次の日、私は学年が一つ上の男子生徒に呼び止められた。
声をかけられた瞬間、サジェスの友達が罰ゲームをしにきたの⁉ と警戒したけど、真面目そうな男子生徒は「私は殿下の護衛です」と礼儀正しく頭を下げる。
「殿下の?」
この学園には、現在二人の王子様が通っている。第一王子のローレル殿下と、第二王子のシオン殿下だ。どちらの王子様も美しい金髪と王族特有の紫色の瞳を持っていた。二人は背格好がよく似ているため、普通の人はパッと見ただけでは見分けることができない。
でも、この学園内では学年ごとにネクタイの色が異なるので簡単に見分けることができた。兄であるローレル殿下が弟のシオン殿下より一学年上なので、二人はネクタイの色が違う。
ちなみにシオン殿下とサジェスは同級生だ。
もしかして、シオン殿下も昨日のあのカードゲームの場にいたのかしら?
チラッとしか見ていないので、サジェス以外の誰がゲームに参加していたのか分からない。
シオン殿下が罰ゲームでウソの告白をしようとしているの?
いや、それはないわね。あの優しいシオン殿下がサジェスの考えた最低な罰ゲームにのるとは思えない。
私が初めてシオン殿下に会ったのは、子どものころに王宮で開かれたお茶会に親子で招かれたときだった。
そのお茶会で、嫌な目に遭った私にシオン殿下は「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。
幼い私が涙でぐしょぐしょになった顔を上げると、シオン殿下はなぜか悲しそうな顔で「ごめんね」と謝って、私が泣き止むまでずっと側にいてくれた。
あのときから、私はシオン殿下の大ファンなのよね。
成長したシオン殿下は、あちらこちらで女性との恋のウワサが立つような愛の探究者になってしまったけど、あんなにも優しく美しいシオン殿下を女性がほうっておくわけがないので仕方ない。
それ以外にもなぜか性格が悪いだの、素行が悪いだのというシオン殿下を陥れるようなウワサもある。まぁ、私は少しも信じていないけど。
だって、学園でそんな殿下をお見かけしたことがないから。
遠目で見るシオン殿下は、いつでも誰にでも優しく誠実だった。だから、誰かがシオン殿下を陥れるために悪いウワサを広めたんだと思う。
そんなことを考えながら、殿下の護衛を名乗る男子生徒に付いて行くと、遠目で見てもキラキラと輝いている美しい男子生徒が立っていた。
シオン殿下だわ。
その証拠に、この距離でも私の胸がときめいている。ちなみに、よく似たローレル殿下を見ても、少しもときめかない。
私のときめき以外にも、二人の殿下を見分ける方法がある。例えば、二人はよく見ると前髪の分け目が微妙に違う。あと、これは子どものころ、慰めてもらっているときに偶然見つけたけど、シオン殿下は右耳の後ろらへんに小さなホクロがある。
シオン殿下は紫色の瞳を優しそうに細めて、上品に微笑みながらこちらに近づいてきた。
「リナリア嬢、急に呼び出してすみません」
憧れの人に名前を呼ばれて、雷が落ちたような衝撃が私の全身に走る。
それと共に違和感も覚えた。
あれ? どうして、殿下が私の名前を知っているの?
公爵令嬢や侯爵令嬢ならいざしらず、雲の上のシオン殿下が、美しくもない伯爵令嬢の名前なんていちいち覚える必要はない。
私の友人ケイトくらいの美人にもなると、他の学年の人でも名前を知っていそうだけど。
モブと呼ばれるくらいの私がシオン殿下に知られているのはおかしい。よくよく見てみると、呼び出された場所は、昨日サジェスたちがカードゲームをしていた休憩所(ガゼボ)だった。
もしかして、シオン殿下もあの場にいて、負けてしまったから罰ゲームをやらされているの?
罰ゲームの内容は、私をウソで口説き落とすこと。ということは、今から私はシオン殿下に口説かれるわけで。
え? え? そんな夢のようなことが⁉
私が内心パニックになっていると、シオン殿下は右手を自身の胸に当てた。
「リナリア嬢。私は以前からずっとあなただけを見ていました」
憂いを帯びた瞳から目が離せない。なんというか、シオン殿下から溢れ出る色気がすごい。
「急にこのようなことを言う私をどうかお許しください。でも、もうこれ以上、この想いを秘められません」
シオン殿下の切なそうな声を聞いていると、こちらまで胸が締めつけられた。
演技派! シオン殿下、演技が上手すぎるわ!
あまりに熱のこもった演技に、これが全てウソだということを、私は忘れてしまいそうだった。
しっかりして私! 例えシオン殿下でもウソで女性を口説くような最低野郎は許してはいけないわ。睨みつけて……そう、睨みつけて……。
背の高いシオン殿下を見上げると、紫水晶のような瞳が不安そうに揺れている。心臓が跳ね上がり、私は思わずうつむいた。視界には、シオン殿下の靴が見えている。
最低男の足を、ふ、踏みつけ、て……。そんなの無理!
ウソでも最低でもなんでもいい。長年の憧れシオン殿下にならひどく傷つけられてもかまわない。
だって、こんなことでもないと、シオン殿下とお話しする機会すらないもの!
この国の長い歴史の中では、美しい伯爵令嬢が王子に見初められて王家に嫁いだという前例がある。しかし、それは奇跡のような出来事で普通ではあり得ない。その奇跡を起こせるのは、ヒロインのように美しい女性だけ。
最近では貴族であっても、本人達の意思が尊重され身分違いの恋にもそれなりに寛容になっている。それでも、王族の婚約者は、やはり公爵家や侯爵家、または他国の王家から選ばれるのが普通だった。
私なんかがシオン殿下の恋のお相手になりたいだなんて、夢を見るだけでも失礼だわ。
シオン殿下は、学園を卒業すると同時に公爵の地位を与えられ、王位についたローレル殿下を公私ともに支える立場になる。
ノース伯爵家を継ぐために婿養子を取らなければいけない私が、王族と婚姻を結ぶことはあり得ない。
だから、シオン殿下と二人きりでお話しできるなんて、例え罰ゲームでも幸せと思ってしまう。
私が感動で震えていると、シオン殿下は悲しそうに目をふせた。
「ご迷惑でしたよね?」
「い、いえ、いえ。あ、その、とても嬉しい、です」
そのとたんにシオン殿下は、嬉しそうに見える笑みを浮かべた。その笑顔のあまりの眩しさに私は両手で顔を覆う。
め、目が……シオン殿下が眩しすぎて私の目が潰れてしまうわ!
動揺してはいけないと思っても、どうしても動揺してしまう。
ダメよ! 今もどこかでサジェスたちが、動揺する私を見て笑っているかもしれないのに!
サジェスにバカにされるのは嫌だ。でもそれ以上に、シオン殿下が麗しすぎて全てがどうでも良くなってしまう。
そうよ、ウソでも良いじゃない……もうバカにされてもいいわ! だって、シオン殿下には罰ゲームでも、私にとってこれはご褒美だもの!
学園を卒業したら、父が決めた男性と結婚して婿養子に来てもらうことになる。それまでに、一度くらい乙女な夢を見ても罰は当たらないと思う。しかも、その夢を見る相手がまさかのずっと憧れていたシオン殿下だなんて。
最低男サジェス……ありがとう。今日だけはあなたに感謝するわ。
「リナリア嬢」
「は、はい、シオン殿下!」
シオン殿下はなぜか大きく瞳を見開いたあとに、フワッと柔らかく微笑んだ。
「私と内緒の恋をしていただけますか?」
「内緒……」
その言葉で我に返ったけど私にとってはご褒美でも、シオン殿下にとってこれはあくまで罰ゲーム。
そうよね……例えウソでも私なんかを口説き落としていると周りに知られたら恥ずかしいよね。
私がコクコクと必死に頷くと、シオンは少し遠慮がちに「あなたの手の甲にキスをしてもいいですか?」と聞いてきた。
え⁉ この罰ゲーム、そんなことまでしてくれるの⁉
紳士が淑女にする手の甲へのキスはただの挨拶だ。もちろん、直接手の甲に唇をつけることはない。それでも、ときめかずにはいられない。
私が消えそうな声で「はい」と返事をして右手を差し出すと、シオン殿下はその手に優しくふれた。そして、優雅な仕草で身体をかがめ、私の手の甲に顔を近づける。
シオン殿下の動きに合わせて美しい金髪がサラサラと流れた。少し伏せた紫色の瞳がとても色っぽい。幻想的なまでに美しいその光景に見惚れていると、手の甲に柔らかいものが当たった。
「?」
見るとシオン殿下の唇が、私の手の甲に当たっている。
「……え?」
驚きすぎて漏れてしまった私の声を聞いて、シオン殿下は手の甲へのキスをやめた。顔を上げた彼は、イタズラをした少年のような笑みを浮かべている。
「で、殿下⁉」
私が慌てて右手を引っ込めると、シオン殿下は名残り惜しそうな表情までした。
罰ゲームのためにここまでするなんて!
シオン殿下が演技に傾ける情熱はすさまじい。絶対に私を騙してやるという強い意志を感じる。
「リナリア嬢、明日もまた私と会ってください」
そう言いながらシオン殿下は、私の背後に視線を向けた。その先には、先ほど私を呼びに来た殿下の護衛だという男子生徒がいる。
「彼は私の友人で、護衛でもあるゼダです」
ゼダ様は礼儀正しく私に頭を下げた。
「ゼダがあなたを迎えにいきます」
「分かりました」
私がコクンと頷くと、シオン殿下は「名残り惜しいですが」とお世辞を言いながら私に背を向けた。
シオン殿下とゼダ様の背中が見えなくなるまで、私はその場に立ち尽くしていた。
自分の頬を指でつねって引っ張ってみる。痛い。どうやら夢じゃないみたい。
今なら満面の笑みで最低男サジェスに抱きついてお礼が言える。それくらい、私は幸せな気分だった。
私、今日のことは一生忘れないわ。
先ほどの美しいシオン殿下を思い出しながら、私はずっと気になっていたことを口にした。
「そういえば、シオン殿下は、どうして別学年のネクタイをつけていたのかしら?」
シオン殿下の学年のネクタイは青色なのに、さっきは緑色のネクタイをしていた。緑は、ローレル殿下の学年のネクタイだ。
「ネクタイを間違っちゃった……わけないよね?」
不思議に思ったものの、私は「まぁ、そんな細かいことは、どうでもいっか」と軽く流した。