目を覚ますと、カルは暖かい布団で寝かされていた。
重い体を起こし周りを見渡す。どうやらこの場所は個室のようで、室内は布団のなか同様暖かく、カルの背後の窓を軽く覗くとそこには雪景色が広がっていた。
「……っ」
ぴくりと反射的に肩を揺らし、カルはゆっくり右腕の付け根に視線を移すと――包帯が丁寧に巻かれ、痛みも酷くなかった。次に、首にかけられたメーターをみる。
「……」
侵食値は安定していた。
メーターをみて思わず力が抜け、背中から布団に倒れる。そして気を失う寸前のことを思い出しながら、カルは天井をぼうっと眺めた。
(ザザはあの後、素直に去った。エミリーさんが上手に立ち回ってくれたみたい。ザザが去り僕とシャルロットはすぐ建物に運ばれて……そこで意識がなくなった)
「そうだ、シャルロット」
カルはふと思いだすように口にした。そう、シャルロットはザザに『胸』を切られていたんだ。
布団から飛び上がり個室の扉を開くと、そこは廊下だった。カルはふらふらと覚束ない足取りで廊下を歩き、壁にもたれながら人の気配を探る。すると都合がいいことに眼前に人がいて、カルは彼に見つかる事となった。
「目が覚めたのかい⁉」
彼は駆け寄ってきて、カルの体を支えながら、共にとある部屋へと案内してくれた。
*
オリアナ王城から国民の皆様へ
・『仮面舞踏会』及び、一時的な国の出入制限について
この度、毎年年末に開催されます『仮面舞踏会』や街で行われる『オリアナダウン祭り』は例年通り開催いたします。今日から三日後、来たる年越し日には『仮面舞踏会』を執り行い、そして今日から十一日間、『オリアナダウン祭り』が開催されます。つきましては伝統に習い、『今日から十一日間、オリアナの出入制限を行い、結界にて国を隔離します』。国の隔離は『オリアナの三条』である。・戦争をしない。・三つの捧げ物。・国の繁栄。を叶えるためでもあり、なおかつ、『穹の魔女』襲撃時に実際に国を死守した結界の試運転も兼ねています。周知のとおり、魔女とは三世代前に和解を済ませていますが、大規模な結界の点検も兼ね、例年通りの出入規制の方を実施いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、『仮面舞踏会』の【参加権】は順次配送しております。今年も抽選で決まった二百三十二名のお客様を、三日後の年越しの日に、王城へと招待します。
六千三十一年 従(十二)月 二十七日。
*
「これが王城から発送されてまる一日が経った」
シャルロットは手紙を見ながらテーブルに書類を並べると、机を囲む五人の視線が集まる。ここは学術集会に使われる会議室である。中に入ると窓辺に大きな樽のオブジェクトがあり、部屋の中心には立派な机が置いてある。それを囲むようにシャルロット、カル、リハク、シスター、エミリー、そしてクリスの六人が、この部屋に集まっている。
書類には『仮面舞踏会』や『祭り』、そして何より重要な項目である――国の出入り制限についてが綴られている。
「十日間、私とカルはこの国を出られなくなったわけだけど。単刀直入に相談させてください」
間を置いて、シャルロットはこくりと頷いてから。
「私たちは
大雪が降る景色が映る窓を背後に、上半身を包帯で隠すシャルロットは弱弱しい表情で言った。すると部屋の中の可愛らしいピンク髪が揺れ、「ちょっと待って」と声が響く。
「国から逃げる必要ってあるの? ほら、その……現に一日は相手から何の動きも無かったわけで」
すぐエミリーが挙手をした。
「悠長に構えることも手段として悪くないですが、それだと『何もしない』という選択をしたことになります。相手が何もしてこないと踏んで策もなしにいるのはリスクだと考えます」
「……でも」
「ありがとう、クリスちゃん。でも相手が相手なの。私達は一度、あいつらの十一番目の司教と戦って勝ったことがあるんだけど、今回の相手は二人で、それも『八と七番』の司教。プラス、金の亡者。となると、ね」
シャルロットの感謝の言葉と説明を聞いて、クリスはしゅんと俯いてしまう。
「まず商会の方に相談するというのはどうでしょう。年末に国を出る馬車がないか調べるんです」と流れのままエミリーが提案した。
「あれ? でも結界があるんですよね?」とはシャルロットの言である。
「正確に言えば結界は城壁上部から伸びて空で折れ曲がり、王城を中心にして国全体を蓋するような形で展開されています。肝は『城壁は結界に入っていない』ということです。商会独自ルートの搬入や外の建物の兼ね合いから、一部の壁に外への通路が出来ていることがあります。……しかし問題があるとすれば」
「その商会の通路と言うのが、『一番区』にしかないという点。ですよね」
シスターが彼女の提案にそう捕捉説明を行うと、「その通り」とエミリーは肯定する。
「選択肢としては悪くないと思いますけど、とすると更なる問題は、そこへ行けるのが『いつ』になるかですね……」とカルが呟く。
「そうですね。正直、こればかりは商会へ相談してみなければ分からないです」
エミリーは頭を横に振り、これがこちらの出せる手段かと、と説明した。確かに選択肢の一つとして、その商会の出入口を使うというのは良いかもしれない。
ちなみに外へ出た後であるなら、追手が追い駆けてくるのは現実的に難しいという見解が前提にある。
というのも結界による出入り規制は『特例』がない。『国の関係者のみ、期間中でも外に出られます』なんてことは今までにないことだった。(商会も出入口を持っているだけで、それは公に公開し利用できますとしているわけではない)しかし、これも『有り得ない』と一蹴するのは早計な気もしてくる。もしもないと思っている『特例』が実は存在し、自由に国を出入りできる人物や、手段があるとしたら、その前提も危うくなる。
キリがない。
考えても考えても、この国から逃げ出しザザの手から脱するのは困難である。
――だからといって、最善を尽くさない選択はしない。シャルロットとカルはどちらも、司教に捕まる気なんてさらさらないのだから。当初こそ奴らを懲らしめるなんて意気込んでいたが、彼らの圧倒的実力やザザ・バティライトの参戦により太刀打ちができないと知ってしまった。今では、どうやって逃走するかについて話し合っている。シャルロットはこの現状に奥歯を嚙みしめるような感情に苛まれる。するとリハクが手を挙げた。
「……そもそもな話ですけども。どうしてその傭兵に任せ、司教たちは退散したのでしょう」
リハクはあの藍色の路地裏でのことをそう切り出した。
「それは分からないわね……使い魔を彼らにつけていたんだけど、途中で追い払われちゃって」
「でも、よほどの理由がない限り退散は悪手だと思うのですよ」
「……」
「その傭兵、ザザがいくら強かろうと、現にエミリーさんの一手で手出しができなくなっています。その可能性を少しでも考慮できたのなら、彼らはザザと共に戦うべきだった。だがそれをしなかった、というのは些か不思議な話だと思います。とすると――しなかったではなく、できなかったの方が正しい気がしますね」
リハクの着眼点を聞いたシスターが口を開く。
「……確かにそうですね。まずこれは分かり切っていた話ですが、時期が合ってないんですよ。シャルロットさんがオリアナに来たのは二週間ほど前ですが、その司教たちが街で悪事を働き始めたタイミングはおよそ一ヶ月前から……。これは恐らく、シャルロットさんたち以外にも、彼らには目的があったからでは?」
確かに彼らには別の目的があるように思われるが、果たしてそれが何なのかは正直分かる筈もない。情報が少ないからだ。
(確かに時期の話もあるし、彼らがあの場から去った理由に繋がるのか分からない。何か決定的なことがあったりしないのだろうか……)
シャルロットは首を傾げると、二つ横のピンク髪の彼女が「あっ」と呟いた。
「正確な目的がどうなのかは分からないけど、――エミリーさんの脅しだけで傭兵が退いたっていうのが、ある種の答えみたいな感じがするよね。その時に、本意では総出をあげて二人を捕まえたかった。けどそれが、出来なかった理由……それもそこにあるんじゃない?」
「た、確かに……とするともしかして。奴らは王城からの信用を失えない状況にある?」
「っ!」
「ありえない話ではないと思います」とはエミリーの言である。「オリアナの聖都への批判は日に日に増えてきていますから、王女様が司教たちに目を向けていてもおかしくない」
「クリスちゃん流石!」
クリスは照れくさそうに頭の裏を掻き「えへへ」と微笑みを零すのでカルはクリスの頭をよしよしとさすった。クリスはそれなりに嬉しそうだった。
「とすると」
まとめる為に、エミリーが零した。
「現状、『傭兵や司教が本気を出せばシャルロットさんが負けてしまう』ので、『国から何とか逃走したい』。
しかし『国を出るにも結界があり、唯一の方法でも手間がかかる可能性がある』。
そして司教側の現状は『あくまでオリアナとの親交があるため下手な事はできず、そのためのザザを雇ってシャルロットとカルさん確保は一任している』が、『その親交が壊れることを極力避けて行動している』。って具合で間違いないでしょうか?」
その言葉にその場の全員が重く頷いた。その様子を見て、エミリーは薄い緑髪をさっと右手でかきあげ、
「では、ここで小休止としましょう。時間を空け、考える時間を取る」