心配と信頼
「バカな、マイナスナンバーでもアライブを倒せないなんて……」
獅子男たちの敗死を受け、ソウギは激しく狼狽した。
彼は寄り添うGODを振り払い、頭を掻き毟って発狂する。
「アライブの心臓っ! あれがないと僕は……かはッ!!」
激しく咳き込んだソウギの口から赤い血が飛び散り、喪服と屋敷の床を汚す。
悶えるソウギの背中を摩りながら、GODが優しく言った。
「ソウギ様、今日はもうお休み下さい」
GODはソウギを抱き抱え、彼を寝室へと運ぶ。
GODの背に揺られながら、ソウギの意識は徐々に微睡んでいった。
「助けて……」
うわごとのように呟いて、ソウギは深い眠りに落ちる。
空気のように軽い主人の体を、GODは柔らかいベッドに寝かしつけた。
「ソウギ様。あなたのためなら、私はどのようなことでもします。……我が命は、ソウギ様のために」
ソウギが眠ったのを見届けて、GODは寝室を後にする。
そして研究室から数本の試験管を手に取り、彼は行動を開始した。
「昇ちゃんたちが手伝ってくれたお陰で、店もすっかり元通りだ。本当にありがとう」
麻婆堂の店主は満面の笑みで例を言うと、厨房の奥から大皿を持ってくる。
シャケフレークをまぶした麻婆豆腐が盛り付けられた大皿を、昇は瞳を輝かせて覗き込んだ。
「お礼と言っちゃなんだが、期間限定のシャケ麻婆だ。食ってくれ!」
「いいんですか!? いただきます!」
昇は両手を合わせ、白米と共にシャケ麻婆をかき込む。
ピリ辛の麻辣とシャケの塩気が作り出す刺激的な旨みに急かされて、彼は瞬く間に皿を空にした。
「ほんとよく食べるよね、ヒューちゃんは」
「全くだ。我が相棒ながら呆れる」
階段を上がってきた木原と月岡が、微笑みながら昇の姿を見守る。
昇が食事を終えると同時に、火崎と金城からの緊急通信が入った。
「特危獣だ! すぐに来てくれ!」
三人は頷き合い、出動準備を開始する。
そして昇のエボリューション21と月岡のパトカーが、共に現場へと疾走した。
「……月岡さん、後ろ!」
殺気を感知した昇が、通信機で月岡に警告する。
しかし月岡が反応するより早く、黒い弾丸がパトカーの窓ガラスを突き破った。
「ッ!」
弾丸は月岡の左腕を掠めてカーナビに命中し、破損した機械から火花が飛び散る。
急いで車を脱出した月岡の前に、弾丸の射手・GODが立ちはだかった。
「月岡さん!」
「構うな! 早く行け!」
GODの攻撃を躱しながら、月岡が叫ぶ。
昇は逡巡の末、火崎と金城の元に急いだ。
「大丈夫ですかっ!?」
「ええ、何とか……」
ブロック塀にもたれかかりながら、金城が息も絶え絶えに答える。
火崎が拳を握りしめて言った。
「あの野郎、痛めつけるだけ痛めつけたら帰りやがった。とどめも刺さねえで、一体何がしたかったんだ」
「とにかく、二人はそこで待っててください。おれは月岡さんを助けに行ってきます!」
負傷した火崎と金城を撤退させて、昇は全速力で引き返す。
しかし彼が舞い戻った時、そこにGODの姿はなかった。
「月岡さん、怪我はありませんか?」
「……ああ、何ともない」
まだ周囲を警戒しているのか、月岡は険しい声で言う。
支えようとする昇の手を払うと、彼はパトカーに乗り込んだ。
「早くしろ。敵の情報を探るぞ」
「は、はい……あっ、火崎さんと金城さんも連れていかないと!」
「分かった」
火崎と金城を拾うため、月岡はパトカーを走らせる。
先に本部へ帰還した昇を、木原が神妙な顔で出迎えた。
「おかえり。どうだった?」
「みんな無事でした。途中で月岡さんがGODに襲われたんですけど……」
「え、GODに襲われたの!?」
「はい。コンピュータの画面にも映ってたと思うんですけど」
コンピュータの画面で戦況を把握している木原が、これほど重大な情報を見逃すなどまずあり得ない。
木原は後頭部を掻きながら、申し訳なさそうに弁明した。
「いやー、実はさっきまでハッキング喰らっててさ。画面見られなかったんだよね」
「ハッキング……」
木原はキーボードを操作し、コンピュータの修復を開始する。
少し離れた場所で昇が考え込んでいると、やがて月岡たちが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「あ、みんなおかえりー」
「作戦会議を始めましょう。事態は一刻を争いますから」
笑顔で迎える木原を素通りして、月岡は会議室の扉を開く。
いつになく冷たい雰囲気に戸惑いつつ、四人も後に続いた。
「じゃあ、会議を始めるぞ。まずは情報の共有からだ」
火崎が音頭を取り、順番に発言を求める。
全員から出た情報をメモ帳に纏めて、金城が口を開いた。
「私と火崎さんを襲った姿なき敵、GODの奇襲、そしてハッキング……偶然とは思えませんね」
「おれもそう思いました。一体、敵の狙いは何なんでしょうか」
「恐らく、狙いは日向昇です」
月岡が立ち上がり意見を述べる。
四人の注目を浴びながら、彼は滔々と続けた。
「二人は謎の敵に、俺はGODに襲われた。更に木原さんはハッキング攻撃を受け、民間人の被害はゼロ。我々が狙いであることは明らかです。そして日向昇だけが、攻撃を受けていない」
「だから狙いはヒューちゃんってことか。一理あるね」
「ええ。ですから皆さんには、日向昇を警備していただきたい。二十四時間、片時たりとも目を離さず」
月岡の提案に、仲間たちは流石に首を傾げる。
昇が呆れたように言った。
「大丈夫ですよ。おれ、簡単にはやられませんから」
「それでも、お前が心配なんだ」
真剣な顔で訴えられ、昇は渋々引き下がる。
そして昇を厳重に監視するという結論で、今日の会議は終了した。
「あの」
足早に会議室を去ろうとする月岡を、昇が呼び止める。
仏頂面で振り向いた月岡に、彼はある提案をした。
「久しぶりに組み手をしませんか? さっきみたいに敵が奇襲してきた時のために、動きを体に覚えさせておくんです」
「……分かった」
昇たちは火崎と金城を連れ、武道場へと向かう。
四人が室内に入ったのを見届けて、木原がほくそ笑んだ。
「お互い、手加減なしでいきましょう」
「……ああ」
二人は互いをしっかりと見据え、実戦さながらの構えを取る。
中心に立つ火崎が、訓練開始を告げた。
「始め!!」
———
バッド・ドッグス
昇の鋭い回し蹴りが、月岡の鼻先を掠める。
大振りな攻撃の隙を狙って、月岡がピストルの引き金を引いた。
弾丸こそ訓練用だが、ピストル自体は実戦用である。
昇は紙一重で銃撃を躱すと、武器を奪うべく右腕を伸ばした。
「ッ!」
月岡はすかさず昇の腕を掴み、明後日の方向へと捻り上げる。
熾烈な攻防を目で追いながら、金城が口を開いた。
「凄まじいですね。日向さんの身体能力もさることながら、月岡さんもそれに喰らいついている」
「ああ。だが、どうにも胸騒ぎがするぜ……」
武闘家としての勘なのか、火崎は訝しげにそう呟く。
二人が見守る先で、月岡が昇に背負い投げを見舞った。
「終わりだな」
両手首を拘束し、昇の額に銃口を突きつける。
月岡がとどめの一発を放とうとしたその時、昇は咄嗟に脚を振り上げた。
「っ!」
月岡の手から拳銃を弾き飛ばし、更に両手の自由も取り戻して立ち上がる。
そして月岡が拳銃に気を取られた隙を突き、昇は素早く跳躍した。
「やめろ日向!」
火崎の制止も聞かず、昇は大鉈のように脚を振るう。
昇渾身の延髄蹴りが、月岡の頸椎を打ち据えた。
支えを失ったジェンガのように、月岡の体が崩れ落ちる。
「日向、やりすぎだ!」
昇の両肩を掴んで、火崎が叱責する。
月岡に駆け寄った金城が、驚嘆して二人を呼んだ。
「こっちに来てください!」
「どうした!」
「ひゅ、日向さんの攻撃を受けた所が……」
金城に促され、二人は月岡の首の部分を覗き込む。
月岡の傷口からは、血管の代わりに電子回路が露出していた。
「どうなってんだ、月岡はロボットだったのか!?」
「違います。この人は本物の月岡さんじゃありません」
昇は銃を拾い上げ、壁に向かって撃つ。
壁にめり込んだ弾丸は、紛れもなく実弾だった。
「こいつが仕込んだんです。おれを始末するために」
「待ってください。じゃあ、本物の月岡さんはどこに」
「見つけたよ!」
武道場の扉を勢いよく開けて、木原が叫ぶ。
元通りになったメインコンピュータを指差して、彼女はやれやれと肩を竦めた。
「ヒューちゃんがみんなを引きつけてる間に直させて貰ったよ。ったく、あちこち弄ってくれちゃって」
本部のメインコンピュータは特危獣の急な出現に備えて、国内ほぼ全ての監視カメラに繋がっている。
手当たり次第に画面を切り替えて、木原は町外れの倉庫で月岡の姿を発見した。
月岡の両手足は金属の輪で封じられており、頭部は特殊ゴーグルで塞がれている。
彼の様子をじっくり観察して、木原は装置の特性を見抜いた。
「……なるほど。偽物と視界や感覚を同期させる仕組みか」
木原は月岡の拘束を解くべく、今度はこちらからハッキングを開始する。
その時、武道場に横たわっていた月岡––否、偽月岡が緩慢な動作で起き上がった。
「木原は作業を続けろ!」
昇、火崎、金城が並び立ち、木原を守らんと立ち塞がる。
断続的なタイプ音が響く中、偽月岡が問いかけた。
「何故、分かった」
「会議の時です。月岡さんはおれを助けてくれるけど、あんなやり方はしません」
「何だと?」
「ハッキングをしたのも失敗です。わざわざ隠すなんて、何かあるって言ってるようなものですから」
だから昇は偽月岡に組み手を持ちかけ、彼を木原から引き離した。
コンピュータを修復し、入れ替わりの証拠を掴むために。
「凄えな。けど、そういうことなら俺たちにも報告しろよ」
「それはあたしが止めました。こういうのは事情を知らない人間がいた方が、リアリティが出るんですよっ」
木原は作業に打ち込みながら答える。
忌々しげにこちらを睨みつける偽月岡を真正面から睨み返して、昇が叫んだ。
「月岡さんはただ厳しいだけの人じゃない。お前は、月岡さんがおれたちに向ける優しい眼差しを知らなかった。それが敗因だ!」
「……小癪な!」
偽月岡はもはや殺意を隠そうともせず、昇に襲いかかる。
書類やデスクを巻き込んだ乱闘の中、昇が偽月岡の横面を殴りつけた。
「もうその姿は見たくない。正体を現せッ!!」
偽月岡は変装を解き、遂に正体を曝け出す。
それは生身の体と機械部品を併せ持つソウギの忠実な猟犬、GODだった。
「GOD……!?」
謂わば敵のナンバーツーとも言うべき存在が、何故変装までして特撃班の拠点に潜入してきたのか。
拳銃を構えて威嚇しながら、火崎と金城がGODを問い詰めた。
「ここに来た目的、変装の手口、洗いざらい話して貰おうじゃねえか」
「ハッキングの方法もです」
「……いいだろう」
まずはかつて木原がソウギの研究資料にアクセスした際のデータを利用し、コンピュータのセキュリティを解読。
次に火崎と金城を奇襲して昇と月岡を出動させ、月岡が一人になった時にハッキングを仕掛けた。
そしてハッキング完了と同時に月岡を拘束して倉庫まで移動。
最後に薬品––興梠への脅迫に利用した物の完成形––を使って月岡に成り変わり、本部に潜入する。
作戦の全容を聞いて、木原が引き気味に呟いた。
「ソウギなんかのために、よくそこまで働くね」
「ソウギ様は私をお造りになったお方。忠誠を誓うのは当然だ。……貴様らもそうではないのか?」
「それ、どういうことかな」
木原が不思議そうに尋ねる。
GODは当然の常識を語るように説き始めた。
「決して覆らない上下関係があるということだ。ソウギ様と私には造物主と被造物という関係があり、アライブと貴様らには特危獣と人間という関係がある。そして下の者は、上の者に奉仕する」
GODはその価値観の元、ソウギへの貢献を続けてきた。
会議の席で見せた過剰なまでの心配も、奉仕者としての心得によるもの。
しかし昇は首を横に振り、GODの言葉を真っ向から否定する。
仲間たちを代表して、彼は力強く啖呵を切った。
「おれたちにそんな関係はない。おれたちは力を合わせて、みんなの命を守る!!」
「ほざくな。守るべき命は、ソウギ様のみだ!」
昇とGODは再びぶつかり、本部を滅茶苦茶に破壊しながら暴れ回る。
怪力で昇を抑えつけながら、GODが叫んだ。
「ソウギ様の身を心から心配している私に、敵うはずがない!」
「おれと月岡さんを繋ぐのは心配じゃない。信頼だ!」
昇は腹の底から叫び、GODの暴威に抗う。
拘束解除を続けながら、木原が呟いた。
「だってさ。聞こえてる? シズちゃん」
「ええ……しっかりと……!」
誰もいない倉庫の中心で、月岡ははっきりと応じる。
身動きが取れなくとも、視界を塞がれていても、冷たい風に体温を奪われても、それでも相棒が待っている。
月岡は残る体力を振り絞り、鉄の輪に縛られた両手脚を懸命に動かそうとする。
そして木原のコード入力が、彼を拘束から解き放った。
「待っていろ、日向昇!」
月岡は頭部のゴーグルを地面に叩きつけ、本部を目指してひた走る。
心身の限界を超えて走り続けた末、彼は遂に昇の姿を見つけ出した。
「日向昇!!」
「月岡さん!!」
市街地に戦いの場を移した昇は、本物の月岡の姿を見て思わず破顔する。
しかしすぐさまGODの拳を喰らい、勢いのまま月岡の足元へと転がされてしまった。
「日向昇!」
月岡は昇を受け止め、血に濡れた肩を庇う。
彼の中に灯る闘志の炎を感じて、月岡は不敵に言った。
「まだやれるな」
「……はい!」
昇も堂々と返し、二人は肩を並べて立ち上がる。
絶縁グローブを嵌めた月岡の手の甲が、昇のショックブレスを起動させた。
「超動!!」
相棒の想いを乗せた拳を心臓に叩きつけ、昇はアライブへと変身を遂げる。
アライブのゴートブレードとGODの長剣が、夕暮れの街に火花を散らした。
「貴様の命、貰い受ける……!」
GODの心臓部を狙った熾烈な攻撃に、アライブは少しずつ体力を奪われていく。
遂に膝を突いたアライブの首筋に、GODの冷たい刀身が触れた。
「アライブ、覚悟!」
GODは剣を滑らせ、アライブの首を撫で切りにしようとする。
その刹那、月岡が拳銃の引き金を引いた。
「ぬぅ!?」
真っ直ぐに飛ぶ弾丸がGODの眼を撃ち抜き、眼球型の装置が地に転がる。
怯むGODを、更なる拳銃の掃射が襲った。
「木原さん!」
「島先輩、金城!」
仲間たちの加勢を受け、アライブは勢いを盛り返す。
しかし再び斬り結ぼうとする両者を遮るように、眼球型装置が光を発した。
装置に記録されていた映像が空中に投影され、夕焼け空をスクリーンに変える。
そして映像の中で、ソウギは一人病院のベッドに横たわっていた。
かつての昇と同じように。
「ソウギ様は不治の病を患っている。どんなに手を尽くしても助からない己に絶望したソウギ様は……永遠の命を求めた。老いることも死ぬこともない肉体を手に入れて、強引に病を克服しようとしたのだ」
「それが、特危獣の生まれた理由……」
「だからといって、命を奪っていい理由にはならん」
これまでの凄惨な事件の数々を思い返して、月岡が断じる。
GODは尚も続けた。
「アライブ。もはやソウギ様を生かせるのは貴様の遺伝子だけなのだ。ソウギ様のために、何としても心臓を頂く」
「そんな理屈がまかり通ると思ってるんですか! あれだけの命を奪っておいて……!」
柄にもなく声を荒げて、金城がGODに詰め寄る。
空洞になった眼を見据え、金城が声を張り上げた。
「あなたに罪の意識はないんですか!!」
「ない。ソウギ様の為すことは全て善だ」
「……っ!」
「よせ」
振り上げられた金城の拳を、月岡が掴む。
彼はGODを横目に見て、冷淡に吐き捨てた。
「こいつに何を言っても無駄だ」
もはや語る言葉はないとばかりに、アライブとGODは最後の一騎討ちに臨む。
互いの剣が同時に互いを斬り裂き、血と火花が交差する。
長い沈黙の後、先に膝を突いたのはアライブの方だった。
「ふっ……」
GODは勝利を確信し、剣を収める。
しかしGODもまた、生命維持の限界を迎えていた。
「う、ぐ、ああ……!」
全身から火花を飛び散らせ、GODの機能が停止していく。
暗闇に落ちた意識の中で、彼はふとソウギの声を聞いた。
「よく頑張ったね。GOD」
「ソウギ様……」
「僕は遂に不老不死の体を手に入れた。君のお陰だ」
それがソウギの肉声なのか、単なる妄想なのか、GODにはもう分からなかった。
ただ無心で主人の朗報を祝い、歓喜の涙を流す。
二人だけの世界で、GODは両手を高く掲げた。
「ビバ・ソウギ!!!」
最期の叫びを遺し、遂にGODは爆散する。
彼の執念が乗り移ったかのように、記録装置の映像が切り替わった。
非人道的な実験や特危獣たちの破壊活動、マイナスナンバーの反乱。
蜘蛛の怪物に成り果てた真影や共存の会の破滅。
美しい物など何一つない映像に、五人は思わず息を呑んだ。
これ以上、悲劇を繰り返してはならない。
アライブ––昇たちはそう誓いながら、いつまでもソウギたちの実験と戦いの記録を眺め続けるのだった。