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第2話-1 からっぽ同士

「よう、ノーアさん。スヴェン兄さんが、迷惑掛けちまったみたいだな」


 翌日、朝食ののちにノーアの宮を訪ねてきたのは、ベルンハルドであった。朝食の時間までは、完璧なテーブルマナーを披露しながら、例の澄ました顔で会話していたが、今ではもうすっかり、対外的な接し方を放棄したらしい。


「いや。たまたま、宮を散策していたら俺が見つけた、というだけだから。大事にならなかったようで良かったよ」

「スヴェン兄さんの『あれ』は、もはや病気の域なんだよ。今まで何回同じことを繰り返してるか。誰が言ったって、治りゃしなくて、王宮連中皆が手を焼いてるんだ。良ければ、中へ入っても? 今日はひとり、オレの従者も紹介したくて」

「ああ、勿論。どうぞ」

「ありがとう。ヨアン、四人分の茶の準備を頼む。さ、エーミル、自己紹介を」


 ベルンハルドの促しののちに、後ろで控えていた見慣れぬ青年が室内に進み出て、深々と頭を垂れた。ノーアと目が合うと、彼は柔和にほほ笑んでみせる。


「お初にお目にかかります。私はベルンハルド様付の従者、エーミル・フリーデルと申します。以降、お見知りおきを」


 エーミルは、先端だけ緑がかった黒髪に、篝火のような赤スピネルの瞳の持ち主だった。ゆったりとした文官服を纏っているが、その上からでも分かるほどに体格は華奢だ。素朴な面立ちで、やや童顔だが、落ち着いて貫禄のある様子を鑑みるに、年の頃はノーアやベルンハルドより幾分かは年長だろう。


「エーミルは、オレの乳兄弟のひとりで、幼馴染みたいなもんなんだ。歳は数えで二十七歳。一見パッとしない奴だが、こう見えて、そこそこ優秀でね。オレの外交官としての政務も、こいつに事務官として補佐してもらってる」

「ひと言余計でございます」


 ベルンハルドの揶揄するような口調に、にっこりと柔和にほほ笑んだまま、エーミルが釘をさす。このやり取りだけで、ふたりが気の置けない仲なのだと知れて、ノーアはくすりと笑った。石彫りのティーテーブルにふたりを案内し、自分もその向かいに腰掛ける。

 ヨアンが、仏頂面でティーポットとカップを運んできた。ベルンハルドの指示通り、四脚だ。カップに茶を注ぎ入れ始めると、あたりをふわりと葡萄の香りが漂う。


「ベースは渋みのあるウバの茶葉なんだけど、うちの特産品のルノーワインを、香り付けで使ってるんだ。来月から、キャラバン隊に新しい交易品として加えようと思ってる。どう?」

「……うん、美味いな。驚いた。外交政務担当とは陛下から伺っていたけれど、ベルンハルド様は、商品の斡旋や開発まで担われているのですか?」

「ベルン、でいいよ。アンタのほうが年上なわけだし、親しい連中は皆そう呼ぶ。父上の手前大人しくしてたけど、本当のところ、堅苦しいのは大の苦手なんだ。息が詰まっちまって」


 ベルンハルドは、うえ、とおどけて舌を出して見せる。ノーアに取り入ろうとして、恣意的に茶化している様子にも見えない。玉座の間でヨアンを推薦してきたときの口ぶりと総合的に勘案しても、一本木で実直な人柄は、彼の本来の姿に近いのだろう。

 次いでベルンハルドは、思っていた通り、玉座の間以外ではノーアにも敬語を取るように奨励した。ちらりと従者であるエーミルの様子を盗み見るが、彼は素知らぬ顔で紅茶を啜っている。主君の意思を尊重する、と決めているらしい。ノーアは何度か体裁上固辞しつつ、頑ななベルンハルドに最終的には折れる、という形を演出した上で、申し出を了承することとした。


「あの……ベルンハルド様。ひとつ、茶が余ってしまっていますが」

「なに言ってんだ。お前の分に決まってるだろ、ヨアン。そこに座りな。これからスヴェン兄さんの話をするってのに、お前を外してどうするんだよ」


 ヨアンの問い掛けに、ベルンハルドはあっけらかんと答える。ヨアンは、心底遠慮したい、と辟易した表情を浮かべたが、ベルンハルドは全く意に介した様子がなかった。王侯貴族と同じテーブルで、小間使いがティータイム。城塞の国では、天地が引っ繰り返っても考えられない事態だ。ヨアンの立場からすれば、当惑して当たり前である。

 ノーアがややヨアンに同情していると、エーミルが隣の椅子を引き、穏やかにヨアンを促した。


「お座りなさい。ベルンハルド様は、ただ君がかわいくて、面倒見のいい兄貴面をして、自分が良い気分になりたいだけですよ。顔を立てて差し上げて」

「エーミル……お前、なんか言い方にオレへの棘がないか?」

「まさか。我が主君は、身分の貴賤になど左右されない、素晴らしい人格者だと思っておりますとも」


 エーミルはしれっとした様子で、また紅茶を啜る。エーミルもエーミルで、なかなかいい性格をしているようだ。

 退路を断たれた形になったヨアンが、渋々エーミルの隣に座り、オリーブ色の前髪の下からちらりとノーアを見た。ノーアが笑いかけてやると、ヨアンはやや不貞腐れたように鼻に皺を寄せたものの、ぺこりと小さく会釈する。彼はしばらく卓上で視線をうろうろさせていたものの、やがて勇気を出した様子で、口を開いた。


「……ノーアさん。スヴェン様を見つけて下さって、有り難うございました。俺も何度か様子を見に行ってはいたんですが、あの方はアトリエに人が入るのを、あまり好まないので……」

「いや、本当に、俺は何もしてないさ。ヨアンが処置するのを、言われるまま手伝ったというだけだしね。低血糖も、重度になると命に関わるから、早めに対処できてよかったよ」

「まあ……でも、アンタのおかげなのは確かで……いや、もういいです」


 ヨアンは、煮え切らない様子だったが、結局諦めた様子で口を噤み、紅茶のカップを両手で握った。猫舌らしく、幾度も幾度も液面に息を吹きかけている。相変わらず、挙動が小動物のそれだ。


「嬉しかったんですよね、ヨアン。ノーア様が、スヴェン様を助けてくださって。ヨアンは、雇い主であるという以前に、スヴェン様にいちばん懐いていますから」

「ブフッ……」


 エーミルに頭を撫でられて、ようやく紅茶に口を付けたところのヨアンが、盛大に噎せる。


「ちょっと、なに言うんですか、エーミルさん!」

「まあ、事実ではございませんか。恥ずかしがることではありませんよ」

「その……今更尋ねにくいことなのだけれど。スヴェン様は、そもそもどういったお立場の方なんだ?」


 ノーアは、頭の中で花果の国王家の家系図を思い浮かべながら尋ねた。

 エルランド国王には、対外的にふたりの妻がいることを公表しているが、正妻のクラーラ妃は、流感で三年前に亡くなっている。クラーラとの間には、第一王子コンラード、第二王女オルガがいるが、コンラードは幼くして病没、オルガは「羊蹄の国」に輿入れをしたため、既に国内には不在だ。第二王妃アウギュスタとの間には、ベルンハルドを含めて四人の王子・王女がいるが、王子としてノーアが把握しているのは、第四王子ベルンハルドと、末弟である第六王子アルフレッドのみ。

 つまり対外公表されている家系図内に、スヴェンの名はどこにも登場しないのだ。ノーアの問い掛けに、エーミルが「ああ」と、ぽんと手を打つ。


「それは失礼いたしました。スヴェン様は、エルランド国王陛下の腹違いの弟君。王弟殿下でいらっしゃいますよ。エルランド様とは、親子ほどにも歳が離れていらっしゃいますが」


 エーミルが、穏やかにほほ笑んだ。ノーアは瞠目する。


「王弟殿下? 弟君がいらっしゃるとは、初めて知った」

「そうでしょうね。表舞台に出られることを嫌う方なので、なかなか他国でスヴェン様を御存じの方はいらっしゃいません。けれど確かに、先代アルベルト様のご嫡子のひとりで、ベルンハルド様の叔父君にあたる御方です。序列では、ベルンハルド様より王位継承権は高く、御身分も高くてあらせられるのですが、なにぶんおおらかなご性質の方でして……凝り固まった王家の既成観念とは、かけ離れた行動をなさるところがあるのです」

「うちの国は呑気なところがあるけど、それでもスヴェン兄さんが市街地からヨアンを拾ってきたときは、流石に大騒ぎになったもんな。だけど兄さんは絶対ヨアンがいいんだーって譲らなくて、なまじ地位が高いもんだから、結局我がままで押し切ったって感じでさ」


 ベルンハルドが、苦笑して肩を竦める。ノーアは唖然とした。想定していたより、スヴェンがずっと高い身分だったというのは勿論だが、王宮に仕えることになる下働きは、たとえ小間使いであったとしても、厳正な審査と家柄調査が行われて然るべきものだ。歩留まり自体、諸侯貴族の家柄出身としている王家も多い。それを、市街地から拾ってきたという、恐らくは単なる一般市民に過ぎなかったヨアンを見出し、押し切って召し抱えたというのだから、そのエピソードだけで、スヴェンの型破り具合はかなりの傑出ぶりであると言える。

 居心地悪そうに身を竦めたヨアンのオリーブ色の頭を、しかしベルンハルドは、確かな愛着を持って、くしゃくしゃと掻き混ぜた。


「まあ結果的に、ヨアンはそんじょそこらの連中よりもずっと仕事のできるやつだったし、兄さんの審美眼も、あながち馬鹿にできないって証明にもなったわけさ。な」

「……やめてください。髪をぐしゃぐしゃにしないで」


 俯いたヨアンが、小さくこぼす。拗ねたような口調だったが、耳の端がほんのり赤い。微笑ましくなって、ノーアが思わず笑うと、前髪の下からぎろりと睨まれてしまう。おっとっと。


「で、そのスヴェン兄さんなんだが、今は点滴を打って、高いびきで寝てる。ただ、そろそろ目が覚める時間だから、どうせならノーアさんも誘おうと思って来たんだよ。ちゃんと、本人に土下座させて、礼を言わせなきゃならないだろ」

「ええ? やめてくれって。そんな御身分の高い方に、冗談だとしても恐れ多いよ」

「そう? あながち、冗談でもないんだけどな。あの人は、身分とか序列とか、そういうものが本当に肌に合わない人だから。叔父上って呼んだときなんか、意地でも返事しないんだぜ。父上の前でも、ガン無視するんだから」


 おかげで、父上の前でも公認で「兄さん」呼びだよ、と、ベルンハルドが嘆息する。


「だからたぶん、しろって言ったら土下座でもなんでもするぜ、あの人」

「いらないって……」


 だが、東の宮にしばらく滞在する以上は、スヴェンともきちんと顔合わせは済ませておくべきだろう。少なくとも、あの美しく群生する竜胆の絵を生み出したそのひと、という意味でも、ノーアはスヴェンの人柄に興味があった。ほとんど感情が平坦で、到底のことではもう何ら揺れ動くことのない「ノーア・アンドレセン」という存在が、あの瞬間だけは確かに打ちのめされ、圧倒され、ただ人工の花畑の中、立ち尽くすほかなかったのだから。

 葡萄の香りの紅茶を飲み干すと、ノーアはベルンハルドらとともに、席を立った。

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