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第4話「異能学園の朝」

 大楠学園は、中高一貫の大楠学園と大楠学園大学と大学院を含む広大な敷地を持っている。キャンパス全体の広さは東京ドーム10個分であり、その中には郵便局やコンビニ、レストランとカフェ、銀行ATMも揃っている。

 元は広大な森林であった土地に、できるだけ樹木を残したまま施設を配置してある。地元では『森林学園』と呼ばれて親しまれていて、近隣の市民も散策に訪れる。

 そんなキャンパスの中に、なぜか隔離されたような古い建物群が残っている。解体される予定だった旧高等学校校舎で、今は倉庫として図書館にある収蔵品の修理や保存処置を行っている。

 それなのに、なぜか旧校舎は付属のグラウンドまで含めてその周囲が5メートルの白い鉄板でしっかり隔離されている。工事車両用のシャッターが一箇所あるものの、開いていることはほとんどない。

 その、外部から厳重に隔離された建物が大楠異能学園だ。正式な出入り口は仮囲いの外にある『旧校舎更新工事プロジェクト事務所』の中にあり、厳重なセキュリティを施された地下通路を経由しなければ異能学園には出入りできない。

 高等科3年の梓由依は、今日も何食わぬ顔でスクールバスに乗って登校する。私鉄の最寄り駅から出る路線バスもキャンパスの中まで入ってくる、何しろ学生と職員関係者を合わせるとおよそ3千人が朝と夕方に大移動を行うのだ。

(おかしな新入りが来たって?)

 梓の脳内に、囁きのようなもの伝わってきた。バスの中に異能学園の誰かが乗り合わせているのだ。寮を出て自宅など校外からの『通学』が許可されるのは2年の二学期からなので、一学期のいま乗っているのは3年生しかいない。

 梓はサーチ(探り)を行ってみた。バスの後方、真ん中あたりに気配を感じる。セーフモードでは、わかるのはその程度。

『佐伯か……八城かな』

 登下校のあいだ、梓は異能力を封止する『エンブレム』封象ネックレスをつけている。無用なトラブルを防ぐために学校が奨励している物だ。

 そのため現在の梓はアクティブな能力を封じられて、パッシブ(受け側)だけの状態だ。これは誰となく『セーフモード』と呼ばれている。

 だが誰か知らない相手は梓に思念を送ってきた、エンブレムをつけていないのだ。未知の人物からの思念ではない。そう判断して梓は脳内で答えた。

『中二のノラよ』

 外部からも、自分でも一切異能力制御ができていない状態を異能学園生徒は『野良』と呼ぶ。しかも思春期を迎える中学二年生の野良は、承認欲求や自己同一性の影響を受けて手が付けられない危険物になることもある。

『しかも性同一性症候群』

(うわ。やべぇー! もうメーター振り切ってるじゃん)

(八城、本人の身にもなってみな。外じゃ化け物扱いだよ)

 もう一人の囁きが梓の脳内に伝わってきた。たぶんこっちが佐伯だろう。

(その子、レッド?)

『レッドの2。来てすぐぶっ倒れて、昨日は朝まで医務にいた』

 スクールバスは『吾妻記念講堂前』に到着し、学生と生徒がどっと吐き出される。梓と八城と佐伯、三人はそれぞれに距離を取って何気なく学生の流れから離れた。建物の間にも多くの樹木が残されていて、人の流れは自然に散らばるように設計されている。

「おはようございます」

 旧校舎解体更新工事プロジェクト事務所の自動ドアを通り、梓はカウンターの中に挨拶をする。そのまま奥へ進むとまた自動ドアがある、これはIDカードをかざさないと開かない。梓はそこで『エンブレム』のネックレスを外す。

 IDカードで開いた自動ドアの先には、またドアがある。しかも5つ。一般的な住宅用の玄関ドアであるが、鍵穴がずらりと20個も並んでいる。ランダムに1個の鍵がロックされていて、登校する生徒はどれかひとつのドアを選んで、手を触れずに施錠された鍵を見つけ出し手を触れずに解錠しなくてはならない。

『下から5番目ね』

 梓は3秒で施錠された鍵を発見した。ごく普通のディスクシリンダー錠で、鍵がなくても専用の工具を使えば誰でも数十秒で開けられる。だが、ここでは一切手を触れずに空けなくてはならない。

 シリンダーの中に組み込まれている何枚もの小さなディスクとロックピン、それらをひとつひとつ認識して正しい位置に固定。それからその状態を保ったまま回転。

『カチン』

 ロックボルトが外れた音を聞いて、梓は詰めていた息を吐いてレバーハンドルを押し下げた。物質を思いの通りに操る『操作』は、梓が不得意とする力なのだ。

「遅せえ」

 ドアの向こう、異能学園への地下道で待っていた八城が言う。

「もっと、チャッとできないのかよ」

「向き不向きって物があるでしょ?」

「梓は鍵の構造がどーのこーのって、グチャグチャ考えるから手間取るんだよ。もっとパーッと、『こいつはこうあるべきだ』って強く思えばすぐ開くんだ」

「佐伯は?」

「まだ」

 そう言いながら、八城貴之が指でドアのひとつを指した。

「あ」

 梓が思わず声を出した。ドアのこちら側に金具が取り付けられ、そこに南京錠がかかっている。佐伯はこれを見破って、向こう側から南京錠を外さなくてはならないのだ。

「これは、意地が悪いわ……」

 二人が待っていると、別のドアが開いて男子生徒が入って来た。そして南京錠に気がつくと、肩をすくめて行ってしまった。

 結局、佐伯凜が南京錠を外して通路へ出てきたのはそれから3分ほど経ってからだった。

「最悪」

 額に脂汗を浮かべた佐伯が、口元を歪めて言う。

「事務のやつら、笑ってるんだもの。ドアに穴あけてやろうかって思った」

「やることないから、俺たちいじめて遊んでるんだ」

「ドア壊すなって言われてないから、それでも良いはずよね」

「疲れた……もう帰りたい」

 文句が止まらない佐伯のために、3人は半屋外のレストスペースに立ち寄った。佐伯が八城に難癖をつけて缶コーヒーを奢らせる。

「性同一性症候群って。新入り、どんな状態なの?」

 缶の半分ほどを一気に飲んで、佐伯が梓に聞いた。

「体は男の子。でも性の識別はされたくないって……男の服じゃなければ良いって状態だから、セーラー服支給された」

「うえ? 女装?」

 声を上げた八城を梓と佐伯が睨んだ。

「本人にとってはそっちが正しい格好なの。体が違っちゃってるんだから」

 佐伯がため息をついて、椅子の背に寄りかかって脚を組んだ。スカートがずり上がって、黒いストッキングをはいた腿の半分以上がむき出しになる。八城の視線がそれに釘付けになっている。

「コーヒー代だ、見せてやる。その子……恋愛対象どっちなんだろ?」

 梓が非難がましく八城に視線を向けると、佐伯がコーヒーの缶を見つめながら言った。缶がゆっくりと傾いて、縁を中心にゆるゆると一回転した。

「それはまだわからない。とりあえず『お人形』に面倒見させることにした」

「え? 向坂ひな人形?」

 上級生の間では、向坂は『ひな人形』とか『怒りビナ』と呼ばれている。

「ヒナのスピリットってさ、あれで強化に入るのか?」

 八城が言った。『スピリット』とは『特殊能力分類系統』のことだ。学園の研究によって、現在7系が確定されている。『強化』は、正しく言うと『自己身体及び五感強化』。そして梓がさっき鍵開けで使った『物質操作』。

ほかに『自然操作』、相楽瑞貴が使った『精神』、ゼロから物体を作る『創造』、予知能力でもある『直感』、想像と逆に物質を損なう『消滅』だ。

「自己の肉体変革だから、強化に入るんじゃない?」

 梓はペットボトルの緑茶をひと口飲んでから言った。学生個人ごとの能力分類は高等科に入ってから行われる。

「相楽の能力はダブル……もしかしたらトリプルかも」

「そしたら、エンブレムのカラーは?」

「『不明』のままかもね、それで別に不便ないし」

中等科の生徒は基本的に能力未分類で『不明』とされる。中等科は生徒の能力を見極める期間でもあるのだ。

「そういえば、あいつまたぶっ倒れたって向坂が言ってたな……」

 梓が言うと佐伯が顔を上げて、コーヒーの缶が音を立てて直立に戻った。

「何か、病気持ってるの?」

 佐伯が聞くと、梓が小さく首を振った。

「栄養失調だって。成長するのが嫌でほとんど食べてないみたい」

「うわ……」

 佐伯が悲痛な表情で天井を仰いだ。

「体もメンタルも虚弱で、特殊能力だけ持ってたら……悲惨だわ」


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