藍色の影に覆われた四番区の一角、荒々しく燃え上がる真っ赤な焔は、天高く登ろうと激しく揺れる。静かな粉雪に炎の光が反射し、幻想的な様相を形作っていた。
そんな炎の中から出て来た女は、二人の方をちらっと見る。
「ん? 思っていたより子供じゃない。ハーブクレイアめ、毎度大袈裟な言葉で報告書に書くなって言ってるのに」
「敵を侮るのは、わるいくせだよ」
「坊やはお黙り」
ザバクがいさめると、それをラクテハードは突っぱねた。
ラクテハードは二歩前に進んで、眼前の二人をじっと眺めてから、
「さて、始めましてね、シャルロットさん。私達のことは知っているはずよね?」
ラクテハードは問いながら、雪に濡れるのを嫌がるように白い傘を取り出し、上品に広げた。今まさに人が焦げ死んだというのに、彼らの命をなんとも思っていなさそうな救えない二人をみて、哀れみを籠める隙も無く怒りを伝わせ、
「……もちろんよ」
シャルロットは怒気を含んで言うと、ラクテハードはぷっと笑った。
「いい目ね。怒りに支配されている子は、操りやすいものよ。ほんとうに見た目どおり子供じゃない」
彼女は火に油を注ぐように煽るが、シャルロットはそんな煽りに逆上することなく、真っすぐな視線を向ける。それを邪険そうに表情を歪めるラクテハード。
「目的はなに? はなから私たちが目的だったわけ?」
「大方、正解よ」
彼女は両手につけた白い手袋を引っ張りながら平然と言い放ち、息をついた。その背後の炎が次第に小さくなり、路地裏に冬の静けさが戻りつつある。カルは周囲を見回すと、先ほどの炎により路地の入口には人が集まっている様だった。
「もちろん厳密にいえば
ラクテハードは意味ありげに言った。
それ自体はシャルロットの予想通りである。
「……何故、聖書を人に渡すの? そんな代物、誰が扱えると?」
だから問う。聖書を相応しくない者にわざと渡し、無実な人を苦しんで殺す所業を何故行ったのか。いくら考えても、人を燃やして得があるようには見えない。唯一考えられる得は――『聖書の適合者探し』くらいのものだが、外部の人で試し、発見しだい攫うのは少々陰謀じみている気がする。
何より適合者探しなら、やり方が強引すぎるし最適ではない。明らかに他の目的があってのことに違いないのだ。シャルロットはローブの中で杖を強く握った。
「へえ、コレのこと粗方察しているのね。切れる人は嫌いじゃないわ」
ラクテハードは右手に持っている聖書を意味ありげに振って微笑んだ。
「簡単な話。土地勘がある人にあなた達を探してほしかっただけよ。そして発見の合図として――炎は効果的じゃない?」
ぴくっと、シャルロットの肩が揺れた。
カルはそれ気付くと目を見開き、そして感じる怒気に一歩後ずさり、彼女の怒りの叫びを聞いた。
「貴ィ様アアァ!」
「……」
その場の全員が、その怒号に意識を奪われる。シャルロットから発せられたとは思えない怒りの声にカルは小さく彼女の名を呼ぶが、粉雪を燃やしてしまいそうな勢いの彼女に、その声は届かなかった。
シャルロットは怒る。ちんけな理由で奪われた命、そしてどんな人物の命でも軽んじるその浅はかな思考に、彼女は怒髪天を衝くような剣幕で叫んだのだ。
彼女の身には高ぶる魔力が宿っているように見える。その魔力をみて、二人の司教はじっと睨んだ。
間があってラクテハードはまた小馬鹿にするように笑い出し、怒りをあらわにする彼女を見て、
「叫ぶだけの品のない女が、物の価値も分からず鳴くか?」
「あらら」というザバクの呟きと共に、女の視線が交差する。
ラクテハードの薄笑いに、シャルロットの心臓が不快な鼓動を打った。この無意味な死を軽んじる態度――彼女が長年憎んできた『聖都』そのものである。震える指先に宿る魔力が、無意識に暴発しそうになる。
深紅の瞳と、赤みがかったツリ目の視線が行き交い、明確な侮蔑を孕んだ表情を浮かべ、
「黒魔術」
開戦の合図が為された。
紫の剣による先制攻撃が放たれ、路地裏に光が通過した。微笑を浮かべる長髪の女性に向け光は急接近すると、とたん、その攻撃は
攻撃を防いだラクテハードは右手を横へ広げると、――『ラクテハードの鼻先にあたる位置に、まるで時空を断絶しているような壁がモノクロに点滅した』。
「やめてよ、もう。ここであなたと戦うのは私じゃないわ」
「出てこい!」
濁点を付けシャルロットは叫ぶ。一歩、一歩と雪を踏みしめ、シャルロットは重く進み始めた。
「シャルロット!」
カルが危険と感じ声を荒げると、彼女はぐっとその場で止まった。相手の挑発に乗らないくらいの理性は残っているみたいだ。とカルは確認し、どうすればいいか分からず右往左往と視線を移した。シャルロットは今にもラクテハードに食ってかかり、殺してしまいそうな覇気がある。だがそれは賢明じゃない。まずまず司教は、策なしに姿を現すほど馬鹿じゃないはずだ。 何かある。
「……」
その時、カルは路地の入口に立つ男を見た。
その出で立ちには見覚えがあり、カルはその人か分からないが、咄嗟に叫ぼうと身をよじった。しかし――刹那、その長身の男性は影に紛れ、瞬きの間に男の姿が見えなくなり、気が付くと、その男が――、
「え?」
カルの真横に立っていた。
前を見ると、そこには自分の顔があった。ブロンド髪に薄赤い瞳の自分が、まじまじと見える。何故、と疑問が打ち出される前に、その先端がきらりと伝うように光を反射した。
「なるほど」
聞き覚えがある声が聞こえる。カルは目の前にかざされた『鎌の刃』から視線をあげる。
背後の違和感を気取ったシャルロットが、やっと振り返る。
灰色のカーディガンに長いコート、深いクマが目立つ味気ない顔。その身体から漂わせる不気味な気配は、シャルロットの怒りを忘れさせることが出来るほどの力があった。
「ザザ?」
シャルロットが思わず呟く。
そこに立っていたのは、我らが旅仲間の『ザザ・バティライト』だった。
「どうしてここに?」
訊くと、ザザはシャルロットを見た。その顔は相変わらず感情の伺えない無表情だったが、その瞳には微かな動揺が浮かんでいるように思えた。――いや、気のせいかもしれない。そう見えただけだ。ザザの瞳は揺れてない。しんと静まり返った、人の感情を失った人形にも思えてくる。
視線を巡らせると、まじまじと見えて来た光景に、シャルロットは口元を震わせた。
「……その鎌、何するつもり?」
ザザの鎌。共に冒険をしたあの二カ月間に何度も見てきた武器である。
しばしの沈黙が続き、二人は顔を見合わせ続け、そして――、ザザは鎌をカルに向けた。
「――ッ」
シャルロットが魔術、神速を使用しカルを抱えるようにして倒れた。雪を背中につけてぐっと起き上がると、ザザは司教を背後にシャルロットとカルの二人をじっと眺めていた。
「どういうつもり?」
「二人の捕獲」
「……は?」
「これが俺の
その四文字の意味を理解した刹那、シャルロットは全てを察した。
ザザ・バティライトは、敵であると。