き留めるように抱き付いている姿勢なのに、彼のほうが上背があるので、きっと俯瞰で見れば、スヴェンのほうが聞き分けのないノーアを宥めているように見えるのであろうことが、口惜しい。
「忘れないよ、ノーア。きみと過ごす時間を、忘れたりなんてしない。愛も、恋も、そういうものはきっと、……おれには分からないと思うけど」
スヴェンは言いながら、腕を緩めて、ノーアのことを見た。頬をばら色に染め、滲んだ
「きみを描きたい。きみのことを覚えるそばから、思い出していたいから」
スヴェンの言葉に、ノーアは、ぎくしゃくと頷いた。
まるで求婚のような言葉だと、ばかばかしいことを思ってしまったからだった。