私は愛おしいリナリアと手を繋ぎながら、放課後の学園内を歩いていた。
リナリアとこんな風に手を繋いで歩ける日が来るなんて、まるで夢のようだ。彼女は今日起こったことが理解できず、不思議そうに首をかしげている。その仕草だけでこんなに魅力的なのだから、少しも目を離すことができない。
今朝、目を離している間に、リナリアは侯爵令嬢に呼び出されていた。王宮主催のお茶会で何度か見かけたことのある顔だったが、興味がないので侯爵令嬢の名前は憶えていない。
リナリアを呼び出した侯爵令嬢は、親切な先輩ぶってリナリアと仲良くなろうとしていた。だから、リナリアと別れたあとに呼び止めて、これ以上リナリアに近づかないように丁寧にお願いした。
多少脅すような言葉を使ってしまい、侯爵令嬢が怯えていたが、私の大切なリナリアに近づこうとしたのだから仕方ない。
リナリアの仲の良い友達は『ケイト』という伯爵令嬢一人で十分だ。そのケイトすらリナリアにまとわりついてうっとうしいと私は思っているのに、これ以上増えてもらっては困る。
リナリアは誰にでも優しい。だから、品のない女生徒たちに嫌味を言われても言い返しもしない。
昼休みにリナリアに、「あなた、その外見でよく殿下のお側にいられるわね?」「私だったら恥ずかしくて無理だわ」と言った女生徒たちに、私はわざわざ会いに行った。
とたんに女生徒たちは頬を染めて上目使いで「シオン殿下、ごきげんよう」などと言ってくる。そんな女生徒たちに私はニッコリと微笑みかけた。
「君たちは、なんて言っていたかな? 確か『あなた、その外見でよく殿下のお側にいられるわね? 私だったら恥ずかしくて無理だわ』だったかな?」
女生徒たちは、揃ってポカンと口を開けている。
「昼休みのこと見ていたよ。人の外見を貶めるような醜い心は恥ずかしくないのかな?」
私の言葉を理解したのか、女生徒たちは羞恥で顔を赤く染めた。
「君たちは、私がリナリアと付き合っていると知っていて彼女を侮辱した。王子である私が選んだ女性を侮辱する。それはつまり、私の見る目がないと、私を侮辱していることになる。学生だから何をしても許してもらえるとでも? どうして王族にだけ学園内でも護衛がついていると思う? この国には、王族侮辱罪(おうぞくぶじょくざい)という罪名(ざいめい)があることは知っているかな?」
私がニコニコと微笑みながら問いかけると、女生徒たちはガタガタと震えだした。
「ち、違います!」
「私たちは、そのようなつもりでは⁉」
私は作り笑いをスッと消して「じゃあ、どういうつもりだったんだ? 私の愛する人を侮辱した理由を、私が納得できるように説明してごらん」と淡々と伝えた。
真っ青になりながら「も、申し訳ありません」と涙する女生徒たちに、私はもう一度ニッコリと微笑みかけた。
「なるほど、じゃあ少し誤解があったのかな? だって、私とリナリアは、とてもお似合いだもの。君たちがリナリアを侮辱する理由なんて一つもないよね?」
「は、はい、もちろんです!」
「とてもっ、とてもお似合いです!」
「だよね。そうだと思った。じゃあ、リナリアにもちゃんとそう伝えてね」
「は、はい!」
泣きながら謝罪する女生徒たちを残して、私はその場をあとにした。
少し言われて泣くくらいなら、やらなければいいのに。
彼女達にあきれながら、私は『今日の護衛がゼダじゃなくて良かった』と思った。
幼いころから王子としての教育を受けてきた私は、兄ローレルほどではないにしろ、勉強はもちろんのこと、剣術や馬術も、なんでも人並み以上にできた。
本当なら学園で学ぶことなんてない。
なので私が学園に通う理由はただ一つ、リナリアを見守るためだけだ。
同じく学園に通う理由がないローレルは、「学園に通うのは、社交を学び、より良い人脈をつくるためだよ」などとウソくさいことを言っている。でも、私とローレルを見分けられない人たちといくら関係を築こうが、私にとってはなんの意味もない。
だから、学園に着くと、私はできる限りリナリアを見守っていた。
リナリアが授業中のときは、ゼダから剣術の指導を受けた。愛する人を守るために強くありたかったから。毎日欠かさず訓練し鍛えているので、今の私の剣術は天才ローレルの足元くらいには追いついたかもしれない。
ゼダは私のリナリアへの気持ちを知っているので、ときどき私に何か言いたそうな視線を送ってくる。何度か見守ることを止めるように言われたこともある。だから、今日もゼダがいたら、私の行動を止められていたかもしれない。でも、今日の護衛はゼダの兄ギアムなのでその心配はなかった。
今朝、リナリアと別れたあと、私は先に学園に着いていたギアムに「休んでいていいよ」と声をかけた。
ギアムは「両殿下の護衛は楽でいいです」と言いながら側にあるベンチに横になった。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
ギアムはこだわりや正義感がないため、他の王族や権力者たちからすれば、使い勝手が良いようでいつも忙しそうだ。以前「ギアムを殿下の護衛から外そう」という声が上がったが、ギアムは「絶対に嫌です」と断った。
それは決して王子たちへの忠誠心からではなく、「両殿下の護衛から外れると、より難しく責任がある仕事を任されそうで嫌なんです」と言っていた。
常に側にいる護衛が、私たちに関心がないのは、こちらとしても都合が良い。
ゼダには咎められるようなことでも、ギアムが護衛のときにはできてしまう。ローレルもギアムが護衛のときに好き勝手しているようだ。
だから、ローレルもギアムを護衛から外そうとはしない。
ローレルの意見は、この国の誰の意見よりも優先されるので、ローレルが「外さない」と言えば、ギアムが王子の護衛から外されることはない。
ただ、公式の場にギアムを連れて行くとそのやる気のなさで悪目立ちするため、公式の場にはローレルはゼダを必ず連れて行く。
そういう事情があるから、リナリアと恋人のふりを始めた今日の護衛がギアムで良かった。
今日は思う存分、リナリアを守れる。
悪いウワサが付きまとっているとはいえ、第二王子である私と恋人のふりをすれば、リナリアに心無い言葉をかける人たちが必ずいるはずだ。そのせいでリナリアが傷つくのは許せない。
私としては、リナリアとすぐにでも婚約して、彼女を傷つけようとするすべてのものから守りたいが、『第二王子』という肩書がついている今はまだできない。
この国の法律では、王族が貴族の跡取りである女性を婚約者にしたり、結婚したりすることが禁止されているからだ。
だから、第二王子という肩書を捨てないと、私はリナリアと一緒にいられない。
そのためには、王室から除名してもらえばいい。ただ、私を利用したいローレルがそれを絶対に許さないため、ローレルにばれないように上手くやる必要があった。しかも、ただの除名ではいけない。王室から一時的に外されても、将来的に公爵の地位を与えられ、ローレルに一生利用されるのは目に見えている。
どうしても、リナリアの側にいたい。
たった一つだけの願いを叶えるために、子どものころから考えに考えた結果、私は、今までローレルがウソをついて作り上げた『愚かなシオン』を逆に利用することを思いついた。
性格が悪く乱暴者で女遊びが激しい第二王子のシオン。兄より格段に劣る弟。国王になったローレルを一生支えるためだけの存在。
だったら、私がローレルの側にいるだけで不利益だと周囲に思わせればいい。
私の悪いウワサをさらに広めて、『未来のローレル王の臣下に相応しくない』と周りが決めればいい。そのためには、学生という身分であるうちに、犯罪に問われないギリギリラインで悪いウワサを広めていく必要がある。
私の悪いウワサをなくそうと思ってくれているリナリアには申し訳ないけど……。
悪いウワサがさらに広まれば、両親を含めてローレルに心酔している人たちがやることは私の厄介払いだろう。
処刑するわけにもいかない厄介者の王族の行く先は、条件の良くない家への婿養子だ。厄介者を国外に出すわけにもいかず、権力を持たせるわけにもいかないので貴族へ婿入りさせて監視させる。婿入り先の貴族は、厄介者を受け入れる代わりに王室に恩が売れるので悪い話ではない。
歴史を遡(さかのぼ)ると、今までの愚かな王族は、そういう処置を取られていた。
私もそういう処置を取られれば、リナリアと結婚できる可能性が出てくる。しかし、問題はリナリアのノース伯爵家が、厄介者を押し付ける婿養子先としては条件が良すぎることだ。
王家と過去に問題があったにも関わらず、ノース伯爵家はとても裕福だし、豊かな隣国との貿易をほぼ独占している状態なので貴族内の発言力も強い。
ノース伯爵家の婿養子に入りたい男なんて数え切れないほどいる。もちろん、そこにはリナリアがとても素敵な女性だということも含まれていた。
初めてあったお茶会で私を助けようとしてくれたように、リナリアは困っている人を見逃がせない性格のようですぐに人助けをする。相手に恩を売ることが目的ではないその純粋な優しさに心打たれる者は多い。そして、何より笑顔が可愛い。もちろん、笑顔だけじゃなくてすべての表情が愛らしいけど。
リナリアに好意を寄せている男は一目で分かった。リナリアを口説こうとした男たちは、容赦なく脅して今後一切リナリアに近づかないことを約束させた。
私と同学年のサジェスも、リナリアに好意を持つ男の一人だったが、私が手を打つ前に勝手に自滅したのでそのままにしておいた。
自分からリナリアにわざわざ嫌われるような言動をしてくれるサジェスの存在は、私にとってむしろ有難かった。
サジェスと比べたら私のほうがまだマシだと、リナリアに思ってもらえそうだったから。
でも、最近は、私がリナリアにどれほど好意を伝えても伝わらないのは、サジェスの暴言のせいではないのかと思えてきた。
はっきりとリナリアに言われたわけではないが、リナリアの言動からは『私なんかが男性から愛してもらえるはずがない』という強い思い込みを感じる。
あんな男の言葉を信じて、リナリアは傷ついていたんだね。やっぱりサジェスも脅してリナリアに近づかないようにしておけば良かった……。もう二度とリナリアが傷つくようなことはさせないからね。
私は隣を歩くリナリアに気がつかれないように、決意を込めて小さく頷いた。