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5「森に『おもちゃ』を落とした?」

 工場の背後にある森に入り昼間の日光がまちまちと差す中、腰の高さまである雑草がローブを引っ掻き、足元が不安定な場所を進む。


「森に『おもちゃ』を落としたって、どういうこと?」


 と説明されたカルは、ますます訳が分からなくなった。


「おもちゃはおもちゃだよ、木工の箱のおもちゃを森で落としたみたい。正確にいうなら、おもちゃの中に入っている『物』の方が本命みたいだけどね。ナタ君にとって大切な物を入れたまま落としてしまったと」


 という追加説明でやっと依頼内容に納得しかけるが、すぐ次の疑問が浮かび上がる。


「だとしたら、どうしてそんな大事な物を深森に落としちゃったんだろう?」


 カルは多少冷たいことを言っていると知りながらも口走る。

 今回の件は端から端まで納得できない点が多々あった。報酬がまともでもないのに受けるシャルロットや、依頼内容が曖昧な章ねん、そして、どうして落とし物を自分で拾いにいかないのか。

 挙句の果てに、僕までも服を汚しながら雑木林を進んでいるのは、どうしてなのか。

 「まだよくわからないな……ッ!」カルは道に横たわった大きな切り株に足をかけるが乗る事ができずにいると、前方にいたシャルロットが手を伸ばした。


「まあまあ最後まで聞きなさいよ」

「……むぅ」


 シャルロットの細い手を掴み、カルは切り株を乗り越えた。


「詳しく聞かされてないけど、ナタくんはこの森に依頼物を『意図的に隠していた』みたいなんだ。で、それを取りに戻ろうとしたとき、奴らが現れた」

「奴ら?」


 そう聞き返すと、シャルロットは振り返らず。


「魔物だよ」


 と応えた。

 カルは「え?」と驚く。


「聞くところによると、最近の紛争・・で近づかなかった魔物が、終結に合わせて縄張りを広げたみたいなんだ」

「……それって、普通の依頼内容じゃなくない?」

「そうね。普通は騎士団か、冒険者ギルドにでも出す依頼内容だわ」


 (魔物の討伐依頼なんてその代表例じゃないか……)とカルは右手の指を顎に添えながら思う。


「言ったでしょ、本命はおもちゃの中に隠している『物』だって。あの子はあの子なりに、秘密にしたいことがあるのよ。だから大事にできない」


 と説明するシャルロット。


「……なるほどね」


 『森に隠していた大事な物が魔物のせいで取れなくなったから、取ってきてほしい』


 それにその隠しているものは、あの少年からしたらバレたら危ういものということ。それを心で復唱してやっと、カルは依頼内容を素直に呑み込むことができた。ただ、もう一つだけ最後の疑問があった。


「どうして僕は連れてこられたの?」


 雑木林から開けた場所に抜けると、そこでは小さな川が流れていた。川には小魚が泳いでいて、日光がきらめいて水面に反射している。それを屈んで眺めるシャルロットは、カルの問いに答えようと口を開いた。


「『魔物』がどうして危険なのか、分かる?」

「人を襲うことと、数が多いこと?」


 カルは彼女の横に座り、同じ川を覗き込む。

 近くで見ると一そう煌びやかに反射した太陽光が点滅した。


「そう。あいつらは群れているくせに隠れるのが上手だ。人目につかないような場所であの禍々しい巨体を、息潜め隠している」


 シャルロットは川を覗き込みながら、間を置いて、


「奴らは野生の伏兵だ。魔物退治っていうのは簡単じゃない。一体一体の討伐は容易でも、こんな森で潜まれた時には、四方八方を常に警戒しなければならないし、縄張り全域に魔物がバラついて潜んでいる訳じゃない。あいつらはいつも数で押し寄せてくる」

「……つまり?」

「森の中で『魔物の急襲に備える事は出来ない』。いつどんな時に襲い掛かってくるか分からない。それ相応の備えは人数を集めること。冒険者パーティーがどうして『複数人』なのかってことよ」


 魔物の危険性は一般常識だ。奴らは息を潜め影から我々を見ている。

 闇の中から日の元で過ごす我々を虎視眈々と狙っている。その牙を震わせ、唾液をねばつかせ、にたっと不気味な微笑みを浮かべながら――。

 魔物は現代の天災だ。と、カルは本で読んだ記述を思い出した。


「だから魔物の縄張りに入って迎え撃つっていうのは、そう簡単な事じゃないの。人間ならまだしも、魔物に限ってそれは、自殺行為だと言えるわ」


 彼女はぐっと立ち上がる。そんな彼女に視線を向ける少年は、ふと彼女の深紅の瞳と目が合った。


「さてカル。そこで君の出番だぜ」


 黒髪を揺らしながら、気取って彼女はカルに指をさす。


「なるほどね」


 カルは、シャルロットが言わんとしていることがすぐわかった。


「僕の病気か」

「そう。君の赫病かくびょうの力なら、魔物を呼び寄せることができるはずだ。力の扱い方はあれから練習してる?」


 シャルロットがそう問うと、少年の右腕のアザがぬっと蠢いて少年は真っ青な顔で腕を抑える。


「…………」


 そう。

 カルはこの数ヶ月『赫病かくびょう』の治療に専念し、そして制御する為に落ち着いて過ごしてきた。

 シャルロットから魔力の操作や感情のコントロールを教わり、術式で力を抑制し続けた。そうしてカルは今や『平均侵食値 十五』という驚くべき回復を見せている。

 かつて、百を超えて大暴走していたあの日々から、彼はしくしくとその力を抑え込んできたのだ。その力を必死に『否定』してきたのだ。

 だが彼女はそれを許さない。彼女がカルに求めるのは抑圧ではない。

 シャルロットは少年に近づいてほっぺに手を添えた。そして小刻みに震えている少年の目をみた。黒い瞳の奥は、少し赤ずんでいた。


「大丈夫。私が傍にいるから、何かあったら私が止めるよ。どうしてもカルが嫌なら、私も魔術で魔物を引き寄せることができるっちゃできるけど……効果は少し落ちるかな。だからお願いしたい」

「……ほんと?」


 裏返った声で訊く。カルは震えていた。カルにとって、この力は忌々しいものだからだ。


「うん。カルのこの力は、カルの物なんだから」


 でもシャルロットは、カルにそう伝えた。

 『赫病かくびょうは治らない先天性の病気』だ。だからカルはそれを、受け入れなければならない。これは、成長に必要なことなのだ。赫病者である自分を認め、理解し、赦すための、過程なのだ。

 カルは伏目になり自分の両手を見つめた。


「……シャルロットは僕に、どうなってほしいの?」


 俯いたまま弱弱しく呟いた。それは一人の少年の、疑問だった。

 ……そこにはもう歳相応ではない冷静で毒舌なカルは居なく、ただひたすらに孤独で、そして自分が怖い子供が、一人だけいた。

 彼には過去がある。彼だけの過去で彼だけの地獄で、彼だけの世界があった。そして彼はその世界で、苦しみを味わい枯渇を想い、ついには死神の到来を切に願った。


 だから今、こうやって生きているのはある種、奇跡なのだ。


 あの日、シャルロットが彼を救った日から、これは始まった。

 彼女の答えは決まっていた。


「……ただ生きてほしいんだよ」


 そういうと、カルはふっと震えを止めて彼女の方を向いた。

 生気に溢れた強い眼差しになっていた。


「わかった」


 カルはそう決断した。目の前で成長を見届けた彼女は計り知れないほどの思い出が過り、そして噛みしめるように言った。


「ありがとう」


 *


 その開けた森の中で、カルは腕を出し力を籠めた。感情を想起させ制御する為に、メーターを強く握りしめながら、腕にある赤黒いアザが疼き、――そして滲み出す。あの四角形の赤黒い物体が大きさを問わず数個、生成されたのだった。


「侵食値、三十!」

「…………っ」


 少年の言葉の後に、シャルロットは異変に気づいた――。


 赫病かくびょうとは、

 『魔物の因子を孕んで生誕してしまった人間が罹る病』である。


 感情の起伏によって赫病は身体を侵食し、値が百を超えると『暴走状態』に陥る。そのことから、『大抵の赫病者は生まれたとき、安全のため殺処分される運命にある』。


 赫病は危険なものだ。

 赫病にはいくつかの例がある。


 カルの赫病は『未知エネルギーの生成』であるが、世界各地ではそのほかの症例が確認されている。『人を殺す影』『物を浮かせる超能力』『魔物を配合できる神の手』『触れた物を破壊する足』。――赫病は元来、様々な有害を振りまく。だから赫病は危険視され、本来なら誕生と共に殺されなければならない。……赫病というのは『魔物の因子を孕んでいる』ことで起る病気ということは、つまり、魔物と因果関係がある。


「……ッ!」


 だからカルの『未知エネルギーの生成』は、魔物を呼び寄せる・・・・・・・・ことが出来るのだ。


 野原の中心で、彼女は周りを見回す。

 静か。

 いいや、静かすぎる。


「――っ!」


 刹那、シャルロットの視線外の茂みから大きな黒い物が勢いよく飛び出した。振り返る猶予を与えないくらいの速度、シャルロットはその急襲に気が付いたが、目線を向ける事はできない。


「――結界魔術、層!」


 呪文の詠唱をすませると即座に魔力が形を成し、魔法陣が魔物の目の前に現れ、そこに勢いよく魔物は顔面をぶつけた。それにより振り向く時間を稼ぎ、シャルロットは魔物を肉眼で捉える。そこには、『犬のような黒い生物が、真っ赤な瞳をぐるぐると動かしていた』。


「黒魔術、乱花!」


 唱えると瞬間、地面から急速に生えて来た緑の植物が、魔物の心臓を貫いた。魔物は途端にぐったりとした。だが、そんなのをシャルロットは見届ける暇はなかった。


「ガアアアアアア!」

「ガルルウ!」


 その魔物の死が、更なる連戦の幕開けであった。

 シャルロットは右手を宙にかざし、魔力を練る――、


「――黒魔術、蒼穹の道しるべ!」


 空は、青い。そしてその青さは、美しい。

 だからこそ、そこに『牙』があるのに気が付かない。


 蒼穹から降り注いだ巨大なガラスの破片が、飛びついて来た二体を真っ二つに処刑した。だが息つく間もなく、四方から魔物が次々と襲いかかり、シャルロットは心の中で久々の激戦に笑みを浮かべた。

 森が揺れ、木々がざわめいた。そして風に乗せられて、草木掻き分ける猛獣の音が茂みを迸る。


「飛び込んでくるって分かってれば、こんなもの」


 呟き、ローブを揺らしながら手を瘴気に呑まれた魔物にかざして、


「――おとといきやがれ!」


 そらから降り注ぐ『牙』が空気を裂き、魔物へ命中した。


「シャルロット、次きてる!」

「分かってるわ!」


 カルの急かしに応対するシャルロット。上空で待機させているチビによって、どこにどんな魔物が潜んでいるか、また、その魔物がどの順番で迫ってくるかも予想がついていた。

 シャルロットは右腕を前にかざし、再度強く叫んで、魔力を瞬間的に集中させた。


「――蒼穹の道のしるべ!」


 ――刹那、シャルロットを中心に据えて、円形に展開した隙間なき幾千の魔法陣が突発的に現れ空を覆った。そうして茂みから飛び出してきた数十匹の魔物の頭上で、魔法陣からは『牙』が徐々に生成され、上空に現れた幾千の魔法陣から溢れ出た『牙』が一斉に世に放たれ、それらは真っ逆さまに急落下し、何重にも空間が裂けるような澄んだ音が響いて……。

 ――にわかに絶命した魔物の死骸が転がった。それを見届けて、シャルロットはふっと笑った。

 ……飛び出してきた魔物たちを一瞬で蜂の巣にしたのだった。


「チ、チゥ」


 空にいたチビが地上に降り、魔物の死骸をツンツンと触ってから肉を噛みちぎる。


「ふう、……魔物肉なんて不味いから人は食べないのに、チビは凄いね」

「チゥ!」


 魔物を食べながら嬉しそうに羽を広げるチビを横目に、シャルロットは「カル?」と言いながら振り返ると――。


「……おつかれさま、カル」


 その場で、疲れて眠ってしまったカルをみつけて、シャルロットは嬉しそうに呟いた。

 二人は、森の魔物を一掃したのだった。



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