太陽が沈んで、あたりはすっかりと真っ暗になり、シャルロットとカルは二人で工場の天井上に隠れていた。
すると隠れ始めて数十分が経過して、やっと室内から声がした。
「とうさん!」
ナタがやっと部屋に帰ってきた忙しそうな父を呼ぶと、父は頭を抱えて怪訝そうな表情で振り返った。季節に合わない虫の声が外で響いている室外にて、二人の見守りがいる中、ナタは勇気を出した のだ。
父はナタを見て一瞬苛立ちのようなものを浮かべるが、ぐっとそれを呑み込んだ。
「ごめんナタ、まだお父さん忙しいんだ。話は後でもいいか?」
「……そう言って、ずっと話聞いてくれないじゃん」
父親の素っ気ない対応に対し、ナタは子供ながら憤慨した。実際、ナタにとってこうして父親に素っ気なくされるのは何度かあったみたいで、その度にナタは、ずっと待ち続けてきたのである。
しかし、父親も父親で忙しいようで。父は自社で製造しているワインの流通ルートが、森に現れた魔物によって使えなくなったことにより、苛立ちを隠せていなかった。つい最近紛争が収まったことでやっと商売を再開できたというのに幸先が悪く、そういった要因が上乗せされ、なお態度は悪化していた。
「と、言われてもだな……」父親は困ったように呟く。
「いいからちょっとだけ話を聞いてよ!」
子供にそう言われても、険しそうな顔を和らげる余裕がない父に向かい、ナタはまたはっきりと言った。父は弱ったような顔になり、その姿をナタはみて「今だっ」と思った。
「あのさ、これ」
「……なんだそれは」
ナタが取り出したのは、シャルロットたちが戦い抜いて持ち帰った『おもちゃ』だった。それを父に向けて取り出してから、ナタはその箱を開けると、そこには――宝石が埋め込まれていた指輪が入っていた。
「それは……」
父はそれを見るや否や思いつめた表情を浮かべた。
父は、それに、見覚えがあった。
それは、亡き妻との『婚約指輪』だった。
「お母さんさ、死んじゃう前にお父さんと話したがってた」
ぽつりとナタは云う。
「……どういう、ことだ?」
父は焦ったように聞き返す。やっと聞く耳を持ったことに、ナタは内心複雑な気持ちに苛まれた。
「あの時もお父さんはいっつも大変そうで、無茶をして倒れるまでずっと仕事ばっかりしてた。だからお母さんは、僕に言ったんだ。『お父さんの気を引く作戦をしよう』って」
ぴくっと肩を動かしてから、父親の表情が明確に曇る。
「『お父さんが無茶ばっかりしちゃうから、たまには私達に頼れるように、一緒に仕向けよ?』って、お母さんは意地悪そうな顔で言ってたんだ。それで、指輪をこの箱に入れて森に隠して、そしてお父さんに『指輪を無くしちゃったんだ』って言おうとした。――でもその前に、事故で死んじゃったの」
ナタは箱を父に突き出しながら、ぽつぽつと真相を説明した、父は途中ではっとしながら聞いていた。
「……そんな」
三文字。たったの三文字、そう漏らした。でもその三文字には三文字以上の情が伺えた。父はふと、あの妻の顔をフラッシュバックさせたのだ。
その目はもう、忙しさに囚われた人間の目ではなく、ふてぶてしさのある父親の目だった。
「僕はお母さんがどこに指輪を隠したのか分からなかった。でも、死んじゃって、すっごく悲しかったけど、でも、お父さんも忙しいし、大変なのも、分かってるけど……」ナタの表情がみるみる変化し、鼻水を吸いながら――、
「ちょっとでもお母さんや僕に、頼ってもよかったんじゃないのぉ⁉」
――子は両手を父親に伸ばした。泣きそうな童顔が歪んで、一度固唾をのんだ。
訴えかける子の目には、大粒の涙が何滴も伝っていた。それを見た父親もわなわな震え出し、天窓から様子をみていたシャルロットからは表情までは伺えなかったが、確かにナタの言葉が、父親の心には届いているようだった。
ふとシャルロットの真横でカルが呟く。
「……そんな大切な事情があるなら、最初から依頼内容に書いておけばよかったのに」
呆れも伺える不貞腐れ方をするカルに、シャルロットは優しく言った。
「きっとナタくんにとって、あの指輪はお父さんに探してほしかったんだと思うよ。でもそうはならなかった。十分ナタ君も、我慢していたんだと思う」
「……ちょっと回りくどくない?」
「そうしなきゃ意味がないものも、この世の中には沢山あるんだよ。きっとナタくんは迷っていたんだろうね。自分で探してお父さんに返すのか、それとももう返さないのか。迷っていたから時間がかかった。でもやっと決心をした。だから依頼した」
「……僕にはまだ、共感できないかもな」カルはぽつりと呟いた。
「そういうものだよ」すぐさまシャルロットは隣の少年の背中を撫でる。カルの顔を伺うと、カルは理解しがたいものに混乱しているような顔をしていた。だからシャルロットは、
「無理に理解してあげるものでもないよ。これは第三者の私達の問題ではなく、あくまであの親子の物語なんだから」
そういうものなのか、とカルは心で咀嚼しようとするが、しかし、その気持ちは容易に呑み込めるものではなかった。
忽然としたモヤが心にかかっているような感覚が、曖昧ながらそこにあった。もしかしたらカルは心のどこかで、あの親子の気持ちに『共感』できていたのかもしれない。だが、それを理解するのは、まだまだ先の段階で、――愛情を理解できるようになってからなのかもしれなかった。
「……ごめん」
ぽつりと、父親は呟いた。
「ぅ、ぅう」
それを聴いたナタは、ついに大きく顔を歪ませ、父に飛んで抱きついた。
「ごめんなあナタ。そうだよな。お父さんが、抱え込み過ぎていたんだ」
ナタの父親は崩れ落ちた。そしてナタを抱き返す。
シャルロットたちから顔が見えないが、きっとナタよりも大粒の涙を流して――箱の中で輝いている。指輪に触っていた。
「……ごめん、アリッサ、遅れてしまって」
「うわあああああん」
耐え切れず大きく泣き出したナタを、更に強く抱きしめる父親。
そして父親はやっと、自分が大切にしたかったものを無下にしていたことに、激しい後悔を抱いた。……でも妻の顔を思い出すと、自分の悲しみに包まれ情けなく引きずるのは、いささか気が引けた、のかもしれない。
だから父親は、母が言われて喜ぶであろう最大限の言葉を、手遅れながら呟いた。
ただ一心に、愛情をこめて。
「ナタ、アリッサ、愛している。ごめんな、こんなお父さんで」
「うん。うん。ぼくも大好きだよ、パパ」
こうして、この依頼は幕を下ろした。
*
後にナタ少年の手引きにより、シャルロットは見事『ワイン』を無料でもらう事が叶うものの、またカルに飲酒を咎められるかと構えながら宿に帰ったが。カルは「まあ一回くらいなら、今日だけ家で飲んでもいいよ」とシャルロットを許した。
ただし、その許しは、その日限りで終わった。
翌日、宿に壁と窓の修理費を支払うこととなった。