廊下に出ると、反対側に篠山くんの姿が見えた。土屋さんの部屋をうかがっているのだろうか、扉へ耳を寄せるようにして、すぐ横にへばりついている。
僕と羽山さんは顔を見合わせてから、そっと近づいていった。
気づいた篠山くんが、慌てた顔で立てた人差し指を口へ当ててみせる。よく見ると彼の耳にはワイヤレスイヤホンが装着されていた。
すぐに僕はひらめいて、小声で羽山さんへ教えた。
「魔法アイテムです。たぶん三人があの部屋にいて、篠山くんは真実の声を聞こうとしているんですよ」
腑に落ちた羽山さんがうなずき、僕らは邪魔にならないよう、廊下の角まで下がる。
篠山くんが再び扉の方へ顔を向けて、聴覚に集中する。いったいどんな会話がされているのか、僕らの方まで聞こえてくることはない。
一分ほど経った頃だろうか、ふいに篠山くんがこちらへ向けて駆けてきた。
「逃げろ!」
はっとした時には篠山くんが目の前を通り過ぎており、慌てて僕らも階段を駆け下りた。視界の端で、土屋さんの部屋から三人の出てくるのが見えた。
羽山さんが前を走る彼へ問う。
「篠山くん、いったい何が聞こえたの?」
「説明してる暇はない! とにかくあいつらやべぇんだ!」
やばいって何が?
僕の頭にはいくつもの疑問符が浮かぶが、篠山くんはエントランスホールを抜けて食堂へと向かう。
「やっぱり彼らが犯人なのかい!?」
「犯人どころじゃない!」
「え?」
ますます意味が分からない。しかし、真実の声を聞いた篠山くんの言葉に、きっと嘘はない。
「あいつら、俺らの知ってる世界の人間じゃねぇんです!」
叫びながら篠山くんが食堂へ飛び込むと、厨房へ続く扉の前に千葉くんが立っていた。急ブレーキをかけた篠山くんの背中に、危うくぶつかるところだった。
冷たい目をして千葉くんは言う。
「先に篠山さんを始末するべきでしたね」
篠山くんが来た道を戻ろうとするが、今度は土屋さんに邪魔された。
「聞こえる真実の声がどれだけのものか、事前に教えてもらってなかったもんね。後で主任に文句言わなきゃ」
何を言っているんだ? 彼らは何を話している?
僕らは戸惑うばかりでろくに身動きもとれず、いつの間にか背中合わせになっていた。まるで袋のネズミだ。
土屋さんの後ろから田村くんがのんびりと現れて、にかっと笑う。
「篠山、お前けっこうおもしろい動きするじゃん? 意外だったよ、ガチで」
高く掲げた右手の先に大きな鎌が出現する。って、魔法じゃないか!? 田村くんは魔法を使えたのか!?
内心で叫んだはずなのに、田村くんは僕の心を読んだように言う。
「違う違う。ただ取り出しただけだ。もっとも、この世界はオレたちの側に都合よくできてるからなぁ。理解できないのはしょうがねぇんだ」
笑いながら言ったかと思うと、田村くんは鎌を両手にかまえて駆け出した。
とっさに避けた僕の頬に冷たい物が当たる。思わず振り返ってしまうと、篠山くんの頭が床へ落ちるのが見えた。
「あ……あぁ……っ」
腰が抜けそうになり、近くのテーブルに手をついてこらえる。脚はガクガクと震えて、心臓は早鐘を打っている。
「逃げろ、野々ちゃん!」
羽山さんの声が聞こえて僕は再び駆け出した。どこへ行けばいいか分からない。でも、ここにいたらダメだ!
「羽山さん、いいこと教えてやるよ。オレたちにはルールがあんの」
「何の話だい?」
「世界のルールだよ」
僕は千葉くんへ向かって駆けていた。彼との体格差は大きい。小柄な僕なら隙間を抜けられるはずだ。
「何っ」
小回りを効かせて千葉くんをかわし、体当たりするようにして扉を開ける。勢いよく廊下に飛び出した僕は全力で図書室の方へと駆けた。
世界のルールって何だ? どうして田村くんたちは僕らを殺すんだ? 最初に聞かされたルールは何だったんだ? ただのデスゲームではなかったのか?
考えたいことはたくさんある。でも、今はとにかく走るだけ。
図書室の前を通り過ぎて再びエントランスホールへ出る。そのまま洗面所へ向かい、外廊下に駆け込んだ。
今日も空はよく晴れている。ガラス越しに差してくる陽光はどこか能天気で、まるで今しがたの惨劇が嘘みたいだ。
ふと足を止めて振り返るが、田村くんたちの姿はない。追ってこないのか?
しかし油断は禁物だ。とりあえず隠れる場所を見つけようと考えて、僕は肩で息をしながら、妖精のいる塔へと足を向けた。
中はあいかわらず薄暗い。上を見てみるが妖精はいなかった。
扉を閉めるとすっかり静かになって、逆に不気味だ。
壁伝いに奥へと進み、僕は暗い気持ちになる。
これからどうなってしまうのだろう。僕は殺されてしまうのだろうか。羽山さんは……たぶんもう、殺されている。
悲しくなってその場にうずくまり、ふと思い出した。パーカーのポケットに手を入れて、グリフォンの羽根を取り出す。
「どんな願いでも、叶えられる……」
小さな窓から差し込む光を反射して、茶色い羽根が一瞬輝いて見えた気がした。
この羽根にいったい何を願おうか。そうだ、このデスゲームをなかったことにしてもらおうか?
いや、それよりも元の世界へ戻してもらえるように願うべきか。大好きな妻がいて、カフェオーナーとして毎日忙しくしていたあの日々へ。
羽根を握った手に、ぎゅっと力をこめた時だった。
「やっぱり最大の敵はお前なんだよなぁ」
田村くんの声がして、びくっと顔を上げた。刃を下にして大きな鎌の柄の先端に顎を乗せながら、田村くんがこちらを見下ろしていた。距離は二メートルもない。
「……」
言葉を失う僕を見下ろして、田村くんは呆れたように鼻で笑う。
「お前、まだ気づかない?」
「な、何に……?」
「この世界、お前のいた世界とは違うだろ?」
僕は小さくうなずいた。
「図書室にあったのはお前の知らない本ばかり。でも、厨房にはお前の知ってる食器が並んでる。妙だと思わないか?」
言われて初めて違和感を覚えた。そうだ、本は知らないのに食器ブランドは知っている。つまりどういうことだ?
「羽山さんは薄々気づいてたみたいだぜ。虚構だってことにな」
虚構?
呆然とする僕へ田村くんはため息をついた。
「だから、お前を中心とした
馬鹿にするような口調で、そして目の前の青年は告げた。
「お前は物語の中の登場人物なんだ」
「は……?」