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25「僕は戻らないよ」

 くらいのはいやだ……。

 いたいのもいやだ……。

 こわいのもいやだ……。


「――――」


 いやだよお、みんなと、あいたいよ。なんでずっとおこらなきゃいけないんだ。どうしてぼくは、ふこうにならなくちゃいけないんだ。かくびょうだってのぞんでいない。ぼくだって、ふつうに、……なりたい。


 僕は苦しんでいた。悲しい気持ちが溢れて、とめどない心の涙が、ずっと流れ続けていた。


 みんなとあいたい。どこにいるんだろう。


 苦しくて、


 はきそう、なきそう、だれでもいいからこたえてよ!


 虚しくて、


 …………………………………………………………。


 痛い。


 そんな数多の悲しみがずっと心のなかで陣取りゲームをしていた。たまに寂しさが勝って、たまに虚しさが勝って、たまに痛さが勝った。

 ついには何かが壊れそうになり、心から異音がして、涙が止まらなくなって、大事な意識が劣化した銅像みたいにひび割れた。悲しさは体を埋め尽くしていた。

 ずいぶん長い間はそんな感じだった気がする。

 僕は自分がどれだけの期間そうなっていたのかを知らないけど、少なくとも、自分の昔の名前や過去の記憶が曖昧になるくらいの時間を、ずっとその場所で過ごしていた――。


 シャルロットは背中を大きな塊につけながら、言う。

 「……初めてカルに会ったとき、私はとても怖い顔をしていたと思う」彼女の声は酷くしわがれていた。「だってあなたの状態は、私にとって許せないものだった。私は昔にね、似たような理不尽な目にあったことがある。そしてその末に、私はとんでもない過ちを犯してしまったの」


 どうしてぼくなんだよぉ、なんでぼくがくるしまなきゃいけないんだよぉ。

 りふじんだよぉ。


 果てしない孤独が、僕をずっと覆っていた。黒よりも暗い激情があふれて、頭の中でぐるぐると巡って、いつしか、僕は考えるのをやめた方が、いいのかもしれないって思うくらいに追い詰められた。どうしようもない現状と、藻掻くだけの力がない事が、だんだんと僕の精神を壊していった。


 「私はねカル。言っていなかったけど、昔、人を殺してしまったことがあるんだ」


 カルからは、彼女の顔が全く見えなかった。


「別に殺意があったとか、誰かを恨んでいたとかはないの。でも結果的に私は、自分の手で人を殺してしまった。血の感触と生暖かさを、いまだに覚えているんだ」


 くらいのはいやだ。

 さみしいのはいやだ。

 くるしいのはいやだ。


 ……。


「私はそのときね、すっごく怖かった。自分が怖かったの。どうしてそうなるまで放置していたんだろうって。それに、私は、人を殺しておいて酷く、哀しかった」


 いやだなぁ。いきるのが、つらいな。どうしていきてるんだろう。さっさとしんだほうが、ましなのかな。


「自分が深い悲しみに囚われているのが、赦せなかった。悪いのは私なのに、どうして他人が不幸になってしまったんだ。……その日から私は罪悪感と嫌悪感に囲まれて、気が付くと動けなくなった」


 しにたいよ。ぼくはしにたい。もうぼくがだれだったのか、わからない。ともだちのかおもおぼえていない。あのこはだれだっけ、あのことばはなんだっけ、

 もしかしてこれって、ゆるやかな、しなのかな。

 ………………でも。


 ……。


「でもね。そんな現実を知って、無責任ながら思ったの。あの三日月と綺麗な藍色の空をみて、私は、血を触りながら、一瞬だけ思っちゃったの。だから選ばれた。だからチビが来たんだと思う。――私にとって、人を殺したことより、殺す前の方が辛かったんだなぁって」


 *


 ――少量のパンを食べながら、虚無感に包まれていた。


 僕は水路に流れる水のせせらぎを聴きながら、毛布にくるまって、ぎゅっと身を寄せた。地面のひんやりとした感触と、心の虚無感は、妙に共鳴した。頭にモヤがかかっているような感覚があった。体が寒い感覚もあった。そしてだんだんと、パンを齧ったときの、感覚が蘇ってきた。水路にいて、毛布にくるまっていて、地面を感じている。――久しぶりの感覚が、蘇ってきた。


「…………」


 僕は、虚ろな目を、大きく開いた。

 僕は、右手を出して、開いたり閉じたりした。


 僕は、


「――――」


 解放された。


 どうして解放されたのか、どうしてここにいるのかを覚えていない。でも、あんな地獄にいたのに、今はなぜか心地がよかった。きっと、あのパンがよかったんだとおもう。あのパンを食べたから、徐々に意識が舞い戻ってきた。

 そして僕は、次に、お腹が減った。


「っ?」


 お腹を押さえると、強烈な空腹感に襲われた。そして僕は立ち上がった。それで、そうして、光に向かって、歩き出したんだ。

 勘違いしちゃいけないんだ。僕は“シャルロット“に暗闇から助けてもらったんじゃない。もし、そんな気がなかったら、僕はあの水路で餓死していた。でもそうはならなかった。僕は歩いた。シャルロットがたまたま通りかかったあの場所まで、僕は、――自分の足で歩いたんだ。


 *


「…………」


 彼女はその場所で僕を見つけて、次に服を掴み上げて、真紅の瞳で凝視してきた。

 その瞳の中で揺れていたものを、僕は当時知らなかった。でも、きっと――、


 その揺れていた激情は、

        シャルロットが僕にもたれながら、今話していることだろう。


 シャルロットには後悔があった。でも、やってしまった罪悪感をもちながら、やってしまったことで『自分が楽になった』と自覚してしまった。それできっとシャルロットは、深く傷ついたんだ。だから……シャルロットは、


 *


「……君は、どうしたい?」


 彼女は水路の入口で、瞳に怒りを宿しながら、僕の姿をみて訊いてきた。

 それに僕は戸惑った。どうしたいと言われて、何か答えられるほど、僕はまだ時間を過ごしていなかった。

 でも、どうと訊かれて、たった一つ、望みがあったのを思い出した。

 それはずっと捨てきれなかった希望だった。ずっと欲しかった、当然のことだった。僕は、上手に口が動かない中で、彼女の問いに答えた。


「……ぁ、ぃ。いぃあ……生き、たぁぃ……」


 ……それを聞いた彼女は、ふと笑った。次の瞬間、彼女は僕の手を取って。


「それじゃあ行こう」

「ぇ?」

「行こうよ。一緒に旅をしよう。君がそうしたいのなら私は手伝うよ。私はなんせ、――【シャルロット】なんだから!」

「――――」


 *


「ぐッ!」


 服が破け、頭上の光輪がまだ回っているハーブクレイアは、大きな塊のふちで気絶しているシャルロットを見つけて叫んだ。


「シャアアルロオオオット! あなたにはもう我慢なりませんっ! ここで、平和のために死になさい――ッ!」


 叫ぶと共に、ハーブクレイアの背後一面が真っ白に輝いた。よく見ると、その白い壁は、『光の矢』の集合体だった。シャルロットは気絶していて、状況は絶体絶命だった、が、

 刹那、アーチに支えられた大きな『塊』が強く光り出した。


「⁉」


 ヒビが走る。

 大きな『塊』の表面に白い亀裂が走った。


「……諸共、消えろ」


 ハーブクレイアは呟き、一面の『光の矢』を乱射した。

 矢は雨を裂き、空間を裂き、そしてシャルロット目掛け飛来したが、『塊』に最後の亀裂が入った瞬間、――シャルロットを守るように赤黒い四角形の物体が展開され、『光の矢』はシャルロットに命中しなかった。


「なに?」


 ハーブクレイアは喉から疑問を漏らし、目を見開いた。

 そうして、大きな『塊』が割れた。


 中から、赤黒い四角い物体を纏い、赫い瞳になったカルが、姿を現した。


「赫病者……⁉」


 そう興奮気味に呟くハーブクレイアにカルは見向きもせず、体を塊から出し見回した。

 そして、もたれかかったまま気絶しているシャルロットを見つけ、横目に囁いた。


「……シャルロット。遅くなってごめんね。声聞こえていたよ。僕さ、シャルロットに連れられて旅するのが楽しかったんだ。この数ヶ月一緒に過ごして、時には落ち込んだり悲しんだりしたけどさ、でもやっぱり、全部が楽しかったんだ。これまでも、――これからもきっと」

「ひっ!」


 最後の言葉と共に、カルはハーブクレイアを睨みつけた。それに恐れ肩を揺らしたハーブクレイアは、カルの登場に戸惑い、そして震え声で、


「……赫病者は、捕らえる! 黒機、『永久の檻』!」


 言いながら胸から首飾りを取り出し勢いよく掲げる。だがカルはハーブクレイアを見ながら、握りこぶしの右手を前に差し出すと、閃光――。


「――――⁉」


 カルの背後に赫の波紋が幾重にも広がり、まるでカルの魂が解き放たれたかのように赤黒い異形の棘が次々と生まれ出た。棘はその鋭さを増しながら浮かび上がり、カルの視線と同調するように空を裂く構えをとる。心の深い悲しみと怒り、その全てが形となって異形の棘へと変わり、カルの意志と一つになった。

 そしてカルは、呟いた。


「聖都ラディクラムのハーブクレイア。僕は戻らないよ」

「……ぁ、ぁ」


 カルは突き出した右腕の握りこぶしを開き、親指を中指を接させ、カルはハーブクレイアに向けて、


「僕らは退屈な、赫かしき魔術の旅を続けるんだ」


 ――指を弾いた。

 刹那、空に生成された数多の巨大な棘は線を描き、同時にハーブクレイア目掛け、激突したのだった。



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