僕の願いが通じたのか、悲鳴で飛び起きることはなかった。自然と目を覚まして、しばらく静寂を感じる。
誰も殺されていなかったようだ。よかった。
安堵して起き上がり、ゆっくりとベッドを出る。羽山さんはもう起きているだろうか。隣に行って扉をたたいてみようか。
そんなことを考えながら入口へ向かい、かけていた鍵を解除した。そっと扉を開けて廊下をのぞく。誰もいない。
やけに静かだなと思いながら扉を大きく開けて廊下へ出た。
羽山さんの部屋へ向かおうとして、階下に凛月ちゃんの姿を見つけた。彼女の方も気づいて声をかけてくる。
「あっ! 朝ご飯、もうすぐできますよー!」
彼女の後から篠山くんもやってきて、僕はひとまず食堂へ向かうことにした。
「すぐに行きます!」
もしかすると羽山さんはもう起きているのかもしれない。だから僕を呼びに来たのかも。
階段を下りて僕は二人へたずねてみた。
「他の人は?」
「もう何人か下りてきてます」
と、篠山くんが穏やかな口調で教えてくれた。
「まだ来てないのは前島さんと田村だけなんで、野々村さんは食堂に行っててください」
「分かった」
やっぱり羽山さんはもう起きていた。僕はほっとして、少し足早に食堂へ向かった。
今朝の朝食はトーストだった。目玉焼きに粉チーズのかかったサラダ、デザートにヨーグルトまで用意されており、僕は羽山さんの隣に座ってありがたく食事を始める。
「いただきます」
僕はすぐにトーストへマヨネーズを塗り付け、目玉焼きを乗せた。かじりつくとサクッとした食感が心地よく、目玉焼きも温かくて美味しい。
「野々ちゃんの紅茶はウバにしておいたよ」
と、羽山さんが言い、僕は慌てて返す。
「あっ、ありがとうございます。そんなに気を遣ってもらわなくてもいいのに」
「いやいや、気にしないで。早く目を覚ましちゃったから、時間があまってね」
と、羽山さんが笑う。
「君たちはまだ眠ってるようだったし、紅茶を淹れるくらいしかやることがなかったんだ」
「そうですか」
ありがたく僕はティーカップに口をつける。ほどよいメントール感が眠気を吹き飛ばしてくれた。
「ところで、前島さん遅いですね」
ふと思ったことを言った時、篠山くんたちが戻ってきた。後ろにいるのは田村くんだけだ。
「前島くんは?」
と、羽山さんが凛月ちゃんへたずねると彼女は言う。
「まだ起きてないみたいです。声をかけても返事がなくて」
「そっか。ありがとう、凛月ちゃん」
「いえ」
空いた席に凛月ちゃんたちが腰を下ろし、僕は羽山さんと顔を見合わせる。
「あの、僕、ちょっと嫌な予感がするんですけど」
「言いたいことは分かるよ。でも、もう少し待ってみよう」
「はい、分かりました」
僕は彼の言葉に従い、黙って食事を進めることにした。
嫌な想像は後にしておこう。きっとそのうち、前島さんがひょっこり姿を見せてくれるはずだ。
しかし、朝食を終える頃になっても彼は現れなかった。真咲ちゃんたちもさすがに訝しく思い始めており、食堂内の空気はにわかにざわついた。
「見てこよう、野々ちゃん」
「はい」
羽山さんと一緒に席を立ち、急いで前島さんの部屋へ向かう。
「前島くん、いるかい?」
と、羽山さんが扉の取っ手に手をかけたが、鍵がかかっていて開かない。
「前島くん?」
呼びかけながら扉を何度もノックする。しかし反応はなく、気配らしきものも感じられなかった。
「前島くん! いるなら返事して!」
羽山さんが焦り始めた時、千葉くんと田村くんがやってきた。後ろには篠山くんと凛月ちゃんもいる。
「出てこないんですか?」
「うん、鍵がかかってて、声をかけても返事がなくて」
千葉くんが神妙な顔で田村くんと顔を見合わせる。田村くんはあまり危機感を持っていないのか、怪訝と言うより不機嫌そうな表情に見える。
すると篠山くんが前へ出てきて言った。
「壊しましょう、ドア」
「えっ」
「俺がやるんで、離れててください」
慌てて僕はフェンスのところまで後ずさる。羽山さんも同じように離れ、篠山くんは勢いよく扉を蹴った。
ものすごい音がしたが、扉は少しへこんだだけだ。
再び篠山くんが扉を蹴ると手応えのある音がした。扉の一部が破れて穴が空いたのだ。
そこへもう一度蹴りを入れ、穴を大きくしてから篠山くんが手を突っ込んだ。手探りで鍵を解除し、扉を開ける。
羽山さんが「前島くん!」と、室内へ飛び込んでいった。
後から僕らも中へ入ったが、羽山さんはベッドの前で呆然と立ち尽くしていた。
「前島くんが殺された」
ベッドの上で血まみれになった前島さんが倒れていた。斎田さんの時と違うのは、胸を刺されていたということだ。心臓のある辺りから血があふれたのが見て分かり、ベッドまでもを赤く染めていた。
「どうして……」
何のひねりもないつまらない台詞が、僕の口からこぼれる。
一方で千葉くんは冷静に言った。
「密室殺人ですね」
そうだ、これは密室殺人だ。扉には鍵がかかっていた。犯人はどのようにしてここを密室にしたのだろうか?
「胸を一突きされてる。おそらく眠っている間に刺されたんだ」
羽山さんがいつもより低い声で言い、僕はそっと隣へ並んだ。盗み見るようにして彼を見れば、悲しみをこらえているのが分かった。
「羽山さん……」
僕が小さな声で名前を呼ぶと、彼ははっとしてこちらに視線を向ける。
「ごめん、野々ちゃん」
「いえ、やっぱりショックですよね。無理はしないでください」
「……うん」
きっと悲しみや無力感に苛まれているのだろう、短い返事だった。
他にかけられる言葉がないものかと考えていると、前島さんの姿が消え始めた。テーブルの上の小箱と鍵もだ。
「また消えた」
遺体は発見されると消える。それがこのゲームのルールらしい。
羽山さんはあきらめたように息をつき、言った。
「一度部屋に戻ろう」
彼が背中を向けて歩き出し、僕は心配になりながら後を追った。
羽山さんの部屋で二人きりになる。
「はあ、まさか前島くんがやられるとはね……」
ため息とともに彼が吐き出し、僕はただ暗い表情を返す。
視線を感じて羽山さんが沈んだ声のまま言う。
「分かってるよ、野々ちゃん。密室の謎を解いて、誰が犯人か考えないといけない」
「……はい」
僕はうなずき、おずおずと今後の行動について伝える。
「そのためにも、まずは昨夜のアリバイをみんなに聞くべきです」
「うん、分かってる。分かってるけど……」
昨日まで前島さんは一緒にいた。僕らのそばにいて、あれこれ考えて犯人を推理していた。羽山さんとは先輩後輩の関係だった。少なからず共有した思い出があったはずだ。
それほど近くにいた人の死に、羽山さんはすっかりメンタルをやられてしまった様子だ。
僕も少なからずショックだったが、前島さんとはここへ来てから知り合ったも同然だ。羽山さんにくらべれば全然軽い方だった。
覚悟を決めて僕は言う。
「僕一人で聞き込みをしてきます。羽山さんは部屋で休んでいてください」
「え?」
「大丈夫です。すぐに戻りますから」
そう言い置いてから席を立ち、なけなしの勇気を振り絞って部屋を出る。
探偵役は一時交代だ。羽山さんには今しばらく休んでいてもらおう。