目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第3話「オートマター」

 翌朝は目を覚ますとすぐに食事が出た。お粥と卵焼き、青野菜を煮たようなものとバナナにミルク。朝に食べると具合が悪くなるので、ミルクだけを飲んだ。

 そして、そこから屈辱的な扱いが始まった。シャワーを使わされたのは良かったけど、前が開くワンピースみたいな変な服を着せられた。診察で服の上半身を脱がされて、胸と背中に聴診器を当てられた。

「事務の、人から……聞いて、ないん、ですか?」

「セックスがニュートラルだと? それはデータで見ている」

 ドクターは知っている。なのに、この扱いは男に対するものだ。

「権利を主張したければグリーンになれ」

 ドクターが言った。『権利はない、人間として最低限の尊厳だけ』梓にそう言われたのを思い出した。

「食事が少なすぎるのは、家の経済的な問題か?」

 ムカついたので、質問には答えなかった。

「態度が反抗的で、職員や生徒に対して異能力を使うとレッド3に落とされるぞ」

 ドクターにそう言われて、一瞬で手が冷たくなった。

「食べると……成長して、男に……なっちゃいます。それは、嫌です」

 無理やりに声を出すと、低くてかすれて、自分の声じゃないみたいだった。

「自分で、男か女か。どちらだと感じている?」

 答えに詰まった。いままでそんな質問をされたことはなかったから。ただ、男子の服を着たくないだけだった。

「どっちか……選ばないと、だめ、ですか?」

「最終的に選ぶのは本人だ。だが学校でどう扱うかは最初に決めておかなくてはならない。まず制服をどうするかが問題になるだろう?」

「男子の……で、なかったら。それで、いいです」

 それから、昨日から気になっていたことを訊いてみた。

「レッドの3だと……どう、なりますか?」

「教育で改善が見込まれなければ、薬物か装置によるパーソナルの改変だ。悪くすると最低一ヶ月はベッドに拘束される」

 殺された方がまだマシな扱いだと思った。

 呆然として病室に戻ると、看護師が真新しい制服を持ってきてくれた。真っ黒なセーラー服、梓が着ていたのと違って襟も黒い。襟のラインは太い1本線。そして胸ポケットには、あの四角が四つ絡みあったような紋章。

これが大楠異能学園の校章なのだろうか。誰もまともに説明をしてくれないので、いまだに何が何だかわからない。

「ここで着替えて、半までに出てね。そのバッグは、着てた下着とか入れて持って行って」

「え?」

 看護師はベッドの周囲にあるカーテンを手早く引いて行ってしまった。病室から出ろと言ったのだろうけど、その後どこへ行けばいいのだろう。とりあえず、あと15分以内に着替えを済まさなくてはならない。

「バッグ……って……」

 異能学園の紋章が入ったショルダーバッグには、下着と新品のタイツと新品のローファーが入っていた。ちゃんと下着は女性用だった。

「えーと……」

 あたりまえだけど、セーラー服なんて着たことがない。下着は小学生の時から女の子用だったので抵抗はないけど、ブラをつけるのもタイツをはくのもこれが初めてだった。インナーは半袖の白いVネックで飾り気も何もない。

「上着とスカートって……どっち、先だろ?」

 時間に追われてあたふたしながら何とかセーラー服は着たけど、胸のタイをどうしたらいいのかわからなかった。もう時間が無いので、自分が着ていたジャージと下着とスニーカ-をバッグに押し込んで病室から出た。看護師が出口を指してくれた。

「あの……お、世話に……なり、ました……」

 どうしていいのかわからなかったけど、とりあえずそう言っておいた。ガラスに映った自分の姿はそれなりに女子のように見える、でも脚が細すぎるような気がした。

 保健室と言うか病院の自動ドアから出ると、そこに制服を着た女の子のマネキンがあった。

「あんたが相楽瑞貴?」

 腰に手をあてて、こっちを見上げてそれが言葉を話した。マネキンじゃなくてアンドロイドなのだろうか。背丈は150センチあるかないか、制服でなかったら小学生にしか見えない。そして髪が、ウイッグじゃないかと疑ってしまう蛍光のピンク色。

 自分が何と出会ったのかわからなくて、一瞬返事をしそびれた。それが気に食わなかったのか、アンドロイドだと思っていた物は凄い顔で睨みつけた。

「聞かれたら返事しなさいよ!」

「あ……相楽、瑞貴……です」

「向坂陽菜よ。あんたのガイダンス、私が説明するんだって!」

 きのう梓と事務の女の人が言っていた名だ。それがこのアンドロイドみたいな女の子なのか。同じ中2で彼女はレッドの1だと聞いたような気がする。

「あ……あの、よろし、く……」

「準備するのに昨日の4時限目と5時限目の授業受けられなかったのよ! なのに何であんたは保健室なんかで寝てたのよ!」

「いや……」

 サボりで寝てたわけじゃない。具合が悪くなったのは本当だし、点滴の針が刺さったままじゃベッドから逃げ出すこともできない。

「うるさい。 医務棟で大声を出すな」

 自動ドアから看護師さんが出てきて、静かに怒った。向坂が顔を引きつらせて、手招きして速足で歩き出す。仕方ないのでついて行った、たぶん行き先を知っていて迎えに来たのだろう。

「あんたのせいで、あたしまで怒られたじゃないの!」

「怒ったの……そっち、自分は……」

「何よ『自分』って!」

「いや……だって……」

 そこで寮の建物に入ったので、また向坂は口を閉じた。連れて行かれたのは2階で、モニターがあって曇りガラスで仕切られたブースが並んでいる。そのひとつに梓がいた。

「栄養失調だって?」

 挨拶も何もなし、いきなり梓が言った。もう病院から何かで報せが行ったのだろう。

「そんなヒョロヒョロな体で異能力使ったら、ぶっ倒れるのあたりまえだわ」

「エーヨーシッチョー?」

 向坂が呆れたような声を出した。

「あんた、どこの発展途上国から来たのよ?」

「成長を……止めたい、から……」

 そう答えると、向坂の表情が険しくなった。

「なにフザケたこと言ってんの! そんなことで成長止まるはずないでしょ!」

「うるさい!」

 梓に一喝されて、向坂は顔を真っ赤にしながら口を閉じた。

「それは今日一日かけて、静かにセッキョーしなさい。そしてこのガイダンス、脇にいて相楽に教える。それが今日課せられたあんたの仕事」

「なんでこいつ一人でできないの? バカなの?」

「レッド2で攻撃と反発指向、たぶん教員の話しは聞かないから」

「ふーん」

 そこで梓が制服のタイの結びかたを教えてくれた。

「相楽は性別なしだから、覚えておいて」

「はあ? 性別なしって、なにそれ?」

「体は男だけど、精神は女なの。本人は性別なしって主張している」

 向坂の視線が、足元から全身を見回してきた。向坂の思考は読めなかったけど、その態度から感じたのは『好奇』だった。でも『嫌悪』よりはよほどましだ。

 『好奇』は体の奥にくすぐったいような感触で伝わってくるけど、相手に『嫌悪』を感じられると吐き気のような物が襲ってくるから。

「なんか……テキトーって言うか……それで、いいの?」

「それが認めてもらえなくて爆発起こしたらしいから、本人にとってはなしって状態が正しいのよ」

「さっきこいつ。あたしの考え読もうとした」

 思考を読もうとしたことを、向坂は感づいていた。それはちょっと恐かったけど、その前に梓が言ったことで体の中に渦巻いていたいろいろな圧力が下がった。

 性別についていくら言っても受け入れてもらえなかったことが、ここではあっさり認められているから。

「あ、まだエンブレム封象つけてないんだ。貰ってくるわ。まあ……いろいろあってね、相良は男が大嫌いになっているの。教師も事務の人たちの話も聞かないみたいだから、陽菜が説明して勉強も観てやって」

 向坂がものすごく不満そうな顔になって梓を見た。

「これ、評価関係するの?」

「いいかげんにタメ口やめろ」

 梓が冷たい声で言うと、向坂の手が一瞬だけ震えた。

「はい……」


 ガイダンスの最初、私立大楠学園の中になぜ異能学園が作られたのか。そのきっかけになった大事故、20年たっても環境と人間に残っている被害。それを初めて知った。

「アズマ、トロン……加速、発電……施設?」

 直径10キロ。太さ10メートルのパイプの輪っかの中を加速ビームが流れて、それが減速するときのエネルギーで電気を起こす。はずだった。

 それが本格運転を初めて1年後、10キロの内側にあった何もかもがいきなり消滅した。

「なんで……真ん中に、穴ができたの?」

 向坂に質問すると、横目で睨まれた。

「原因は不明だし調べようがないって説明してたでしょ? 本当は穴じゃなくて、おかしなところと空間が繋がっちゃったらしいのよ」

 直径10キロの輪っか、その内側は本当に何もなくなった。人も、建物も、地面も何もかも。そしてそこから『何か』が発生した。

「あんたのお母さんも、たぶんアズマトロンに近いところに住んでたのよ」

 向坂が言った。アズマトロンの外側10キロ圏内は立ち入り禁止になって、住んでいた大勢の人がよそに移転。そしてその人たちではなく、その人たちから生まれた子供に異常が出た。それが『異能者』だ。

「君……も?」

「あたしの母親は内側に住んでたんだけど、仕事で外側に行ってたとき『あれ』が始まったの。今はそこも避難地域だけど、そこにあった仮設住宅に2ヶ月ぐらいいたって」

「自分……は……」

 言いかけると、向坂が鼻の脇にシワを寄せた。

「あんたその、『自分』って三人称みたいな言いかたやめなさい! 聞いててイライラするわ!」

 小声で向坂が怒りだした。

「だって……」

 自分の性別、それに違和感を持ってからずっとそうしていたのだ。

「今は見た目女なんだから『あたし』で違和感ないでしょ! 自分に違和感あるんだったら、自分で体変えればいいでしょ!」

「変える? 体?」

 向坂は思いっきり怒った顔で、両腕を左右に拡げて見せた。

「あたしは、自分の力でこうなってるのよ」

「え?」

「どんな力で、何をしても許された。子供だったから。だからずっと子供でいようと思ったの。それで好きだった着せ替え人形に自分を似せたの。いまはもう、これでいいんだって思ってる。一生このままでいる気よ!」

「え? え? それ……自分の、異能……力?」

「そうよ。だから、ご飯食べないなんてムダだって言ったでしょ! ここに来た異能者なら、それぐらいのことやりなさいよ!」

 そんなことができる、許される。自分……じゃなく、あたしは何かとんでもない異世界に来てしまったらしい。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?