「……こっからが本番よ」
両手に纏う。魔術礼装。
魔術礼装とは、その部位の防御力を高め、また魔術行使の『補助』が行えるものである。その点だけでいうなら『杖』とそこまで変わらないが、その効力は杖の比にならない。礼装は人により形が異なり、詠唱すらも異なる。それは、使用者の得意な魔術が人によって異なるからだ。礼装は自分が得意な魔術を更に巧みに使うためのツールだ。魔術をもっと強大に、強力に、研ぎ澄ませる。――それが、魔術礼装である。
「――拡張魔術」
シャルロットが呟く、だが最中、眼前の瓦礫に何かが落下し、目を見張ると瞬間、
「ぐ、あ!」
血気迫った顔のシリウスが瓦礫から起き上がり、『万能武器』の初期形態である黒い球体を前に掲げた。
「強力なクロスボウになれ!」
そうして形を変え、シリウスは肩に本体を押し付け、恐らく着地したときに掴んで持って来たであろう瓦礫の破片を中へ装填した。――だが、引金が引かれる前に、シャルロットの魔術行使が一歩早かった。
「煉獄」
「――⁉」
囁くように呟くと、刹那、シリウス目掛け焼き焦げる匂いを乗せた業火が押し寄せて来た。シリウスは何も出来ず、その業火に吞み込まれ、声も出さずに沈んだ。
魔術礼装により少量の魔力で魔術が届く範囲が増えたからこそ、ついに隙を突き攻撃を与えることができた。しかし終わらない。魔術、煉獄は、それだけではないのだ。
シャルロットはシリウスに向かって業火を放った後――その炎を回りに生い茂った木々らに撒いた。燃え移ると、木々らはまるで生き物のように激しく揺れ、刹那、最初に燃えた木が、真っ白な光の粒となり空気に消えた。
『悪魔の根』の弱点は、木を燃やしたり切り倒すと簡単に消えることだ。
「よし! おらっ!」
次の瞬間、シャルロットは炎を出している右手を大きく空に伸ばし、――地面に叩きつけた。
すると業火は地を伝い広がり、瞬く間に、シャルロットを閉じ込めていた『悪魔の根』は光の粒となって消え失せた。
これで一つ目の黒機を封じることに成功した。
――逆転の兆し。
黒機を使った罠への幽閉は、失敗に終わった。それを悟ったカローラはにわかに戦慄する。目を見張り、すぐに中で何が起こっていたのかを確認しようとした。カローラは幹に囲まれながら、適度にシリウスの声を頼りに斬撃を放っていた。それに、ここまで用意周到に策を講じればまず負ける事はないと高を括っていた。もちろんただの油断ではない。自分たちにできる最大限の行動、策略をしたと自負があったからこその、自信だった。
それが一瞬にして、ぽっきりと折られた。
「う、そ」
カローラは呟いた。現実を認められなかったからこそ、ただただ呟いた。
そんな彼女に次の不幸が、訪れた。
それはシャルロットにとっての脅威の排除、黒機の無力化における、極めて順当な行動だった。だがカローラは眼前で起った予想外に唖然としていたせいで、ついに遅れを取った。
「――あなたたち、強かったわ」
「へっ?」
刹那、カローラの眼前には肥大化した爪があった。そしてシャルロットが右手を勢いよく振り。カローラはシャルロットに吹き飛ばされた。
「ぐ、はあ!」
瓦礫に思いっきり背中をぶつけてしまい、意識が朦朧とするなか、カローラは吹き飛ばされた衝撃で、『血吸いの剣』を手放してしまう。
カローラはもう冷静ではなかった。彼女の見た事もない右手に、自分が攻撃されたこと、『血吸いの剣』を手放してしまったことに、理解が追いつかなかった。でも、反射的に機能した、彼女の『激情』が息吹を漏らし。
「……っ、こ、のっ、まま。負けてられるか……、あたしは、これしか知らないッ! だから――奪う!」
彼女は往生際悪く突進をしかけた。
自前の短剣を構え、朦朧からか周囲の状況すらはっきりと把握できないのに、瓦礫にぶつけられた衝撃でしっかりと力が入らないにも関わらず、彼女は突撃した。
シャルロットはそんな彼女をみて、呟いた。
「ちょっと離れて反省してて」
「……ぅ」
カローラの胸に、シャルロットの拳がめり込んだ。
「拡張魔術、超反発」
空色の球体が空気を凝縮し、カローラの胸の中で、その球体は勢いよく暴発した。そしてカローラは、途切れるような悲鳴を漏らし、吹き飛ばされた。
「……ちょっと飛ばし過ぎたわね。あっちは花畑の方だから大丈夫だと思うけど、あとで捕まえにいかなきゃ」
魔術、超反発は本来、魔術を発動した始点から数メートル程度飛ばすものなのだが、礼装による拡張で威力が上がっていた。だからカローラは、見えない場所まで吹っ飛んでいた。
これで二つ目の黒機を封じることに成功した。
そう思い、シャルロットは振り返ると。
「――ッぃ!」
目の前で瓦礫が割れる音がした。そこには、服が焼け、火傷で黒ずんだ肌を露出させるシリウスが、亡霊のような立ち姿でそこに立っていた。
「……まだ戦う気?」
「……ぁ、ぁ、あだりめえ、だ」
「もう戦う必要はないんじゃないの? 勝負はついたわ」
シャルロットは哀れみを宿した瞳でそう言うが、シリウスはそんな彼女に啖呵を切った。
「負けでねェ!」
「どいつもこいつも、往生際が悪いわね。でも生憎、私は急いでるの」
言いながら
「……俺は、ナぁ、負けるわけにはいかねえんだよ、このまま負けちまったら、組織の奴らに見せるがおが、ねえ!」
「別にどんな理由があろうとも、あなたの面子が潰されようとも、あなたが私の邪魔をするというのなら、力ずくでも行かせてもらうわ」
「……じゃあ、お前がら、ごいよ」
喉が焼けているような酷い声でシリウスは呟いた。
そんな彼をみたシャルロットは、言い表しがたい感情を胸に灯すが、そんなものをぶつけても、シリウスを助けることにはならないのだと分かり切っている。彼は自分の意思で間違に気づかなきゃいけないし、自分の意思で罰を受けるべきである。だから、今討論して例え言い負かしたとしても、意味がない。
ならば、
「大剣になれええええ」
ムクムクと黒い球体が変形し、シリウスは大きな剣を地面に乱暴に下ろすと、それを引きずりながら歩き始めた。そんな彼を見ていたシャルロットは、そっと瞳を閉じ、身に迸る魔力を鮮明に操り、そして直立したまま、目をあけた。
「――黒魔術、死の味」
「あ?」
視点の暗転。シリウスはいきなり目の前が真っ暗になり、そして地面を感じない空間に放り投げられた。落下する。落ちる感覚、風の無情な音、そして心を段々と蝕んでいく何かに、強く恐怖した。恐怖を覚え、咄嗟に大剣を振り回そうとしたが――既に万能武器は黒い球体に戻っていた。
「ど、どうじて? ぐ、がたなになれ! だ、盾になれえ」
シャルロットは気が付いていた。
黒機、『万能武器』の弱点は――使用者のイメージした武器を具現化させているため、使用者の精神を乱せば使い物にならなくなる。と。
深い暗黒に足を滑らせ、落下の恐怖と行動できない束縛が焦燥感を加速させ、生暖かい風の感覚が、更にその焦りに拍車をかけ、
「ぐ、く、ぅぅぅぅううう……ぅ」
シリウスはついに限界を迎え、その暗闇の中で意識を失った。
そのことが伝わったシャルロットは、向けている手をそっとどけて。
「気を失ったわね」
その黒魔術を途中で解除した。
途端、シリウスの周辺を覆っていた紫の球体が弾け、手遅れになる前にシリウスは助かった。
「……死の味なんて他人に使うことないと思っていたわ。気絶できて、運がいいわね」
白目をむきながら、口をぱくぱくとさせているシリウスをみて、シャルロットはついに実感した。
勝ったと。
だが勝利を抱いた瞬間に、シャルロットは立ち眩みした。
「……さすがに、ちょっと疲れたわね。……いっきに動きすぎたわ」
確かにシャルロットは強い。だが彼女は別に、戦闘慣れしているという訳ではなし、黒魔術を使える『魔女の卵』だとしても、彼女の体力を増やしてくれる便利な魔術はない。それに『消耗』も激しい。
しかし、ここで時間を無駄にするわけにはいかない。まだこの戦いは終わっていないのだ。
……カルを、助けなくてはならない。
*
街を颯爽と走り、異常をひしひしと感じていた。
「…………」
(やっぱりあの戦闘で時間をかけすぎた……!)
街の様子は既に変だった。道行く人の顔は浮かないし、何より時たま響く轟音が、何か恐ろしいことが起こってしまったという嫌な妄想を加速させた。カルが襲われている。一応、ジェパードたちがいてくれるはずだが、もし全ての黒幕が聖都ラディクラムの『司教』である場合、騎士だけでは太刀打ちできない。なんなら、シャルロットですら怪しい。
聖都ラディクラムは魔術は技術が凄まじい。『司教』しかり、『オメラスの唱』しかり、それら政策を行える技術力は『魔女の卵』であるシャルロットでも侮れない。下手したらシャルロットでも、もしかすると……。
そんな嫌な妄想が、止まらなかった。
「……嫌になるわ」
路地裏を抜け木箱と飛び越え、ついに降り始めたにわか雨に打たれながら、シャルロットは宿が見える最後の曲がり角から顔をだした。
「カル――ッ!」
叫びながら威勢よく飛び出したものの、顔面を照らした真っ赤な光源に、シャルロットは静止した。
その光景を見た瞬間、シャルロットが妄想していた希望は打ち砕かれた。
『グ、ルルルルルル』
赫だった。
真っ赤な物体が飛び散り、浮き、あまつさえ四角い物体は建物を侵食し腐食させ、真っ赤かつ『異様な炎』が建物を包んでいた。その中心には、四角い物体による何本かのアーチに支えられている大きな『塊』があり。眩しい程の赤色の光で建物を照らし、同時に、まるで魔物のような獣の息遣いが空に響き炎を揺らした。
にわか雨の音が加速する。
「……うそ」
シャルロットは絶望した。
……間に合わなかった、と。
この光景にならないように時間をかけた。この有様にならないように気を遣った。でも結果、それは無意味に終わった。シャルロットは唖然とした。
そして懐から一つの懐中時計を出すと、
「っ」
――その瞬間、既に周辺の『侵食値は百を超えていた』。
息を呑む。『侵食値 百』それが何を意味するのか、理解してしまったのだ。
――カルの赫病が、暴走している。
「ようやく来ましたか、無名の魔女」
声がした。シャルロットは声の聞こえた方向へ振り返る。そこに立っていたのは、白い服装に細い瞳をした男だった。
「……あんたは」
そう問うと、男は張り付けたような微笑を見せて、
「“グッドクエスチョン”」
勢いよく呟いて、ついに男は名乗った。
「聖都ラディクラム教会所属。第十の司教『救済』の、ハーブクレイアと申します」