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第7話「レッド1」

 あたしが大楠異能学園に転校させられてから一ヶ月、パーソナルレベルがレッド2(要注意)からレッド1(経過観察)になった。反抗する相手がいないし、反発するものがここには何もないから。

 自分で勝手に決めて使っていた名前、それがあっさりOKになった。男子の制服が嫌だと言ったらすぐセーラー服を出された。だからあたしは何も文句を言えなくて、黙って学校の規則に従うしかなかった。

 規則を破りたかったらここを出て行くしかないけど、外はあたしにとってもっと激しくて不自由な世界。特殊能力はエンブレムで封じられているから、あたしはただの女子中学生。

 午前7時、部屋に備え付けのディスプレイが点いてオルゴールの音を鳴らす。同時に部屋の灯りが点く。

『おはよう。今日も一日、楽しい学びの時間をすごしましょうね』

 合成音声だけど、向坂の声を思い出して毎朝ちょっとだけイラッとする。向坂は聞こえないって言うけど、あたしは聴覚が過敏だから合成音声に混ざっている高音が気になる。

 そう言えば、検査でいろいろな刺激に過敏傾向があるって指摘された。かん高い音も強い光も、触られるのも苦手。だから向坂のきんきら声が時々耳から背中まで伝わってざわざわずる。

 ベッドから出て、最初にシーツと枕と毛布を整える。そうしてからトイレとシャワーと洗面台がぎちぎちに詰まった隙間にもぐり込んで顔を洗って歯を磨く。ユニットのドアはあるけど半透明で、廊下から見えることはないけどひどく落ち着かない。

 洗面台の小さな鏡には、さえない顔をした痩せこけた誰かが映っている。

「世界の不幸をここに集めよう……全ての不幸はここから始まる……」

 この歌を口ずさむのが癖になった。

『君が不幸なのは間違いないさ』

 鏡の中の誰かはそう言ってくれる。でもそれが同情なのか、それとも単に認めただけなのかはわからない。

 洗面台に置かれた洗顔セットの中にはスキンローションまで入っている。顔を洗ってから、ローションを指先につけて顔に塗ってみた。

『女になって嬉しいかい?』

 鏡の中の誰かが聞いた。

「男のふりをしているより、気持ちは楽」

 あたしがそう答えると、鏡の中の誰かは鼻で笑った。でも、いまは気が楽なのは本当だ。体についている余計な物のせいで下着の中がきゅうくつだけど、タイツをはいて脚の全部がキュッと締めつけられるとそれも気にならなくなる。

「いま、あたしは……これでいい」

 セーラー服の上着をかぶって着て、ブラシで髪を直す。鏡の中は、ちょっと憂鬱そうな表情をした女の子に変わった。

 レッド1になって変わったのは、食事がみんなと一緒の食堂を使えるようになったこと。そこで初めて中等科2年のグリーンたちに会った。男子ふたり、女子3人。

 これにあたしと向坂を入れて、7人が異能学園中等科2年生の全部。この7人で一緒にリモートの授業を受けるからクラスとも言える。ちなみに3年生は11人、1年生はいない。

 どうして1年生がいないのか、向坂に聞いてみたけど彼女も知らない。『厨二病と一緒に発現するからじゃない?』とか言った。あたしも何となくそんな気がする。

 今朝の朝給食はバターロールとゆで卵、ハムとキャベツのコールスローにソーセージとミルク。自分で食べられる量をカウンターで取る。

「あんたもっと食べなさいよ! いつまでそんなへろへろな体でいる気よ」

 パン一個とジャム、コールスローとミルクだけ取ってテーブルに行こうとしたら向坂に怒られた。何が何でもゆで卵を食べろと言う。

「今のうちに体作っておかないと、骨とか脆くなるのよ!」

 自分で体を子供の状態にしている向坂に言われても納得できないけど、食堂でうるさくすると上級生に怒られるからしぶしぶ卵も取った。

「拒食症じゃないんでしょ?」

 中2グループの席で、グリーンの小堀美香に言われた。

「胃が……すぐ苦しくなって……」

「いま体重は?」

「33.5キロ」

「うわ! 聞くんじゃなかった!」

 向坂以外の女子がみんな頭を抱えた。向こうのテーブルで3年生がこっちを見ている。

「診断でビーエムアイって聞いた?」

 男子の大田原に聞かれて、ちょっと記憶をたどった。初めて入院したときの検査で、低すぎるって言われた。

「13.5……だったかな?」

 女子がまた一斉に悲鳴を上げた。

「うわ。それヤバイって! 死ぬよ」

 食堂の中全部がざわざわし始めた。そして、次の日からあたしだけメニューにプロテインバーがつくようになった。

 あたしが男でも女でもないことを誰も気にしない。そして話しを聞いてくれるし気を遣ってくれる。あと4年ここから出られないことを別にすれば、ここはすごく快適なところだ。

『女になる力が付くのと、成長して男になるの。どっちが早いかな?』

 夜、シャワーを使って体を拭いていると。鏡の中の誰かが言った。

「どっちでもない……そんな状態もあるの」

『セーラー服を着て? どっちでもないって言えるのか?』

「ほっといて。好きな方選んだだけなんだから」

 変に白くて薄っぺらい体。でも、余分なものがついている。

「あなたの正体って、この余分なもの?」

『そう思うのなら、切り落としてみればいい』

 できるものならそうしたいけど、部屋にはハサミもカッターもない。封象のネックレスを外したら、何か方法があるのかも知れない。

「ちがう……」

 ネックレスの封象を手でつかんで、あたしは鏡の中に言った。

「それは……特殊能力じゃなくてもできる。あたしは、自分の能力で自分を変える……向坂みたいに」

 鏡を手で覆って、誰かを覆い隠した。

「上級生に……聞かないと無理かな……」

 向坂は、自分の能力を説明できないと言っている。あたしも自分の特殊能力『想像で誰かを動かす』やりかたを説明できない。きっとこれが中等科生徒の限界。

 次の日。勇気を出して相談しようと思ったけどそれどころじゃなくなった。朝食の後に週一回の全生徒ミーティングがあって、そこで梓先輩が学校からの指示を伝えた。

「明日明後日で、レッドが4人入ってくるから。レッド1の向坂と相楽はグリーン寮に移動して。相楽を女子寮に入れるの、反対の人いる?」

「いま二人部屋しか開いてないけど、一人ずつ入れるの?」

 高等科3年生の女子がちょっと手を上げて言った。

「一緒でいいでしょ」

「えっ?」

 梓さんの答えで、あたしと向坂が同時に声を上げた。

「ちょっと! なんであたしがコレと一緒なのよ!」

「うるさい。レッド生に権利はないの!」

 向坂が立ち上がってわめいたけど、梓さんに一言で封殺されて座り込んだ。

「シャワーどうするの?」

「時間切って使わせたら?」

「どっちかって言えばさ。一番かわいそうなのは相楽でしょ?」

「相楽さん、これから女性化するのなら。あたしたちと一緒にいるのがいいと思います」

 中3の、まだ名前を知らない女子が言った。それで何となくみんな納得してしまったみたいで、不満で煮えている向坂は別として決定してしまった。

 あたしはぼーっとして話しを聞いていただけ。普通の学校じゃ『普通じゃないこと』を、ここでは誰も問題にしない。

「誰も……変だって、思わないのかな?」

 隣に座っている朝日奈さんに、恐る恐る聞いてみた。

「だって。何が変で何が変じゃないか、ここじゃわからないもの」

 あっさり言われた。そんな朝日奈さんの制服は襟が大きくて、ケープみたいに胸のあたりまで覆っている。そして普通の黒タイに、何だかわからない半透明の材質がくっついて大きくなっている。特殊能力で作った謎材質だって、朝日奈さんは言っていた。

 あたしは1時限目が終わって10分休みの間に事務棟に走った。梓さんにプリカを受け取っておくように言われたけど、『プリカ』が何だかわからなかった。

「あの。相楽、です……」

 校章が入ったプラスチックのカードを渡された。

「お家から入金されたから、それで自販機とか購買で買い物できるからね。残高は購買にある機械で確認して、なくなったら家に連絡してチャージしてもらうのよ。もし連絡できなかったら、事務から家に伝えてあげる」

 いろいろ説明された。大楠異能学園は、授業料とか寮の費用はぜんぶ無料だと聞いた。高等科になるまで現金を持つことは禁止で、個人で必要なものはこれで購入するらしい。

「ママ……」

 あまりにも異常なことが続いていたので考えることもできなかったけど。母がどうしているのか、ものすごく気になった。あたしがいなくなったからお金のことは少し楽になったはずだけど、やっぱり心配しているだろうか。

 カードを両手で包むようにして事務棟を出た。ここに来て母と完全に引き離されて、初めて母の存在を強く感じた。でもあたしはスマホも持っていないし、ここには電話もないから母に連絡する方法がない。

高校を卒業して、あたしが本当に女の子になって家に帰ったら。母は何て言うだろう。


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