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幕間6 ザザ・バティライト(下)

 暗い雪道をランタン片手に歩いていた。魔物は狩り尽くし、全員怪我はなかった。なんならシャルロットとザザだけで粗方片付いてしまったから、ナデーシェとエレドさんはハトに豆鉄砲くらったみたいな顔をしていた。

 そんな帰り道の途中、ふとナデーシェは、三人に宿でどうして喧嘩が起ったのかを教えてくれた。


「エレドの奥さんが今妊娠中なんです」


 森を歩きながらそう言うと、カルは不思議そうにして、


「奥さん?」

「ええ。もうちょっと先の方の村にいるのだけど、そろそろ時期がね。だから、今は帰省途中なの」

「元々どうしても冒険に出なきゃならない事情があったんだ。そのために妻の了承を得て、俺は旅に出かけた」


 ナデーシェの説明に乗っかる形でエレドは背中を向けて語ってくれた。


「冒険の用事が終わって、これから帰って赤ちゃんを迎えるぞっていうのが。今だ」

「そう。でもそんな大事な時期だからこそ、あの人はエレドに怪我させたくなかったのね」

「アラルドめ、余計な気を回しやがって」


 要するに、エレドに怪我があっては故郷で待つ奥さんに申し訳ないから、出来るだけ怪我をしてほしく無くてアラルドと言う人がエレドを庇った。その結果が惨敗だったということだ。


「なるほど、あの方、仲間想いなんですね」


 シャルロットがそう言うとナデーシェは「不器用のくせにね……。でもそういうところがリーダーとして適任なんです」と呟いた。仲間思いが転じて両者の怪我にという点を見れば、確かにあの男は不器用だった。カルはその話を聞いて感心したように目を輝かせた。

 ザザは顔色一つ変えなかった。


 *


 村に到着するとまたザザは数人の子供に絡まれた。


「い、意外ですね。子供に好かれるんだ」

「俺も意外だ」


 ナデーシェの言葉にザザはそう反応した。子供はザザの股下を抜け肩によじ登り、ザザの一切変わらない頬をつねったりして遊んでいた。


「不思議よね。どうして無愛想なザザが子供に好かれるのかしら。私の方が可愛いのに」

「シャルロットはおバカなのが透けているからね」

「ハアン⁉」


 カルの余計なちゃちゃでシャルロットは顔を真っ赤にした。

 すぐシャルロットは顔色を変えて、ザザを細い目で見つめる、するといきなり閃いたようにシャルロットはカルを見た。


「……というか、カルの別に年齢的には子供だからさ。ザザが何故子供に好かれるか分かったりしないの?」


 とシャルロットが訊くと、カルは目の下を赤く染めて「んー」と唸ってから。


「不思議なんですが。ザザさんからは敵意を感じないんですよ」

「敵意?」

「子供目線、大人って実は敵意の塊みたいなもので、どんな人間に対しても敵意を向ける人とか、壁を作る人が多いんです。でもザザさんにはその敵意みたいなのがなくて、あれが素なんだろうなっていうのが分かるんです。だからかな?」

「それは意外ね」

「うぉれもゆがいだぁ」


 ザザは両頬を引っ張られながら同意した。その様子にナデーシェとカルは笑う。


「エレド」


 すると背後からいきなりそんな声がして振り返る。そこには片腕に包帯で補助しているアラルドが立っており、その背後にアラルドに付いた赤毛の女性が気まずそうに両手をお腹に添えていた。


「アラルドか」


 エレドが彼の方を向くと彼は難しい顔をした。ぐっと睨むようにしながら、口をつぐんでいた。その沈黙は、まるでアラルドの言葉を待っているようだった。


「……」


 シャルロットが固唾をのむと、アラルドは勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい。一方的に気を回すばかりで、お前の気持ちを尊重できていなかった」

「…………」

「この通りだエレド。俺の思い違いを許してくれ」


 その言葉で静寂が流れる。ナデーシェは静かに微笑み、アラルドの背後にいた赤毛の女性はほっとした。エレドが前に進むとアラルドの肩を右手で掴み――、


「今日は奢りな。シャルロットさんたちの分も含めて」

「は、はあ⁉ ちょっとまてよ! まだ討伐手伝ってくれたこの人たちなら分かるが」

「お前、まさか反省してないのか?」


 エレドが圧をかけるとアラルドは縮こまってしまい、青い顔をしながらゆっくり縦に頷いた。


「じゃあ決まりだ。宿で一番いいご馳走を頼むぞ」


 と肩を叩いてエレドはアラルドを追い越した。


「んな⁉」

「アラルドのおごりか~、何年ぶりよ」

「おいナデーシェ!」

「さ、いきましょうか」

「リリカまで……」


 ナデーシェと赤髪の女性までもが流れを作り、ナデーシェもエレド同様アラルドを追い越した。アラルドは愕然とし両手で必死に訴えかけるが虚しく、最後はため息つきながら脱力して、シャルロットを見た。途端に気恥ずかしそうに唇を尖らせながら青年は頭の裏を掻き、


「ということなので、今日はすいませんでした。これからご飯ですが、一緒にどうですか?」


 シャルロットとカルの賛成多数で奢ってもらう事になった。


 *


 巨大な鶏肉のソテーが登場したときのカルの輝く両目は凄まじかった。

 ふんわり鼻先を触る香ばしい匂いと、眼前に置かれた巨大な肉に釘付けになる。カルは「待て」と言われている犬みたいな顔をするので、シャルロットが「一人で食べてもいいよ」というと、カルは肉を丸かじりした。


「君ぃ、食い意地がいいな、リリカといい勝負なんじゃないか?」

「ちょっとアラルド、私に失礼でしてよ」

「んっだてぇ? 井戸の前で出会った幼馴染が好きな田舎もんが」

「なんですって、ちょっとあなた顔出しなさいよ」

「こら、喧嘩しないの」


 ナデーシェの諫めでアラルドはすんとそっぽを向いてしまい、リリカと呼ばれる女性は何てことないようにシチューを飲んだ。シャルロットも頂きますとお肉を齧って、野菜もぱくりと食べた。


「シャルロットさん、私達、何歳くらいに見えます?」


 すると突然、隣に座っていたエレドさんが話しかけてくる。


「え、ええっと。最初は若い人なのかなって思っていましたけど、話しているうちに結構な冒険者なのかなって思っていますね。なので三十代とかです?」

「大体あってますよ。若手に見られがちですが私たちは冒険者歴十年のベテランですね。そこのアラルド以外はみんな故郷に婚約者を置いてきているし、なんならナデーシェなんて子供がいます」

「そ、そうなんです⁉」


 そうナデーシェへ視線を移すと、彼女ははにかんで笑った。


「子供はもう巣立っちゃったからね、私も古巣へ戻ってこようかなと」

「へえ、そうだったんだ。全然気が付かなかった」


 驚いた顔でそういうと、ナデーシェは隣に座っていた赤毛の女性に、


「よかったねリリカ、私達、まだ現役だってさ」


 と嬉しそうに囁いて互いに舞い上がっていた。


「おいおいお前ら、まだ恋の香すら嗅いだことねえ男、アラルドがいるってのに何イチャイチャしてんだ、アアン?」


 彼はそう割り込んできたが、途端にリリカと呼ばれる女性がにんやりと嫌な笑みを浮かべて、


「アラル童」

「切る」

「私よりその貞操を切ったら?」

「殺す」


 なんて具合で二人は言い合いを初めてしまい、シャルロットとエレドはそれをぼうっと眺めていた。二人の喧嘩は本気の喧嘩というより、仲がいい人同士でやるような、可愛いものだったからだ。


「…………」


 何だか楽しそうだな、とカルは遠い目で大人たちの戯れを眺める。そしてふとカルの隣に座っているザザへ話しかけようと振り返ると、

 そこにザザはいなかった。


 *


 村は標高が高い場所にあるからか、その星空が限りなく美しくみえた。ひんやり冷える風が山から運ばれ、ザザのコートを靡かせる。ザザは宿の外に立って空を見ていた。その手に、首にかけていたネックレスを握って。


「ザザ?」


 会食の場にザザの姿がないため探しに来たカルが背後から声をかけると、ザザは振り返って、またあの無愛想な顔を見せた。


「カルか。どうした?」

「ザザが居なくなっていたから、どうしたのかなって」


 そういうと、ザザは注意深くカルを睨みながら、


「心配したのか?」

「そういうわけじゃないけど、気になった」

「なるほど」


 そう頷くザザはまた空を見上げた。カルは彼の隣にそっと並んで、同じ夜空を見上げる。


「飯は美味しかったか?」


 ザザは視線を向けずにそう訊いた。


「美味しかったよ。あまり食べた事がないものがあったから尚更ね。やっぱり旅はこうでなくっちゃ」

「そうか。ならよかった」

「…………」


 その時、ふとカルはザザがどうだったのか気になった。


「ザザは食べないの?」

「俺はいい」

「そんな、美味しかったのに」

「…………」


 ザザの淡泊な態度は今までも一貫していた。単に性格だったりするのだろうかなんて最初は思っていた。でもカルは感じた。彼と旅をして、その中で仲良くなったからこそ感じたのだ。

 ――カルはザザの態度から何やら事情があるような気配がした。

 それは不思議な感覚だ。思えばこの人がご飯をおいしそうに食べている場面をみたことがなかった。


「どうした?」

「もしかしてザザって凄い猫舌だったりする?」

「……そうじゃないぞ? 何故だ?」

「なんというか、不思議だなって」


 「不思議?」とザザは顔を傾けカルをみつめた。カルもザザを見上げ、確信めいたものを秘めた瞳でザザを見る。


「ザザが子供に好かれるのは敵意がないからだってさっき言ったよね」

「ああ」

「どうして敵意がないんだろうって思って、ちょっとだけ考えたんだ」

「…………」


 言いながらカルはザザの手前に移動した。そして彼の顔を正面からしっかりと覗く。クマの目立つ顔につぐんだ口に無愛想な鋭い目。人によっては怖がってしまうような、少し圧のある風貌だった。

 カルは彼の瞳の奥を覗き込んだ。黒い漆黒の中には、――なんの渇きもないような虚無が広がっていた。


「ザザってもしかして、敵意がないんじゃなくてさ」

「――――」

「興味がないの?」


 言うと、ザザは肩を揺らした。


「……そうなのかもしれんな」


 ザザは間を作ってから、言いづらそうに肯定した。

 そしてザザはカルをじーと見つめ、――ついに一度ため息をついた。観念した。と言いたげな顔を見せてから、やっとその小さな口を開いた。


「――俺には味覚がないんだ。小さな時から」

「え?」


 意外な告白にカルは頭が真っ白になり、にわかに絶句してしまう。――思わずザザの目を見つめ返したカルの瞳がほんの少し潤んでいたのは、驚きのせいか、切なさのせいか、ザザにも分からなかった。


「……」


 味覚がない。そんな事がありうるのか、だとか、何故ないのか、とか、色んな疑問が浮かんで埋め尽くす……。そんなカルの様子をみて、ザザは口を開いた。


「食べ物を食べても、言ってしまえば物を呑み込んでいるような感覚しかない。味覚がないから美味しいとかもわからない。俺は昔からそういう具合だった。だからか分からないが、物事に対して興味がでない。全てただの風景で、そこに温かみがないように思える。さっきの連中にしてもそうだ。俺には分からないことだらけだった」

「…………それは、治るの?」

「さあな。医者に診てもらったことはあるが、アテにならなかった」

「……そっか」

「…………」

「…………」

「カル」


 ザザは俯いたカルに声をかけた。


「隠していて悪かった。だが、言う必要もなかったんだ。変に伝えても気を遣わせるだけだ。お前はいい子だから気にするかもしれないが、気にしないでくれ。俺は今の俺が嫌いな訳じゃない。旅をして、生きて、金を稼ぐ」


 そこでふんわりと、ザザがお金で雇われる傭兵であるのをカルは思い出す。同時にずっと前から考えていた疑問も、思い出した。


「ザザはどうして僕らと旅をしたの?」


 訊くとザザはとくに考え込まず、淡泊に答える。


「特別な理由はない。ただ、旅は大人数の方が楽なだけだ。あの村の宿でお前たちに会って、俺は旅の負担を減らせると思った。――俺は金で雇われる傭兵だ。カル。お前を仲間として守りたい気持ちはあるが、それはこの旅を終える……南の王国オリアナまでの話だ。目的を果たしたら俺はお前らと離れる」

「……それは何となく分かっていたけど」

「引き留めたいのか?」

「そりゃね。僕らは一ヶ月旅をしてきて、一緒に過ごしてきた。僕はまだザザと離れたくないよ」

「そうか」


 ザザは寂しそうにつぶやく。寂しそうと言うが、それは引き留められたカルへの感情ではなく――引き留められて何も思わない自分への、失望みたいな感情による、寂しさに思えた。


「カル」

「うん」

「別れはくる。だが、再会もある」

「……」

「旅はまだ終わっていないが、いずれ別れがあるだろう。でも、大丈夫だ。きっといずれ再会する。【シャルロットと俺は共通点がある】んだ。それが生きている限り、必ずどこかで、運命の導きによって交差する」


 ザザはそう呟き、右手を胸の前にもって行き、握っているネックレスを凝視した。

 「共通点?」カルは首を傾げるが、ザザはネックレスを見てから、次に目の前に立っているカルを見た。


「いずれ分かる」


 なんて言い放ち、ザザは振り返って宿の方に歩き始め、背中越しに言葉を吐く。


「すまなかったな。せっかくの会食だったのに、俺のせいで興が覚めただろう」

「大丈夫だよ」


 カルの落ち込んだ声を聴いて、ザザは雪を踏んで宿に戻ろうとする。


「ザザ」


 数歩進んだところで呼ばれ、ザザは止まった。


「旅をしている間は友達でいてよね」

「……もちろんだ」


 振り返らずザザは答えた。カルはザザの表情が見えなかったからか、とてもモヤっとした。だが、そのモヤモヤを払拭できることは、きっと永遠にないのだろうと同時に悟った。


「そういえばザザ」

「なんだ」

「本当のところ、どうして僕らに声をかけたの?」

「ああ、それはな。……シャルロットが、大昔に出会った人と似ていたから、気になったんだ」

「……へえ、どうだったの?」

「…………きっと気のせいだった」








 *


 村を出て、山を越え、森を抜けた。

 数多の冒険をし、様々なエピソードを作り、織りなし、そして新たな舞台へと足を踏み入れた。

 舗装された石ころ道の横には綺麗な水路が流れ、鳥が青空を飛びながら特徴的な声で鳴く――、その鳥が飛んだ先には、巨大な城壁が築かれていた。


「着いた!」


 シャルロット一行はついに、南の王国オリアナへと到着したのだった。








 【$― 第二章 味のしない街の風景と、人の生きざまについて ―$】



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