次の日の朝。私の部屋にメイドが飛び込んできた。
「お、お嬢様、失礼します!」
「どうしたの⁉」
メイドは慌てながら手ぶり身振りで窓の外を見るように伝えている。私が二階の窓から外を見ると、そこには黒百合の紋章が入った馬車がとまっていた。
黒百合は王家の紋章……もしかして!
その間にメイドは「王子様がっ! いえ、殿下、殿下が!」と口から泡を吹きそうになっている。
そっか。シオン殿下が一緒に登校するために、お迎えに来てくれたのね。
昨日は約束をしないで帰ってしまったので、『どうするのかな?』と気になっていた。
身支度は整えていたので、すぐに部屋から出て一階へと向かう。エントランスホールにシオン殿下の姿はなかった。代わりに王家の馬車の御者が「シオン殿下が馬車内でお待ちです」と案内してくれる。
王家の馬車に向かうと、カーテンが閉められていて馬車内が見えない。馬車の後ろには、騎乗した護衛騎士達の姿もあった。
いつも学園内で殿下達の護衛をしているゼダ様の姿はない。ふと昨日のゼダ様の言葉が私の脳裏によみがえった。
『もし、シオン殿下があなたが思っているような方ではなかったらどうしますか?』
私が思っているシオン殿下でなければ……。
私はガッカリするのかしら? それとも、嫌いになってしまう? でも、いくら考えてもシオン殿下を嫌いになる自分が想像できない。
御者は馬車の扉を開けると「どうぞお入りください」と、私に向かって丁寧に頭を下げた。
「失礼します」
ためらいながら馬車に乗り込む私に、シオン殿下が「おはよう」と挨拶をしてくれる。私は挨拶を返しながら、シオン殿下の向かいの席に座った。
私達を乗せた馬車がゆっくりと動き出した。
「リナリア。昨日、ローレルに会ったんだって?」
シオン殿下の整った眉が心配そうに下がった。
「はい、そうなんです。でもどうしてそれを?」
「ゼダが報告してくれたんだ。リナリアに何かあったらいけないから、彼にはできる限り君を気にかけるようにお願いしている」
あの場から風のように走り去ったゼダ様は、その後、離れた場所で見守ってくれていたらしい。何か問題があれば助けてくれたのかもしれない。
「そうだったんですね……。ありがとうございます。私は大丈夫です」
シオン殿下の口からサジェスの話が出ないということは、ローレル殿下と別れたあと、ゼダ様はシオン殿下に報告に行ったようね。
サジェスに暴言を吐かれて半泣きになってしまったことは、恥ずかしいので誰にも知られたくない。
心配そうに私を見つめるシオン殿下は、いつもより気だるそうな雰囲気をまとっていた。目が少しトロンとしているような気がする。
「シオン殿下、お疲れですか?」
そう尋ねると、シオン殿下は恥ずかしそうに少しうつむいた。
「私は朝に弱いんだ」
そう言いながら小さくあくびをかみ殺す。
いつもは色気が漂うキラキラ王子様が、眠そうにしている姿に私は胸を貫かれた。
眠そうなシオン殿下! 色っぽい上にちょっと可愛い‼
シオン殿下は眠そうに目を擦ったあと、少し涙を滲ませた瞳で「リナリアは、いつも早く学園に着いているよね。眠くないの?」と聞いてくる。
「はい、私は朝には強いので」
「それなら、私たちが一緒にいれば、リナリアに起こしてもらえるから安心だね」
シオン殿下の言葉を聞いた私は『それって、どういう状況?』と疑問に思った。でも、カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされ光り輝く殿下に見惚れてしまい、すぐにどうでも良くなってしまう。
うっとりと見惚れているとシオン殿下は「もしかして、リナリアって、私達の顔が好きなの?」と、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「え? 私達?」
言葉の意味が理解できず私が首をかしげると、シオン殿下は自分の顔を指さす。
「リナリアは、私やローレルの顔が好きなのかなって思って」
ジロジロ見ていたことがバレている。しかも、おかしな誤解をされている。
誤解を解くために私は勢いよく首を左右に振った。
「違います! 私はローレル殿下のお顔には少しも興味はありません! ……シオン殿下のお顔は大好きですけど……」
恥ずかしくて最後のほうは小声になってしまう。「同じだよね?」というシオン殿下に私は言葉を失った。
「リナリア?」
名前を呼ばれて我に返った私は「ぜんぜん違いますよ!」と叫ぶ。
「確かに殿下達のお顔は似ていますが、お二人はぜんぜん違いますよ⁉ 浮かべる表情だってぜんぜん違うし、話し方も仕草も少しも似ていません! それだけじゃないです! 髪の分け目も微妙に違うし、あ、そうそう、シオン殿下は右耳の後ろらへんにホクロが……」
「ホクロ? どこに?」
「ここです。ここ」
私が立ち上がってシオン殿下の右耳を指さそうとすると、馬車がガタリと揺れた。
「きゃっ⁉」
シオン殿下に激突するわけにはいかないと、足を踏ん張りなんとか体勢を保った。でも、私はシオン殿下の顔を両腕で挟むような体制になってしまっている。
吸いこまれてしまいそうな美しいの瞳が上目づかいに私を見つめている。
殿下のまつ毛、長い……。
シオン殿下が白い頬を赤く染めながら、私の制服を少しつまんで引っ張った。誘われるように殿下に顔を近づけてお互いの鼻がふれそうになる瞬間に、『コンコン』と馬車の扉が叩かれた。
馬車の外から「殿下。馬車が揺れた際に、悲鳴が聞こえましたがご無事ですか?」と堅苦しい声が聞こえた。馬車の警護をしている騎士の一人が確認をしてくれたようだ。
「……大丈夫だよ」
いつもより低い声でシオン殿下が騎士に答えると、殿下はもう一度私の制服を引っ張った。
我に返った私の目の前に、シオン殿下の美しい顔がある。
「~~~っ⁉」
声にならない悲鳴を上げながら、私はシオン殿下から勢いよく離れた。
わ、私、今、殿下に何をしようとしていたの⁉
騎士が声をかけなければ、あのままシオン殿下の唇を奪っていた。殿下の魅力にやられた私はおかしくなっている。
私ったら最低! このケダモノ! 犯罪者!
私が自分の口を両手で押さえながらシオン殿下を見ると、殿下は馬車の外に視線を向けながらチッと小さく舌打ちをしていた。
「で、殿下……怒ってらっしゃいますよね? 私、今、すみません!」
涙目になりながら必死に謝ると、シオン殿下はフワッと優しい笑みを浮かべる。
「なんのこと? それより、もうそろそろ学園に着いてしまうね」
カーテンの隙間から学園が見えていた。それほど長い時間でもないのに、殿下と密室で二人きりは危なすぎる。
「そ、そうですね。殿下、その、明日からは別の馬車で……」
「六回だね」
私が首をかしげると、シオン殿下は天使のような笑みを浮かべた。
「リナリアが、私を『殿下』や『シオン殿下』と呼んだ回数」
「……あ」
立ち上がったシオン殿下は、私の隣へと移動する。
「お仕置きだね」
お仕置きの意味がよく分かっていないシオン殿下は、キスすることがお仕置きだという。
「殿下……じゃなくてシオン! あのですね、これはお仕置きではなく……」
「リナリア、早くしないと学園に着いちゃうよ?」
キラキラした純粋な瞳を向けられて『いや、これ、私にはお仕置きじゃなくてご褒美ですから‼ うへへ』という変態発言はできない。
困った私は、またシオン殿下の手の甲にキスしようとした。
「あ、リナリア。同じ場所はもうダメだよ」
「え?」
「全部違う場所にしてね」
シオン殿下の無邪気な言葉に、私は内心頭を抱えた。