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第5話「濡れた子猫」

 大楠異能学園に来て二日目の朝も、また病院のベッドだった。

 きのうガイダンスの中で『高校二年までここの外には出られない』と聞かされて、そのあと何も耳に入らなくなった。何が何だかわからない状態でお昼を食べたらすぐに吐いた。そして気がついたら、また誰かに背負われて病院に逆戻り。

「あと、4年も。ここに、閉じ込められるなんて……」

 中学校は地獄だったけど、ずっと閉じ込められていたわけじゃない。

「いやだ……」

 ポタポタ落ちる点滴の容器、その向こうにセーラー服が吊されてある。

 目を閉じて考えた。男の服を着ないでここに閉じ込められるのと、閉じ込められないけど男の服を強制されるのと、どっちがいいのか。

 ベッドの回りをかこっているカーテン。その外でガタガタ音がして、勢いよく引き開けられた。

「起きてる?」

 向坂のきんきら声。耳に刺さるから今は聞きたくない。でも返事をしないともっと大変な目に遭う。

「うん……」

 天井を見上げたまま声だけ出した。向坂はこっちの具合なんかお構いなしに何かベッドをガチャガチャ動かし始める、お腹の上に棒みたいなものを落とした。

「うっ!」

「あ、ゴメン……あんたゆうべ、何か食べたの?」

 ただでさえうるさい声なのに、向坂はわざわざ顔をこっちに近づけて離す。

「なにも……」

 ここへ来てから、点滴だけで生きているような気がする。

「栄養点滴だけだと、そのうち体の中からヘタれてくるって。流動食でも良いから食べなさい」

 ベッドの上に組み立てたテーブルに、向坂がトレーを置いた。

「ほら起きて。それともベッド起こす?」

『ほっといて』と言いたかったけど、言ったらもっとひどいことになる。仕方ないから体を起こした。ベッドの手すりにバーが取り付けてあって、そこにテーブルが乗っている。トレーの上にはプラスチックのボウルがふたつ、両方とも白いどろっとしたもの。

「お粥と、おイモのポタージュよ」

 何も食べたくなかったけど、むりやりレンゲみたいなスプーンを持たされた。

「どうして……」

「あたしがあんたの面倒見るのかって聞きたいんでしょ?」

 怒るかと思ったけど、向坂は普通の声で言った。そういえば、病院でうるさくすると看護師に怒られるのだった。

「ここじゃ基本、生徒の自助よ。助け合いで解決するの。だからあたしがあんたの後見指導にされたのよ」

 そう言いながら、向坂が目で『食べろ』と促す。しかたないのでお粥をすくって、一口飲み下してみる。薄い塩味で、何とか食べられそうな気がした。

「あんた、パソコンがスリープしたみたいに反応消えちゃうのね」

 向坂に言われた。学校で、いじめグループに囲まれたときにもそうなる。耳が連中の言葉を拒否する。そして気がついたら、突き飛ばされて倒れているのだ。

 それをどう説明したらいいのかわからないので、黙って薄い塩味のお粥を食べた。胃がお粥を拒否しなかったので、イモのポタージュも食べてみた。

「あんた、そんな状態だからいじめられてたんでしょ」

 ポタージュを全部食べても平気だったのに、向坂にそう言われたとたんに吐き気がした。何か言いたかったけど、言えばその何十倍も返ってくるから黙って横になって毛布をひっかぶった。

「9時になったら梓さん来るって。立てないくらい具合悪かったらしかたないけどさ、制服着てた方が良いと思うよ」

「え……?」

 『梓さん』の名前を聞いたら体中にピリッと電気が走って、吐き気もどこかに消えた。

「何しに?」

「あんたが二日続けてぶっ倒れたからに決まってるじゃない。普通の学校にいられなくてここしかいる場所ないんでしょ? それなのにこんな有様なんだから、どーするかって話しするんじゃないの?」

 体の中から手まで、すーっと冷たくなった。

「あんたがいくら嫌でもここからは出られないんだから、あきらめたら?」

「嫌、じゃない……と思う」

 セーラー服を着たときは、間違いなく嬉しかった。

「それじゃ、本当にただ具合悪くなったの?」

「うん……」

 そう答えると向坂の目がきゅっと細くなった。たぶん、信じていない。でも自分でもどうなったのかわからないのだから、そんな答えしかできない。

「今日は、ここ……いて、いいの?」

 昨日は8時半で追い出された。

「またぶっ倒れたら、運ぶのめんどくさいでしょ」

 食器のトレーを下ろして、テーブルを外しながら向坂が言った。セーラー服を着て、顔を洗って。脚が骨ばっていて向坂みたいなラインじゃないので、やっぱりタイツをはいた。

「女子の服って、ぜんぜん抵抗ないの?」

 私の着替えをじっと見ていた向坂が聞く。

「うん……下着とか男のものが嫌」

「なんとなくだけど、女の子しゃべりできてきたね」

「そう……かな……」

 女子の服はこれで落ち着く、とても。でも話し方は意識しないとできない、自分でも何かチグハグな気がしている。

 話し方とかを向坂に習っているうちに9時になった。梓さんが、もうひとり女子を連れて入ってきた。

「相楽、30分ぐらい話してもだいじょうぶかな?」

「はい」

 緊張して、返事がかすれ声になった。私と向坂は受付前のロビーに連れて行かれて、そこで話をした。

「向坂、昨日はどこまでガイダンス進んだの?」

 一緒に来た女子は記録係みたいで、ノートパソコンで何か打ち込んでいる。

「特殊能力の出現と、学園のこと……高校の説明に進んだ所でお昼になって。食べたあとすぐ吐いて、ぶっ倒れました」

 梓さんが頷いた。

「相楽、校章のネックレスつけてるね? そのとき、何か力使おうとした?」

「いいえ」

 梓さんは何か手元の書類を見て、眉間にしわを寄せた。

「昨日の朝、牛乳だけ? あと点滴?」

「さっき、お粥とポタージュ食べました」

 私が言うと、梓さんはちょっと顔を上げてこっちを見た。

「なにか、ガイダンスで凄いストレス感じた?」

「あの……高2まで、ここから出られないって……」

「あんたそれ、診察のとき言わなかったじゃないの!」

 向坂が怒って、梓さんに睨まれた。

「誰も信用してないのよ」

「そうなの?」

 向坂に聞かれてちょっと返事に困った。でも確かに、親でも教師でも何か言われて最初に感じるのは不快さだ。そして反発。結局、それが信用していないことになるのか。

「相楽、手を出して……どっちでもいいから」

「なん……です、か?」

 私が恐る恐る出した右手を梓さんが引っ張って、両手で挟むようにした。手に、うっすら体温を感じた。

「動かないで。お医者さんじゃできない診察なの」

 恐くて気味が悪かったけど、梓さんには逆らえなかった。ここに来てから逆らえない相手ばっかりに会う。

「あなたの本質は女性なんだから、女子でふるまうのが自然」

 私の手を持ったまま、梓さんが目を閉じて言った。

「雨に濡れて、お腹空かせて、怯えてる子猫。でも人間が恐いから必死になって威嚇している……あなたはそんな感じ」

「子猫」

 向坂が呆れたような声で言った。子猫ならまあいいか、私はそう思った。

「いま、記憶とか見たわけじゃないからね。心に傷を負っているかどうか、そこを調べたのよ」

 私の手を放して、梓さんが言った。

「傷……ありましたか?」

 向坂が聞くと、梓さんは小さく首を振った。

「本当の子猫なら暖かくしてミルクを飲ませたら安心して寝るけど、相楽はまだ安全な場所に来たとは思っていないのね」

 そこで梓さんは、私のタイを引っ張って直した。

「この制服着て、気持ちは落ち着いているんでしょ?」

「はい……あの……」

 言おうとして、緊張で息が詰まった。梓さんが小さく頷いた。

「何でも言いなさい」

「自分の、力……能力で。自分の、か……らだ。変えられるって。向坂、さん、言いました。私でも、でき……ます、か?」

 梓さんがちょっと驚いた顔になった。パソコンを打っていた女子もびっくりしたように顔を上げた。

「能力次第って、答えるしかないわね」

 ちょっと考えて梓さんが言った。

「向坂は、肉体強化能力の変異タイプを使っているのだと思う。中等科2年はまだ能力観察の段階だから、学園でもまだ判断していないはず。でも中2の頃はまだ能力発現の初期だから、どの能力系にも伸びる可能性があるはずよ」


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