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第12話「使命」

 梓由依が家に帰ると、母はまだ帰宅していなかった。父は他県の病院で院長を務めていて、家に帰るのは月に一度か二度。母は小児科医で、帰りが夜遅くなる日も珍しくない。由依は小学生の妹由真にまとわりつかれながら、着替える暇もなく夕食の支度を始める。

 お米と水を計って炊飯器のスイッチを入れる。そのときスマホのメッセージ受信に気がついた。祖父、吾妻博士の番号からだ。

『少し話がしたい。時間があるときでいいからzoomで』

 気にはなるがもうすぐ中1の弟|由翔≪ゆうと≫が帰ってくる、すぐ学習塾に行くのだがその前に何か食べさせなくてはいけない。冷凍してあるお握りと唐揚げを出しておけば、由翔は勝手にレンジで温めて食べていく。

『あと10分したら手が空きます』

 祖父に返信を打つと、ドアを開け閉めして廊下を歩いてくる足音。予想していたよりも由翔が少し早く帰ってきた。学校から直接塾に行く子供がほとんどだが、給食の後で午後8時過ぎまで何も食べずに勉強をするのは絶対によくないことだと由衣は考えている。

「ああ……自分でやるからいいよ」

 そう言って由翔は凍ったお握りと唐揚げを電子レンジに入れた。その手の動きに、由衣は精神に刺さってくる『何か』を感じ取ってしまった。

『また……学校で、何かあった……』

 単に友人関係での悩みなのだろうか。黙って虐めを受けるような性格ではないのでそこは心配していないのだが、気がかりではある。

 それよりも、由翔は来年2年生になる。そのときに特殊能力を発現させるのか、発現するとしたらどの能力か。いまはそれが由依の大きな懸念けねんだ。

 由翔が家を出て行くと、由衣はあたふたしながら自室に入ってパソコンに向かった。スマホでもできるのだが、母がいないと由真はずっと由依から離れないので閉め出しができる自室のほうがよかった。

『やあ由依。学校はどうかな?』

「もう一般授業はなくなって、専科だけよ。先月、中二の子が入って来て。今週中にまた4人くらい入ってくるみたい」

「おじいちゃーん!」

 妹が由依とモニターの間に割り込んでくる。迷惑ではあるが、梓は何秒か考える余裕が出た。あの祖父が『孫の顔を見たくなった』などという理由でメッセージをよこすはずがない、何か重要な用件があるに違いない。嫌な予感がした。

「真依。お姉ちゃん、お爺ちゃんと難しいお話しするから。下でテレビ見てて」

 適当なところで妹を部屋から追い出し、由依はインカムをつけた。

「昨日。中間能力総見があって、そのあとの実験に大学の研究室から学生さんが来たの。そして校長先生が、これから大学と企業が行うプロジェクトに加わるって話した。これ、お爺ちゃんの研究所?」

 吾妻博士は酸素のマスクを顔に取り付け、くぐもった声で答えた。

『そうだよ。よく読んだ』

 真依にはマスクをつけた顔を見せたくなかったようだ。梓は学校への不満が声に出ないようにして、感情を抑えながら続けた

「総見の前に校長先生から、進路のことで呼ばれたの。あたしは国立の情報研究学部を受けたいんだけど、大楠大学の人間環境学科に行く気はないかって」

『無理にとは言わないが、私としてもそうなることが望ましい。去年、多久真たくまが重工に就職して、研究所に派遣されてきたよ』

「え? 多久真さん?」

 父方の伯父の次男で、由依にはいとこだ。

『プロジェクトについて、どこまで聞いた?』

「内容はまだ、決まりしだい伝えるって。それだけ……」

 由依は言葉を切って息を吸い込んだ。

「お爺ちゃんは、アズマトロンで……あたしたちが何をできると考えているの?」

 吾妻博士は黙って小さく頷いた。

『それは、由依の、特殊能力かな?』

「ただの推理。でもこうしてお爺ちゃんが直接連絡を取ってきたことで、確信した」

 吾妻博士はもう一度小さく頷いた。

『アズマトロンの、中央にある空間から、ES波が放出されている。聞いたことはあるか?』

「いえ……ES波は、思念波と同じもの?」

『現在の所、区別がつかない。それが及ぼす影響を、考えると、同じとみられる』

「なぜ……あの、穴から?」

『わからない。調べようが、ない。ドローン調査も、失敗した』

「あたしたちが……その調査、するの?」

『違う。ES波は、いま、どんどん強く、なって。もうすぐ、制御室の、遮蔽しゃへいも、効かなくなる』

 吾妻博士の声が、苦しそうな呼吸で途切れがちになった。由依は数秒考えて、言った。

「制御室に。人が、入れなくなる?」

『そうなる恐れが、高い』

 由依は、冷たくなってしまった手を握りしめた。

「言って。あたしたちに、何をしてほしいのか」

『対ES波の、最後の守りとして、制御スタッフと、一緒に……メインコントロールに、入ってほしい』

「最後の……守りって……」

『アズマトロンを、停止させる、最後の方法は、中性子ビームの、放出だ』

 特殊能力を持っていても、女子高生には意味がわからなかった。

『実験用に、リングから、中性子を、取り出す、設備がある。そこから、大量に、ビームを放出……それで、パワー、ファクトリーは、停止する』

「なぜ今までやらなかったの?」

 由依の問いに博士は頷いた。

『止まるほど、一気に、取り出せ、ないからだ。いま、それを、改造して、放出できるよう、にしている……問題、は』

 吾妻博士は、そこで苦しそうに何度か息をついた。

『空間からの、ES波放出。それが、中性子の、元になる、粒子を、補って、いる』

 由依は眉をひそめながら考えた。だがやはり高校生で理解できる内容ではない。

「あの……穴から、送られてくるの?」

『そうだ。それを、止めるには、エスパーの、力が、必要だ』

 やっと話しがつながった。だが、やはり由依の知識では理解できなかった。

『放出操作の、あいだ、制御室を、スタッフを、守ってほしい』

「穴からの……ES波が、制御室に入らないようにするの?」

『そうだ』

 由依はモニターから視線を外し、カーテンの隙間から見える夕暮れに目をやった。理解できない情報が多すぎて頭がくらくらする。

「その……やり方は、決まってるの?」

『それを、これから、検討、するのだよ』

 由依は顔を俯かせ、皺になるほど両手でスカートをつかんだ。羽月愛名と平田悠斗が視たものは、間違いなくこれなのだ。

「今……年度って……校長先生が、言ってた」

 しわがれた変に低い声で、うつむいたまま由依が言った。

「あと……十……か月?」

『そうだ。一年は、もたない』

「お爺ちゃん……」

 由依はそこで何度か荒い息をついてから顔を上げた。

「あたしたちに、できるって……思ってるの?」

『わからない。だが、使える、手段は、全て、使わないと、ならない』

「私たちが……失敗……その前に。もし、やらなかったら?」

『止めなければ……あの、空間が、全てを、飲み込む。そして、何が、起こるのか……誰にも、わからない』

 由依が再びうつむいて、両手で顔を覆った。くぐもった、悲鳴のような泣き声が漏れ出して、スカートに涙の滴が落ちてシミになった。

『話した、かったのは。このこと、だ……校長の。伊井君からも、いずれ、同じ、話しが、出るはず……』

 吾妻博士はマスクを外し、カメラに顔を寄せた。

『もちろん、断ること……お前たちは、その権利も、ある。何もせずに、運命を、待つか。それとも、未来に、踏み込んで、行くか……よく、考えて、ほしい』

 祖父が映っていたウインドウが閉じても、由依は真っ暗になったカーテンの隙間を見つめたまま動かなかった。


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