シオンは極めて冷静に「こういうことが二度と起こらないように、サジェスには『悪いことをしたんだ』と罪を自覚させる必要があると私は思うよ」と説明してくれた。
「そっか、そうですよね……」
今回のことは、これまでとは違い『自分さえ我慢すれば良い』という話ではない。もし、サジェスが反省をしていなかったら、私以外の被害者が出るかもしれない。
「リナリア。よければ、この件は私に任せてもらえないかな?」
「でも……」
私がシオンの仕事を増やしてしまわないか心配していると、シオンは私にすがるような視線を向けた。
「お願いだから」
美しい紫色の瞳が私を見つめている。その色気を含んだ悲しそうな瞳を見ていると、なんでも願いを叶えてあげたくなってしまう。
「えっと、じゃあ、お願いします」
「嬉しいよ。ありがとう、リナリア」
微笑みを浮かべたシオンのあまりの神々しさに、私は思わず目をつぶった。
私、本当に幸せ……。
先ほどサジェスに押さえつけられた恐怖や気持ち悪さが、シオンの微笑みで浄化されていくような気がする。
シオンに「リナリア?」と声をかけられたので慌てて目を開けると、なぜか向かいの席に座っていたシオンが私の隣に移動していた。
「シオン⁉」
シオンは慣れた手つきで私の指に自分の指をからめ恋人繋ぎをする。
「これからとても大切な話をするね」
「は、はい」
急にどうしたんだろうと思っていると、シオンは不安そうに「リナリアは、私が言うことを信じられる?」と聞いてきた。
「もちろんです! シオンの言うことなら、なんでも信じます」
「それは良かった」
ニコッと微笑んだシオンは、私の耳元で囁いた。
「リナリアは、綺麗だよ」
「……?」
予想外の言葉に私が驚いていると、シオンはさらに言葉を続けた。
「リナリアの良さが分からないサジェスは、本当に見る目がない。でも、私なら分かるよ」
シオンの左手が私の髪を優しくなでている。
もしかして……。シオンは、私がサジェスにひどいことを言われていたから慰めようとしてくれているの?
私の頭の中で、サジェスの声が響いた。
『モブ女』『どうしてこんなやつが?』『お前なんか』
悪意を含んだ言葉の数々は、小さなトゲになって今も私の胸に刺さっている。
私自身も、自分の外見が華やかではないことを知っているので、サジェスの言葉を強く否定できないでいた。
「シオン……慰めは……」
いりません、と伝える前にシオンに「私の言葉なら、なんでも信じてくれるんだよね?」とさえぎられてしまう。
「はい。でも……」
「なら、信じて」
シオンは穏やかな声で言葉を続けた。
「リナリアの笑顔はすごく可愛いよ」
そんなわけがない。
「君の眼差(まなざ)しを独占できる時間が幸せで仕方ないんだ」
そんなことがあるわけが……。
「リナリア。私を信じて。君はとても魅力的だよ」
「私、が?」
「うん」
……シオンがここまで言うのなら、そうなのかも?
それは、かけられた呪いが、一瞬にして解かれたような不思議な感覚だった。
そっか、そうだよね……。ヒロインのように綺麗じゃなくても、私だっていつか誰かの特別になれるよね? それに、良いところだってあるはずだし。サジェスから見れば私は『モブ女』でも、他の誰かから見れば素敵な女性に見えるのかもしれない。
人の好みは十人十色(じゅうにんといろ)。人によってそれぞれ違う。そう思うと、サジェスから受けた心の痛みがウソのように消えていく。
「シオン……。ありがとうございます」
シオンに心の底からお礼を言うと、シオンは優しい笑みを浮かべた。
「信じてくれた?」
「はい!」
気がつけば、いつの間にか馬車は止まっていた。閉められたカーテンの隙間から外を見ると、もうノース伯爵家の邸宅に着いてしまっている。
馬車の扉に手をかけようとした私をシオンが笑顔で止めた。
「ところで、リナリア。さっき私のことを『シオン殿下』って呼んだよね?」
「……そうでしたっけ?」
言われてみれば、シオンの腕に抱きついたことを謝ったときに、うっかり言ってしまったかもしれない。
「お仕置きだね……と、言いたいところだけど、今日はいろいろと大変だったから見逃してあげる」
シオンのいうお仕置きは、シオンにキスをするということ。
私からすれば、少しもお仕置きになっていないんだけどね。
いつもならシオンに触れるなんて恐れ多いと恐縮してしまうところだったけど、今日の私は少し違った。
「シオンったら、お気遣いは無用です。お仕置きは絶対ですよ」
私はシオンに顔を近づけると、その滑らかな頬に触れるか触れないか程度のキスをした。
シオンは私のことをたくさん褒めてくれるし、大切な友達と思ってくれているみたいだから、これくらいのイタズラなら恋人のふりってことで許してもらえるよね?
シオンならいつものように優しく笑ってくれると思った。でも、シオンからはなんの言葉も返ってこない。
「シオン?」
不思議に思い声をかけると、シオンは左手で顔を覆いうつむいた。
「え? わ、私、調子にのって、ご、ごめんなさ……」
私が不安になって謝ろうとすると、シオンから「そうじゃなくて……」と小さな声が返ってくる。
長い指の間から見えるシオンの顔は真っ赤に染まっていた。
馬車内にノック音が響く。私たちがいつまでたっても降りてこないので、御者が心配したようだ。
私が慌てて馬車から降りて振り返ると、馬車の中にはいつも通りのシオンがいた。優しい笑みを浮かべるシオンの顔は赤くない。
さっきのは私の見間違い、かな?
シオンと別れて家の中に入ると、いつもとは違い「おかえり」と笑顔で出迎えてくれる女性がいた。
「お母様⁉ どうしてこちらに?」
父と一緒に領地にいるはずの母がここにいることに驚いていると、母に「驚いたのはこっちよぉ」と怒られてしまう。
「久しぶりに可愛い娘から手紙が届いたかと思ったら『ノース伯爵家は、王族と過去に何かありましたか?』なんて書かれているから、あなたに何かあったのかとすごく心配したんだからね!」
「す、すみません」
母は「もう!」と怒ったあとに「でも、あなたが元気そうで良かったわ」と笑ってくれた。
「それにしても、このお花は……?」
母は、家中に飾られているリナリアの花が気になるようだ。
「それは、その、親しい友達が毎朝くれるんです」
まさか、『第二王子の恋人のふりをしています』とは言えず、私は言葉を濁した。
母は「あらあら、まぁまぁ」と口元を緩める。
「それって、本当に友達なの?」
「そうですけど……?」
「あら、残念。だったら向こうの片思いなのね」
「どういう意味ですか?」
母は、近くの花瓶からリナリアの花を一輪(いちりん)抜き取った。
「あなた、リナリアの花言葉を知らないの?」
「リナリアの花言葉……?」
「リナリアの花言葉はね――」
――この恋に気づいて。