母から聞いたノース伯爵家と王家の確執は、私が想像していたものより深かった。
あの一件で、王家からノース伯爵家への謝罪は一切なかったらしい。世間では王家がノース家を切り捨てたと思われているけど、実際はノース家が王家を切り捨てていた。
その証拠にノース伯爵家は、今やどの貴族よりも裕福なのだそうだ。
でも、私たちは王族や上位貴族たちのように、煌びやかな生活をしていない。
そのことを母に尋ねると「うまく隠しているのよ。王家に目をつけられたらやっかいでしょう?」と言う。
「またお金目当てで、王族と無理やり婚約させられるわけにはいかないからね」
その言葉を聞いた私はうつむいた。
「……お母様。私がシオン殿下と交流があること、どう思われますか?」
母は右手を頬に添えながら「うーん」と悩む。
「今のところ、私は賛成も反対もできないわ。だって、あなたたちはまだ学生だもの。いくら貴族とはいえ、今の時代なら自由に恋愛を楽しむ時間があっても良いと思うのよね」
「お母様……恋愛ではなくてですね。友達……」
「はいはい、お友達なのね。シオン殿下があなたの友達でも恋人でも、今は反対しないわ。ただし、結婚となると話は別よ。ノース家としては、王家との婚姻を賛成することはできない」
「はい、分かっています」
「それと、節度を持ってお付き合いしてね。お友達と言っても、男女なのだから、きちんと距離はとるべきだわ。学生のうちに身体の関係を持つなんてもってのほかよ⁉ もしそうなったら……どんな手を使ってでも、シオン殿下をこの世から消すわ」
淡々と、しかし力強く断言する母を見て『私の家は、冗談ではなく本当にそれが実行できてしまうくらいの力を持った家なのね』と、私はようやく理解した。
*
母との会話を思い出したあと、私は目の前に広がる景色に意識を戻した。
教壇に立つ先生が授業の終わりを告げている。待ちに待った放課後は、大好きなシオンと過ごす素敵な時間だ。いつか必ず終わりが来るからこそ、今はこの時間を大切にしたい。
シオンと恋人のふりを始めてから、私の毎日は幸せいっぱいだった。
ケイトが私に手を振っている。
「またね、リナリア」
ケイトは兄のサジェスが急に転校したあと、少しだけ落ち込んでいたけど、今は吹っ切れたようでスッキリした顔をしている。
「うん、また明日ね。ケイト」
ケイトと別れた私はシオンが待つサロンへと向かった。恋人のふりを始めてから、隠れて会う必要がなくなったので、ゼダ様のお迎えは断っている。
その途中で背後から声をかけられた。
「リナリア」
名前を呼ばれたので振り返ると、少し離れたところにまばゆいほどの金髪に紫色の美しい瞳を持った王子様が立っていた。でも、私の胸は少しもときめかない。ということは、この王子間様はシオンではなくローレル殿下だ。
ローレル殿下は、シオンの学年のネクタイを付けているので、今はシオンのふりをしている。
私が二人の殿下を見分けられるってバレないようにしないと。
バレたらローレル殿下に何をされるか分からない。そうしているうちに、爽やかな笑みを浮かべながらローレル殿下がこちらに近づいてきた。
「リナリア」
「シオン殿下、お迎えに来てくださったのですか?」
作り笑いを浮かべながら私がそう言うと、ローレル殿下はニコリと微笑んだ。シオンとは違い冷たい笑顔だ。
「どこに行くの?」
「殿下に会いに行くために、サロンに向かうところでした」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に行こう」
ローレル殿下が私の手をつかんだ。ローレル殿下の体温を感じてゾクッと悪寒が走る。
う、気持ち悪い……。
サジェスといい、ローレル殿下といい、シオン以外の男性に触れられると嫌悪感が湧いてしまう。今すぐこの手を振り払いたいけど、シオンと私は恋人設定なのでそれもできない。
私って、本当にシオン以外と結婚できるのかしら?
不安に思っていると、急に立ち止まったローレルに手を引かれて気がつけば、私はローレル殿下の腕の中に収まっていた。
「で、殿下、お戯れを!」
ローレル殿下から距離を取ろうと力いっぱい両手で押してもローレル殿下は離してくれない。
「恋人だからいいじゃない」
ローレル殿下は、優しそうな笑みを浮かべているけど、私を映すその瞳は少しも笑っていない。
もしかして……試されているの?
もし私が、シオンに変装したローレル殿下を拒絶すると、二人の王子を見分けられることが知られてしまう。かといって、このまま気がつかないふりをしていたら、大変なことになりそうだった。
私が困って黙り込んでいると、ローレル殿下の左手が私の右太ももをなでた。
ひっ⁉
思わず漏れそうになった悲鳴を必死にこらえる。
「こんなに怯えて。リナリアは可愛いね」
ローレル殿下は何が楽しいのかニコニコしている。ゆっくりとローレル殿下の顔が近づいてきたので、我慢の限界を迎えた私が叫ぼうとした瞬間、「殿下!」と大きな声が割って入った。
声のほうを見ると、ゼダ様が慌ててこちらに駆けてくる。真面目そうな顔には、珍しく焦りが浮かんでいた。
「殿下、おやめください!」
ローレル殿下は、フフッと笑うとようやく私を解放した。
「ゼダ、何を怒っているの?」
眉間にシワを寄せたゼダ様は、私をチラリと見たけど、すぐにローレル殿下に向き直る。
「殿下、節度を守ってください!」
「ゼダは頭が固いよ。私とリナリアは恋人同士なのだから、少しくらい良いじゃない」
深いため息をついたゼダ様は、「兄が……ギアムが殿下を探しています」と告げると、ローレル殿下は「そう?」と軽く答えた。
「じゃあね、リナリア。あ、そうだ」
ローレル殿下は私の耳元に顔を近づけると、「次はどこまで我慢できるかな?」と囁く。
バレてる⁉
青くなっている私を見たローレル殿下は、心底楽しそうに微笑んでいた。