フードを深く被って街の一角を歩いている人物がいた。
出来る限り速足で人混みを掻き分け、背後で売店のかけ声が左から右へ木霊した。やっと人混みを抜け噴水がある広場に出ると、その人物は喫茶店の真横にある建物の裏へ入る。裏口には騎士の見張りがいたが、そのフードを被った人物の顔をみた騎士は、すぐに裏口を開けた。
そして待ち構えていた優しそうな笑みを持つその騎士は、フードを被った人物に言う。
「時間通りのご到着ですね、シャルロット様。案内いたします」
「うん。案内お願いします。ラリーさん」
シャルロットは騎士の案内の下、街で一番大きい医院へと到着する。
木製の廊下を歩きながら、横から差し込んでくる光に反射しほこりが浮いていた。そんな古臭い場所を通り、どんどん建物の奥へ進み、案内された扉を開くと、やけに装飾された客間が用意されており、その部屋の中の布団の近くに見覚えのある人物が一人座っていた。
「ジェパード先輩。シャルロット様をお連れしました」
連れてきてくれた騎士が名前を言うと、布団の端で椅子に座っていた金髪の男が振り返る。
「久しぶりね、ジェパード」
「……シャルロットさん。お元気でしたか?」
言いながら近づくと、ジェパードのほっぺには絆創膏が張ってあった。
「……ええ、なんとか」
「カルさんは?」
「今はもう安定してる。ここには連れてこれなかったけど」
あの一件があった影響で、泊まっていた宿は建物ごとなくなってしまい営業が出来なくなってしまった。今はガーデルの小屋に借りで住まわしてもらっている。思っていた通りカルとガーデルは相性がいいみたいで、今朝カルが本を進めていたのを思い出す。
「今日は? どうして私を呼んだの?」シャルロットは両手を組んで、伺うように目を細めた。
「ふむ」
するとジェパードはほくそ笑んでこちらをじろじろと見てくる。
「……な、なによ」
「今回は呼んだら素直に来てくれるのですね」
「絆創膏増やしたいのかな?」
そうツッコむと、ジェパードは「フフフ」と上品に笑った。
確かに最初の頃、シャルロットはやけに騎士を忌避している部分があったため、ジェパードからしたら素直にやってきたことが面白かったんだろう。
そうしてジェパードは喉を鳴らして椅子から立ち上がり、シャルロットの正面に立った。
その表情は、とても曇っていた。
「今回はお話がありましてお呼びしました。大事なお話です」
「……はい」
シャルロットは素直に応える。
「現在、カシーアでは貴方たちへの当たりが強くなっています」
そして言う。シャルロットが何となく察していた、街の事を。
「あの二組織が逮捕されたことで危機は去りました。が、一部の事情を知らない人間からすれば、貴方はカシーアという街を破壊しかけた赫病者と共に旅をする人物……赫病者の偏見は、そう簡単に払しょくできない。なので――」
「偏見じゃないのは私とカルが一番知っているわ。危険分子をわざわざ連れまわす私が信じられないのも、無理はない」シャルロットはすぐそう割り込んで言った。更にジェパードの顔は曇る。その仕草でだいたいの見当がついて、シャルロットはため息を吐いた。
「なるほどね。要は街から出て行った方がいいと」
そういうと、ジェパードは俯いて小刻みに震え始め、最終的にはっと顔を上げた。
「その通りです」
口を歪ませながら、そう告げた。
きっと彼も苦しいのだろう。彼はシャルロットのことも、カルのことも知っている。どちらとも会ったし、どちらともの戦いを見た。カルの意思とシャルロットの心。それらは、彼に凄まじい影響を与えた。
だからこそ、街の住民の反応に思うことがあるのかもしれない。それに――、
シャルロットは彼から視線を外し、布団を覗き込んだ。
「…………」
そこには、宿の店員をしていた女性が眠っていた。
彼女の事はカルから聞いていた。シャルロットは彼女がジェパードの妹であるのを知らなかったが、今回の一件でカルを守るのに尽力してくれたのを知っている。でもその末に……。
「妹さんの様態は?」
「……まだ目が覚めていませんが息はあります。体に大きな欠損はありませんが、頭にもらってしまったようで……医者によると、いつ目覚めるか分からないが、安静にしていればいずれ変化があるだろうと」
「……そう。申し訳ないわ」
シャルロットは後悔した。自分があの宿を離れなければこうはならなかったからだ。
「その件はいいのです。俺の責任でもあります。俺がシャルロットさんに依頼をしなければ」
そうだ。ジェパードも切羽詰まっていた。それが司教の企てであった故に、彼女は巻き込まれてしまったのだ。だからこれは、もうどうしようもないことだった。
強いて反省をするのなら、後手に回ってしまったことだけだろう。
「……とにかく、妹さんが一刻も早く良くなることを祈ります。私にできることがあれば相談してね」
「痛み入ります」
「それで、今回ここに呼んだのは街の情勢についてで間違いないわね?」
「ええ、もちろんこちらとしては望まない事ですが、今は街の情勢が不安定です。失礼を承知の上で、よろしくお願いいたします」
「分かったわ」
「……やけにあっさりしていますね?」
ジェパードは心配そうに聞いてくる。しかしシャルロットにとってその頼み事は、特に難しい決断でもなかった。
「ええ。もともと街に長居する予定はなかったの。そんなお願いをされなくても、私達は近いうちに次の街へ向かっていた。だから、大丈夫よ。強いてちょっとだけ頼みごとをするのなら、街を発つための資金を少しでもいいから出してほしいくらいね」
「そのくらいなら如何様にも。何百金貨必要でしょうか?」
「そ、そんなにいらないわよ……金貨十枚くらいあれば嬉しいかな。次の目的地はちょっと遠いから」
「どこへ行くのですか?」
「南の国、オリアナにいくつもりよ」
言うと、彼は驚いた。
「………オリアナですか。確かに長い旅になりますね、分かりました。自腹になりますが、金貨十枚程度なら喜んで」
「助かるわ」
シャルロットは正面向いて、彼にお辞儀をした。
「そういえばなのですが」とふとジェパードは訊く。
「ん?」
「シャルロットさんは、どうして旅をしているのですか?」
「え?」
「ほら、旅って目的がなきゃしないじゃないですか。どこか行きたい場所とかがあるんです?」
「ないわよ」
「……え?」
ジェパードは興味深そうに聞いたものの、帰ってきた答えが案外薄っぺらく、拍子抜けな表情でそうに首を傾げた。そんな彼をみて、シャルロットは両目を閉じて口を開く。
「私たちが旅をしているのは、単純に趣味……といえばいいのかな」
「……趣味?」
「まあ趣味というと少し傾向が違うのかもしれないけど、心情でいうのなら――自分探しの旅とでも言った方が分かりやすいのかも? 厳密には違うのかもだけど」
ますます分からなそうに首を傾げるジェパード。
「ほう? つまり、目的地に向かうために旅をするのではなく、旅をするために目的地を定めているのですか?」
「そういう事になるわね。私達にとって、旅の目的は……強いていうのなら、『他人との交流』かしら」
「ほう?」
彼はまた興味深そうに首を傾げるので、シャルロットはすっと息を吸って、
「私は表向きには『お使い屋』で、その根底には『人助け』がしたいという善意がある。でもそれは厳密にいうと善意ではなく、あくまで自分の為の偽善なの。これは本で見た受け売りなんだけど、『幼い子供が井戸に落ちそうになる場面を見たとき、誰もが助けたいと思うのが人の本能である』っていう『性善説』というのがあるわ。私はその話に、こんな解釈を付けた本を読んだことがあるの」
「……」
「それは動機主義って言って、助ける理由を『子供の命の為』なら迷わず助けるべきだが、助ける理由を『自分の栄光の為』なら助けるべきではないという哲学。私はそれを見て、自分はどちらなのだろうと考えた事があるの。そして私は、他人を助けることに、『自分の栄光』を望んでいる訳ではないと感じたの」
「とすると、偽善ではないということになりませんか?」
「でもそうじゃないの。私はどうして『他人を救うのか』……それは、その人を端的に助けたいからなの」
「助けたい?」
「ええ。人は生きている限り不幸な事があると思う。だから、どんな人間でも不幸になるし、同時に幸福になるべきであると私は思うの。極論どんな罪人でも、私は幸せになってほしいと思ってる。だから、どんな人にでも手を差し伸べて、その人を助けたい」
「……ピンと来ませんね」
「難しいよね。ごめん。簡単にいうのなら、強引な方法をしたりそれは間違えていると否定するような『直接的な救済』ではなく、そっと寄り添ってぽろっと言葉を投げかける『間接的な気づき』っていうのが、私の望むことなの。人が間接的に助かるのなら、私はどれだけ冷たくされようとその人を諭し続ける。例え何も響かなかったとしても、いずれ私の言葉が、その人の未来を明るくするのなら、私はそれでいいと思っているの。でもそれって押しつけがましい願望でもある。だからこれは、……偽善なの」
というところまで話して、シャルロットは一歩引いた。
「……ごめんなさい。自分語りしすぎたわ」
「いえいいのです。完全に理解できたわけではないのですが、シャルロットさんの在り方は、曖昧ですが理解できました」
「理解を求めた訳じゃないから大丈夫よ。ただ、そういう私の考えが、今、旅をするという結論になってる」
シャルロットは話を終わらせ、彼の顔を覗き込んで、下手な笑みを添える。
「そろそろ行くわ。お金、ありがとう」
言いながら右手を差し出し、握手を求めた。彼とは何やかんや一緒に戦った仲だと思っている。シャルロットは彼の願いのために戦地に赴き、彼はシャルロットの大切なものを守るために命を賭した。その関係性は、二人にとって、親近感を抱くくらいのきっかけがあった。
ジェパードは手を取った。そしてお互いに視線を交わして、
「ええ、達者で」
ぐっとこらえたようにジェパードは言って、その日は解散した。
*
「あぁそういえば、シャルロットさん」と突然、去り際にジェパードが追いついて来た。
シャルロットが振り返ると、彼は不思議な事を言う。
「何故、《シリウスのみ二度も倒した》のですか?」