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第13話「狂猫」

 2時限目が終わって、あたしはノートの書き込みをもう一度読み返していた。前の学校でろくに授業を聞いていなかったので、ここへ来てからも授業について行くのが大変だ。

 大楠異能学園の高等科も中等科も、普通の学校と同じく中間と期末のテストがある。成績が悪いと補習で、一人だけでリモートを受けることになる。きっとヒナにばかにされる。

「相楽、梓さん。呼んでるよ」

 誰かに言われるまで気がつかなかった。ガラスドアを小さく開けて、梓さんが手招きをしていた。

「はい。なにか?」

「ちょっと来て」

 強引に講義室から引っ張り出されて、そのまま事務棟に連れて行かれた。

「頼みたいことがあるの」

 どこかのドアの前で梓さんは足を止めて、小声であたしに話した。

「あなた。初めて私に会ったときのこと、覚えてる? 車椅子で」

「はい」

「ここの部屋……」

 梓さんはドアに顔を向けた。

「あのとき私が出てきた部屋なの。入るともうひとつドアがあって、マジックミラーであなたが入ってた部屋が見える」

 何だかよくわからないけど、いやな予感がした。嫌な予感よりも、ドアの向こうからものすごく嫌な感じが伝わってくる。

「まず……向こうの部屋に入っている子を見て。絶対、声出さないでね」

「はい……」

 もう。半端じゃなく嫌なことが始まるって、わかってしまった。

 梓さんについて部屋に入る。ドアを閉めてからカーテンを開けると、そこは向こう側にもドアだけがついている狭い部屋。梓さんがドアの窓を指した。

「う……」

 声を出しそうになってあたしは口をふさいだ。向こうにいるのは、あのときの自分と同じく車椅子に手足を固定されているジャージ姿の生徒。でも、体中から放電しているような光るウネウネがたくさん出ている。

 何度かまばたきすると、白いウネウネは見えなくなった。梓さんがあたしの袖を引っ張って、二人で部屋から出た。

「なんですか……あの、ひと」

「見えた?」

 梓さんが聞いたのであたしは頷いた。

「白い、何か触手って言うか放電してるみたいな……あれ、思念と関係あるんですか?」

「あのマジックミラーは耐思念波コートで、放散している様子が見えることもあるの。あんなにはっきり見えたの初めてだけど」

「あの……もしかしたら……」

「そのもしか。あの子と話しして」

 あたしは思いっきり首を振った。

「む、無理、無理です……はなし、なんか……」

 あの部屋に入ったら、きっと殺されちゃう。

「T1って、プロテクトつけててあれなのよ。私が出て行ったら、きっと特殊能力の殴り合いになるわ」

「あ、あたしじゃ……絶対、負けますよぉ……」

「戦うんじゃなくて、話してほしいって言ってるでしょ。あの子、あんたの逆なの」

「え?」

「体は完全に女子、でも心が男子。でもこのままだと、レッド3判定されちゃう」

 病院で聞いた。レッドの3って判定されると、薬か何かで無理やりおとなしくさせられちゃう。

「知ってる? レッド3で、改善の見込み薄いとどうなるか」

 あたしは、小さく何度も頷いた。

「それは……かわいそう、です」

「隣で控えてるから、危なくなったら助けに行く。お願い、話し、してみて」

 梓さんに拝むようにして頼まれた。これじゃ逃げられない。

「わかり……ましたぁ……」

「普通に話しできたら、頭のベルト取っていいから」

 泣きそうになりながらまた狭い部屋に入って、深呼吸3回してからドアに手をかけた。手が震えている、そういえばあの人の名前を聞いていなかった。

「し……つれい、しま……」

 面接室に入った瞬間、体中の肌にピリピリ痛みを感じた。背中でドアを閉めて、ちょっと頭を下げた。すくみそうに……って言うよりすくんじゃっている体でギシギシ歩いて、何とか前まで行った。

「相楽……瑞貴って、いいます……」

 その人は、もの凄い怒り顔であたしを睨らんだ。怒られるのはヒナで慣れてるけど、この人のはレベルが違う。

「だれ?」

 しばらくして、あたしを上から下まで何回も見回してからその人が言った。かすれた感じだけど、女の子の声だった。

「ここの生徒です。中等科の2年……あの、お名前……」

「スドウ」

「スドウさん。あの、お話し……いいですか?」

 また睨まれた。機嫌が悪いノラ猫みたい。

「ここ、何なの?」

「大楠異能学園って、特殊能力者の学校です」

「学校ならセンコー連れてこい! 人を何だと思ってやがる!」

 スドウさんが叫ぶと、体中に電気が走ったように痛かった。

「静かにしてください! あんまり騒ぐと、この部屋から出るのに時間かかります」

「だったらこれ外せ! 自分で出て行ってやる!」

 たぶんあたしと同じで、外の学校で誰かをケガさせたりしたのだろう。あたしは梓さんに痛い目にあわされたけど、あたしにはそんな力がない。

「あの……頭の、外します。それ、痛いですよね?」

 そう言うと、スドウさんは動きを止めた。巻き付けて、マジックテープで止めてあるバンド。たぶん能力を押さえる効果があるのだと思う。

 外した。短くした黒い髪、半分顔にかかっている髪を指先ではらってあげた。わりとキレイ系な女の子、でも心の中は男子。

「ありがと……こっちも、外してくれないかな?」

 スドウさんは車椅子に固定されている手を動かして見せた。

「話し、してくれますか?」

「あんたと何の話しするの?」

「スドウさんの、下の名前は?」

「……ネネ」

 やっぱり、嫌そうな言いかただ。あたしはネネさんに頷いて見せた。

「さっき、相楽瑞貴って名乗りましたけど。それ、この学校での名前です。外で……元の名前は高幡直樹です。男です」

 ネネさんが固まった。あたしはネネさんの片腕だけベルトを外して、自分の胸にあてた。中間服になってからは邪魔なのでブラはつけていない。ネネさんが目を見開いている。

「お話し、してくれますか?」

 ネネさんの顔から険しさが消えた、そして目を逸らして何回か頷く。あたしはその手脚からベルトを外して、向かいの椅子に座る。

「あたし……小学4年くらいに。体が違うって、思うようになりました」

 もう、自分のこと全部話してみるしかないと思った。話した。

「ですから。今の名前が嫌だったら、好きな名前で登録して貰えます。制服は、好きな方が選べます。あ……あの、スドウさん。学年は?」

「高1」

 あたしより2こ上だった。

「学費と寮費は、全部無料だそうです。大学には……えーと、環境、人間学部って。特殊能力を研究するところもあるから、大楠学園大学にも入れるそうです」

 ネネさんは車椅子の上で脚を組んで、不機嫌そうに聞いていた。

「すると俺は、特殊能力者で? ここに……何て言うか、強制転校? させられた?」

「そうです。あたしも二ヶ月前、スドウさんと同じ状態で連れて来られました」

「あんた、見かけより凶暴なんだ」

 ネネさんが初めて笑った。笑顔。かわいいけど、どこか暗い。

「最悪に、危険なヤツって、言われました。何もかも……憎んで、ました」

 言うと、ぽろっと涙が出た。それに気がついたのか、ネネさんが横を向く。

「あと……」

 あたしはあわてて涙を拭って、言い添えた。

「服だけじゃなくて。体も、変えることができるかも知れません」

「性別テキゴー手術だろ。知ってる」

「違います」

 『テキゴー何とか』が何なのか知らないけど、手術じゃない。

「それも、特殊能力で変えることができます」

「……マジかよ?」

 あたしは頷いた。

「いま同室してる生徒は。小学生のときに自分の成長を止めて、髪の色まで特殊能力で変えています。それで、先輩たちに聞いてみたんですけど……」

 あたしはスカートの上から自分のお腹をそっと撫でた。

「子宮と……卵巣と、膣と。作ること……できるはずだって。できると思ったら、不可能はないって。言ってます」

 ネネさんが顔のあちこちをピクピクさせて、急に立ち上がった。あたしより頭ひとつぐらい背が高そうだ。

「お前、頭おかしい! そんなことできるわけないだろ!」

「ここでは、どんなことでもできます!」

「ここは精神病院かよ!」

「ちょっと特殊だけど、学校よ」

 梓さんの声。ネネさんがあたしの後ろを睨んだ。

「あんたは何の患者だ?」

「生徒会の梓由依。患者じゃないわよ」

 梓さんの声が低い。怒っている声だ。あたしの隣に立ってネネさんと向かい合った。あたしもあわてて立ち上がる。

「いま相楽が説明したのは全部事実。須藤寧々さん、あなたは所属高校で特殊能力を使った暴力行為を行ったために社会不適合と見なされました。少年院は受け入れを断ったそうですから、行き先はこの学園しかありません」

「婦女暴行やろうとしたクズどもをこらしめた罪でか? そんなの俺は認めない」

「その判断をするのは県の教育委員間と家庭裁判所ですよ」

「どこもクズばっかりだ」

「ここは……さっき相楽が説明したとおり、あなたの意思が尊重されて高校を卒業できる。悪くないと思うのだけど?」

「気に入らねぇな」

 ネネさんが鼻を鳴らして言った。

「これ以上、何が?」

「生徒会の委員長って言えば。こう、吊り目で派手なロングヘアでキリッとしてて。胸バーンってした女子だろうよ」

 梓さんはキリッとしてるけど、あとみっつがあてはまらない。でもなんでネネさんはわざと怒らせるようなことを言うのだろう。

「好みに合わなくて悪かったわね」

 梓さんが静かに言った。まずい、本気で怒っている。

「この面接で素行危険って判断されると、レッド3と言って最悪ベッド拘束よ」

「断る。俺はここを出て行く」

「それはできません。あなたはここで高校生活を送るしかないの」

 ネネさんの顔が、また怒った猫みたいに険しくなった。肌を刺すピリピリした感じがまた部屋に充満する。

「私は、相楽みたいに優しくありませんよ」

「俺もだ」

 面会室の壁が『みしっ』と音を立てた。ネネさんの体から、放電みたいな淡い光が立ち上って見える。

「相楽、危ないから離れてな」

 ネネさんが、梓さんに視線を向けて言った。

「だめ……やめて……」

「シャーッ!」とネネさんが息を吐く、放電みたいなものが光る糸のようになってうねった。まるで触手。

「フッ!」

 ネネさんが腕を振ると、その光る触手が束になって梓さんに向かった。

「だめぇ!」

 あたしは思わず叫んで、光る触手を手でつかみ取った。そうしてから、自分の本当の手じゃなくて思念の手だったことに気がついた。そのまま、ネネさんに飛びついて体に腕を回した。

「やめてー! ネネさん、やめてー!」

 抱きつくと、あたしの頭はネネさんの肩に。そしてあたしの肩に『ふわっ』と弾力のあるものが押しあたった。ネネさんの胸、ジャージでわからなかったけど意外と大きい。

「あっ! ちょっ……相楽!」

「やめて! やめて! お願い! やめてー!」

 いつのまにか泣いていて、必死でネネさんに抱きついた。

「わかった、わかったから! 暴れないから、離れろ」

 ネネさんに両手でそっと押し離されて、あたしは後ろ向きで何歩かよろけた。

「ここは……」

 ネネさんが咳払いして、ちょっと嫌そうに手でジャージの胸元を引っ張って直した。

「相楽の顔をたてて……引いてやる」

 まだ怒った雰囲気で、梓さんを睨みながら言った。

「そうしてもらえると助かるわ」

 梓さんも、額の汗を手で拭っている。

「事務まで来ていただけます? ここが精神病院じゃないってわかるでしょうから。不満は学校に言ってください」

「まあ……そうだな」

 やっとネネさんが梓さんから視線を外してくれた。梓さんがIDカードで面接室のドアを開けて、ネネさんに外に出るよう促す。

「名前。好きにして良いって相楽が言ってたけど。ホントだろうな?」

「お望みなら、そうできます」

 梓さんが答えると、ネネさんはちょっと首を傾げた。

「エレン・イェーガーとか西城レオンハルトでもいいのか?」

「ええ。キラ・ヤマトでもシャア・アズナブルでも、好きになさってください」

 ネネさんは廊下に出て、ちょっと足を止めた。

「あー、ちょっと……考えさせて」


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