俺は、シオン殿下の護衛に連行されるように王家の馬車に押し込められた。護衛は馬車には乗らなかったので、馬車の中は俺とシオン殿下の二人きりだ。
あのあと、折られた腕は、すぐにシオン殿下の護衛により応急処置を施された。今は木を当てられ布で縛り固定されている。
折られたときほどの激痛ではないものの、腕の痛みはひどい。
しかし、今の俺は折られた腕より、心のほうが痛かった。
先ほど聞いたシオン殿下の言葉がずっと頭の中で回っている。
――リナリアってさ、はじめは君のこと『ケイトのお兄さんって優しそうで素敵ね』って言っていたんだよ。
――君が何もしなければ、あと数年で君たちの婚約が決まっていたかもね。
モブ女……リナリアは、俺のこと素敵だって思ってくれていたのか……。
勝手に邪推し、ずっとリナリアに見下されていると思っていた。
俺が、リナリアにあんな態度を取らなかったら、リナリアと俺は……。
リナリアと仲睦まじく微笑み合っていたかもしれないと思うと、また心が痛んで涙が滲む。
俺はリナリアのことが好きだ。
ようやく自分の本当の気持ちに気がつけたのに、もうすべてが遅かった。
馬車の向かいに座るシオン殿下を見ると、背筋が凍るような冷たい笑みを浮かべてこちらを見ていた。その瞬間に俺はようやく理解した。
殿下も……リナリアのことが好きなんだ!
リナリアは『私がお願いしてシオン殿下にあそんでもらっているの』と言っていたが、恐らく事実は違う。
気がつけば俺は自分の置かれている立場も忘れて、「殿下はいつからリナリアのことが好きなんですか?」と聞いていた。
「十年ほど前からだよ」
あっさり答えてくれたが、その予想外の長さに俺は驚く。
「リナリアに付き合ってもらうのに、十年もかかってしまった」
口ではそう言いながらも、シオン殿下の顔には先ほどとは違い幸せそうな笑みが浮かんでいる。
シオン殿下のことを、うらやましいと思う前に『殿下は、十年も片思いの苦しさを味わっていたのか』と感心してしまった。
俺とは、年季が……違う。
馬車が俺の家に着くと、シオン殿下は俺を蹴り馬車の外に出した。
「君のご両親には私から伝えておくよ。転校先が決まるまで君は学園に来ないでね。もし、学園で君を見かけたら残った腕も折るから」
ニコッと微笑んだあとに、シオン殿下はスッと表情を消す。
「君がリナリアをあきらめずに、付きまとったり告白でもしたりしたら、今度は君の妹に責任をとってもらうからね?」
その言葉を聞いて『冗談ではなく、この男なら必ず実行する』と俺は確信した。
「はい、殿下。もう二度とリナリアには近づきません」
そう誓う以外に、俺に残された道はなかった。
*
それから数日後。
あっと言う間に俺の転校が決まった。
シオン殿下から連絡を受けた両親と長男は、治めている領地から慌てて都心にある家に駆け付けた。
両親に「どういうことだ⁉」と問い詰められたが、今さら言い訳をするつもりもなく、俺は「シオン殿下からご連絡があった通りです」としか言わなかった。
ただ、両親も兄も「お前の口から真実を聞くまでは、例え殿下の指示であろうと従わない」と言って、根気強く俺が話すまで待ってくれたので、俺は仕方なく『リナリアが好きだったこと』『相手にしてもらえず、リナリアの気を引きたくて罵倒し、いじめていたこと』『リナリアを無理やり押し倒したこと』を話した。
両親はあきれてため息をついたが、父に「今はそれが愚かな行為だと気がつけたんだな?」と聞かれたので俺が頷くと怒られはしなかった。左腕をシオン殿下に折られていたので、すでに罰は受けたということらしい。
兄は「サジェスは、昔から女性に囲まれて嫌そうだったもんな。ケイトを利用しようとする自称友達もお前に任せきりだったし……。子どものころに、女性の嫌な部分をたくさんみて、女性嫌いになっていたのかもな。気がついてやれずすまなかった」と謝られた。
いっそのこと、俺の愚かさを怒鳴って責めてくれたほうが楽になるのに……。
両親と兄の優しさで、よりいっそう己の愚かさが浮き彫りになり、リナリアへの罪悪感がさらに募っていく。
俺の頬を叩いたケイトは、あの日から俺を徹底的に無視していたが、『俺は、本当はリナリアのことが好きだった』と両親から聞いたようで話しかけてきた。
「お兄様は、バカですか?」
「……そうだ」
自分がバカなことはもう痛いほど分かっている。
「リナリアは、最初、お兄様のこと素敵ねって……。私、それを聞いてお兄様とリナリアが結婚したら嬉しいなって思っていたのに……。言ってくだされば、お兄様の恋を応援したのに!」
ケイトの言う通り、この恋はとても簡単だった。
俺が一言ケイトに『リナリアってこが気になるから、俺に紹介してくれないか?』と言えば、俺はリナリアと付き合うことができたかもしれない。
今となっては、それはあり得ない未来だった。しかし、とても簡単に愛おしい女性を手に入れられる可能性があったことが、俺を後悔させ苦しめ続ける。
ああ、でも、もしそうなっていたら、俺、シオン殿下に殺されていたかもな。
そう自嘲すると、俺は、この地獄のような失恋の苦しみが少しだけ薄れるような気がした。