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第6話「コンパートメント」

「何か、あそこで言わなかったことあったでしょ」

 医務棟から出ると、パソコンを抱えて脇を歩いていた佐伯が言った。

「嫌なもの見た顔してた」

 歩きながら、梓は考える表情になった。

「嫌なって言うより……わからないもの」

「なに?」

 梓はまた首を傾げた。

「なんだか……2人分の思念が入ってくるような気がして。気持ち悪かった」

「向坂の分じゃなくて?」

「ちがう。同じ声で、ハモって聞こえているような感じだった……何だろ?」

「相楽って子、見た目よりうんと複雑とか?」

「かも知れない」

 梓たちは授業棟に向かい、それぞれの個室コンパートメントに入る。高等科の3年ではもう一般の授業は行われない、完全防音防思念仕様の密閉個室で特殊能力のトレーニングに専念するのだ。

 二重になっているコンパートメントの扉を閉め、IDカードをリーダーに挿しこむ。コンパートメントにあるのはキーボードとモニター、あとはリクライニングできる大きなパソコンチェアーだけだ。

『学生番号12-D031 梓由依 校長室へ』

 モニターに表示されたメッセージを見て梓は一瞬固まった。何か、ひどく不吉な予感がしたのだ。少し迷い、カバンを持って事務棟へ向かった。

「梓由依です」

 校長室の扉をノックして、梓は待った。

「入りなさい」

 めったに部屋の主が入ることのない校長室は、清掃されていても何か空気が淀んで感じられた。

「大学は、国立の情報研究学部を志望するそうだね」

 大楠異能学園校長の伊井益邦。その手元にあるのは梓が数日前に記入した、進路に関する書類だった。

「人類環境学科に行く気はないのかね?」

 『人類環境学科』という聞き慣れない学部は、この大楠学園大学のものだ。特殊能力に関する研究機関としては現在日本で唯一のもので、異能学園の卒業者は希望すれば無試験で入学できる。

 ただし、ここが問題なのだが。特殊能力を持つ学生は研究をするのではなく、ほぼ『研究対象』なのだ。

「私は一般人として、社会に係わっていきたいと思います」

 『実験動物なんて嫌です!』とは言わず、梓は控えめな表現で答えた。もともとの異能学園の設立目的は、特殊能力を持ってしまった故に社会適応が困難になっている子供の救済だった。それがいつの間にか、特殊能力の研究と開発そして強化に変わっていた。

「人材を必要としているのは、榛名の研究所だ。それも至急にね」

 梓が感じた不吉な予感が、黒い雲のようにはっきりと形を持った。

「それは……大邦エクスペリメンタルですね?」

 梓の質問に、校長は黙って頷いた。この大楠学園の創始者、大楠邦満が起こした大邦製鋼、大邦化学、大邦電力などの企業グループに属する研究所だ。

 現在進行形で事故を発生させているアズマトロンの開発者である吾妻敬一博士も、そこに所属していた。

「吾妻博士の孫である君は、研究所に勤めるにはにふさわしいと思う」

「外孫ですし。両親は、工学とは無縁です」

 梓の両親は共に医師で、梓も小学生から医療の道を目指していた。だが、特殊能力がそれを不可能にした。患者の苦痛をそのまま感じ取ってしまうのでは、医師どころか看護師も務まるはずがなかった。

 自分の特殊能力を知ってしまった梓は、中学に入った時から他人と触れ合うことを嫌がって登校拒否になった。そして祖父である吾妻博士の勧めによって大楠異能学園に転校した。

「大学に通いながら研究員を兼ねる方法もある、経済的にも非常に有利だと思うよ……まあ、じっくり考えてほしい」

 校長室を出た梓は、コンパートメントには戻らずにグラウンドを横切って『庭園』と呼ばれている区画に向かった。そこは花壇と温室などの設備で、校舎と一緒に周囲から隔離されている。

 医務棟よりも大きな温室には地下水がくみ上げられて、小さな泉と水生植物園を潤している。気が塞ぐときや精神の負担が激しいときに、ここで時間を過ごす生徒も多い。

 梓は泉の傍にあるベンチに腰を下ろした。奇妙な歪みがあって、メーカー品ではなく生徒の『手作り』だろう。もしかすると素材から創り出した『手創り』かも知れない。

 そこで梓はふと眉をひそめた。どこかに、何となく違和感があったのだ。

『何だろ?』

 ベンチの前に立って、梓は泉の水面を見つめた。そして気がついた、いつもならたくさんの金魚が泳いでいるのに、姿が見えないのだ。池の中を見回すと、一番深いところに固まって。

『誰かが、何かの力を使ったの?』

 梓はゆっくりとベンチに腰を下ろした。泉の水面に気を取られていたので、腰を下ろしてから初めて泉の向こう側にいる女生徒に気がついた。それほどその女生徒は気配を断って、植物に溶けこんでいたのだ。

目が合いそうになって、梓は慌てて顔を伏せた。人と不用意に目を合わせると、相手の思考が流れ込んでくることがある。

「ごめんなさい」

 後から来たのは梓なので、謝って立ち上がろうとした。

「いえ……あの……済みません、梓先輩。気配乱したの、私です」

 アダンの木に隠れるように立っていた女生徒が、葉の陰から出てきて頭を下げた。灰色のセーラー襟にグレーのタイ、高等科の2年生だ。左胸の紋章はグリーン、自然操作系特殊能力者。

「潤沢 亜寿美です」

 2年生は名乗って、もう一度頭を下げた。

「フィールドしてた?」

「はい」

 『フィールド』とは、教室のコンパートメントに入らずに行う特殊能力の訓練。潤沢のような自然操作系の特殊能力は、コンパートメントの中では難しい。

「水流の操作を、試していました」

「どんなことできるの?」

 梓が聞くと、潤沢は石積みの隙間から湧水が流れ出している場所に視線を向けた。10センチほど流れ落ちていた水が、ゼリーのように水面に盛り上がっていく。盛り上がった水の固まりが回転して、ソフトクリームのように渦を巻いて積み重なっていく。

「水の、固体化?」

「あの……性状は、水のままです。これを、容器なしで動かせるようにしたいんです」

「容器……なし……」

 タンクもポンプなしで多量の水を動かせるなら、災害の現場では役にたつかも知れない。

「性状の変化も、できそうなんです」

 ソフトクリームのように盛り上がった水の固まりが、頂上から細かな水滴になって崩れていく。

「霧や雨なら……蒸気とか、凍らせるのまではできないと思いますけど。それくらいはできそうなんです」

「大きさ……水の量は、どれくらい操作できるの?」

「この池の水は、全部寄せて水の球にできました」

 金魚たちにはさぞ迷惑なことだろう。

「トレーニングに、何か要るものある?」

「あの……もし。できたらで、いいんですけど……」

「言ってみて」

「プール、使わせてくれたら……」

 グラウンドの端に25メートル屋外プールはあるが、授業に使うことがないので空っぽのままずっと放置されている。

「水、入れてもらうように頼んでみる」

 ふたつ折りになって頭を下げる潤沢を残して、梓は温室を出た。

「あたしも……あんな力の方が良かったな……」

 事務棟に向かいながら梓はつぶやいた。時に他人の苦痛をそのまま受けてしまう自分に比べて、何の役に立つのかと不安を抱きながらも一人で訓練に励む潤沢がうらやましかった。


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