「『城塞の国』第十二王子、ノーア・アンドレセン殿。遠路遥々、よくぞ参られた。王宮の東側に、宮をひとつ用意させてある。滞在中は、どうぞ其処を好きに使ってくれ給え」
花果の国、当代国王エルランドは、青白い顔でほほ笑んだ。白髪混じりの藍色の髪には、山百合の意匠が施された銀の冠が輝いている。黒地に銀糸刺繍のサーコートに身を包んだ彼は、王座に坐したままでもわかるほどの長身の持ち主であり、往時はさぞかし華やかで、
「ご拝謁できて光栄です、エルランド国王陛下。此度は両国の学術交流のためとはいえ、私のような若輩者を受け入れて頂き、心より謝辞を申し述べたく……」
「よい、よい、そのように肩肘を張らずともよろしい。御父上――トーレ国王は、ご健勝であらせられるかな?」
「はい。月に二度、城の若い連中総出でのキツネ狩りを呼び掛けるほどには」
「それは猛々しいことだ。儂はこの通り、すっかり老いさらばえてしまってな。馬に乗るどころか、いまや馬車に乗ることさえ、堪えるほどになってしまった。このところの政務はすっかり、宰相たちに任せきりだ」
エルランドは、王座の肘掛けに身を預け、嘆息した。
「其方も知る通り、わが国は幸いにして土壌豊かで、余程の悪政を敷かぬ限りは、民が飢え苦しむということはない。しかし、それに甘えて進化を止めてしまうのは愚者の行為に等しく、長きにわたる王政にも、より多角的な目線を取り入れるべきであると――――そういった諫言も、儂自身の彼岸が近付きつつある今、一理あると思えてならんでな。そこで、其方の生まれた『城塞の国』のように、外つ国との学術交流に積極的に臨んでいる国から、食客として大使を招きたいと考えたのだ」
「願ってもないお話でございます、陛下。私は第十二王子、武勇で名を馳せる兄たちに比べ、まだまだ生熟れの身でございますが、学びたいという志だけは、兄弟の誰にも負けぬと自負しております。どうか、くれぐれもご指導ご鞭撻のほどを」
深く頭を垂れたノーアを、エルランドは、眩しいものを見るような顔つきで眺めながら頷いた。
次いでエルランドは、肩越しに後ろを振り返る。国王の目礼に、王座の後ろで控えていた青年が、前へ進み出た。銀灰色の髪に、夜を溶かして煮出したかのような
「我が息子、ベルンハルドだ。数えで二十二歳になる。これには、外交全般の政務を任せていてな。其方とは年の頃も近いし、この老王よりは幾分話も合うだろう。其方の持つ知見を、ぜひ愚息に学ばせてやってほしい」
「お初にお目にかかります、ノーアさん。ベルンハルド・エドフェルトと申します」
「貴方が……」
ノーアの脳裏に、バザールで出会った売り子の女性の話が浮かんだ。はっとするほどの美丈夫で、国中の女性が一度は恋焦がれる、花果の国の第四王子。
成る程、女性の話にも頷ける。ベルンハルドは、同じ男のノーアからしても、頭一つ飛び抜けて男前だった。
差し出されたベルンハルドの白手袋の手を、強く握る。
「城下で、貴方の噂を耳にしました。国中の女性の心を射止めては、どんな
「はは、とんだ持ち上げられ方だ。けれど敢えて、否定はしないでおきます」
ベルンハルドは、肩を竦めてほほ笑んだ。持ち上げられ慣れている様子だが、それが鼻につかず、嫌味にならない。どこからどう見ても、スマートな貴公子だ。
同時に、エルランド国王の話を思い出す。花果の国の外交全般を取り仕切っているのが、国王の話通りこのベルンハルドであるならば、彼は、ノーアが最も切り崩さなければならない牙城の最大の一角と言える。親しくしておいて、損はない。
「花果の国の文明起源から、美しい女性の口説き方まで、貴方から得られるものは多そうだ。どうぞよろしくお願いいたします、ベルンハルド様」
「こちらこそ、実りある時間になることを期待しています。さあノーアさん、長旅でお疲れでしょう。今日のところは、東の宮でゆっくりご静養ください。積もる話は、また明日にでも。――――ヨアン! 後の案内は頼んだぞ」
ベルンハルドの呼び掛けに、扉の傍で控えていた少年が頷く。ヨアンと呼ばれたその少年は、オリーブ色の髪に、猫のような
ヨアンは前髪の下から、値踏みするようにノーアをじろじろと見上げると、やがてそっけない声で「ご案内します」とつぶやき、くるりと背を向けた。そのまま、ノーアのことなど気にした様子もなく、すたすたと歩き出すので、ノーアは慌ててその後に追従する。
立ち去る間際に、ベルンハルドの白手袋の指が、とんとんとノーアの肩を叩いた。耳元で、こそりと囁かれる。
「愛想のないやつだけど、大目に見てやって。オレの弟分みたいなもんなんだ。仕事はちゃんとやる奴だから」
敬語の取れたベルンハルドの口調は、こざっぱりとしていて潔い。これが、生来の彼の気質なのだろう。こういった手合いには、同じ温度感で接するのが、経験上最も懐柔できるスピードが速い。ノーアはエルランド国王に見えない範囲で小さく片手を挙げ、「ああ」と鷹揚に応えてやった。