分かっては、いた。
自分がこの月の裏側に送られたのは、転属という名の、己に与えられた「罰」なのであると。
しかしながら、いざ、実際にその扉の前に立ってみると息が乱れる。
足がすくんで、動かなくなる。
――逃げ出してしまいたい。
脳内に反響する己の声に、ジーンは思わず周囲を見回す。
だが、彼の視界に映るのは、無機質な真っ白な廊下と、案内役と称して、ここまで宇宙港からずっと連れ立ってきた屈強な軍人ふたりのみだ。ジーンはせめて心臓の動悸を整えようと、大きく息を吐いた。
「どうした、ジーン・カナハラ軍医少尉。君の赴任地はもうその扉の向こうだ。行くぞ」
軍人のひとりがジーンのその様子を見て、冷たく笑いながら、言葉を放ってくる。もうひとりの軍人は扉に作り付けられたインターホンに、ジーンの到着を告げている。
瞬間、ジーンは思った。この場で舌を噛んで死んでやろうかと。
だが、そのとき、ジーンの腕を、ぎゅっ、と握った、ちいさな掌の感触に、彼の意識は現実に揺り戻された。
「おとーさん、どうしたの?」
ジーンは、はっ、として、その言葉を発した傍らの幼い娘に目を向けた。
「ねえねえ、新しいおしごとのばしょに、早くいこうよ!」
娘のアイリーンは、あどけない顔に満面の笑みを浮かべてジーンを見上げている。
――そうだ、俺にはこの子がいる。だから、俺は、まだ死ぬわけには、いかないんだ。
ジーンは正気を保つかのように、ちいさく頭を振った。そして、アイリーンの掌を力強く握り返した。
「ああ、アイリーン、じゃあ、行こうか」
「わーい!」
そのアイリーンの言葉に押されるかのように、ジーンは大きく扉の前へと踏み出す。途端にピピ・ピと微かな電子音が鳴り響き、扉の上のランプが緑に点滅した。虹彩認識の完了の合図だ。
次の瞬間、扉は勢いよく開け放たれた。
「ようこそ、ユーラシア革命軍政府月面難民収容所へ」
ジーンとアイリーンの正面で、そう綴られたオレンジ色の文字、それと精悍な男の横顔を描いた大きな肖像画が、壁に掛けられたスクリーン上に浮かび上がり、歓迎の意を告げた。