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第3話

 とは言え一か月ほどの付き合いしかないコバンが行きそうな場所など翔太には皆目見当がつかない。脱走した猫が行きそうな場所をネットで調べてみると車の下や室外機の下、家の軒下など狭くて暗い場所を好むようなのでひとまず『さくら堂』周辺の該当箇所を見て回ることにした。

 しかし問題となるのは人目である。午後の日の高い時間帯ではあるものの狭い路地で若い男が家々の軒先や車の下を覗き込んでいれば不審に思われて当然である。怪しい者では無い、猫を探しているのだと一目でわかるように近所の薬局で猫用のペースト状のおやつと猫じゃらしを購入して手に持ちながら捜し歩くことにした。

 当然と言えば当然だが、店の近所は桜庭が探しつくしたのだろう、三毛やサビ色の野良猫の姿はあるものの真っ白な体に赤い首輪をつけてまるまると太ったコバンの姿はどこにも見当たらない。翔太はもう少し捜索範囲を広げようと商店街を挟んで反対側の路地へと足を向けた。こちらは『さくら堂』のある通りとは違い居酒屋やスナックが立ち並んでいて、昼間の時間帯は閑散としていた。翔太はこちら側へはあまり足を踏み入れたことは無く、何があるのかもよくわかっていなかったが、月極駐車場やビルとビルの隙間など猫が潜んでいそうな場所へ声をかけてみる。

「おーいコバンー。おやつだぞー」

 コバンという白猫がはたして自分の名前をきちんと認識しているのかわからないが、ひとまず名前を呼ぶことしか探し方の分からない翔太は完全に手探り状態だった。

 コンビニで水を買い水分補給を兼ねて休憩を入れてから今度は駅前までさらに捜索範囲を広げてみる。夕方頃になると学校帰りの学生たちが多く、駅前ロータリーは車の通りも多い。まるまると太っていて動きが機敏とは言えないコバンがここまで来ていたとして、もし車道に出てしまったら……と、悪い想像をしかけて翔太は首を横に振った。一晩帰って来なかったというだけだ、最悪の想定をするのはまだ早い。

 仕方なく道行く人々に声をかけて赤い首輪をつけた白い猫を見なかったかと聞いて回ることにした。初対面の人に話しかけるのは得意では無いが、我が儘を言っている場合では無い。そこでふと、翔太はコバンの写真がスマートフォン内に一枚も無いことに気づいた。桜庭にメッセージアプリでコバンの写真が欲しいと送ってみたが、接客中なのだろう、既読がつくことは無かった。


 空の色が茜色から藍色へと変化してゆく頃、翔太は徒労感に襲われつつも『さくら堂』へ重い脚を引きずりながら戻ってきた。店の明かりはまだついていて、コバンが帰って来ているという一縷の望みをかけて店の玄関をがらりと開ける。ふわりと独特な、例えるならば田舎にある母の実家へ行った時のような古いものの香りが漂ったもののリィンという小さな鈴の音は響いてこなかった。

「月岡君お疲れ様。もう君は帰って構わないよ」

 桜庭は自身の目の色と同じような濃く深い緑色の着物に臙脂の帯をあわせたいで立ちで閉店準備をしていた。萬田氏が訪れていただろう、カウンターにはふたり分のコーヒーカップが置かれていた。

 翔太は店の玄関ドアに立てかけられている営業中の看板を裏返す。

「コバン、見つかったんですか?」

「いや……戻ってきた様子は無いみたい。昨日入れたご飯もそのままになってるから」

 平静を装おうとしているようだが桜庭の声色は沈んでいる。

「だったら俺も手伝います。どうせ予定も無いんで」

「え……でも、これ以上は時間外になっちゃうよ」

「別に良いです。俺もこのまま帰るなんて薄情なことできませんから」

「月岡君……ッ!」

 感極まった様子で両腕を広げ翔太にハグをしようとする桜庭をマタドールのようにひらりと躱しながら、翔太は自分が今日訪ね歩いた場所を報告する。広げた両腕が空を切った桜庭は仕方なしに万歳のポーズを取りつつ、そんな場所まで探してくれたのかと驚いていた。

「ネットの知識ですけど、猫の行動範囲って結構広いらしいんで」

「そっか……僕はコバンが行きそうな場所に皆目見当がつかなくって。あの子結構人見知りだから人のいないところに隠れているんじゃないかと思うんだけどなあ」

「え?」

 コバンが人見知りである、という桜庭に翔太は思わず首をかしげる。

「ああ、そういえば不思議と月岡君には初めから懐いていたね。君をこの店に連れてきてくれたのもコバンだった」

「連れて来た、って」

「本当に珍しいんだよ、コバンが誰かに懐くなんて。基本的にお客さんがいる時は店に出てこないし、警戒心が強いのか飼い主の僕にだって簡単に抱かせてくれないんだ」

 思えばコバンが桜庭の膝の上で丸くなっている様子などこれまで見たことがない。あれは単純に桜庭に対してのみの塩対応だと思っていたが、もしかするとすべての人に平等に塩対応なのだろうか。

「そんなコバンが人を連れて来たから驚いたんだよ。コバンが懐くなんてただ事じゃないぞ、面白そうだと思って即決で君を採用した」

「え、そんな理由で?」

 そういえば好奇心に釣られて飛び込んできた翔太に対し、桜庭はアルバイトの面接のようなことはほとんどせずに採用してくれたのだ。そういうスタンスの店なのかと思っていたが、どうやらコバンのおかげだったらしい。

「僕は君で正解だったと思うよ。コバンは人に対しての目利きらしい」

 桜庭はそう言って翔太を見ると、目を細めて笑う。翔太より少し背の高い彼は自然と見下ろす形になっているが特に威圧感のようなものは無く、不思議な暗緑色の瞳がまっすぐに翔太を見ていて、翔太は思わず視線を逸らした。顔の良い男に真正面から見つめらるのはまだ慣れない。

 目を逸らした翔太をどう解釈したのか、桜庭はクスリと小さく笑った。

「そういえばコバンを拾った時も……」

 そこまで口にした桜庭が急に押し黙る。何事かと視線を差し戻せば、桜庭は大きな瞳をさらに大きく見開いていた。ドキリとするほどに濃い緑色の瞳としっかり目が合う。

「そうだ……そうだよ月岡君! コバンを拾った場所だ!」

 突然大きな声を出した桜庭は目の前の翔太の両肩をがっしりと掴んで無遠慮に揺さぶる。

「ああ! 僕はなんで今まで思い出さなかったんだろう! 神社だよ月岡君!」

「ちょっ、待ってっ……ちょっと、桜庭さん!」

 がくがくと肩を掴んで揺らされる翔太は思わず自分の肩を掴んでいる彼の腕を叩く。しかし桜庭は意に介していない様子でひとりで何か結論付け、普段ののらりくらりとした態度とは裏腹に手早く店の戸締りの確認を始めた。

「なんなんですか急に!」

 展開について行けない翔太が説明を求めるが、桜庭はひとりで何か興奮した様子でぶつぶつと、どうして気づかなかったんだと呟いている。何はともあれ、コバンの行きそうな候補がひとつ増えたようなので翔太はわけもわからずついて行くことにした。

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