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21「被験者四番、×■▼」

 僕にとって普通の人生とは、遠いものだった。

 生まれたとき、母親は僕の事を真っ先に捨てたらしい。どうして捨てたのか分からない。でも、まだ赫病であると判明してすらいなかったのに、母は僕を捨てた。そこから保護されて、その保護先で赫病と診断されて、僕は『教会』に引き取られた。

 最初は教会で育った。言葉を覚えて、歴史をしって、優しい先生のもとで楽しく過ごした。外の世界へは行けなかったけど、僕らにとってそれは、なんのことの無い日常だった。

 同じく授業を受けていた彼らも、別に変な人たちじゃなかった。純粋な子もいれば、意地悪な子もいれば、正直な子もいる。そんな彼らと僕は、同級生として仲良くしていた。


 ほんと、何のこともない、普通だった。


 ……強いて、強いてこの教室が普通じゃなかった事と言えば――生徒全員が、赫病者であるということだ。


 僕らは成長し、言葉を覚え、歴史を知り、その末に『外の世界』を夢見た。

 聖都ラディクラムはこの世界で一番平和な都市であると教えられたし、外にはもっと沢山の人がいて、美味しい食べ物があって、綺麗な景色があって、雨が降って、雪が積もって、雷が落ちると教えられた。そんな常識を教室で知り、僕らはいつしか、外の世界への渇望を抱いた。

 こんな色んなものがあって、色んな人がいて、美味しいものがある世界。この教室よりも刺激が多くて、楽しそうな世界に、僕らは行きたかった。

 そんな幸せな夢を見たいなと願って、その日は布団で眠った。

 目が覚めると、暗闇の中だった。


「被験者四番、×■▼。能力『未知エネルギーの拡散』」


 知らない声が異様に空間に響いた。


「……あの、ここは?」

「始めようか」

「え? ガア!」


 刹那、一瞬だけ電撃が走って、情けない声が出た。しばらく苦しんでから僕は息を整えていると――暗闇の中に響く声は、その僕の様子をみて、何も思って無さそうに。


「まだか」

「ぁ、あの……っ」

「続けたまえ」

「まっガァ!」


 その日から僕は、ありとあらゆる激痛を感じた。

 理解が出来なかった。どうしてこんなことをされているのか、ここはどこなのか、どうして動けないのか、そして、みんなはどこに行ったのかが、分からなかった。ただしばらくの間、僕は苦痛を与え続けられて、やっと楽になったのは、気絶したときだった。


「……」


 目が覚めても、痛みはなかった。

 久しぶりの解放感、でも身動きはできなかった。束の間静寂で、やっと周りが暗い理由を、目隠しされているからだと気が付いた。でも同時に物音がして、体がビクンと揺れた。

 そして人の声がした。


「こんにちは、×■▼くん」

「……だ、れ?」


 ノイズが走っている女性の声がした。


「私達はね、『司教』っていうの。あなたは選ばれた。おめでとう」

「……どういうこと?」

「――オメラスの唱」


 その単語に、何かぞっとするようなものを覚えた。


「あなたも赫病が、危険なのは分かるよね?」

「……はい」


 僕は目隠しされながら、その問いを肯定した。


「生きているだけで他人に迷惑をかけてしまう。生きているだけで、自分の周りを危険にしてしまう。そういう可哀想な人たちを、仕方ないけど、私達は殺してきた」


 赫病の扱いは知っていた。殺される運命だったのも知っていた。赫病は人類にとっての癌。一人匿うだけで、一歩間違えば都市すらも破滅する可能性を秘めた存在。


「でもそれってあんまりだよね。殺されてしまうのは残酷だわ」

「…………」

「だからといってあなた達が持っている危険は消えない。あなた達がひとたび道を踏み外せば、関係のない人間を殺してしまう。……じゃあ、どうしたら生まれてくる無垢な命を、助けられるのか」

「……どうするの?」

「簡単は話。利用すればいいのよ」

「りよう?」

「ええ、あなたの力を利用する。赫病は恐れられている。人々は赫病に対し、恐怖があった。教会があなた達を保護し続けるのに、どれだけ苦労したか。それでね、教会は、聖都ラディクラムは思い至ったの。――赫病の力を利用して、平和を実現させよう。って」

「……?」

「難しいよね。でもそういうことなの。要は、力を利用して、もっといい事に使うの。でもそうするためにはね。そうなるためにはね」

「――――」

「あなた達には暴走してもらわなくちゃいけないの」

「………………は?」


 その言葉に、僕は並々ならぬ絶望感を味わう。

 そして体が震えるほどの激痛が走って、混濁とした思考が止まらなくなった。

 これから僕らは、どういう扱いを受けるのか、それを想像してしまったからだ。


「あなた達に一時的な平和を与えたのは、この重要な役割を理解してもらうため」


 足が震えた。


「あなた達が我慢をすれば地上では平和が築かれる。最大多数の最大幸福、素敵じゃない?」


 頭がぐちゃぐちゃになった。


「…………え? え?」

「これは名誉なことなのよ。人々の平和の為にあなた達の力を使う事ができる。それはとても素晴らしいと、そう思わない?」

「……………………」


 こうして、僕は常に感情をぐちゃぐちゃにされることになった。

 暗闇の中で、自分の体から生み出される未知エネルギーを抽出され続ける人生が始まったのだ。

 暴走状態は意識が殆ど無く、感情を捨て、赫怒だけが溢れてくる状態になる。だから僕はその日から時間が分からなくなり、人としての当然が分からなくなり、自分の本当の名前すら、その時に忘れてしまった。

 永久の激痛が人生だった。いっそのこと死んでしまいたいとも、思った事があった。でもそれはできなかった。だって、もし本当に僕が苦しむことで、人々が幸せになっているのなら……。


 それでもいいと思っている自分がいた。


 僕らは平和に教会で生きていた。そして外の世界には僕らの『教会』にないものが沢山あって、そんな外の世界に憧れてもいた。でも同時に、僕らは外の世界の悲しい現実も、授業で習っていた。貧困格差、悪徳犯罪、大戦の過去、僕らが当たり前だと思っていた平和は、外の世界だと当たり前じゃないことを知っていた。

 そんな世界が僕らは疑問だったし、『可哀想』だとも思っていた。

 僕らは確かに赫病者で、人間じゃないのかもしれない。でも、でも、人である自覚があったし、人なりの苦しさも授業で習っていた。そんなところをきっと利用されたんだと思うけど、僕にとってそれは、嬉しいことでもあった。

 世界が平和ではないのは知っていた。だから、平和の為に自己犠牲し、他の人たちが平和を謳歌できるならと、一瞬正当化しかけたんだ。

 でもそれはただの正当化だった。僕は地獄の苦しみを、どうして味わうことになっているかへの答えが欲しいかっただけなんだと思う。あれからどれだけ時間が経過したか分からない。あれから僕は、どれだけの『平和』の礎になったのかさえ分からない。

 でもそれは、唐突だった。


 久しぶり目が開いた。

 慢性的な頭痛があり、体はほとんど力を入れられなかったけど、何故か僕の拘束は解かれていた。

 そして『誰かが』僕の体を持ち上げて、運んでくれた。


「…………」


 目を開くと薄暗い場所だった。目の前には少量のパンと、一つの手紙が添えてあった。でもそのとき、僕はとにかく疲れていて、脳が働かなかったせいで、文字を文字と認識できず、次に吹いてきた隙間風で、そのメモはどこかへ飛んでしまい、その時初めて、眼前に水路があることに気が付いて、その水流にメモは流れて行ってしまった。

 僕はしばらくその場で静かにしたあと、久しぶりに、お腹が空いた。


「…………」









 僕は立ち上がった。そして定期的に風が流れてくる方向へ、歩き始めた。


 その先で僕はシャルロットと出会い、旅をすることになった。

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