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13「ダアアアアア!」

 静かな冬の風が通る路地で、白衣を着た人物が呟いた。


「――これはね、すばらしいモノなのよ」


 その人物は豊満な胸に海藻のような長い髪、薄赤い瞳に色気を纏わせた口紅が淡くてかる女性。彼女の胸ポケットには白い薔薇が刺さっており、見る人すべてに上品な印象を与えていた。

 彼女は言う。その上品かつ魅惑的な美声で。


「これをひとたび唱えれば、君たちは力を得る。その力は凄まじいものでねぇ。沸き立つ魔力と、身に余る強大な力を宿すことができる」

「……へへ、そんなブツをくれんのかい?」


 そんな女性に口説かれていたのは二人の男だった。方や隠し切れない薄ら笑いを披露している男に、表情があまり変わらず低い声をしている男性。そんな二人は、女性から手渡されるモノをみて、目を見開いた。


「……本?」

「なんだこりゃ」


 それは分厚い本だった。


「それは『聖書』よ。それを持ち、――唱える。さすれば、力が手に入る」


 女性は意味ありげに囁いた。


「何だか胡散臭いけど、なるほど」低い声の男はそう納得したように頷き、女性を見る。

「それで、力をくれる代わりに、俺達に何をしてほしいんだ?」

「話が早くて、助かるわぁ」


 本題を切り込むと、女性はこつこつとヒールで歩き始めた。そして大通りをじーっと見つめ、右手の人差し指で人混みをさす。


「探してほしい人がいるの。一人はブロンド髪の少年――愛くるしい顔をしていて、右腕を隠すために長袖の服を好んでいる臆病者。名は『カル』。二人目は――黒髪のボブカットに綺麗な真紅の瞳、そして灰のローブに包まれ黒色のニーソを履いている強がりな女の子。名は『シャルロット』。その二人をあなた達に見つけてほしいの。最近の情報では、『四番区』付近をうろついているらしい」

「……へえ、その規模の依頼か。なら報酬が足りないんじゃねえのか? 力をくれるだけじゃ、割に合わな――」

「金貨二十枚ってところでどうかしら」

「……へえ?」


 女の思い切りのいい金額に、表情の変化が乏しい男の口元が、にゅっと緩む。


「もちろんこれは前金よ。依頼完了後にはもっと渡す、よ・て・い。でも気を付けてね。あなたたち以外にも依頼を出しているから」


 女はそう発破をかけ、右手をわざとらしく振った。その様子から彼らも依頼した数多の有象無象の一角・・・・・・・でしかないと悟らせる。

「はっ、お嬢さん」


 しかし、だからといって男たちのやる気が削がれるということはなかった。


「オリアナに根付いてから早三年、俺らなら今日中にでも見つけてやるさ。追い詰めるのは得意なんだ」


 男は云いながら、ふんと腕を捲って筋肉を見せてきた。それを見て女性は口を小さく開き、色気を纏って呟く、


「あら、頼もしいじゃない? どうやらもう一人の依頼人より土地勘がありそうだし、あなたたちが一番星かもね?」

「へへ、そうなれるように尽力するさ」


 男が啖呵を切ると、女はふっと微笑んだ。そして、情熱的な瞳で男たちをじっと見つめた。――「はっ」ととたんに鼻で笑うと彼女は踵を返し、人混みの方へ歩き出した。


「じゃあ、あとは頑張ってね。私は“過干渉”しないの」


 女はそう言い残し人混みに消え、男たちは渡された『聖書』を脇に抱えながら走り出した。


 *


 薄青い影に包まれ、無機質なカーテンで光を遮断された静かな部屋。室温は生ぬるく調整され、小さな魔導機の駆動音が振動し、病床に一人の少女が寝かされている。


「……ナナ」


 ピンクの髪を揺らしナナは病床の横に椅子を持参しゆっくり座った。すると、病床で眠っていた少女はもぞもぞと顔を上げ、包帯だらけの口元を動かす。


「おはよう、クリス」


 彼女の嗄声が鼓膜をさわる。

 「調子はどう?」と訊くと、彼女の嗄声は優しく響いた。


「だんだんと、良くなってきているよ。まだヒリヒリするけど、腕くらいは動かせるんだ」


 そういう少女の体をナナが恐る恐る見ると、確かに火傷の跡が変化しているように感じる。


「エミリーさんが紹介してくれたお医者さんが来てから、痛み止めが変わってね。こうやっていつもよりクリスと喋れるから、嬉しいよ」

「うん、嬉しいね。ボクも嬉しいよ」


 クリスははにかんで笑う。


「年明けくらいには、もう少しマシになってればいいなぁ」

「そうだね。今の治り具合だと、年明けにはもっと良くなってる筈だよ。リハクさんが買いに行ってくれた薬は、とても質がいい物なんだって」


 彼女は「……そうなんだ」と呟いた。そして少しの間があってから、彼女は包帯の隙間から出てる右目でクリスを見つめ。


「クリスはどう? 最近とか」


 彼女の問いに、クリスは頷いて語りだす。


 シャルロットさんはカルの旅仲間って言ってたけど、あの二人、仲間というよりは家族みたいな接し方をしているんだよね。母親が子供に向ける無償の愛みたいな? 案外そこまで重くないのかもしれないけど。仲がいいのは伝わってくるんだ。


 エミリーさんはシャルロットさんが連れて来てくれたけど、あの人の創作魔術? は凄いんだ。ボク魔術だけ苦手だったんだけど、あの杖を使ったら魔力の扱い方のコツがわかって来てね。他にも『感覚を共有する魔術』だとか『相手の感情を色で読み取る魔術』や『硬い物を柔らかくする魔術』とか、どこで使うんだろうって創作魔術ばかり作っているみたい。でもそんな使いどころがわからない創作魔術が大好きみたいで、「見せて」っていうと喜んで見せてくれるんだ。


 リハクさんとシスターさんは相変わらず優しいよ。ナナの様子も見に来てくれているけど、子供たちと遊んだり散歩したりしてて、前に着いて行ったことがあったんだけど、街のガイドの説明の仕方が分かりやすくて、みんなに人気があるってのも頷けた。楽しいから、今度一緒に行こうね。


 「いいなぁ、わたしも遊びたい」ナナはクリスの話を聞いて楽しそうに言った。「大丈夫だよ、治ったら遊ぼ?」微笑んでいうと「うん!」とナナは健気に頷いた。


「そういえばクリス」


 そんな雑談がある程度落ち着くと、ナナは思い出したように人差し指をたてた。


「カルくんとはどうなの?」

「……どうって?」


 ナナはふと訊くと、変な間があってからクリスは応える。その声は多少裏返っていた。


「ほら、なんか前話してたじゃん。……カルくんがボクの事を守って戦ってくれて、その時の背中が――」

「ダアアアア!」


 突然の絶叫。クリスは両手をドンと布団に叩きつけ、顔を布団に埋めた。そんな様子をみたナナは口角を上げ、悪戯な顔を浮かべた。


「あれ? 何か勘違いだった?」


 訊くと、クリスは真っ赤な顔を上げ、早口で、


「そうじゃないけど! そうじゃないけどさ! 言い方ってもんがあるでしょ?」


 「言い方?」わざとらしく首を傾げた。


「そう! なんでボクがあいつのことを気になってるみたいな言い方になってるんだ!」


 図星のようでクリスは真っ赤な顔のまま勢いよく人差し指でナナを指した。

 「そうじゃないの?」プッ、と嘲笑しながらナナは云う。


「ダアアアアア!」


 クリスは椅子から転げ落ち、両手で頭を抱えながらじたばたと室内を回った。その様子にナナはご満悦で、「まさかの人物の弱みを握った」と心の中でガッツポーズをした。

その時、部屋の扉が開かれた。


「ドタドタと何をしているのかしら、クリスティーナさん。ここは病人の部屋ですよ」

「……げぇ」


 扉を開けて部屋に入ってきたのはシスターだった。彼女は桶にお湯を溜めたものを両手で持ちながら、ため息を吐いた。シスターは部屋に入るとナナの元へ歩き、お湯の入った樽を小棚の上に置いて、


「ふう。まぁ、お二人が元気なようで安心しましたよ」

「はい!」


 シスターの言葉にナナは嬉しそうに応えた。そんな二人の様子をみながら、クリスは顔を赤めたまま壁に背中を付けて立ち、腕を組んだ。


「今日はお熱の方、どうでしょう?」

「体感はないです。呼吸も楽になってきました」

「なるほど、リハクさんが買ってきたお薬ポーションが効いているようですね」

「シスター、ナナはあとどのくらいしたら完治するの?」


 ナナとシスターが会話していると、背後でフンと鼻息を漏らすクリスが訊いた。


「ポーションの治癒力は凄まじいものです。このペースですと、年始には治っていると思いますよ。――もちろん、元気な事はいいことですが、ドラバタと病人の部屋で踊られると、治るものも遅れるかもしれませんが」


 言いながら、シスターは背後に立つクリスに釘を刺した。


「うぅッ、……ごめんなさい」

「わ、わたしもごめんなさい。悪ふざけがすぎました」

「……よろしいのです。元気なのは悪い事ではありませんからね」


 シスターはお淑やかに呟き、息を整えてナナの体を触り始めた。


「状態も悪くありませんね、足の方もほとんど回復していますし、問題は腕と胸あたりになりますか。それに気持ちが前向きになりましたし、これなら本当に治るのも早いかも知れませんね」

「ほ、本当ですか?」


 シスターの診察にナナは恐る恐る訊くと、「ええ」と微笑みを添えて肯定した。


「結局、ナナは誰にやられたんだよ」


 その微笑ましい雰囲気に劇薬を入れたのは、クリスだった。

 シスターはシャルロットとの会話を思い出す。


「……さあ。最近このあたりは物騒です。孤児院はワタクシが守っているので大丈夫ですが、まだ住処を失った子供たちは大勢います。更に、この孤児と治安はオリアナの社会問題なんです。そう安々と良くなるとは思えません」

「……でもさ、行き場がない奴らは、こんなご時世でどうすればいい?」

「ワタクシも苦心しています。この街には、まだ住処を失った子供たちが大勢います。孤児院も限界で、資金の支援者たちも不満を抱えています……。だから、リハクさんも連日、不躾と自覚しながらも『エミリアさん(歴史学者で王族とコネクションがある)』に相談していますが、即効性のある解決策は難しいでしょう」


 シスターはゆっくりと語り、そしてクリスの方へ振り返った。


「我々一国民では、すぐさま情勢を変える事はできません。出来る事と言えば、不満を声に出すしかないのです」

「……っていっても、選挙は随分先ですよね。議会もいい話を聞かないし」


 クリスは数日前に盗み読みした新聞を思い出しながら言うと、シスターは「その通りです」と冷静に肯定した。


「ま、ボクたち子供が考えても仕方ないことか。世界には、どうしようもないことが溢れてる」

「……ええ」


 シスターは重く頷いた。

 ――ナナに怪我を負わせたとされている聖都の司教、彼らがこの国を悪くしている一因なのは変わりない。故にシスターは、クリスやナナの子供の嘆きに、胸が締め付けられる想いをするしかなかった。

 彼女とクリスが部屋から出た頃、窓から外の風景が見ることが出来た。

 外は昼間なのに薄暗く、小さな雪が降り始め、孤児院正面の唯一の街灯がやけに目立って見えた。


 その街灯の上には、小さなドラゴンの影が見える。


 *


 ゆらゆらと微雪が落ちる昼間、孤児院の前の街灯の下でシャルロットとカルが腕を組んで待っていた。ややあって道の奥の道からコートを着込んだ男性が見えて来て、彼はシャルロットの前で止まると帽子を脱ぐ。


「待たせたね」


 リハク・ワーグナーは疲れたような声で呟いた。


「お疲れ様です。おいでチビ。何か進展があったんです?」


 そう言ってシャルロットは街灯の上で周囲を警戒していたチビを肩にとめる。


「進展と言えるものかどうかわからないですが、知り合いから面白い情報を手に入れました」


 「面白い情報?」カルがリハクの言葉を聞き返すと、リハクは「ああ」と頷いた。


「最近『四番区』の、それこそ『エミリアさんの隠れ家』近くの路地で目撃情報があったんです。男たちの名は『モルデ』と『ゲイザード』。有名でもないゴロツキの連中で、何度か騎士にもしょっ引かれている半グレです」

「……その男たちが?」


 シャルロットは一歩前へ前進して食い入るように訊くと、リハクは片目を閉じ人差し指でシャルロットを指して、


「その男たちが『黒い本』を持っていた」

「……」


 それを言われ、シャルロットの赤い瞳は分かりやすく揺れた。

 内なる怒りが音を鳴らしながら踊り、それに煽られるように彼女は刮目した。……だがすぐ息を整え、シャルロットは振り返ると。


「カル」

「どうしたの?」

「私は正直、ナナちゃんに怪我を負わせた聖都の奴らを懲らしめようと思ってるんだけど、カルはどう思う?」

「いいんじゃない?」


 カルのあっけらかんとした返答に驚いた。


「いいの?」


 あの冷静なカルなら、『今回の聖都は国ぐるみだし、下手に手を出さない方がいいと思うな』だとか、『目的も分からない相手に飛び込むのはよくない。罠かもしれないし』とか、そういう冷静かつ聡明な判断があると予測していた。実際、シャルロットにもその考えはある。


 ……だが、それはそれとして、彼らを野放しにし、ナナのような子供の被害者が出ることは許せない。知ったうえでほっとけるほど大人じゃなかった。シャルロットは自分の稚気な部分を自覚しているつもりだが、こればかりは許すことができない事だったのだ。


 その自分の子供な部分を、真っ向から阻止するのがカルだと思っていた。


「大丈夫。僕も大体、同じ気持ちだよ」

「……カル」

「僕は確かに怖い。聖都の力がどれだけ強大か、十分に分かってる。だけど……ナナみたいな子がまた傷つくのを黙って見過ごせない。それに、シャルロットがいるなら、僕も戦える気がするんだ」

「……そっか。ありがとう」


 シャルロットのその言葉にカルは元気よく頷いて、可愛い笑顔を見せてくれた。


「くれぐれも、気を付けてくださいね」


 リハクの言葉を聞いた二人は、一緒に手を振って歩いて行った。

 雪が降る四番区の路地は、まるで息を潜めるように静まり返っていた。


 壊れかけの街灯が不吉に点滅し、薄暗い道の奥から風が冷たく吹き抜ける。その風には、どこか鉄錆びのような匂いが混じっていた。


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