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8「誰も来なかった」

 「愛って、なんだと思いますシャルロットさん」


 カルがガーデルと親睦を深めている時、シャルロットは依頼主の女性と喫茶店で会話をしていた。


「…………」


 (……話を聞くだけでいいて言われたから楽な仕事だと思っていたけど、こうなるとちょっとだけ苦手だなぁ)


 依頼主は『メリア』という女性で、おそらくシャルロットと同年代かと思われる。

 肝心の依頼内容は『お話するだけ』だ。

 ……しかし、メリアは開口一番にその単語を用いて説いた。


「私分からないんです。愛ってどこからが愛で、どこからが友情で、どこから妄想で、どこから勘違いなのだろうって。あなたはどう思います? シャルロットさん」


 黒目にクリーム色の巻き毛、体型はシャルロットよりグラマーであり、赤いヘアバンドで前髪を上げている容姿。彼女の声はシャルロットが聞いた事のあるありとあらゆる声の中で、一番心地の良い声だった。

 例えるなら、天使のような声だった。


「……ええっと」

「顔が引きつっていますよシャルロットさん。もしかしてこのお話はお嫌いですか?」


 彼女はわざとらしく黒目をうるうるとさせる。


「あっ。いえ! そうではないの。でも私、恋愛はしたことなくて」

「あら、そうなのですね。なら感覚のお話はよしましょうか」

「い、いいんです?」


 シャルロットは依頼内容の事を思いながら訊くと、メリアは「どうってことないのよ」と言って、


「別に私、ここには対話をしに来ているだけですもの。もし一方的に話したいだけなら、そのつもりで来てます」


 メリアは笑みを崩さないまま、シャルロットに告げた。

 ここは街の中心部にある噴水前の喫茶店である。オシャレな雰囲気にこの辺では珍しいレコードの音楽が漂う場所で、昼間の憩いを求めた人で繁盛していた。本来予約しなければ取れない席のはず。だがこの女性の手引きにより、一番端っこの席を既に予約されていた。

 今回の依頼はさっきも言及した通り、――ただ会話をするだけである。

 「じゃあ私からシャルロットさんに質問」メリアはフォークでショートケーキを遊ばせながら言う。


「あなたにとって、人助けとかの徒労って、どういうものなの?」

「え?」

「ほら、『お使い屋さん』ってそういうお仕事じゃない?」


 眼前の彼女は呟きながら、フォークでショートケーキを刺しその魅惑的な唇に運んだ。


「……そうですね。興味があるんです? 長くなりますけど」


 シャルロットがモグモグしているメリアを見ながらそう前置きすると、メリアは悠然としながらそっと目を開けて。


「ええ、興味があるわ。私、人の価値観とか好きなの」


 と、楽しそうな笑みを浮かべて言った。

 それにシャルロットはちょっとだけ考えて、そして彼女を見た。


「私にとっての人助けは、……他人の幸せを願ってのことですね」

「ほう?」


 一言、シャルロットがそう言うと。メリアは興味深そうに不敵な笑みを浮かべた。


「私は人生において、どうしようもない沼にハマったことがあるんです。身に降りかかった不幸と、自分にあった傲慢の結果に、全てが取り返しのつかない事態に、陥ったことがあります」


 カチャン、とシャルロットの眼前に置かれた飲み物に入っていた氷が動いた。


「その時、私は死のうとした。誰のせいでもない。不幸のせいでもない。紛れもない私自身の責任で、もう取り返しがつかないことをしてしまった。私はまだあの時を夢に見ることがあるけど、その度に、起き上がった時の汗の量が凄くて、あの時の事がどれだけ恐ろしかったのかを思い出します」

「…………」

「でもその時に思ったんです。……誰でもいいから、私を助けてくれないかなって。救ってくれないかなって」


 赤裸々に語る事にメリアはきょとんとするも、面白いと言いたげな口のほころびを浮かべた。

 「ふうん。確かに、どうしようもないくらいのどん底にいるなら、私でもそう思うかしら」とメリアが云うと、シャルロット静かに頷いた。


「不幸な時、誰でもいいから私を助けてほしいって願ったんです」

「……それで?」

「誰も来なかった」


 「……へえ」メリアは面白そうにシャルロットを見つめた。下手な作り笑いでシャルロットはそれに反応するも、すぐ俯く。


「誰も私を助けてはくれなかった。ずっとへなへなして、服をみすぼらしくして、髪も乱暴に切って、裸足で歩いた。『見てわかる死にそうな人』を演じた。気持ち悪いくらいに、同情を誘おうと……。そうしたら、誰か、「大丈夫ですか?」って言ってくれる人が現れると思って。――彷徨った」


 話ながらシャルロットは、真横の窓から外を眺めた。

 外に流れる風が、喫茶店から見える低木を揺らしている。その中を人は歩き、そして、笑っている。でも全員がそうじゃない。誰しも笑っている訳じゃない。そして、その笑顔の人たちはみんな、優しいと思っていた。

 昔、母に『他人を助けなさい』と考えなしの善性を教えられたシャルロットは、その善性を信じていたから、どうしようもないときに縋ろうとした。人の善性を頼り、あの歩いている人の笑顔で、「大丈夫だよ」と言われることを夢に見た。

 だからこそ、失望した。


「無関心だったの」


 重苦しい空気が流れる。彼女からは、カルと一緒にいる時の太陽のような活気が、今はどんよりとした漆黒に変わっている様に見えた。そう、この話は、――シャルロットという人間について。である。


「人は他人に関心がない。それか、自分の事で大変だから関わろうとしない」


「その思考には覚えがあった」


「私は人の善性に失望したともに理解もした」


「私も昔に同じことをしていたと、気が付いたんです」


「誰かの救いを求める言葉を、『違う言葉』と思って受け流していたことが、過去にありました」


「……私は所詮、道行く他人と同じような人間性なんだと気が付いたんです」


 メリアはその暗い話を真剣に聞いていた。彼女も彼女で、過去にある種の負債を背負った人物なのかもしれないとシャルロットは勘繰るけど、分からないことだった。少なくともシャルロットにとって、この話は依頼でもない限りしないだろう。それは彼女にとっての過去。そして未来とは関係のない事だからだ。


「じゃあ、どうしようもないどん底に堕ちてしまった人は、どうやって息をすればいいのかと、考えた」


 シャルロットは俯いて語る。


「そして私は思った。人が他人を助けられないのは、単純に『他人』の考え方の問題なんじゃないかって。

 救いたいと思うのは簡単だ。そして助けるのも、物によっては簡単。

 でもそれを簡単と思えない。

 何故なら人間性というのは、簡単な事を難しくさせるのに長けている。

 私は人間性を理解した。

 人を助けないのも、人を助けたいのも、言葉を文字通り受け取れないのも、自分に余裕がないのも、全てはその人の人間性なんだって。なら、ならさ、そこまで『ひとだすけ』が重いものなら――」



「『助ける』の敷居を低くする方法はなんだろうって思った」



 メリアはその一言でシャルロットの思考に理解が追いつき、「なるほどねぇ」と笑った。


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