「ねえシャルロット」と、防寒具を着込んだカルがふと口を開いた。
シャルロットは白い息を吐きながら「んー?」と応える。二人は脇道の階段を上り、馬車が行き交う道を見て左右確認をしていた。
「聖都って、どうしてそこまで影響力があるの?」
カルは自分で言った言葉に悪寒し、どれだけ『聖都』がトラウマになっているのか自覚しながらも、そう訊いた。
「やっぱり『大陸一の魔術技術』が大きいと思う。いま大陸は黎明期を過ぎてどんどん魔術が当たり前になりつつあるんだけど、歴史を見れば分かるとおり、その魔術の研究を進め、一般的に普及させたのは『聖都ラディクラム』なんだ」
「……そうなんだ」
「褒められたことばかりじゃないけどね。聖都ラディクラムが行う研究はいつだって非人道的だ。『犠牲ありきの平和』をモットーとしてる連中だから、結果を出せばなんだっていいと思ってる。でも難しい所が、その成果をしっかりと出しているところなんだ。その証拠に――聖都ラディクラムの治安はどの国よりもいいし、国のインフラ設備や国民の幸福度も毎年高い」
「オメラスの唱も、その平和維持の一環だったんだよね」
「うん」
シャルロットは多少言いづらそうに告げる。
やっと全ての馬車が通り過ぎ、二人は道を横断した。――何故だかやけに馬車の出入りが激しい。道の奥をじっと眺めると、また奥の方から馬車が走って来ていた。
そんな事を思いながら、カルは息をついた。
「いまこの国で起こっていること、その目的って何だと思う?」
道を横断しきると、背後で先ほど奥に見た馬車が背後を駆けた。
「正直分からないよね。さっきも言った通り聖都の聖職者たちは様々なことを研究してる。全てが魔術に帰結するっていう共通点はあれど、『何をしたいのか』は分からない」
「僕を捕まえたい。だったら?」
「可能性の話?」
「うん」
「ならあるかもね。最低な手段だけど、私やカルがわざと嫌がることをして、挑発しているのかもしれない。……でも、きっと目的はカルだけじゃないよ」
二人は街灯の下を歩き、本格的に降り始めた雪を踏む。静寂に包まれ、藍色の世界を駆け抜ける冬の冷たい息を額に受けた。立ち止まり振り返ると、そこは広い路地裏だった。
二人は顔を見合わせて、その道を歩く。
「どういうこと?」とカルが話を継続させた。
「うん。そのね。言いづらいんだけど。――きっと聖職者たちは、私にも用があると思う」
やけに後ろめたそうに言うので、カルは意外に想う。
「……あの、魔女の卵ってやつ?」
気を遣いながら訊くと、彼女は「うん」と呟いた。
「今の所、私達が分かる奴らの目的は二つある。一つは、『カルを回収してオメラスの唱に再利用する』こと、そしてもう一つは、『私を捕まえ、魔女の情報を吐かせる』こと」
「確か前に言ってたよね。カシーアで司教と対峙したとき、魔女の所在を訊かれたって」
「うん。連中、なんか魔女に会いたがっているみたい。まあ順当に考えれば分かる話ではあるんだけどね」
「ふうん。それで、シャルロットは魔女と関わりがあるの?」
流れで訊くと、彼女は「んー」と言い淀み、一度息をついてから、
「あるわよ。『魔女の卵』は
「そうなんだ?」
「ええ。まあ、確かに私にも狙われる要因はあるけど、でも私を狙うなら」
路地を歩き鉄パイプが風で軋む音がする。眼前の曲がり角に立つ二人の男性を見据えて、二人は歩きながら、
「――私以外の『魔女の卵』も、狙われるはずだけど」
(……魔女の卵って、シャルロット以外にも居たんだ)
カルはそう一人でに想って、曲がり角に立っていた二人の男を通り過ぎると。
「今日は寒いですなぁ」
突如、通り過ぎた男たちが口を開いて話しかけて来た。二人は振り返る。そこには話しかけてきた不潔な男と、壁に背を付ける無表情な男が静かに立っていた。
「……そうですね。雪が降り始めましたし、今夜は暖かくして眠らなきゃいけませんね」
シャルロットが顔を作ってそう応答すると、話しかけていない方の男はじっとこちらを観察する。その態度に、言い表せない嫌悪感を覚えた。すると話しかけて来た方の男は続けて、
「ええ! そうですね。……ところで質問なのですが」
張り付けたような笑みで語る不潔な男は両手を広げた。その瞬間、シャルロットはそいつらがチェーンで腰に『黒い本』をぶら下げているのを発見した。
「シャルロットさんと、カルさんでお間違いないですよね?」
胡散臭い男は唐突に、二人の名前を言い当てた。嫌ににやついている男の背後で、静かに静観していた男が動き出し、会話する男の横に立った。
「……変ですね。名札とか、ついていましたっけ?」
シャルロットが冗談めかしく問う。
男たちは無言だった。ただ張り付けたような気味の悪い微笑みと、氷のように冷たい表情をこちらに向けて。
「あんたたちが、司教ね」
残念そうにシャルロットは呟く。
「!」
とたん、カルは二人の動きを見て瞬時に動いた。二人の男はその雪景色の中で、二冊の黒い本を右手に構えたのだ。だが、――こちらの一矢の方が幾分か早かった。
「――
「――
「くッ……」
空の破片が男の首元にあてられ、少年がその手に創造した鋭い剣が、もう一人の男の背後で突きつけられた。男たちは突然向けられた刃に唖然とし、明らかに表情が崩れる。
緊迫した男たちの焦りが、剣先からひしひし伝わってくる。カルは人に初めて剣を向けたので、しっかり脅しになるよう、手元を緩めずがっしりと固く握っていた。
「……な、なんでわかった?」
それまで口を開いてなかった方の男が、そう恐る恐るきいた。
「バレバレよ。ここ一カ月、色んな場所で人を襲い怪我を負わせてきたお前らなんて、見ればすぐわかるわ」
「は、はあ? っ」
不満を漏らそうとお喋りの方が口を挟んだが、すぐさまシャルロットの鋭い眼光に股下を震わせた。
「観念しなさい。『モルデ』と『ゲイザード』さん。大人しく、目的を吐いてもらうわよ」
名を言うと、男たちの顔には苦悶の表情が浮かんだ。
この二人がナナを襲った張本人であるのは確定した。黒い本。もとい【聖書】と呼ばれていた本は一度見た事がある。表紙には星を型取った銀の模様に、ちゃらちゃらとチェーンが揺れる姿は、見間違える要素も無く、あのカシーアで司教ハーブクレイアが見せた【聖書】と同類だろう。司教ごとに【聖書】の形状が違う可能性だって十分あったが、どうやらそうではなかったらしい。
シャルロットは息を整え、男たちに圧をかける。……しかし、しばらくして男たちはお互いの顔を見つめ、にわかに、つかみどころのない顔を同じく浮かべた。
「なんだって?」
男たちはそう呟いた。
「……何が?」と男の乱暴な言い方で、意図を汲み取れなかったシャルロットが問うと、「だ、だから」と男は冷や汗を流しながら口を滑らせ、次ははっきりと言った。
「それは、誰の名前だ?」
「……は?」
思わず、耳を疑った。
「お、俺の名前は『ラスカル』ってんだ。そんでそいつは『ミード』だ。お、お前らが探してる奴らとはちげえぞ?」
男たちはおぼつかない言い方で云う。それには、まるで嘘を感じなかった。この場面で嘘をついたとて意味がない。時間稼ぎにしかならないからだ。
どういうことだ? まさか、本当に嘘をついていないというのか?
困惑した。聞いていた話と違う。ナナを襲った二人組の名は『モルデ』と『ゲイザード』のはず。なのに、ラスカル? ミード?
「……」
知らない名前だ。シャルロットとカルはお互いに様子を伺う。思いもよらぬ事態に、困惑の波が二人の近くで波打った。
「はっ」
その隙を突かれ、男たちは二人で咄嗟に黒い本を構えた。
「ま、まて!」
シャルロットがそう急いた声で叫ぶが、男は止まらなかった。本を構え、そして、叫んだのだ。
「――我々は、代弁者であ……」
*
音が消えた。