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18 不思議なことが起こりました

 馬車から降りた私とシオンは、ピッタリくっつきながら学園内を歩いた。それを見た生徒たちがポカンと口を開けてこちらを見ている。


 そんな視線を一切気にせず、シオンは私に微笑みかけた。


「大丈夫だよ。リナリアは何も心配しなくていいからね。私が必ず守るから」

「は、はい。頑張ります!」


 シオンは、私を教室まで送ってくれた。


 先に教室に来ていたケイトが、シオンの姿を見て大きな瞳をさらに大きく見開いている。その表情が先ほど見かけたサジェスと重なり、顔は少しも似ていないのに二人は確かに兄妹なのねと私は思った。


 名残惜しそうなシオンは「また、あとでね」と言いなから、私の手の甲にキスをしてから去って行った。


 多くの生徒がいるにもかかわらず、教室内は静まり返っている。気まずい空気の中、私はケイトに「おはよう」と小声で挨拶した。


「お、おはよう。あなたがシオン殿下とお付き合いしているって話、本当だったのね……」

「うん」


 私とケイトが会話したことをきっかけに、教室内に他の生徒たちの声が広がっていく。


「い、今のシオン殿下だよな?」

「どういうことなの?」


 クラスメイトたちのヒソヒソ話が聞こえてくるけど、私に直接悪意をぶつけてくる人はいなかった。それはもしかすると、この学年に私の家より位が高い令嬢がいないからかもしれない。


 もしくは、私の父であるノース伯爵と敵対するのを避けているのかも?


 我が家は、隣国と深い繋がりを持っていて、多くの輸入品を取り扱っているので、仲良くしたいと思う貴族が多いらしい。


 そんな私を攻撃する人がいるとすれば、シオンの婚約者にもなれるくらいの地位を持つ、公爵家や侯爵家の令嬢たちだ。


 確か、私より上の学年に在学していたはず……。


 いつか呼び出されるかもしれないと思っていると、教室内に「そこのあなた、ちょっと良いかしら?」とよく通る綺麗な声が響いた。


 教室の入り口で知らない女生徒が私を指さしている。制服のリボンが青色なので、シオンと同じ学年だ。側にいたケイトが小声で「あの方、侯爵令嬢よ」と教えてくれる。


「そこのあなた、リナリアさん、でしたか? お話があります」

「は、はい!」


 さっそく呼び出しをくらってしまった。心配したケイトが「私も一緒に行くわ」と言ってくれたけど丁重に断った。


 ケイトを巻き込みたくない。そんな想いで私は一人、先輩のあとをついていく。


 私の予想では、これから人気のない場所で、先輩の取り巻きの女生徒たちに囲まれて罵られる予定だったけど、取り巻きの姿はどこにもなかった。


 先輩は、くるりと優雅に私を振り返った。


「リナリアさん、あなたにお話があります」

「はい」


 いきなり頬を叩かれ『シオンは私のものよ!』と言われるくらいの覚悟をしていると、予想外に先輩は「大丈夫でして?」と心配そうに聞いてきた。


「大丈夫、とは?」


 私が聞き返すと、先輩は聞かれてはまずいことを伝えるように小声で「シオン殿下のことです」と囁く。


「あなたは学年が違うから知らないのでしょうが、シオン殿下はとてもお勧めできる方ではありません。恋のお相手もたくさんいると聞いています」

「えっと……?」

「このようなこと、大きな声では言えませんが、昔からシオン殿下は乱暴者で有名なのです。王宮で開催されたお茶会で、ひどい目に遭わされた方が何人もいるのですよ」


 それはシオンではなく、本当はローレル殿下がしていることなのに……。


 先輩はとても真剣な表情で私を見ていた。だから、本気で私のことを心配してくれているのだと分かる。


「せ、先輩は、どうしてそれを私に教えてくださるのですか?」

「それは……。あなたがシオン殿下の新しい恋人と聞いて、わたくし、心配になってしまったのです」


 ……なんだろう。このものすごく性格の良い綺麗な先輩は。


 急に呼び出されたことで驚きすぎて、今まで気がつかなかったけど、先輩はとても美人だった。ケイトが愛らしい小動物系の美少女だとすれば、先輩は洗練された気品を持つ色っぽい美女だ。先輩が動くたびに、光沢を持つ銀色の髪がサラサラと揺れ、こちらを見つめる青い瞳はサファイアのように美しい。


 先輩にもう一度「大丈夫ですか?」と聞かれて私は我に返った。


「はい、大丈夫です。あの、先輩は、シオン殿下のことがお好き……?」


 私が『お好きなのですか?』と言い切る前に、先輩は嫌そうに全力で首を振った。


「ありえません! わたくし、不誠実な方は大っ嫌いです!」

「あっ、はい」


 先輩は、「いいですか、何かつらいことがあれば、いつでも私が相談にのりますからね」と言って優雅に去って行った。


 シオンの恋人のふりをしただけで、初対面の人にこんなに心配されるなんて……。ローレル殿下のせいで、シオンの評価が落とされているのがよく分かった。早くなんとかしないと……。


 シオンが言っていた通り、私と誠実に付き合う姿を見せたら、少なくとも恋多き男のウワサは消えると思う。でも、私はそれだけではなく、シオンの評価を正当なものにしたい。


 どうしたらいいんだろう?


 悩んでいるうちに、あっという間にお昼休みになった。


 私とケイトが、いつものように学園内でお弁当を食べていると、そこに今朝、私を心配して声をかけてくれた優しい侯爵令嬢の先輩が現れた。


「あれ? 先輩、どうしたんですか?」


 先輩は私に向かって勢いよく頭を下げる。


「申し訳ありません!」

「え?」

「け、今朝、私があなたにお伝えしたことはすべて勘違いでした! シ、シオン殿下はとても素晴らしいお方です!」


 先輩はカタカタと小刻みに震えながら、青い瞳をせわしなく左右に動かしている。


「えっと?」

「シオン殿下とリナリアさんは、と、とてもお似合いですわ!」


 それは、まるで誰かに言わされているような棒読みの台詞だった。先輩は「わたくし、心の底からお二人を祝福いたします!」と言い走り去ってしまう。


 取り残された私とケイトは、顔を見合わせた。


「先輩、急にどうしたんだろう?」

「さぁ?」


 お弁当を食べ終わると、先輩とは別の女生徒二人組に声をかけられた。


「あなたがシオン殿下の新しい恋人のリナリアさん?」

「あ、はい」


 女生徒たちは「ふーん?」と言いながら私を上から下まで眺めている。


「あなた、その外見でよく殿下のお側にいられるわね?」

「私だったら恥ずかしくて無理だわ」


 クスクス笑う女性たちにケイトが「失礼なこと言わないで!」と怒ってくれた。でも、自分でもそうだと思っているので仕方ない。


 私は何も言い返さずにその場を立ち去った。あとをついてきたケイトが「言い返さなくて良かったの?」と聞いてくれたので、私は「うん」と頷く。


「まぁ、あれくらい言われるのは覚悟の上だから」


 私が笑うと、ケイトは「私は許せないわ」と言いながらリスのように頬を膨らませた。


「ケイト。その顔、すごく可愛いわよ」

「もうっ! 私は怒っているのに!」

「ごめんごめん、私のために怒ってくれてありがとう。ケイトが味方でいてくれるから私は平気よ」


 そう言うとケイトは「もう!」と言いながらも機嫌を直してくれた。


 その日の放課後。


 昼休憩のときに嫌味を言ってきた女生徒たちに、私はまた声をかけられた。彼女たちは、前に会ったときとは違い、なんだか顔色が悪い。


 私が「何か用ですか?」と尋ねると、女生徒たちは顔を見合わせた。


「ひ、昼間は大変申し訳ありませんでした!」

「シオン殿下とあなたは、とてもお似合いです!」


 そう言う彼女たちの声は震えている。


「急にどうしたんですか?」


 私が不思議に思って尋ねると、女生徒たちはさらに青ざめた。


「ど、どうもしないわ! ね?」

「う、うん、何もないけど、急に二人がお似合いだって気がついたの! だから、あなたに謝りたくて!」


 挙動不審な二人を見ていると、私は同じように急に態度を変えた侯爵令嬢の先輩を思い出した。


「……もしかして、何かあったんですか? 例えば、誰かに何か言われた、とか?」


 女生徒たちは、怯えるように首を左右に振る。


「ち、違うわ! 何もないの!」

「誰にも何も言われていないわ! 本当よ、お願い信じて!」


 あまりに必死な女生徒たちに驚きながら、私は「分かりました。謝罪を受け入れます」と答えると、二人はそろって安堵のため息をついた。


「そういうことで、シオン殿下とお幸せに。さようなら!」


 二人の女生徒は逃げるように去って行く。


「なんだったんだろう……」


 私がぼうぜんとしながら、二人の後ろ姿を眺めているとポンッと肩を叩かれた。振り返るとそこには、にこやかな笑みを浮かべたシオンが立っている。


「一緒に帰ろう、リナリア」

「はい、シオン」


 シオンは、まるでそうすることが当たり前のように私と手を繋いだ。いつもながら女性に扱いに慣れ過ぎている。やっぱり悪いウワサのなかで『恋多き男』というウワサだけは本当なのでは?


「リナリア、今日はどうだった?」

「うーん、それがちょっとおかしなことがあって……。上手く説明できないんですけど……」


 シオンの指が私の指の間に入り、気がつけば繋いだ手は恋人繋ぎになっている。


「リナリアは、今日、嫌な気分になった?」

「いえ、大丈夫でした」

「そう、なら良かった」


 嬉しそうに微笑むシオンを見て、私は『もしかして、シオンが彼女たちに何か言ってくれたのかな?』と思ったけど、先輩や女生徒たちが、なぜか異常に怯えていたことを思い出し『それはないか』とすぐに思い直した。

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