雨が止み始め、夕闇が登っていくのを視界の端で見つめつつ。
カルは彼女の姿を見て思わず零す。
「ちょっと脅かせすぎたんじゃないの?」
「っ、うるさいわね。『礼装』使わなかっただけ、いいでしょ!」
彼女、シャルロットは気絶している男を背中に担ぎ、中腰で街の廃墟を移動している最中だった。男は筋肉質な体つきのおかげでびっくりするくらい重く、かといってあの場所に放置していることは二人には出来なかった。
「ふグッ……!」と段差を乗り越え、シャルロットは苦悶の表情を浮かべる。回収した『黒機』を両手いっぱいに持っているカルからすれば、そんな彼女の姿がちょっとだけ滑稽に見えていて、だから薄ら笑いを浮かべて「ヘッ」と聞こえないように鼻を鳴らした。
「あんたも手伝わせようか⁉ アァン⁉」
どうやら聞かれたらしい。
「ひえ~怖い怖い。じゃあ僕はお先に」
「あ! ちょっと! おいコラァ!」
カルは軽い足取りでシャルロットを追い越し曲がり角を進んで行った。
そんなカルにシャルロットは壁越しに奥歯を噛んで睨むが、彼はそそくさと行ってしまう。
「……ハア~、チビ~手伝って~」
「チュ」
使い魔のドラゴン『チビ』。実質的に背中の男に止めをさしたチビだが、あの巨体はチビの本体という訳ではなく、小さいドラゴンの方が本体である。あれはただの飛行形態だ(対して飛べないけど)。
だからチビは力持ちという訳ではない。シャルロットの問いかけにチビは首を傾げ、しばらく目を合わせてからカルの方へ飛び立ってしまった……。
「……もう」
と、シャルロットは一人で呆れて脱力する。今すぐにでもこの男を引きずったっていいのに、とも考える。
ふと横顔にあたる暖かなぬくもりに、シャルロットは振り返った。
西のカシーアの上空を数日間覆っていたあの雨雲は見事に霧散し、小さな雲の隙間から夕焼けが徐々に沈み、蜃気楼で歪んだ温度が直に体に染み込んでくる。視線を戻す。街中では街灯が灯り始め、シャルロットの乱れた感情を落ち着かせるくらいの安心する景色が、そこには広がっていた。
「雨が止んでよかったわ……」
ここ数日の街の人の声を聴いていた。
連日降り続ける雨に作物の品質に影響がでてしまう。雨ばかりだと客足が少なく商売ができない。そんな困っている人たちにも家庭があって、養わなければならない家族がいる。
外に出られなくて退屈している子供たちを見た。行商人が大量の資材を腐らせてしまったと呟いていた。畑の様子を毎日見に来る人を見つけた。
だから、その安心する景色をぼうっと眺めて、ちょっとした人助けを成し遂げたと思えて、清々とした気持ちになったのだ。
……結局この男が、何故雨を降らせていたのかは分からない。
だが少なくとも、この街から笑顔が増えるのなら、とシャルロットは口元をほんのり緩めながら階段を一段上った。
*
男は帰り道中にカルが呼んでくれた騎士『黒機』と共に預ける。
何か礼をと言われかけたが、騎士と絡むと面倒な事になるので足早に二人は姿を消し、宿に帰宅した。
「依頼は終わり。さて、次を探さないとね」
出入り口の扉の前で、シャルロットはローブを畳みながらそう呟いた。
「今回の依頼でどのくらい稼いだの?」
「そうねえ」
彼女は指を一、二と折りたたむ。カルはそれを真面目に見ていると、……三本あたりでとつぜん指折りが減速し、カルの顔が段々と険しい顔つきになった。
「安すぎ」
カルはそっぽ向いて怒っていること体現する。
「だ、だって、今回は私個人の怨念もあったし、安くても受けなきゃってさ。依頼が来るまで個人的に解決するのだけは我慢したんだから、許してよ~」
「別にそれはいいけどどうするの? お金足りてないよ?」
「まあ最悪ギルドに出向くかぁ。嫌だなぁ~」
変な目で見られるという理由により、シャルロットはギルドを毛嫌いしていた。
なんでもシャルロットは一度、冒険者ランクのグレードを思いっきり落としたことがあるらしい。
だから今の階級は下から数えた方が早い。どうしてわざわざそんな事を下のかは不明だが、どのみちそんな称号関係なく、大きな武器や魔術師らしい恰好をしていない、身軽で弱そうな女一人がギルドに入った時点で、それなりの色眼鏡でみられることが分かっていた。
「はあ」とシャルロットはため息をついてからそっと横に視線をずらし、カルをじっと考えるように見つめた。カルはしばらく列を作っている受付に視線に向けていたが、シャルロットの視線に気が付いて「なに?」と気だるげに問う。
「外はどうだった?」
「……どうって?」
「久しぶりの外出でしょ? 本ばかり読んでろくに出ないから、どうだったのと聞いたんだけど?」
「外出できないのはシャルロットが忙しいからでしょ。僕は別に引きこもりじゃない」
カルは右手をシッシッと振って悪態をついた。
「なら尚更、閉じ込められるのは退屈だったんでしょ? ね?」
「まあそれは……」
少年は核心を突かれ、狼狽えたように顔から力が抜ける。
「大丈夫。君はもっと子供らしくしていいんだよ。子供らしく、外に遊びに出かけてもいいんだよ」
「…………」
そう言って、シャルロットは列の順番に従い一人で鍵を貰いに店員の方へ歩いて行った。カルは伏目になって、口には出さなかったものの、心の中で呟いた。
(――あの場所を出てから僕は、ずうっと気を抜けなかった。怒りがあって、憤りが蓄積されていた。目の前がまるで血に満ちているような鋭い視線を、そこら中に向けていた気がする。そのことを彼女は理解していたのだろう。
だからこうして、彼女は僕に微笑みかけた。
僕の心の傷を見かねて、こうして一緒にいてくれるのだろう。
肩の力の抜き方を教えてくれるのだろう。
……ありがと)
心の内で最後の言葉を呟くと、もやもやしていた心がふと軽くなる。
腑に落ちたように少年はひとりでに頷いて、シャルロットの背中を追いかけた。
少年であるカルは、目の前の勇敢な女性に救われていた。