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第5話-2 同族嫌悪

 城下の南通り、路地をいくつも入った先に、エーミルの借りている部屋はあった。


「どうぞ。何もお構いできませんが」


 エーミルの言葉は、一聴すれば、誰もが社交辞令だと思うだろう。しかし、ノーアは案内されるままに入室したとき、本当にそれが、言葉通りの意味でしかないのだ、ということを知った。エーミルの部屋には、まるで、生活感というものがない。寝台とテーブルと、小さな棚に僅かな荷物があるだけの室内は、まるで独房かのように、ひどく殺風景で無機質だった。


「椅子の用意がありませんので、申し訳ありませんが、そちらにどうぞ」


 エーミルはそう言い、ノーアに寝台に座ることを勧めた。流石に人の住まいで、外着のまま寝台に腰を下ろすことは躊躇われたが、エーミルが有無は言わせない、と言いたげに壁に凭れ、すわ看守かのようにノーアの挙動をじっと監視するので、ノーアは仕方なく、ひと言詫びを入れてから、寝台に腰掛ける。いくらノーアが外つ国の住人とはいえ、国賓という立場の貴人を立たせたままにするのは、エーミルの立つ瀬がないだろう。


「それで、ノーア様におかれましては、わざわざこのような場所まで御足労頂くほどの用向きが、私になにか?」

「単刀直入だな。それに、物言いにだいぶ棘がある」

「長居されては、今晩、私の寝る場所がなくなってしまいますからね。……まあ、訊かずとも、敢えてお尋ねすることでもありませんが」


 エーミルはそう言い、ややくたびれたように、瞼を伏せる。


「言っておくけれど」


 ノーアは、先んじて牽制した。


「ベルンから何を言われた、というわけじゃない。俺が、自分の意思で、君と話したいと思って来ただけだ。ベルンは、何も知らない」

「……ええ、そうでしょうね。あの方は、そうと決めれば、誰が止めようが自分でお出でになりますから。私が何年、あのお方のお守りに徹してきたことか」


 エーミルは、そう言って、仕方なさそうな笑みを浮かべた。


「ベルンハルド様から、既にお聞き及びかとは思いますけれども、今回の謹慎は、私のほうから申し出たことです。おひとりで頭を冷やすための時間が、あの方には必要だと判断いたしました。それはもう、愚直な方ですから、一度頭に血がのぼると、まるで周囲が見えなくなってしまわれるのです。あれでも、昔に比べれば、随分ましになられましたがね」

「ベルンと君は、乳兄弟だったと言っていたね」

「ええ。母が、ベルンハルド様の乳母をしていました。父は、王宮で馬番グルームをしていましたが、酒の勢いで、酒場で人を刺し殺しましてね。当然、王宮からは追放され、収監された牢の中で、自分のベルトで首を括って死にました。母もその心労がたたり、病で亡くなりました。どちらも、私が十二の頃です」


 エーミルの口調は、つとめて淡々としていた。感情を圧し殺そうとしているわけではなく、ただ純粋に、なんとも思っていない、と言わんばかりの抑揚の無さだった。


「母は、アウギュスタ第二王妃――――ベルンハルド様の御母上に、目を掛けて頂いていましたから、幸い、罪人の息子である私もご温情を頂き、王宮で、小間使いとして働かせてもらえることができました。しかしながら、当然ですが、かなり白い眼で見られましてね。まあいろいろ、ありましたとも。私の性格が、こんなふうに捻くれたのは、そういったいきさつからでございます」

「……笑いにくいな」

「そうでしょう。この話をすると、皆、笑いにくくなって、私に近付かずにいてくれるのです」


 エーミルは、そう言い、鼻で笑った。

 しかし、ややもすると、小さく息をつき、ぼんやりと天井を仰ぐ。


「……ベルンハルド様くらいでしたね。懲りもせず、私に躊躇なく、構い立てしようとしたのは。正義感の強い方ですから、鼻つまみ者扱いされていた私を、単純に、見ていられなかったのでしょう。何を血迷ったか、罪人の息子である私を、自身の直属従者に押し立てようと、試験の融通を通そうとまでして」

「なんだか、似たような話を、どこかで聞いた気がするな……」

「あはは。スヴェン様とベルンハルド様は、お顔こそ似ておられませんが、やっぱり、王家の系譜なんですよ。行き場所のなくなった孤児に、慈悲深く、甘っちょろい。ベルンハルド様が、スヴェン様を兄のように思って懐いているのも、そういったご自身との性質の近さを、無自覚に感じ取っていらっしゃるからではないかと、私は思っています」

「でも、その理屈で言うならば、エーミル」


 ノーアは、慎重に言葉を紡いだ。


「君も、スヴェンに拾われたヨアンを、弟のように可愛がっていた。君もヨアンのように、人に情けをかけられ、拾われる喜びを知っていたからだ。ヨアンがスヴェンを慕うように、君も、ベルンハルドを慕っている。それは、なにもおかしな話じゃない」

「……勿論、私があの方に恩義を感じていること自体は、否定はしませんよ。ただ、もっと上手いやり方があっただろう、とは思います」

「上手いやり方?」

「ええ。言ったでしょう。あの方は、愚直なんです。直進か、直角に曲がるか、止まり切れずに正面衝突して、痛い目を見るか。どちらにせよ、あの方が馬鹿を見ずに済むように、もっと早い段階で、手綱を握っておくべきでした。……いや、少し違うかな。手綱自体は、握っていたつもりだった。そのために、金木犀の君とも、早めに対面して頂いたのですから。正確に言うなら、手綱を放しておくべきだった、ですかね」


 金木犀の君、というのは、エレオノーラ皇女の通称だという。彼女は金木犀の香りを好んで身に纏い、幼いころからいじましく、恋をしたベルンハルドのもとへと通い続けていた。しかし、花果の国では、外つ国からの嫁取りを受け入れない。ベルンハルドは第四王子の身でありながらも、十歳になる頃までは次期王位継承者と目されていたため、エレオノーラの恋は、いつかはどこかで手折られる運命にあるはずだった。エレオノーラ本人も、時限付きの恋だとはわかっていただろう。

 ――――先代のアルベルト国王が、庶子であるスヴェンを、王宮に招き入れるその日までは。


「成程。スヴェンが王宮に招き入れられ、ベルンの序列が下がったことで、いつかはベルンに水泡の国への婿入りの話が出るだろう、と、踏んでいたってわけか」

「確証は、ありませんでしたがね。なにせ、スヴェン様は徹頭徹尾、調の方でしたから。ご本人が、王族として扱われることをとにかく忌避されていましたし、口には出さなくても、王位継承権を返上したがっていることくらい、王宮の誰もがわかっていた。それでも、本人の意思とは無関係に、容易にはあらがえないのが王侯貴族の血の縛り、というものです」


 エーミルは、天井から視線を戻し、ノーアのことを見た。


「私は、わかっていました。ベルンハルド様の夢は、きっと叶わない。あの方はいつか、有無を言わさずこの国を発つこととなり、金木犀の花の香る、美しいエレオノーラ様の手を取ることになる。そうしてやがて、あの方は水泡の国の次期国王となるだろう、と」

「……だから、ベルンの想いには、見てみぬふりをし続けたっていうのか?」

「言ったでしょう。あの方は、愚直なんです。鼻つまみ者だった私を、甘っちょろい正義感から自身の庇護下に置いたことで、本来を向けるべき相手を錯覚し続けたまま、ここまできてしまった。私が、あの方の忠実な臣下であることは確かですが、幼いころは兄のような存在でもありましたし、幼馴染の、友人のような存在でもあったでしょう。あの方が政務に携わるようになってからは、補佐官でもあり、女房役でもあった。あらゆる役割を、私ひとりに集約しすぎたことで、あの方は来た道を進むほか、なくなってしまったんです。あの方の周囲には、ほかにも無数の可能性があることを、従者として私は、お示しすべきだった」

「――――だが、君はしなかった」


 ノーアは、寝台から立ち上がった。

 まただ。ベルンハルドが己を卑下したときに、頭で認識するよりも先に言葉が飛び出してきたのと同じように、今回もノーアは、自覚するよりも先に立ち上がり、目の前の青年に向かって、明確に苛立ち、尖った声音を出している。

 頭では、わかっているのだ。こんなことを言ったって、どうにもならないことくらい。けれど、言わずにはいられなかった。


「わかっていて、君はしなかった。それが、君の選択だった。違うか?」

「……どういう意味です?」

「エーミル、君は賢い。とても冷静で、知恵がまわる。この国には珍しい、大局を見据えて動く、現実主義者だ。けれど、その君が、いつか愚直で純粋なベルンハルドが傷付くとわかっていながら、彼のそばを離れることはしなかった。君の言葉を借りるなら、『手綱を放さずに』過ごした。それが、君の選択で、君の答えだったからだ。なのにどうして、まるで他人事みたいに、気が付かないふりをし続ける?」


 ノーアの言葉に、エーミルの篝火スピネルのような瞳が、すう、と細められる。

 エーミルの表情は、酒場で出会った時から変わらず、ほとんど動かない。喜びも、怒りも、悲しみも、彼は微塵もあらわにはしていない。漂わせてもいない。

 けれど、明確に、膜が揺らいだ。叩いても揺すっても、決して揺らがなかった、分厚い水の膜の向こうで、ゆらり、と、確かになにかがうごめいたのが、ノーアにはわかった。


「エーミル。君は、――――自分でベルンハルドを傷付けることを、選んだんだ。そして、自分が彼を傷付けたことに、いま、君自身も傷付いている」

「…………」

「君は、自我を殺すことが得意だ。場面最適の仮面をかぶることで、君はずっと、エーミル・フリーデルという青年の個を、消してきたんだろう。それは、君の並々ならぬ忠誠と努力の賜物だ。けれど、君が君に対して仮面をかぶり、どんなにやり過ごそうとしたところで、君が傷付いたという事実は、なかったことにはならないんだよ」

「……貴方は、私にどうしてほしいと言うんです。私を、咎めたいのですか?」


 搾り出されたエーミルの声には、抑揚がない。けれど、彼がただ途方に暮れているだけだということが、ノーアにはわかっていた。ベルンハルドが、あらゆる役割をエーミルに集約させ続けたことが、誤りの始まりだったというのなら、それは同時に、エーミルにとっても同じことだ。エーミルにとっても、ベルンハルドがすべてだった。そして、至極冷静に「誤り」を理解しながら、エーミルはそのまま、彼の隣に在ることを選び続けたのだ。


(それを、愛と呼ばずになんと呼ぶ)


 ノーアは答えた。


「違う。ベルンハルドにも君にも、ただ、心を大切にしてほしいだけだ。この国に伝わる神話の始祖のように、なにかと引き換えに、心を捧げ渡すようなことをしないでくれたらいい。そう思うだけだよ」

「…………」


 ノーアの言葉に、エーミルは、かすかに目を瞠った。彼は、しばらくそのまま黙っていたが、やがて、呆れたように眉を下げて笑う。等身大の、若者のような表情だった。


「随分、甘っちょろいことを仰いますね。貴方が、まさかにまわるとは、予想外でした」

「そちら側?」

「ええ。初めてお会いした時から、私は貴方のことを、鼻につく方だと思っていました。いわゆる、同族嫌悪、というやつですよ。人当たりのよい顔をしながら、大局を見て、場面場面で最適解と思われる姿を演じ続けている。本質的にはがらんどうで、中身のない人間――――私とそっくりだ、とね」

「…………」

「それが、まさかそんな青臭いことを仰るような方だったなんて。存外、貴方も、ベルンハルド様に似ておいでだ」


 今度は、黙り込むのはノーアのほうだった。エーミルは、そんなノーアをまた可笑しそうに笑うと、部屋に置いている小さな棚から、濃紺の包みを取り出す。

 よく見ればそれは、古びた絹のネッカチーフだった。施されている刺繍は、花果の国王家の紋章である。エーミルは、それを無遠慮に、ノーアに向かって差し出した。ノーアが反射的に受け取ると、ネッカチーフの中に、なにか、ごつごつとした手のひら大の、固いものが包まれていることがわかる。


「王宮に戻られたら、ベルンハルド様に、これをお渡しください」

「……渡すだけで、構わないのか?」

「はい。お渡しするだけで、あの方はわかります。……惰性のふりをして、持っていようと、目論んでいたんですがね。貴方の青臭いご助言に従い、たまにはも、自覚的に行動することにします」

「君、ちょっと馬鹿にしてるだろ」

「まさか。褒めていますよ。ベルンハルド様に似ておいでだ、と、言ったでしょう」


 ――――ベルンハルドに似ている。それは、エーミルにとって、最大限の賛辞なのだ。

 扉のそばまでノーアを見送りながら、エーミルは言った。


「ノーア様。鳩を飛ばす際には、くれぐれもご注意なさいますよう」

「……気が付いていたのか?」

「なかみは見ていませんがね」


 エーミルは、しらっとした顔でそう言った。


「言ったでしょう。私は、いかにも好青年然をした貴方のこと、鼻につく輩だと思っていたんです。私は、性格が悪いですから。初めから、それなりに注意深く、貴方のことは見張らせていました。ああ、ヨアンのことは、疑わないでやってください。信頼できる部下に、報告をさせていた、というだけです」

「…………」


 渋面を浮かべたノーアに、エーミルは苦笑し、肩を竦めた。


「貴方が、本当のところ、何を目的にこの国にやって来たのか、私は知りません。城塞の国のトーレ国王からの書状自体は、紛うことなく本物でしたし、貴方の立ち居振る舞いも、礼儀作法も、一朝一夕で身に付くものではない。得体の知れない暗殺者、ということは、まずないでしょう。ここまで堂々と送り込まれてきている以上、早々に荒事を起こすつもりではない、ということくらいはわかっていましたから、あくまでも、同族なりに、様子を見ていたというだけです」

「……さすがだね、エーミル。やっぱり、君は冷静な現実主義者だ」

「お褒めに預かり、光栄です。まあ、とはいえ……同族嫌悪の湧く相手だからこそ、信用できること、というものもあります。例えば、私や貴方のように、合理性を重視して動く人間は、無駄を踏むことを、何よりも忌避する。その貴方が、無駄でしかないことをするためだけに、私を探しにこんなところまでやって来た。どう考えても、正気の沙汰ではありません。ですが、正気の沙汰ではないからこそ……」


 信用に値する、と、エーミルは言った。


「貴方の言葉を借りるなら、選択は、答えなのでしょう。だからこそ、貴方の無駄な選択の末の答えを、今、僕は信用しようと思う」

「エーミル……」

「確かに、預けましたよ、ノーア様。貴方も……どうか貴方の心を、大切になさってくださいね」


 ノーアに託した古びた絹のネッカチーフを、エーミルは、愛おしそうにひと撫ですると、やがてさっぱりと身を引き、ノーアを扉の外へ送り出して、手を振った。

 ノーアが王宮へ戻る石畳の坂を中腹まで上り、振り返ったときにはもう、エーミルの姿はどこにも見えなかった。

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