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24「……綺麗な、灰になりましたね」

『……ねえ、聖都ラディクラムは、今平和なの?』


 焚火を見ながら、少年は呟いた。


『それは、君が気に掛けることなの?』


 シャルロットは問いに応えなかった。でも少年は続けた。


『……うん。誰かの平和になれているなら、僕はあのままでもいいと思っていたことがあるんだ。その時の気持ちが、まだ残ってる』

『そこまでして、どうして苦しんでいたの? ずっと怒っていたんだよね?』

『……赫怒に支配されてた。どうして僕がーとか、どうして僕だけがーとか、怨み妬みがあった。そういうストレスがずっと、僕を怒らせていた。でもね』


 少年は揺れる焚火を眺めながら、虚ろな瞳を揺らした。


『怒るって案外疲れるんだ。それくらいなら、顔の見えない人の幸せを願って頑張った方が、ちょっとだけ楽だったの』


『…………』シャルロットは言葉を押し殺した。少年はぽつぽつ続ける。焚火のぱちぱちという音が静かに踊る。


『苦しい。寂しい。怖い。むかつく。そういうのがさ、ずっとあると、心が疲れる。だから前向きになってみようって。それはね。教会の友達に教えてもらったことなんだ。いまどうしてるかとか、もう顔も名前も覚えていないんだけど。……でも、やっぱり』


『――生きたいな』


 その笑顔は、シャルロットが初めてみた笑顔だった。

 この子は果てしない絶望に落とされ、希望が見えない暗闇に囚われていた。でも、そんな子でも健気に笑う。いい顔で笑う。微笑む。ほくそ笑む――。

 それは彼の事を助け日金を稼ぎ、シャルロットも彼にどう接すればいいか分からない時期に見た、たった一つの美しい笑顔だった。

 その子の笑顔は、シャルロットを突き動かすにも十分すぎて、そして、





 ――カルは苦しみの中でも笑える強さがある。


 *


「――カルは苦しみの中でも笑える強さがある」



 カルの言葉が脳裏に蘇る。『生きたい』――彼の言葉はいつも穏やかで、ツンとしている時もあるが、その中に潜む深い絶望を隠し続けていた。しかし、

 その絶望を押しのけるかのように、カルは未来を望んでいたのだ。

 シャルロットはそれを信じるしかなかった。


「――!」


 走り抜け、地面を踏み込んだ。手を伸ばし赤黒いアーチに掴まり、その上に飛び移って駆けあがった。

 カルの強さ、弱さ、どちらも見て来た。彼がトラウマで怯えていた日を知っている。彼が自分の力を恐れ、自殺を考えた事を知っている。彼が焚火をみながら、笑っていたことも知っている。そんな旅が、そんな一幕が、――無意味であるはずが、ないんだ。


「っ⁉」


 足場の悪い場所を勢いだけで登っていると、眼前に一つの影が現れた。その人物は、遠目だと何か分からない造形をしていた影だったが、近づくと――。


「何を、する、おつもりでしょうか、無名の魔女――ッ!」


 ぞっとした。その影は、ハーブクレイアだった。

 右腕が欠損し、足は一部がぐちゃぐちゃになっており、顔は一部が潰れていた。先ほどの『触手』の攻撃の威力は凄まじかったらしい。

 だがすぐさま、シャルロットは彼の悍ましい姿よりも、彼の変化に意識が移る。それは――。

 潰れた頭に血肉が擦り寄り、足が時間を巻き戻すように治り、右腕はどこからともなく飛来した肉塊が乱暴にぶつかり、彼の体は大きく揺れるが、その肉塊はみるみるうちに右腕へと姿を変えた。にくにくしい音と共に、その体は再生した。

 まるで時間そのものが巻き戻されるかのようだった。傷口が閉じていくだけではない。破壊された肉体そのものが、新たに形成される。『救済』――それは、死すら無力にする、究極の聖装だった。


「オドろきましたカ」


 ハーブクレイアは冷静さを欠いたような、裏返った声で嗤いながら体を起した。

 既に彼の体は、完治していた。


「私の聖装の名は『救切リリーフ』。どれだけの致命傷を負おうと、どれだけ体が千切れようとも必ず治る。それが、私の、チカラァ!」


 彼は興奮しながら刮目した。そんな彼に、シャルロットは敵ながら感心した。


「……そこまでの再生力を聖装に組み込める技術。やっぱり聖都ラディクラムの魔術は最先端ね」

「おや、おやおやおや、ついにお認めになりましたか? では、デハ、平和の為ニこの少年を我らにくだサイ!」


 シャルロットの言葉に、ハーブクレイアは嬉しそうに返す。しかし、彼女が次に彼をみたとき、はっきりとした怒りが視線に乗っており、ハーブクレイアはその殺意に薄ら笑いを浮かべた。

 そんな男の眼前で、シャルロットは杖を前に構え、口を開ける。


「ああ、認めているわ。『魔術への執念』だけはね。でも、同じ魔術師として、同じ人間として、――誰かの礎の上に打ち立てられる平和を、私は絶対に認めない!」

「……アハァ?」

「おとといきやがれ、ハーブクレイア! あんたはこの私を、本気で怒らせた!」


 それは決別だった。聖都ラディクラムへの口に出した、侮蔑でもあった。

 そうしてシャルロットはもう一度、ハーブクレイアの背後にある大きな塊を見据え、それに対になりハーブクレイアは右手を上げると、ガラスの劈くようなひっかき音と共に、何十も『光の矢』が出現した。


「――――平和の光オーダーザライトニング

「――――魔術礼装」


 刹那、発射される光の矢は、空間を切り裂いてシャルロットを襲う。シャルロットは光の矢を避けながら、


「部分適応!」


 そう告げた途端、シャルロットの『両足』が閃光に包まれ、――魔術礼装が足に付与された。

 ――通り抜けろ、黒肢ヴィテス

 白いロングブーツのような形態になった両足は、アーチに降り立つとコツコツ気品あふれる音を奏でる。そんな様をみていたハーブクレイアは瞠目し、でもすぐ微笑んだ。


「素晴らしい」

「足見んな、変態」


 そんな罵倒を吐きつけて、シャルロットは両手を地面に添え、身をかがめた。ハーブクレイアはシャルロットを見下ろし、ずっと微笑みながら――無言で背後にまた『無数の光の矢』を展開した。次の瞬間、


「オっと、いけませんよ。確カニ私の平和の光オーダーザライトニングは命中率が絶望的だと判断されても致し方ナイ」

「…………魔術、」

「でもねぇ、ダメですよ油断は。――後述詠唱、魔術、臨界煙火……」


「――神速っ!」


「――あなたを灰にしてやる」


 光の矢は突如、結晶内に真っ赤な光を灯し始め、陽炎が現れ、それらは勢いよく発射される。

 炎の矢が一斉に降り注ぎ、その軌跡がまるで燃え盛る流星群のようにシャルロットを襲う。対に、シャルロットは反射的に跳躍し、その一瞬の隙を見逃さず、礼装の力で再び地を蹴った。彼女の速度が神速に達する中、残像が矢の雨をかすめたが、

 刹那、炎の矢はシャルロットと入れ違いになるとき強く輝きだし、大きく爆発した。



 灰が落ち、黒煙は晴れる。

 その中には生命の脈動を感じない。それを察すると、

 ハーブクレイアはたゆたう黒煙を朧気に見つめ、恍惚な笑みを浮かべた。


「……綺麗な、灰になりましたね」


 しんとした虚しさを馳せ、ハーブクレイアは静かに両目を閉じた。


















「――何でも貫く、クロスボウになれ」

「はっ⁉」


 声が聞こえ、ハーブクレイアが上空を見上げると、――そこには厳ついクロスボウを右手に持ったシャルロットが宙を跳躍していた。

 そしてすぐさま、ハーブクレイアはシャルロットの手にある物をみて理解という稲妻が迸る。


「黒機だと⁉」


 それは黒機『万能武器』だった。


「あなたの知り合いから借りてきたの! ――魔術、平和の光オーダーザライトニング


 言いながらシャルロットは詠唱し、左手にハーブクレイアと同様の『光の矢』を握ると、それをクロスボウに素早く装填し、ぐっとクロスボウを肩に押し付けた。


「……いかん! 結界魔術、層!」


 ――早すぎる、避けられない。即座に判断したハーブクレイアは叫ぶように唱え、シャルロット向けて結界を展開するが、


「何でも貫くって、言ったでしょ!」

「……くっ⁉」


 シャルロットの一言にハーブクレイアの表情は強く歪んだ。――黒機を撒いた張本人であるハーブクレイアだからこそ、人一倍、万能武器の力について知っていた。ぐっと顔面を歪ませ、しまったと口を滑らし、彼は苦悶の表情を浮かべた。


「じゃあね」


 トリガーが引かれ、鋭い音とクロスボウの軋む音が同時に鳴り、張られた結界すら破った『光の矢』は、ハーブクレイアの頭蓋を撃ち抜いき、足場を破壊し、アーチの一部が落下した。


 その時、『救済』はまた討たれた。



 *



 高熱の世界を進む。

 熱風が顔面を焦がし、空を真っ赤に染め、魔物の唸り声がしきりに響く。天下に立ち上がった一つの大きな『塊』へ進むシャルロットは、身に訪れる様々な苦難を振り払い、そしてついに、最後の一歩を踏み出し、大きな塊に触れた。

 「……カル、話をしよ」と小さく囁いた。


「――――」


 膝をつき、腰を地面におろす。

 そして大きな塊に背中を付けて、おもむろに空を見上げ、ゆっくりと口を開いた。


「私たちの旅と、これからについてさ」

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