それは『さくら堂』から一キロほど離れた場所にある小さな神社だった。桜庭の話によれば地元の氏神を祀る由緒のある神社らしい。
道中桜庭はかいつまんで説明してくれた。『さくら堂』は元々桜庭の祖父が開いた店であり、桜庭は祖父に付いて目利きの修業をしていた。三年ほど前のある日、地元の氏神を祀る神社の古い蔵を解体する際にいくつかの古文書や古い道具類が出て来た為桜庭と祖父は鑑定に向かった。鑑定自体はそれほど時間はかからなかったが、仕事を終えて帰ろうとしたところ神社の境内がやけに騒がしい。見れば小さな白い仔猫が複数のカラスに襲われていた。
桜庭は傷だらけの小さな白猫を助けて動物病院へ駆け込む。そうしてその白猫は桜庭の元でコバンという名をつけられたのだという。
すっかり夜の帳が下りたころ、小さな神社の境内には社務所の明かりも落ちていて街灯がいくつか点在しているだけだった。小さな砂場とブランコが一台設置されており、風にわずかに揺れてギイギイと錆びた音を立てている。
「コバンー」
「おーい、コバン出ておいで」
店から持ってきた懐中電灯を手に近所迷惑にならない程度の声量で各々声をかけながら小さな生き物を捜索する。ここにいなかったらあとはどこを探せば良いのだろうか。もしかしたら本当に事故にでも遭ってしまったのではないか。翔太は最悪な方向へ向きそうな思考をなんとか前方へ修正させながら薄暗い境内の賽銭箱の裏、社務所の軒下や屋根の上へと懐中電灯の明かりを向けながら探していた。
その音は、まるで初めて出会った時のデジャヴのようだった。
リィン、と響いた小さな鈴の音。息を飲んで耳をすませる。リィン、リィン、と二度鳴った鈴の音に向かい翔太は駆け出した。
「桜庭さん! 今、鈴の音が!」
神社のお社の脇で、桜庭が着物が汚れるのも厭わず地面に膝をついて軒下に半身を入れるかたちで覗き込んできた。体を引き抜き、翔太を見上げると何とも情けない顔をして笑いながらその口元に人差し指を添える。
「見てごらん」
心なしか小声でそう言った桜庭は翔太を手招きする。翔太は彼と同じように地面に膝をつき、軒下を覗き込んだ。
白い塊が横たわっている。ふわふわとした毛並みを上下にゆったりと動かしながらコバンは金色の瞳を翔太へ向けた。そして、その白猫に寄り添うように小さな小さなふわふわとした塊がふたつ。コバンと同じように真っ白な毛玉と、まだらにサビ色が混ざった毛玉。小さな毛玉はミーミーと声を上げながらコバンの腹に吸い付いていた。
「……コバンって、雌だったんですね」
「知らなかった? お嬢さんなんだよコバンは。まあ、お母さんになったみたいだけどね」
軒下から身を引き抜いた二人は同時に力が抜けたようにその場に座り込む。どちらともなく大きなため息が漏れ、そして訪れた安堵に笑みが浮かんでしまう。なんだ、そうか、コバンは太った猫では無かったのだ。
「しかし、何もこんな場所で産まなくてもいいのにね」
桜庭が少し拗ねたような物言いをする。いい大人のくせにと思いつつ、翔太は最悪まで検討してしまっていた反動なのかふつふつと愉快な気持ちが腹の底から沸いてくるのを感じる。
「コバンは桜庭さんのこと信用してなかったんじゃないですか?」
「酷いな! 僕が彼女を拾ってきたのに」
「まあ、でも……これからどうするんです? 三匹も飼えないでしょ」
掃除もまともに出来ない三十路の独り者が仔猫二匹とコバンを育てられるとは到底思えない。
「里親を探すよ。でも暫くは面倒見てやらないとなあ……」
「はあ……頑張ってください」
「えっ! 何を他人事みたいな事言ってるんだい。君も手伝ってよ! 僕ひとりで出来るわけ無いじゃない!」
酷い、傷ついた、みたいな顔をしないでもらいたい。無駄に整った顔立ちをしている男なのでなんだか翔太は自分が悪いことをしたような錯覚に陥るのだが、別に悪いことをしているわけではないはずだ。しかし、何故か桜庭に仔猫の世話の勘定に入れられていたようで驚く。
「だって君、暇でしょう。サークルにも入って無いみたいだし、友達も少なそうだし」
「一言余計です。大学には友達をつくりに行ってるわけじゃないんで」
「屁理屈を言う生意気な子だなあ」
くつくつと笑いながら桜庭の肩が翔太の肩とぶつかった。何故かぐいぐいと体重をかけられてきて、ああこの人もコバンが見つかってそうとう浮かれているのだなと思う。ただの店主とアルバイトで、一回りも年上で、どこか浮世離れして見える桜庭という男がやけに近くに思えて翔太は何とも言えない面映ゆさを覚える。
「じゃあ決まり、仔猫の里親が決まるまで君は今日からうちに住み込みってことで。大学もうちから通いなさい」
「はあ……は?!」
前言撤回しなければならない。やはりこの男のことは全くわからない。
「その間のアパートの家賃は僕が給料として支払うから問題無いよ。部屋はいくつか空いてるから好きに使ってもらって構わない……まあ、ちょっと散らかってるけどね」
絶対にちょっとどころではないに違いない。
「ちょっと、勝手に話を進めないでくださいよ!」
なんだか思わぬ方向へと話が転がってゆく。
リィン、という小さな鈴の音がお社の軒下から聞こえた。もしかしたら、何もかも白猫の導きなのではないだろうか。
翔太はどうにも、そう思えてならなかった。