「だから人助けを始めようと思ったの。ごめんなさい、長話してしまって」
総括し、シャルロットは語り終える。目の前のメリアは静かにコップを手に取り、お茶を飲んだ。そして少しだけ下を向いてから、シャルロットを見た。
「ありがとう。いいお話が聞けたわ」
真剣に聞き終わったような仕草をしながら、彼女は黒目で外をみる。
「自分の事ばかり話してしまったけど、大丈夫でした?」
「ええ大丈夫、気にしないで。私が一番聞きたかった理念を、聞けたわ」
シャルロットの心配に、メリアは安心するような笑みを返した。それを受けてシャルロットは肩の力を抜き、目の前のショートケーキに手を出し、食べる。
「美味しいですね」
「お気に召したかしら。嬉しいわ。私がこの街に来たのは、この喫茶店でケーキを食べる為だったりするのよ」
「へえ。……メリアさんはこの街の人ではないんです?」
「そうね。実は放浪の旅をしているの。私も私の理念があるから、それに従ってね」
そういうメリアを見て、シャルロットは同類を見つけたかのような興奮を覚えた。でもそれを顔に出さないようにして、ふと気になったことを聞いた。
「何かお仕事していらっしゃるです? 旅となると限られますが、同じ旅の者として少し気になって」
「仕事はしてるわ。私が一番したくて、届かせたい場所があるの。そこに向かっての仕事をずっとしてる。私ね、『愛』が好きなの。『愛』を知りたいの。だから、生きてるの」
シャルロットのひょんな質問に、それなりの熱量を見え隠れさせるメリア。依頼主の願いなら、『お使い屋』として否定することはできない。
「ちょっとだけ私の話をしてもいいかしら?」とメリアは切り出した。
「もちろん。そういう依頼ですから」
「ありがとう」
シャルロットはそれを許すと、メリアはちょっと息を吸ってから。
「私ね、愛が分からないの」
「ほう?」とシャルロットは首を傾げた。
「――生まれたときからずっと愛されていた。ずっと人に大切にされて、まるで愛玩動物みたいに扱われてきたわ。私にとって愛は身近すぎた。だから、愛が分からないの」
「でもね。みんなが語る愛はどれも色があって素敵なの。人の愛の話が私は大好きで、聞いているだけで私も愛を感じている気分になるの。だから、愛が知りたい。愛を感じたい。ちょっと押しつけっぽくて申し訳ないけど、私にとっての愛はそういうものだったの。ごめんね、ただの自己中心的な行動だとは分かっているの。でも、人間の愛という妄言を信じたい。人間でありたい。私の願いは、人間として当然に生きること。普通になりたいだけなの」
「人から愛されてばかりなのに、愛を知らない感覚は、常に冷水を浴びているような寒さに等しいの」
シャルロットはその話を、……なかなか共感できなかった。だがシャルロットにとって、育ての影響で何かに固執や妄執の類の気持ちを抱くのは、ちょっとだけ理解できることだった。大きさが違うだけで、シャルロットもそういう『自分に無い物を求めていた』からだ。
(私は過去、人の善性を信じていた。でもいざという時に、その善性という理想像が破壊され、粉々にすり潰された。そこが私のターニングポイントで、人生の大きな変化で、あれから世界の解像度が格段に上がった。きっと彼女は、『分からない』に対しての向き合い方が私と違っただけなんだ。
私はそれを悪いとは思わない。それがその人の性なら、他人はそれを認めてあげるべきだと思う
だから私は、彼女の妄執を主観的に判断して否定しない。それも一つの形だと思うから)
そう自分の中で納得してから、シャルロットは一度お茶を飲み、そして彼女の目を再度見据えた。そこには、ずっと楽しそうな顔が浮かんでいた。
「いいと思いますよ」
「ほんと?」
シャルロットが肯定すると、メリアは開花したかのように髪の毛を浮かばせた。
「ええ。生きる理由はそれぞれあった方がいい。愛を知りたいも、一つの手段ですよ」
「あら、ありがとう! そう言われて私嬉しいわ。じゃあ依頼の最後に、もう一つだけ聞いてもいいかしら?」
もうすっかりとお茶は冷めてしまったし、ケーキも双方食べ終わった。依頼終了の時間も近いことから、メリアはそう提案したのだろう。
「別に構いませんけど?」とシャルロットは笑みを浮かべてそう言うと、メリアは相も変わらず優しい顔を崩さずに、口を開いた。
「では失礼しますね。――あなたはどう思います? 聖都ラディクラムの『オメラスの唱』について」
「……っ」
とたん、店内のレコードが止まり、店の入り口の鈴が鳴って生暖かい風が店内に抜ける。その風は窓辺に座っているシャルロットの背中を気持ち悪く撫で、シャルロットは硬直した。だがそれは、決して風のせいではなかった。
(……聖都、ラディクラム)
その単語を聞いたシャルロットは、顔に出るくらいの不安を覚えた。
――隠さず言うと、シャルロットは『聖都ラディクラム』に追われている。
いいや、正確に言うなら
それも『オメラスの唱』というのは、カルと深いかかわりがある話である。だから一瞬、シャルロットはメリアが『関係者』なのではないかと思考がよぎったが、しかしそうとしても、少なくとも彼女は今、私に何か探りを入れているような顔ではないし、何より、『仕掛けてこない』。
――もしメリアが聖都の『司教』なら、既に私と戦いになっているはず。
そうなっていないなら、恐らく違うのだろう。
だが、
「どうしてそのことをお聞きになるんです?」
「いえ気になりまして、ほら有名じゃないですか『オメラスの唱』って。あなたの性格ならもしかすると、その政策をやや否定的に思ってるんじゃないかと」
「確かに私はあの政策を気に入っていません。だが、それにしても、何か裏があると勘ぐってしまいますね」
真剣な目をしてシャルロットはそう詰める。同時にカルを監視しているチビの感覚を探った。
……チビに異常はない。カルは無事のようだ。
つまり、彼女が私を目的にやってきた『司教』などではないと、安心してもいいのだろうか?
「勘ぐる? もしかして何かあるんです?」
シャルロットは黙してメリアをみつめた。
「ごめんなさい。特にそういった意図はありませんでした。どうやら、聞いてはいけないことを聞いてしまったようね。ここまでにします?」
「あ」
申し訳なさそうにメリアはそう言って、不器用な薄ら笑いを浮かべた。シャルロットははっとした。流石に顔に出過ぎていたみたいだった。
「ごめんなさい! そんなつもりは」とすぐに慌てながらも謝るが、メリアの表情は変わらず申し訳なさそうだった。
「いえいえいいんです。聞かれて困る事を聞いてしまいました。私の悪い癖ですね。反省します」
「そんな、お気になさらないでください」
シャルロットはやらかしたと思った。確かに『聖都』の話に神経質になるのはリスクヘッジとして正しい。だが、勘繰りすぎたのだ。シャルロットは思いっきり後悔する。あああと心の中で頭を抱え、実は打たれ弱い精神がぽろりと泣きそうな強い寂寥感が、しきりに襲ってきた。
「うふふ、でも意外でした」
「……え?」
シャルロットが落ち込んでいると、ふとメリアは血相を変えて呟いた。それにきょとんとしたシャルロットは彼女と目を合わせると、
メリアは右手を口元に添え、細目になって心から楽しそうに笑った。
「あなたがそんな怖い顔するなんて、ちょっとドキドキしちゃった」
「……あ、はは。そうでしたかね?」
彼女の態度に安心したシャルロットはそう訊くと、メリアは「うんうん」と笑みを添え、
「いいシャルロットさん。怒った顔がカッコイイ女性は、モテるわよ」
「そっ、そうなんです?」
彼女はそう言って、席を立った。そしてシャルロットに金貨が入った封筒を渡してから、振り返って。
「――ええ、人の受け売りだけどね」
片目を閉じ、人差し指を唇に当てながら、彼女はそう言って去っていった。