「聖都ラディクラム教会所属。第十の司教『救済』の、ハーブクレイアと申します」
眼前の男は自身の胸に手を当て、自己紹介を行う。そんな肩書を聞いたシャルロットは、やはりと男を睨みつけた。男はそんな様子をみてふっと笑ってみせ、
「しかし、予想よりお早い到着でしたね。あの連中にあそこまでの武器を渡しても、やはり無理だったか」
ハーブクレイアは、あの二人、シリウスとカローラをそう軽蔑するように突き放した。
「……カルに何をした?」
そんな事を言われたのだが、シャルロットの心情はもうそれどころではなかった。――真紅の瞳には激しい怒りが灯り、その炎が激しく揺れていた。カルはシャルロットにとって大切なものだ。それを目の前の男が、傷つけたのだ。
「……オメラスの唱には彼の力が必要です。彼の未知エネルギーは性質故扱いやすい。なので一度暴走状態にし、そこから回収を」
「させると思ってるの? この私が」
シャルロットは低い声で言う。言いながら、――久しぶりに杖を取り出し男へ向けた。その様子をみた男は興味深そうに杖を眺めてから、
「……では、一度暴走してしまったあの少年を、あなたは救えると?」
ハーブクレイアは鋭い眼光でそう問う。
だが、そんな問いにシャルロットは食い気味に一喝した。
「どうしてそんなにカルをイジメるんだよ!」
「…………」
「あいつが過去に何したっていうんだ! 生まれのせいでお前らに利用される人生なんて、あの子は望んでいない!」
「だが赫病者は、犠牲を払うことでしか世界を救えないのです」
シャルロットの必死な言葉に意も返さず、ハーブクレイアは淡々と言う。
「私たちはその犠牲を正当化し、人類の平和を築くために働いているのだ。赫病者一人一人の命は、この大義のために使われるべき道具であり、それが『救済』なのだよ」
ハーブクレイアは非情に、さっぱりと述べる。
そんな彼に、シャルロットは杖を強く握って、眉間にしわを寄せた。
「少年を、助けたいのでは?」
イラつく笑みを浮かべながら男は訊いた。
「邪魔するんだろ、どうせ」
突き刺すような眼光を向けるシャルロットは食いしばるように応える。
「……ふむ、いいでしょう」
そして、静かになる。二人の見つめ合いの、静寂が流れた。
――雨が降っていた。乾いた空気に囁くような小雨、そして炎の震える音が響く。シャルロットは杖を男へ向ける。
男はシャルロットから六歩ほど先に立っていた。
見るに無防備。武器はない。
先ほどの戦いとは違い、この戦いに、仁義は存在しない。静かな水の音、燃え立つ炎の音、魔物のような背筋が凍るような音、――静寂だった。どこをとっても、どこにいても静寂な空間が、その場所にはあった。そして二人の視線は、猛烈に交差した。
「――黒魔術、土箱」
そんな沈黙の空間に一石投じたのはシャルロットだ。
詠唱し先端が淡く光る杖を振ると、すぐその場の地面の石の道が盛り上がり、中から土が溢れでて、ハーブクレイアを包むように土が凝固する。ハーブクレイアは動じず、静かに土に包まれる。
「――黒魔術、水の業火」
すぐさまシャルロットは呟く。
静かに空から降り注ぐ小雨の軌道が逸れ、激しい雨音を鳴らしながらシャルロットの頭上に巨大な水の球体が生まれた。――杖を振ると、その球体が地面に叩きつけられ、ざばんと波の疼きが広がり、あらぶり、『土箱』目掛け水難が押し寄せた、が――。
刹那、ハーブクレイアを閉じ込めていた土箱に白い亀裂が三度走り、四度目の亀裂で土箱の上部が大破した。内部から現れたハーブクレイアは、眼前に迫る水難をみてもまた動じず。
「――魔術、
言い放つと、迫った水難がハーブクレイア寸前でせき止められ、その風でハーブクレイアの前髪がかきあげられる。――彼の表情は楽しんでいた。せき止めた水難は徐々に勢いを殺され、ハーブクレイアが目を見張ると、にわかに『光』が水を伝い。
――破裂。水は大きなしぶきを上げながら破裂し、シャルロットの眼前の水までその連鎖は続いた。それを見届けて、まだ畳みかけるようにシャルロットは杖を構えるが、
「遅い」
「――っ⁉」
「
月白色の閃光を右手に添えたハーブクレイアが、破裂した水の軌道を辿りシャルロットの目の前に飛びついた。そして隙を与えずに打ち出される『光の矢』は、シャルロット目掛け飛ぶが、――ガッ、と硬い物がぶつかったような音がすると、ハーブクレイアは目を見張った。
「――黒魔術、蒼穹の道しるべ!」
蒼穹からの欠片を眼前に落とし、光の矢を防いだシャルロット。
そして次の瞬間、シャルロットは杖をくいっと後ろへ振ると――蒼穹からの欠片が周囲にしきりに降り注ぎ、ハーブクレイアは後退を余儀なくされた。
「……くっ」
自分の姿が反射するほどの綺麗な欠片が周囲に乱雑に落ち、ハーブクレイアは避けるのに苦労し、無意識にシャルロットを視界外に追いやった。――刹那、瞬きの間に地面に降り注いでいた欠片はふっと消え、ハーブクレイアはすぐさまシャルロットを眼中に収めようと振り返るが、
「
シャルロットはハーブクレイアの背後を取り、左手で
「ほう……! 素晴らしい!」
その攻撃にハーブクレイアは感心した。広範囲で自分を視界から外し、その隙を狙った巧妙な戦術……。
「でも、ちょっとだけ、惜しいですね」
「は? ――⁉」
振りかぶって迫るシャルロットは、ハーブクレイアの言葉の真意に気が付いた。それはハーブクレイアが背中から倒れ両腕を広げている中心、胸のあたりに、――月白色の矢が、生成されていたことだった。
「
「ッ!」
そうして放たれる、光の矢。命中する直前、土煙が上がり、何かが激突するような音が響いた。
「……避けましたか」
土煙がはけ、ハーブクレイアが立ち上がりながら呟くと、視線の先に呼吸を整えているシャルロットがいた。
「蒼穹の破片(スカイシェード)による防御が間に合ったようですね」
「はぁ、はぁ、なんとかね」
両者、拮抗していた。シャルロットの息継ぎの間を与えない連撃に、ハーブクレイアの魔術対応力が、拮抗する。流石は『司教』だ。
そして、シャルロットにはいよいよ時間がなくなってきていた。
「――――」
カルの事もそうだ。早く助けなければ手遅れになるかもしれない。ハーブクレイアが一人でこの街に来たと決めつけるのも実は早計で、もし他の司教がカシーアにいたら、本当に手遅れになる。それに、それ以外でも不味い事が、シャルロットにはあった――。
「ふむ、なるほど」
シャルロットが考えていると、突然ハーブクレイアは呟いた。
「理解しました。あなたの弱点を」
「…………」
「――あなた、魔力量がさほど多くありませんね」
「――――⁉」
ハーブクレイアの指摘に、シャルロットは驚愕した。そう、シャルロットは決して魔力量が多い方ではない。一般的に言えば中の中程度の魔力量しか持ち合わせていないのだ。その唯一にして最大の弱点が、最悪の敵にバレてしまった。
シャルロットは内心焦りながらも、顔だけは取り繕うものの、ハーブクレイアは既に確信しているようだった。
「つまり、このまま魔術の物量攻撃で押し込めばあなたは負ける。どうやら先ほどの二人の健闘は無意味ではなかったようだ。これは面白い」
「……それが分かったからって、どうする気よ。物量で押して私を倒す気?」
「それもいいですが、ちょっと味気ないですね」
ハーブクレイアは淡泊と言い放ち、シャルロットは思わず悔しさで歯噛みする。
完全に彼は遊んでいたからだ。
「低級魔術の物量攻撃で、あなたのような猛者が倒れてしまっては興が覚める。であるならば」
そう述べたハーブクレイアは、ついに自身の腰のベルトにぶら下げていた『本』を取り出した。
その本を右手の中で開き、彼は両目を瞑った。
その間にシャルロットは考える。
(……次期に魔力不足に陥る。やっぱり短期で片をつけるしかなかった。だから、出来るだけの魔力を注いでとにかく攻撃をしたのに……くそ、気持ちがはやったんだ。せめて相手の出方を確かめてから対抗策を考えるべきだった。冷静さを欠いたのは、私の方だ……!
落ち着け、いま出来る事は少なからずある。まず、礼装だ。魔術礼装を全身に纏えば、ある程度の魔力を節約しながら戦える。だがそれもこれも、相手の出方次第だ。
――本を持った。何をする気なんだ?)
シャルロットは目を見張ってハーブクレイアの次の一手を観察しようとした。
……彼は一言、呟いた。
「――我々は代弁者である」
刹那、空間に漂う魔力が本に集まり、そしてにわかにハーブクレイアの身体が、輝きだす。
空間がぼやけ色がズレ、魔力が聖なる光となり集まってはぶつかる光景は形ない狂濤のようだった。
そんな荒波のうちから、声が聞こえる。
「聖書 第二章『救済』。そして、『狂暴』の極みに至りし時、一つの手が伸ばされたり。そは、孤独にして孤高の手なり。されど、諸民はその争いに疲れ果て、無我夢中にてその手を奪わんと競い合いしものなり。そして、その者の犠牲をもって、諸々の民は救いを得たり。かくて、彼の苦しみは全ての者の平安となり、彼の手は争いの終わりを告げる印となりぬ。彼が一人、全てを担いしは、人々の安寧のためなり」
――鐘が鳴り響く。魔力がハーブクレイアの身体に纏わりつき、聖なる光が彼の体を包み込み、頭上に月白色の輪が広がると、ハーブクレイアは浮かび地面の瓦礫も共に続き、降り注ぐ雨に自身の光を投影し雨が光った。そして、――雨が宙で静止した。
「そ、その姿は……?」
神々しく、そして豊かな御身を顕現させ、身にまとった白衣からは複雑な術式を感じ、シャルロットは真っ青になった。その姿の名は、
「グッドクエスチョン! ――
空を覆い、地面を掌握し、天使の輪を頭上で展開したハーブクレイアは、
人差し指を立て、不敵な笑みを浮かべた。
「――さあ、『救済』の為の、犠牲を――」
司教の指先が空中で止まると世界が静まり返った。
次の瞬間、曇り空が割れるかのような眩い閃光を放ち、その光は大気を切り裂きながら地面に突き刺さった。耳をつんざくような音と共に、その閃光が大地を焼き、周囲のすべてを白に染め上げた。